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霧幻冬のヘキサグラム  作者: 宇野壱文
第4章 Ice × Fire
58/61

第六話 二日前(1)――渡る世間は敵だらけ

 Two days ago


 Another view


 ――死んでほしい。

 それがあの男を初めて目にした時の第一印象で、今もなお継続中。

 この歳にもなれば誰かに殺意を覚える事なんて珍しくも無い。もちろん実行したことは無いけれど。

 けどその相手が初対面の人間なんていうのは初めてだし、その度合いも質が違った。

 そいつが今そこにいる、それそのものが許せない。

 その暴力的なまでの、どこを発生源としているのかも分からない衝動に、逆らう気は不思議と起きない。

 それなのに、今日に至るまであいつを殺害する為の行動に出たことは一度も無い。自分自身にその手段があるにも関わらず。

 そも、殺したい、ではなく、死んでほしい、なのは何故なのか。ただの言い回しの違い? あるいは自分の手を汚したくないだけとか? 本能的な忌避反応? いやいや、間違いとはいえないけどもっと納得のいく――納得してしまう理由がある。

 ああ、つまり、自分の力では出来やしない、可能なわけがない。そう認めてる、という事で。

 それがまた――許せない。

 何かきっかけさえあれば、じゃあやってみせようじゃないか、と考えるくらいには。


 Another view end



 ――校内放送でお前があの怪文書読み上げて、馬鹿みたいに喜ぶ変質者の頭に後ろから冷や水ぶっかけるってのはどうだ?

 真っ先に思いついたこの案は、羞恥プレイの刑に処され遊ばされる明野サンに犬歯を剥いて猛反対された。

 しょうがないので、無難に「発信機」でいくことにした。

「行くわよ、こおり」

「え」

 その結果、昼休み、有無を言う間もなく教室から連れ出された。

「おい、行くって」

「あんたが言ったんでしょ。「手紙」が無くなってるのを確認しないと、意識の行き先は「手紙が入っているはずの下駄箱」で固定されるって」

 一年生の教室は四階。階段を下へと駆け下りる。

「そうじゃなくて、今からかよ」

 まだ昼だ。てっきり放課後になってから動くもんだと思ってた。つーか飯食いたい。

「ええ。一秒でも早く馬鹿の顔を踏みつけたいのよ、あたしは」

 恐ろしい女子(おなご)です。ストーカーよ、そしてこの学園の大半の男子よ、お前らの感性どうかしてるって。

「わかったから腕離せ。下に引っ張られて走りにくいんだよ」

「それはあたしの身長を揶揄してるのね、死になさい」

 なんでだよ、ただの位置関係の話だよ、間違いではないけど。おい腕引くな、危ないだろ。

「……陰険を始末する方が優先だったわね」

 ぱ、と手を離す。急な事で体勢を崩すが二、三歩で持ち直す。心底忌々しそうに舌打ちすんな。

 正面玄関へ到着。俺より先に着いた明野が下駄箱を開く。

 中には外履きの上に一通の手紙。ただしこちらが用意したものではない。マジですか。今朝も入ってたんだよな? 半日も経たずにもう二通目とか、どんだけ暇人だよ。更に言えば見計らったように置かれていた宛名の無い手紙を、一応明野の署名はしてあったとはいえ、本当に自分宛てだと考えて持って行っちまうものかよ。引くわ。

「かかったわね」

 昏い笑みを浮かべながら手紙を開けもせずビリビリと引き裂いていく明野。うーわー、ちょーこえー。

「さあこおり、あんたの能力を人類の為に役立ててあげるわ。急ぎ不届き者を見つけ出しなさい!」

「はいはい」

 突っ込む気も起きずおざなりに返事して、腕を肩の高さまで上げる。それから見えない扉にノックするかのように、軽く握った拳を動かした。

 コン、という幻聴。

 そこから波紋が広がっていく。

 …………。

「明野。今考えるのは、ストーカーの事じゃない」

「……考えてるわよ、「手紙」の事。けど」

「ストーカーへの怒りの方が強いってんだろ。どうにかしろ。でなきゃ第一案だ」

「あんたへの殺意も湧き上がってきたんだけど、これってどうしたらいいかしらね!」

 ――“Ripple”で分かるのは範囲内の生物の感情の種類、含有率、そして指向だ。これを利用して、明野の怒りが向く先を探ればそこにストーカーがいる――と思うだろうか。

