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霧幻冬のヘキサグラム  作者: 宇野壱文
第3章 Scythe × Sword
49/61

第二十一話 二重螺旋(後)

 迫り来るのは大口を開き牙を剥き出しにした鮫。

 対するは片腕を背面に回した右半身で構える獅子堂。

 ――交叉。

 すれ違い様に赤い血を舞い散らす側が入れ替わる事は無い。

 昔の映画にあったような、恐怖を誘う光景を眼前にして、それに比してあまりにも小さな少女は、しかし事も無げにするりと側面へ擦り抜ける。

 刀を鮫の脇へ突き刺す。のみならずそのまま駆け、斬り払う。鮮血とともに硬い鱗が宙を舞う。

 くるりと身を翻し、鮫へ剣先を向ける。まるで闘牛士だ。回避に重点を置くための選択なんだろうが、重い刀と軽いフルーレじゃ随分勝手が違うはずなのに、俺から見た限りまるで遜色ない。

 が、これはまだ技術の範疇で納得できること。

 距離が空いて、スペイラーが牙を撃ち出す。

 対し、獅子堂はなんと手首を支点として刀をバトントワラーのように回し出した。回る刀身が円形の盾となり牙を遮る。保持が不十分にも関わらず、弾かれて取り落とすという事もない。

 そんな攻防がこれまでに数度。

 ――そろそろいいか。

 多分、そんな風に呟いたんだと思う。今までと打って変わり、獅子堂から前へ出た。

 静から動への切り替わり、縮地と見紛う歩法。一瞬で間合いを詰めた獅子堂にスペイラーは反応する事が出来ない。

 懐に飛び込んでからの剣閃は、まさに烈風。

 斬斬斬斬斬斬――連斬。いったい一呼吸で何回斬ったのか。

 しかし見た目は派手だが、序盤の攻撃から通して全て浅い。表面を削るに留まっている。いや留めているのか。殺すだけなら最初の一刀で終わらせられるだけの力量はあるだろう。

 狙いは戦意喪失か。そのために鎧を剥ぎ取っている最中、ということだ。

 触れたものを削る鮫肌。硬度はあっても厚みがないから、防御より攻撃用の鎧と言えるだろう。まともに斬りかかればこちらが刃毀れするのは実証済み。剣撃に支障が出るからか、あるいは単に刃が傷つくのが嫌なだけか。いずれにせよ獅子堂は刀が極力傷つかないやり方を選択してるようだ。

 最初の攻防で刀を突き入れ、横に開く。その斬線に沿って刀を肉に入れ、鮫肌を削ぎ落とす。さらに時折、剥き出しになった肉へ刃を返しての痛烈な峰打ちが入る。

 血で赤く染まる、剥き出しになった肉がどんどん増えていくスペイラー。当然ただ黙って斬られるだけの木偶でいる訳もない。

 根の脚でしっかり大地を掴み、身を捻る。枯れ木を軸に鮫が回転する。硬質な胸鰭(むなびれ)が振り下ろされる最中の刀の横腹を叩きに行く。いくら獅子堂といえど加速のついた刀の軌道を曲げることなど出来ないだろう。ならば折られるのが必至。

 その未来に対し、獅子堂はあえて刀を手放した。

 次いで横から伸びた逆手により保持。膝を曲げ身を屈めつつ真横に振り抜く。

 見事に軌道を変えた剣先が向かってきた胸鰭を掻い潜りその下面を斬り裂いた。

「フゥ――ッ!」

 手数が増えた。刀を保持する手が虚空で左右目まぐるしく入れ替わる。その様は剣術というよりジャグリングのよう。しかしただの曲芸などと呼べないのは、宙に広がる(・・・)剣の群れが証明している。

 一本の刀が二本に。二本の刀が四本に。八本、十六本、三十二本。千手観音は闘神なんだと言われたら、素直に頷いてしまえる光景だ。

「――!」

 スペイラーが負傷も厭わず突進を仕掛ける。最早破れかぶれの体なのは明らかだが、唯一勝っている体躯を活かして多少強引でも状況を変えるのは選択として間違ってはいまい。獅子堂の与える負傷が表面的なものに留めているというのもその選択に拍車を掛けているだろう。

