つなぐ場所
「ねえ知ってる? この都市伝説」
エアコンのおかげで適度に涼しく保たれているわたしの部屋。
今、テレビで「ウソかホントか最新都市伝説検証」を観終わったところ。 わたしにとってはまあ可もなく不可もなく、暇潰しにちょうど良いという程度の番組だったけど、興奮しながら食い入るように見ていたカオリは違ったようだ。いたって真剣な眼差しで、わたしに問うてきた。「ねえ知ってる? この都市伝説」
「は? どんな?」
わたしは気の抜けた声で、まだぼうっとテレビを眺めたまま、視線だけを向かいに座るカオリに向けた。夕飯を食べ終えて、お風呂に入って、テレビを観続け、わたしはもう眠いのだ。
「自動販売機の都市伝説だよ。ナナコやっぱり知らないか」
カオリは嬉しそうにわたしに顔を近づける。まるい顔とまるい目がにんまりしている。やっぱりカオリ、少し太ったな。
「知らないって。どんな話よ?」
そう言いながらわたしはひとつあくびをして、テレビのスイッチを切った。午後11時。もうろくな番組をやっていない。
「自分の部屋にテレビがあるっていいなあ。うちダメなの」
カオリはテレビを消したわたしを見て口を尖らせた。
今日わたしの部屋にはじめて入ったときもテレビいいなあって言ってた。 別にそんないいもんじゃないよ。暇潰しぐらいにしかならないし、それでもなんだかだらだら観ちゃって、時間を無駄にショウヒする気がする。
カオリは今日、わたしの家にお泊まりなのだ。
本当は、夕飯までは中学生らしく勉強するつもりだったんだけど、3分で飽きた。教科書を開いただけ。すぐに、最近付き合いだしたって噂されている、マキとトシキ君の話になった。
「テレビじゃなくてさ、その自動販売機の都市伝説ってのは?」
わたしは話をもとにもどした。
「うん。じゃあ話すね。ほら自動販売機で当たりがでるともう1本、ってやつあるじゃない」
「うん、あるね」
「数字を3つ揃えたら当たり、っていうやつよ。たとえばジュース1本買おうとして120円を入れると、120って入れた金額だけ表示されるでしょ。飲み物のボタンを押すとその120がいろいろに点滅し始めて、ルーレットがはじまって、アトランダムに3ケタの数字が選ばれて表示される」
「ふんふん」
「それが、111とか、222って具合に数字が3つ揃うと当たりでもう1本なわけ」
「うん」
「でもね、うっかり444で揃っちゃうと」
カオリはいったん言葉をきって、じっとわたしの目を見つめた。「揃っちゃうと?」
カッと目を見開く。
「死んじゃうんだって!!!」
そんなばかな。カオリってば、テレビに影響されてるよ、そうわたしは思った。
しかしカオリは真剣そのもので、この話は学校の先輩に聞いた話だからたしかだ、実際先輩のいとこの友達のクラスメイトが被害に遭った、などとまくしたてた。しまいには、
「この辺にない?そういう自販機」
とわたしに質問してきた。わたしは「ないない」と手を顔の前で振ろうとしたけど、はたと止まり、そういえばと思いだして、思わず言ってしまった。
「ああ、ある。数字が3つ、揃えば当たりでしょ? わたし昔、777で当てたの」
「それってどこっ?」
カオリの顔が迫る。
「ここから近いよ。薬局と不動産のあいだ。学校とは反対方面」
わたしはカオリから遠ざかりながら、嫌な予感を感じた。
「いまからそこ行こう!」
やっぱり。
「いや、マジでさ、7777みたいに数字4つ揃うと当たりってのは割と見かけるんだけどね、この辺。3つはなかなかなくてさ~、まさかこの近くに問題の自販機があるとは!」
「あの、それ普通の自動販売機だと思うよ。わたし、中学上がる前、母親が薬局行くのにくっついてって、けっこうその自販機でジュース買ったけど、何も起こらなかったし。ってか、本当に普通の自動販売機だし」
「それは444がでなかったからでしょ?」
なんとかカオリに思いとどまってもらおうとするわたしの努力も空しく、カオリはますます都市伝説検証に意気込んだ。わたしは自分の失言をほとほと後悔した。こうなるとカオリは止まらない。小学生のときからそうだった。
「今からって、夜中なんだけど」
「夜中のほうが、盛り上がる!! いいじゃん、おじさんもおばさんもいないし、明日は土曜で休みだし」
たしかに父親は出張中、母親は夜勤で帰ってくるのは明日だ。だからカオリを家に呼んじゃったわけなんだけど。
まあいいか。眠気もなんだか飛んだし。カオリの憎めないまんまる顔とまんまる目に免じて。
わたしはエアコンを切った。
外はむっとまとわりつくような暑さで、わたしはTシャツ、カオリはノースリーブという出立ちだった。
もうすぐ夏休みがやって来るのはうれしいけれど、その前には期末テストがある。来年は受験生だし、わたしはなんとなく窮屈な気持ちになる。なんだかなあ。毎日毎日億劫なんだよなあ。
過密状態な熱気の中、目的地に着いた。
明るい雰囲気の昼間とはうって変わって、今はしんとして、もの言わない薬局と、年季が入りこじんまりとした建物である不動産のあいだの路地に、その自動販売機はあった。昔のままだった。
不動産の左側面に背をぴったりくっつけている格好なので、不動産が置いてる自販機なのかもしれない。ジュースを買おうとすると、買う人は薬局の右側面を背にすることになる。