 答えはNO。何故ならその怒りを届ける対象のイメージが明野には無いからだ。

 とか小難しい言い回しをしてみたが、要は単純で当たり前のことである。その感情を言葉に変えてぶつけようという時、その相手の顔も知らないのに誰にぶつけようっていうんだって事。

 相手の事も知らないのに意識・感情を向けられる訳がない。最低でも顔をイメージできなければベクトルを向けるなど不可能で、感情は全方向へ同心円状に撒き散らされていく事になる。まさに「やり場のない怒り」というヤツだ。

 だから、意識の指向性を生むために「手紙(はっしんき)」を用意した。

 物は感情を生まないから「手紙」の位置を直接特定することは出来ない。

 物に残された思念を読み取るというのは“Psychometry”の分野であり、俺には無理だ。

 しかし、物は感情を『反響』する。

 その物に向けられた感情が写し出される、と言えば分かるか。それを探知しようという訳だ。

 ただ、この手を使うにあたってクリアしなければならない条件が三点ほどある。

 一つ、この「手紙」がストーカーの手に届く事。ま、当たり前の話だな。

 二つ、「手紙」がなくなっている事を明野が確認する事。俺たちは朝の時点で「手紙」が下駄箱にあるのを確認している。この場合だと、仮に下駄箱から「手紙」がなくなっていたとしても、どうしても「手紙」そのものより「「手紙」があるはずの場所」へと意識が向きがちになる。それを解消する必要があったという訳だ。

 ここまでは前提条件だ、さして難しい事じゃない。問題は次。

 三つ、「手紙」に強く意識をぶつける事。何故なら「手紙」が所在不明だという問題がある為だ。

 何処にあるか分からないものにピンポイント、一直線に意識が向くか? 否だ。

 だからといって見付けられない訳じゃない。先述の通り、所在が分からなければ意識は同心円状に広がっていく。この時、下手に何処にあるのかなどと考えてくれないとやり易い。場所を考えずにただ目標物の事だけに集中していて欲しい。そしてストーカーとは違い、「手紙」のイメージははっきりとあるから、明野から広がった波が「手紙」にぶつかれば『反響』を返すだろう。

 問題は、ぶつけられた意識に『反響』を起こすだけの強さがあるかだ。

 元々感情を放たない物体に感情を反映させるとなると、それなりに強い意識が求められる。そして他方向に散る意識は一直線に集中して向かう意識より弱い。だから、

「余計な事考えんな。全部転化しろ。つーか腹減ってんだよ、さっさと終わらせて飯にしたい」

 普通ならただ開放するだけの“Ripple”を「使う」際の動作をもう一度、すなわち空を軽く叩いた。

 …………。

「……どうよ」

 と訊いてきつつも、その口振りに伺うような響きは無い。ふむ。

「――発見(みつけた)」

「当然ね。このあたしが二度も失敗してたまるものですか」

「はいはい」

 適当に流しつつ階段へ向かう。

「で、何処のどいつよ」

「知るか。わかったのはあくまで場所だ」

 とはいえ、あとはそこにいるヤツを締め上げて終わりだが。そしてそれは俺の仕事じゃない。

「……しまった」

「何よ」

「先に購買寄るんだった」

 四階まで戻ってきてから気付く。もう一回往復しなきゃならんのか、めんど……。

「あー。あたしお弁当だから関係無いわ」

「弁当、かあ……」

 思わず遠い目になった。

「朝弱いなら昨夜のうちに作っておけばいいでしょう」

「それで済むなら胃薬はいらん」

 寝惚けた俺を飯の側に立たせる事自体がアカンのだ。

 ――さて、ご到着だ。隣のクラスとか、遠回りさせやがってこの野郎。

 ガラリと扉を開いた。俺にそこそこ注目が集まる。

 ――むう? いきなり敵意をぶつけられる覚えが無いんだが。

 特に気にせず教室の中へ踏み出し、明野も続いて入って来た。おうおう、打って変わって好意的だこと。いやいや、こっちに妬心ぶつけてくんじゃねえよ、意味が分からんし。

 ……ん? ん、ん、んん?