 迫る巨体に対して受けは不可。回避は右か、左か。どちらにしても何らかの追撃を用意してるに違いない。

 なら上だな、と明瞭簡潔に答えへ行き着く。

 ふむ、成程。

 それはつまり、自分に向かって突っ込んでくる暴走トラックを飛び越して躱すのが正しい判断だ、と言ってるに等しいな。

 うん、正しいだろ。

 要するに、避けられれば何でもいいんだから。それが物理的に可能か否かというだけの問題で。

 さて、では彼女はどのようにして物理的な問題を解決するのか。はたまた別の答えを出したのか――。

 動作は、二つ。

 刀を突き立て。

 柄に跳び乗り、跳んだ。

 ……それは愚策だ。刀を排除できるならスペイラーにとっては値千金、会心の一撃をお見舞い出来た事になる。命を拾う代わりに(いのち)を捨てる、本末転倒の馬鹿馬鹿しい選択だ。

 だから(・・・)、これが愚策であるはずがない。

 はたして、それは起きた。

 跳躍と同時。踏み台にされて、地面に身を食い込ませるはずの刀――それが、獅子堂から離れない。追従するかのように抜け上がり、獅子堂の足元にぴたりと寄り添う。

 足首を回し、足の甲に刀の柄を密着させる。そのまま眼前に肉薄するスペイラーへ蹴りを打つ。

 刀を蹴る、ではない。

 蹴り足で刀を保持するかのように――否、保持して斬りつけた。

 スペイラーには頭の上で何が起こったのか、わからなかっただろう。ただ、標的が最終的に頭を蹴って横に飛び降りたと分かったくらいか。ただ、その間に刀を足首のスナップでふわりと浮かして、手に持ち直していたが。

 あまりにも非常識な刀の挙動。

「……ふぅん」

 『異質性』だな。直感的に確信する。サイキック系……いや。それなら今まで使わず、刀だけを動かす意味がない。

 おそらく、マスター系。確か、似たような『異質性』で“Car”があったはず。代表的な効果として、ガソリン1リットルで20キロ走る車を200キロ走らせたり、自分に突っ込んできた車がドライバーの意思を無視して勝手に止まったり、普通ならスリップするような運転にも過たず着いてきたり。

 特定の物品を従える王の『異質性』。

 十中八九、獅子堂が保有しているのはこの類の『異質性』、“Sword”だろう。

 だが肝心なのは、この『異質性』、マスターである当人の能力を上げるものではないという事だ。さっきの”Car”の例で言えば、たとえ自家用車でサーキットカー並の速度が出せたとしてもそれを御するだけの運転技術がなければ事故って終わり、という有様になるだけだ。

 追従する臣下(くるま)を従えるだけの技能。それがなければ『異質性』の真価を発揮出来ないどころか、見限られてもおかしくない。

 逆に言うなら、マスターの腕さえ確かなら、物品は限界性能すら超えてどこまでも忠実に応えようとするだろう。

 あの曲芸じみた足刀も、剣の盾もその結果だろう。もしかしたら社に関心を示していたのも、刀の方から呼んでいたのかもしれない。

 ふぅん、面白い。

 面白い、が。

 払った代価で求めたものでは、ない。

 (かぶり)を振るその間にも状況は動く。む、まずい。咄嗟に地に伏せる。

 スペイラーが牙の機関銃を撃ち出しながらその場で回頭したのだ。動き出しは獅子堂に頭を蹴られたのとほぼ同時。だからその回転方向が獅子堂のいる側と同じなのは偶然。二分の一の賭けに勝ったわけだ。

 標的である獅子堂は着地して刀を持ち直したばかり。さっきと同じように刀を回して盾を作るには、それだけの遠心力を稼ぐ時間が足りないか?

