プロローグ
「そういう訳だから、パパ。あたしと離婚して、もう一度あたしの不倫相手に戻ってくれる?」
ママさんのセリフに、言われたパパさんはもちろん、その場で聞いていたユメちゃんもムギちゃんも凝り固まった。三人ともマネキンみたいだけど、こんなに目を見開いて驚愕しているマネキンってあるんだろうか。なんてどうでもいいことを、ぼくは考えた。
ぼくは何も知らないようで、ぜんぶ知っていた。ので、特に驚かなかった。
家族全員が集まったリビングは、しんと静まり返った――わけではなかった。大掃除のおかげでホコリの目立たなくなったテレビが、おめでたいおめでたいと連呼している。新年明けましておめでとうございます。いやー、めでたい。めでたいですね。本当におめでたい。
「……何よ皆、喜んでくれないの?」
おめでたいことを言ったはずだったママさんは、ぼく以外の家族の反応を見て、口を尖らせた。テレビではさっきから「めでたい」を連呼してるけど、それはママさんにあてた言葉ではない。マネキンのような三人は、祝福はおろか、お正月のだらだらとした空気すらもなくしていた。
「えーっと、ママ? その話は本当なの?」
「もちろん。ママが不倫しまくってたのは、皆知ってるでしょう」
ユメちゃんの質問に対して、答えになっていない返答をするママさん。せっかく口を開いたユメちゃんは、文字通り口を開いたまま、再度凝り固まった。
ただ、ユメちゃんが凝り固まったのは、ママさんがフリンしていたからではない。ママさんがフリンしているのは、この家の皆が知っていた。この家に住んでいれば、フリンという言葉はしょっちゅう耳にする。
「……お母さん。これって、すごく大切な話だと思うの。不倫してたこと、開き直らないでくれる?」
ムギちゃんが神妙な面持ちで言うと、ママさんは肩をすくめた。
「紡だって不倫してたじゃない」
「だけど私は開き直ってないよ!」
ママさんの言葉に、ムギちゃんは声を荒げた。けれど、ママさんにはこれっぽっちもダメージがない。追い打ちをかけるかのように、パパさんとユメちゃんの方を見る。
「大体、パパだって夢だって不倫してるじゃないの。うちの家で不倫したことないのは、ベルくらいだわ。ねえ、ベル?」
名前を呼ばれたぼくはとりあえず、にゃあと鳴いた。それを見た三人は、腕を組んだり、頭を抱えたり、両手で顔を覆ったりした。
ぼくだけが、すべてを知っているようだった。