「どれよ、周防君」

 明野に学ランの裾を引っ張られた。

「……んー」

 顎でくいっと指し示す。前髪で目元が隠れた男子生徒がこちらに顔を向けていた。

「――ご苦労様」

 おーおー、綺麗に笑ってくれちゃいやがって。みなさん暢気なものですよ、これが嵐の前の静けさだなんて思わずに。

「貴方。ちょっとよろしいかしら」

「えっ」

 驚きでがたりと椅子を鳴らす例の男子。あー、何これピンク。それだけでさっきまで浮かべていた疑念が吹っ飛ぶとか、頭の中お花畑もいいところだろ。

 そう、疑念。明野が現れた時、明野の下駄箱へそれが向くのは自然なことなのだが――。

 と、そこで思考に耽っているうちに明野が男子を引き連れて戻ってくる。ちょうど俺の身体が扉を塞ぐ形になっていたのでおとなしく脇に避けた。

 明野が鷹揚に頷いて通り過ぎる。

 前髪男子はこちらに視線を向けようともしなかった。

 再び階段へと向かう二人。

 その後ろに続いた。

「あら? 貴方、ここまでだと思ってたのだけど」

「俺もそのつもりだったけど。ちょっと気が変わってな、別に付いて行ってもいいだろ」

「なっ……、いいわけないだろ、空気を読んで」

「悪いことはないわね」

 反対しようとした目隠れ男子を制して明野が肯定する。絶句する目隠れ男子、こちらに憎々し気な感情をぶつけると同時に再び疑念が頭をもたげる――て、もういい加減いいか、と“Ripple”を抑える。

 そのまま会話もなく、一階特別教室棟へ連れて来られる。廊下の真ん中でカッと立ち止まると、明野はくるりと振り向いた。

「さて、芦屋康平」

「あれ、知り合い?」

 いきなりのフルネーム呼びにまず俺の方が首を傾げた。すると何故か明野は呆れたように息を吐く。

「むしろあんたがどうして知らないのよ。生徒会役員でしょうが」

「ふうん?」

 生徒会役員だったらお前が覚えてる理由になるのか? ……なるのか。役員の半数以上がオーナーだっけ。

 けど俺は名前どころか顔も覚えがないんだけどな?

「幽霊部員、いや幽霊役員か。獅子堂め、俺を引っ張る暇があるならこいつから先に片付ければいいものを」

「お前なんかと一緒にするな。僕は仕事を持ち帰ってるだけだ。昼休みの内にもそこそこ進めてる」

 ……ああ、そういえばそんなのいたな、会計一年で。

「生徒会(そっち)の事情なんてどうでもいいわ。それで芦屋康平。貴方が出した手紙の事だけど」

 断言しちまうのか。いや間違いはないんだけど、目に見える物証なんて無いってのに。

 態度と威圧感だけで押し切る気か。流石にそれは無謀なんじゃないか。先に身体検査して例の手紙を取り出してからの方が同じ手にしてもまだ効力が――

「あ、ああ! 読んでくれたんだね!」

 あ、認めた。え、アホなのこいつ。まあ、こちらにとって悪い事は何もない。こいつ自身にとっても痛々しい尋問タイムがカットされて幸運だっただろうさ。その代わりおしおき拷問タイムが伸びるんだろうけど。

「ということは――そいつと縁を切る気になってくれたんだね!」

 ……ん?

「……はい?」

「ようやく僕の言葉が伝わったんだね! そうさ、こんな奴と君が関わり合いになる理由なんてない!」

 ……なんていうか、パッと見暗そうな奴に見えたのに、随分とテンション高いな。まあ、それはともかく。

 俺と明野の視線が交差する。

 ――なに、んなこと書いてあったの?

 ――知らないわよ、読んでないもの。

 それらの意図を交換するのも一瞬の内、ふうと明野が一息吐いた。

「芦屋康平。もう少し要領を得た話をしてくれないかしら」

 その言葉にひとつの感想を抱く。ああ、そっちを選んだか、と。というのも、こいつがストーカーであるという言質を取った時点で最早話をする必要など本来なら失せており、後は蹴り倒すもバチバチするもご自由に、という段階なのだ。その上でまだ会話を続ける事を、いや情報を仕入れる事を選んだか、と。まあ、その方が俺にとっては都合がいいか。

「君ともあろう人がわかってくれていないのか……。いや、君だけじゃない。何故皆……」

 そこで芦屋とやらは言葉を切り、こちらをちらりと見る。口を開こうとして閉じるを何度か繰り返して、しかし明野の姿を再度視界に収めると意を決したように言葉を吐き出した。