「ほら、カオリ、ここ見て。数字が3つそろうともう1本って書いてある」
わたしは指を差した。本当だ、とカオリがにんまりする。
小学生のころ母親とよく着た場所だ。不動産にはとくに用がなかったけれど、薬局の試飲をするのが楽しかった。今でも母親はよく利用しているんじゃないだろうか。よく知らない。
自動販売機の方は当時と同じものだと思う。けれど、扱っている飲み物のラインナップは変わっている気がする。わたしがよく買っていた「はちみついちご」がない。
「じゃ、買うよ。言いだしたのわたしだから、わたしから」
「はいはい、どうぞ」
ラインナップが変わっていても、見れば見るほど普通の自動販売機だ。熱くなっているカオリには悪いけど、わたしは都市伝説なんて信じていないし、馬鹿らしいとさえ思っている。
まったくなんの根拠があってそんな噂がたつのか、内容はこじつけだらけだし、いかにも、な話が多いし、全く下らない。カオリもここでジュースを1本買えばそれで満足するだろう。だいたい数字が都合良く3つ揃うわけないしさ。
わたしはそんな風に思いながら炭酸ジュースのボタンを押すカオリを見ていた。
あ~あ、太るよ、炭酸は。ボタンを押した瞬間、数字が点滅した。そして。
「4」
「4」
「ええっうそっ」カオリが叫んだ瞬間、
「4」
「444」
「444」の数字が現れた。
わたしは固まった。
カオリの方を見るとカオリも声を失って数字をじっと見つめている。
まさか、本当に444が出るなんて。そんな……。
「チャン、チャラララ~チャラララ~」
次の瞬間、ファンファーレのようなメロディーが鳴り、表示板の444は消えて、代わりに「当たり」と「もう1本」という文字が交互に表示された。
わたしとカオリは顔を見合わせて、思わず笑ってしまった。
「ほら、カオリ、もう1本だよ。はやくボタン押さないと」
「そだね。あ、ナナコ選びなよ。わたしもう買ったから」
「ありがと」
わたしは紅茶のボタンを素早く押した。また数字が表示板の上を点滅する。
「259」
今度ははずれ。
「は~、びっくりしたよ、マジで444になるんだもん」
カオリは取り出した炭酸ジュースを握りしめ、ほっとしたように息を吐く。
「たしかにね。けどこれで月曜日の話題できたじゃん」
わたしは紅茶を取り出し口から抜き取る。ん?
「そだね。やっぱ、都市伝説はウソか、ってどしたのナナコ」
「これ、紅茶じゃないよ、コーヒーだよ。しかも無糖」
「ええ~」
業者がジュースを補充するときにミスをしたらしい。わたしはコーヒーが嫌いだ。カオリもたしかそう。
「わたし、もう1本買うよ。コーヒーはお母さんにあげよ」
わたしはポケットから小銭入れを取り出し、120円を出した。
「またコーヒーが出るかもよ」
「わたしもカオリと同じ、炭酸にするから」3枚のコインを入れる。すると、表示板には「2」という数字が表れた。120円入れたのだから、「120」と表示されるはずなのに。
「2」 しか表示されない。
「なにこれ? 壊れてんの? ナナコやっぱりやめたほうが」
カオリはそう言いかけたけど、わたしは一瞬疑問に思ったくらいで、惰性で炭酸ジュースのボタンを押してしまった。
押したと同時に「2」が消えて数字がちかちかとシャッフルされる。
「194」
あ、はずれ。
そう思った瞬間、突然耳鳴りがした。キーンという、超音波みたいな耳鳴りだ。ほんの少しの間他の音が聞こえず、まわりから遮断されたようになった。
わたしが驚いていると、次に突如目の前がぐにゃりと歪み、すぐそこにある自販機が拉げるように不格好になって、またすぐもとにもどった。
耳鳴りも止んでいた。
わたしは目を瞬いた。なんだろう? 今のは。
貧血だろうか。それともただの立ちくらみ?
わたしは不思議に思いながらも、とりあえず炭酸ジュースを取り出すため屈んで、ジュースの缶を手に掴んだ。
缶は驚くほど、ひんやりと冷たい。
屈んだ姿勢のまま「じゃ、帰ろうか」と隣にいるはずのカオリに声をかけた。しかし、返事が返ってこない。「あれ?」と不思議に思ったけれど、ジュースが取り出し口に縦に引っかかってうまくでてこないので、屈んだままにわたしはなっていた。 どういうわけか完全に引っかかって、はずれない。
そうしているうちに、背中から這い上がるような寒気が襲ってきた。さっきまでじっとしていても汗が出るほど蒸し暑かったのに、汗は一気に引っ込んで、かわりに鳥肌が全身を覆った。
寒い。
冷蔵庫の中にいるみたいだ。なぜ? なぜ、夏なのに、こんなに寒い?
「カオリ?」再び呼んだけれど、返事はない。ジュースはまだ取れない。
なにか、おかしい。
背中の方は薬局の壁のはず。しかしわたしは背中に凍りつくような空気を感じていた。その空気は嫌なにおいを運んでくる。
血生臭い。
すっぱいにおいも、こげたにおいも、どろどろになった下水よりひどい腐ったにおいもする。そんな空気が、鼻から肺に流れ込んでくる。
おかしい。変だ。
わたしは一体、どこに立っているのだろう。
わたしはジュースを取り出すのを諦めて、立ち上がると、おそるおそる後ろを振り返った。
そこには壁などなく、そこには。
地獄 に 行くよ
近所に良く当たる自販機があったんですが、撤去されちゃった。さみしい。