「こいつはっ、こんなのはっ、いちゃいけないんだっ!」

 ――ふむ。

「あたしに伝わる話をして、と言ったつもりなのだけど」

「いやあ、それは難しいんじゃないかなあ」

 まったくもって、珍しい話でも何でもなかった。

 “Ripple”で読んだ感情と今の言動を併せて考えれば間違い無いだろう。ぶっちゃけ輝燐や明野のように「真っ当に」嫌われるケースよりずっと多い。それでも最初からそれを考えないのは、下手打つと簡単に思考放棄に繋がるからで。

「理由なんて自分でも『理解(わか)』ってないんだろうから。とにかく許容することが出来ない。これは根っこの問題だから、共有できるヤツとしか共有できないよ」

 かく言う俺だって理屈として理解してるだけで共有できてる訳じゃない。しかしだ、俺に――明野にではなく――分かったような物言いをされたのが気に入らなかったのか、芦屋がぎり、と歯を噛んだ。

「……周防君、それって逆もあるの?」

「逆?」

「自分でも理由がわからないままに、貴方に恋してしまうということ」

 その問いに、思わずうへえ、と唇を曲げてしまった。

 うっわあ、面倒臭え。

「面倒がってるんじゃないわよ、女の子にとって重要なことなのよ、これ」

「あー…………うん、今はこっちが先じゃね?」

 くいっと親指で目隠れ男を指す。この場に完全まったく関係ない、しかも俺の話をされていたからだろう、不機嫌さを隠しもしていない。だが明野の視線が自分を捉えた途端表情(かお)を輝かせるのだから現金なものだ。

「ああ、それ。もういいわよ、理屈じゃなく本質的にあたしには理解できないハナシということなんでしょ? それならこれ以上訊く意味はないわ」

 ふう、と億劫そうに髪を梳きながら溜息を零して。

「後は処断するだけよ」

 底冷えのするような眼光で芦屋を見下げた。

 明らかに背の低い方が高い方を見下すという矛盾。しかしそれを不思議と思わない不思議がここに成立していた。

 そしてようやく自分の立場が分かったか、引き攣った顔で芦屋が抗弁を始めた。

「ま、待ってくれ!? 何を怒っているんだい、僕はただそんな奴より僕の方が優秀で、君のそばにいるのに相応しいとアピールしていただけで――」

「というか何故さっきから当然のように俺があれこれ言われてるんだ?」

 いや、こいつが俺に悪感情を持ってるのなんてとっくに分かってるんだが、明野と並べて語られる理由がまるで分からん。

「彼女に近付いておいて何をいけしゃあしゃあとっ、ふざけるな貴様ぁ!」

「……えー」

 何それひどい言い掛かり。風評被害だ訴えるぞ。

「知らないと思ってるのか、か、彼女と旅行に行ったんだろう!? いったいどんな手で拐(かどわ)かしたっ!」

 むしろ誘拐されたのは俺なんだが。

 ああ、そういや今週頭から被害が出てるんだっけ。つまりこの辺が引き鉄か。

「どうでもいいのよ、そんなこと。今あんたは自分の罪を数えることに集中しなさい」

「罪だって、何のこと、いや……そうか、やはり僕の腕では君の美しさをファインダーに収めきれていなかったのか」

 だから怒っている、とでも? ふむ、アレだな。一周回って愉快になってきた。

「それとも花の種類? ああ、やっぱり花言葉くらい調べておくんだったか。ケーキは美味しかっただろう、君が友人と話題にしてた物を選んだんだからな!」

「……ふぅ」

 芦屋が自供するごとに明野の眼差しは冷えていき、足首をグリグリと回して柔軟体操。もうダメ吹きそう。

 あーもー、喜劇をケラケラ笑い飛ばすために付いて来たんじゃないってのに。

「それに前に告白した時に言ってたじゃないか、自分の好みは優秀な人間だって!」

 んん? なに、こいつもう振られてんの? そりゃまた、往生際の悪さが筋金入りだなあ。

「それが自分だとでも?」

「ああ。でなければこの学園の生徒会には入れ……っ!」

 む? 何故そこで俺を睨む?

「そ、それにだ! 僕の総合成績は君に次ぐ学年二位だ」

「へえ、知らなかったわ」

「そ、そうなのか。だけどこれで分かって――」

「興味も無いわ。あたしより下の順位なんて。自分が告白する相手より下だって事を自慢気に話して、あんた何がしたいのよ」

 バッサリ。まあ初めから終わってたけど、一縷の望みすら断たれたカンジかなー。絶望の顔を見せたかと思うとがっくりと肩を落として項垂れてしまいました。

 んじゃ、そろそろこっちの用件に移らせて――

「……なら、せめて、せめて……!」

 と、芦屋がこっちを向いて指差してきた。

「あいつと縁を切ってくれ、頼むからっ。君の為にならないんだ、お願いだ分かってくれ……っ」

「つまりはそれがカミソリレターの動機って事でいいんだな?」

 ……移らせてもらおう。何やら懇願してるけど知った事か。

「……何の話」

「お生憎様。しらばっくれても無意味なんだよね、元々俺が確信してるだけで物証とか無いんだから」

 教室で俺に向けられた敵意の主の意識が、次いで俺の下駄箱に向けられた。それで関連性を考えるには十分。同じやり方で明野には請願を、俺には脅迫をってとこだ。

 ただし、“Ripple”でそうと分かったところで、他人に示せる証拠なんてもちろん出てくるはずが無い。

「言い掛かりで僕を貶める気か? この悪党めっ」

 ああ、これは、逆に俺の評判を落とす材料でも得たと思ったかな。

「うんまあ、それでいいけど」

 罵倒をさらっと受け流してやったらひどく意味不明という顔をされた。

「裁判をする気は無いんだよ。なんで他人に証明せにゃならないんだ。自分で確信持ってりゃ十分だろ」

 そういうのは他人の目を気にする人間相手にやってくれ。駆け引きがしたいならまず相手の利害を正確に把握してからにすべきだったな。

「横暴なっ。そんな私刑が許されると思ってるのかっ」

「知らんよ、どうでもいい」

 許される? 誰にさ。

「そうね、許されないわ」

 と思ったら、まさかの明野から掣肘が入るとは。

「あたしの権利を奪おうだなんて、あんた何様のつもりよ」

 アッハイ、その通りですね女王様。

「というか、あんたがカミソリレター程度相手にするわけないわよね。流石に昨日のは腹に据えかねたのかしら」

「怒ってはいないけど、単純に度を越しちゃってるから、あれは」

「世間一般的にはカミソリレターの時点で十分度を越してるっていえるわよ」

 そうなのか、まあいいけど。

 一昨日までなら気付いたところで放置しておいてもよかった。約二名程からうるさい声が上がりだしたらそうも言ってられないだろうが、つまるところその程度の、どうでもいい事柄だったのだ。

 しかし昨日の猫箱、あれは駄目だ。俺に対してというより、猫に対して駄目だ。こんな馬鹿馬鹿しい事のために自分の生命が消費されるとは全く思ってなかっただろうに。

 早期解決を目指すという風に積極的に動く気にはなれなくとも、見逃すという選択肢を取る気にもまたなれない。

 あと、こういう馬鹿って放っておくと図に乗ってエスカレートしていくものだし。

 とりあえず生命を粗末に扱われる気持ちを味わってもらおうかなー、なんて考えてたんだけど明野がみっちり制裁してくれるみたいだし、手間が省けて大助かりだ。

 ――などと思っていたのだけど。

「……昨日?」

 一瞬でここまでの思考を全て棚上げさせられた。

 “Ripple”を抑えている都合上、俺は人の機微に疎くなっている。そんな俺にでも分かるくらい分かり易い表情の変化。

 何を言っているのか分からない、という。

 明野の手前の演技という可能性もあるが、それも今更な気がする。念の為明野を伺ってみると、彼女もやはり思案顔。判断のつけ辛い微妙なセンだなあ、これは。

 まあ、別にいいけど。本来の目的である明野の件は有罪確定なワケだし、ついでに尋問を頼んでおけばはっきりするだろ、と頭を掻いた時。

 ざりっ、と背後に複数の足音。振り向くと体格のいい男子生徒十人ばかりに廊下を塞がれていた。

「取り込み中悪いなァ、周防」

 その言葉で初めて自分が当事者なのだと認識して。

 きょとんとしていたところへ顔を叩(はた)かれた。

 ……んむ?

「チッ、このくれえも避けられねェのかよ」

「やっぱコイツが四強なんてなんかの間違いっスわー。獅子堂サンメガネ曇ってますわ」

「あの人に気に入られたからってチョーシ乗ってんじゃねーぞ、ァアン!?」

 威勢のいい恫喝と共にメンチを切る強面の方々。ウゼェ。

 え、なにいきなりキレてんのこの人たち、カルシウム足りてないの?

「ンとか言えよ、ビビってんのかァ!?」

 先頭の一人が胸倉を掴んできた。溜息を吐き出す代わりに校則をつらつらと述べてみる。

「喧嘩とは対等の立場の者同士の間で起きる武力を用いた諍いを指し、一方的な弱い者イジメや集団暴行はこれに該当しない――って聞かされたんだが」

 謎校則にも一応良心はあるらしい。

「そぉれがどうしたよ、アア!?」

 うんまあ、そうくるよね。一応言ってみただけだから、それは別にいいんだ。

「で、あんたたちなんでここにいるの?」

「ァアン? 見てわかンねぇのか」

「てめえを殴りに来たんだよッ!」

 いや、何しに来たかなんてどうでもよくて。って、考えてる最中だってのに殴るな叩くな。

「んー、お前? こいつら呼んだの」

 まだあっちの方が話になりそうだ、と振り返って……えっと、アシ……なんだっけ? に顔を向けた。暴力を身に受けている最中だというのに平然と視界から外す様に怯んだ様子で(なお明野は呆れた様子で)、それでもすぐにキッと睨み返してきた。

「ふ、ふん、何の話だっ? たとえそうでも、お前に答える義理なんて僕には」

「しのごの言わずに答えなさい」

「し、知らないよ、あんな奴ら本当に僕は知らないっ」

 だろうね。ここに来るまでどこかに連絡取ってたなら俺はともかく明野が気付いてる。

 じゃあ、人目の無いところ、つまり人があまり寄りつかないところへと何故こいつらは雁首揃えて現れた?

「……まあ、こいつらに訊けばいいか」

 ボソッと呟いて首を元に戻す。そのタイミングを見計らっていたかのように目の前の男が首を後ろに反らせる。

「舐めてんじゃ――」

 ふむ。じゃあこちらも。

「ねェぞッ!」

 ガンっといい音がした。頭蓋と頭蓋の衝突。

 ……痛いなあ、まったく。

「……く、うっ」

 襟首から手が離れて、男が額を押さえながら二、三歩後退る。その際にこっちの肩がドンと突き飛ばされたのであえて逆らわず数歩下がる。俺たちの間に少し距離が生まれた。一足飛びには拳が届かない距離。つまり一応会話が成立しないこともない距離。

「いきなり囲まれて殴られる心当たりはないんだけどさ。誰か事情くらい説明しちゃくれないかな?」

 それ如何によっちゃあ素直に頭下げるのも吝(やぶさ)かじゃあないし。

「ァアン? テメェふざけてンじゃねェぞ!」

 ……ごめん、どこがふざけてたのか俺全然わかんない。

「あんな猿芝居で四強入りたァ、ウチらを舐めてくれたモンだなァ、オォ!?」

 ……芝居? 四強?

「つまりね周防君、彼らは貴方が四強に入るためにあの下着ドロ退治を演出したと言ってるのよ」

 首を傾げていたところへ明野センセイからのよく分かる、だがさっぱり意味の分からない解説が入る。そんな小芝居かまして手に入るのがあんな顔を覆いたくなる恥ずかしい呼び名とか意味分からんし、その為に数集めて人を追い立てにかかるというのもワケ分からない。

 つか、こういう状況初めてじゃないんだよね、笑えることに。どうやら俺は、こういうヤツらの気に障りやすい性質(タチ)らしい。遅れてやってきた転校直後のイベントってとこか。一応の大義名分を引っ提げてきただけ今までよりマシな人種と思っておけばいいんじゃないかなあ、多分。

「それに「うん」って言ったら、この恥ずかしい称号とさようなら出来るかな?」

 もっとも、大義名分(それ)は俺にとってぺい、と投げ捨てられるものなのだけど。

 ところでどうしてあなたはアシなんとかを組み伏せて背中の上に座っておられるのでしゃうか。目を離したわずかな間に一体どういう経緯でそうなったのか、ぶっちゃけこいつらの理由よりずっと気になるわー。

「……もォ、謝っても許さねェ」

「えー、初めっから止(や)める気なんて無かったヤツがその言い種(ぐさ)はおかしいって。それでも元々こっちに非があったなら謝ってるけどさ、それが筋だし。でもそれも無いみたいじゃさ、こっちが損害賠償請求したって許されるよね。ほら、現在進行形で時間を浪費させられてるんだし」

 と言って溜め息を吐いた。

「(あ、どっかで聞いたようなセリフね、これ。心中察するわ、あんたたち)」

 すると気付いた。いつの間にやらしんと静まり返っている。何故だろうと思ったが構う知ったことではない。

 言うべきことを言うだけだ。

「というワケで容赦しないから。警告しとく。後悔したくなきゃ今すぐ回れ右して消えろ脳筋ども」

 同時、戦闘態勢に移行して理解する。

 悪意の根源がこの場にない事を。

 まあ、だからといってこれからすることに変更が加わるワケじゃないんだけど。


 もちろん、誰一人立ち去る筈もなく、むしろ引き金になって我先にとこおりに殴り掛かっていった。

「煽るわねー、こおりのヤツ」

 まあ、あいつの場合ただの本心なのでしょうけど。それが煽りだと自覚してない分余計にタチが悪いわ。

「明野さんっ、こんな、遊んでないでっ」

「椅子は喋らない」

 ぐい、と後頭部を踏みつけ、床にキスさせて黙らせた。

 一人で逃げていればいいものを、あろうことかあたしを連れ出そうと不遜にも手首を掴もうとしてきたから、逆に掴み返して捻りあげてやったわ。え? 本当に一人で逃げ出してたら? もちろん、無防備な膝裏を蹴り倒していたわ。

「くっ」

「霧を喚んだら撃つわよ」

 機先を制して警告とともにごり、と背中に袖の中の鉄塊を押し当てる。

「……へっ? いや、何の冗談」

「あらやだ。冗談で済むと思われてるなんて、あたしまだ舐められてるのね。どうしよう、引き鉄が軽くなっちゃいそう。そしたらあんたのせいだって正しく(・・・)伝えておくわ、あんたの上司にね」

 あらあらまあまあ、急に身体が強張っちゃって、どうしたのかしらねえ。

「……僕は、悪くない」

 絞り出された言葉に嘲笑する。そんなワケないから。

「あの男が悪いんだ」

 吐き出された言葉に嘆息する。それは、そうかもしれない。

 どうにもあの唐変木には他人の感情を不自然に引っ張り出す……押し付ける? 煽り立てる? そういう能力……いえ、性質というべきかしら? そんなものがあるみたいだし。

 今さらその程度で驚かない……といっても、疑問はある。どうしてそんな性質が備わっているのか。また新たな『異質性』とかだったら簡単で済む話なんだけど。あと、それを当の本人は認知してるのか、とか。

 本当、あの男には未だ謎が多い。あるいは、それは『オーナー』には、もしくは『ミスティ』には、と言い換えることが出来るのかもしれないけれど。

 なので、周防こおりの情報はひとつでも多く欲しいところ。たとえそれがミスティに関係しないスペックでも。

 それをまあ、邪魔してくれようとしてくれちゃって。

「今更臆病風に吹かれてるんじゃないわよ」

 こそこそ陰から嫌がらせするくらいしか出来ない奴にはお似合いの格好だとは思うけれどね。あの男に敵対するなら直接対決までちゃんと想定しておきなさいよ、まったく。

「――! あんな奴、怖くなんかないっ!!」

 ……はぁん?

「そうだ、立場があったから手を出せなかっただけだ、本当ならもうとっくにどっちが優秀か思い知らガフッ!?」

 後頭部に踵を叩き込んだ。顎を床に打ち付けて口を塞いだ。あー、みっともない。

 もしかして自分があいつより劣っているなんて認められない、とかかしら。

 愚かね。そういうのは認めてからが本番でしょうに。

 あたしはとっくに認めてる。というか、あんな恐怖を忘れられるわけがない。

 あまりにも凶悪に、あたしという存在に刻み込まれたそれは、こうしてこおりが戦闘態勢を取っただけでジワリ、と掌に汗を滲み出させるほどで。

 何故? と考える事すら許されない。それほどの隔絶があると知っている。

 それをあまりに極端な理不尽として考慮に入れなかったとしても、あいつのあらゆる意味での「強さ」はあたしの及ぶところじゃないと知っている。

 だからこそ。

「……逃げないわよ、ええ、決まってるでしょう」

 戦闘態勢といっても軽く応じる程度のもの。あたしに向けられたものでもない。

 なのに退く? ハッ、冗談。

 この程度で尻尾を巻いてやる気なんて、さらさら無いのよあたしにはっ!

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