 獅子堂も同じ結論に達したのだろう。だから、そんな無駄な試みはしなかった。

 その代わり、ぐ、と腰溜めに構えて息を詰めた。

 スペイラーの口腔から伸びる射線に獅子堂が入る。

()ッ!」

 息を吐き捨て、銀閃が走る。

 ギギギガガガガンッッと金属同士が擦れ合うような不快な音が響く。

 射線が通過する。当たりをつけて回り出したのだ、獅子堂の姿を認めていてもすぐには止まれない。

 その立ち姿が、五体を無事に残していても。

 神業とも呼べる剣捌きで、彼女に当たる牙弾が全て弾かれたのを目撃していても。

 掠めたものこそあれ、行動不能に追いやるには遠過ぎる。

 それでも彼女がすぐ追撃に移らないのは、今のが彼女にとっても多大な集中力を必要としたからか。呼吸(いき)を整え、残心を怠らない。

 こちらもいつの間にか止めていた息を吐き、身を起こしながら思い耽る。

 ……今のも違う。

 今の剣捌きも、先程の変則二刀流も、超絶な技巧の表れではあるが、やはり違う。剣術に興味があるわけじゃあないし。

 ……早まっただろうか。そんな考えが脳裏を過ぎる。

 いや、その判断こそ拙速だろう。だって、こんなにもまだ見たいと思ってる。次の一振りに期待して、()が離せない。

 こんなのは、ああ。きっと『先生』以来。あの人と獅子堂じゃ決定的に違うものがあるけれど。

「……さて、そろそろ状況も煮詰まってきたか?」

『あっちにとっては行き詰ってきた、でも正しいんじゃない?』

 詰めの段階。こうも見事に封殺されてると、あちらに打てる手はいい加減限られてくる訳で。勝ちの目が完全に消えたと悟った奴の取り得る選択肢は、自棄(ヤケ)になるか降伏か。この場合ならどっちでも問題無いが、それ以外の場合が厄介だ。というか、現段階でも(おおよ)そ「それ以外」になると解答(こたえ)が出てる。

 どうやら喜ばしい事に、『準備』が無駄になる事はないらしい。



 圧倒している。

 常識では測れない力と相対しながらも、確かな手応えとして受け止めている。久々に振るう剣が心地好い。

 昂揚している。

 ずっと探してきた不可思議な生き物が目と鼻の先にいる。手で撫でるのも剣で薙でるのも私には触れ合いの一形態だ、歓喜しかない。

 なのに、なのに。素晴らしいひと時、なのに。

 もどかしくて、たまらない。

 分かるから。これじゃ、こんな剣じゃ到底満足していないんでしょう、って。

 後ろの()が訴えている。「それじゃないだろう」、と。

 数年来の悲願を叶えている最中。そんなもの無視すればいい。些事と切り捨てればいい。

 そう出来ないのは、彼が抱える「あの子」の事もあるけれど。それはあくまで「彼の一部」と捉えているとわかっているから。つまり、主体はあくまでも「彼」。

 十年弱積み重なった執念。その域まで僅か二週間足らずで昇り詰めてしまったみたいで。

 自己嫌悪。自分がこんな浮気性だと思わなかった。

 獣の感性で雑念が混ざったのを察知したか、枯れ木鮫が動きを見せる気配。甘い。貴方はまだ私の間合いの内にいるというのに。

 地を滑るように接近、胸鰭を突き刺し、斬り上げる。相当痛みがあるだろうに体当たりを仕掛けてくるが余裕を持って回避。

 今の剣も不合格だろう。門外漢に合否を判定されるのは甚だ納得のいくものではないが、実際その事は誰より自分自身が理解しているのだから仕方がない。

 ネチネチと甚振るような戦い方に不満がある訳ではない。流儀(スタイル)ではないが必要だというだけの事。

 剣の術理に問題がある訳でもない。培った技能は反射の域で骨髄に染み込んでいる。

 そんな付随物(オプション)の話はしていない。もっと、私の剣士としての根幹に関わるもの。

 一振り。剣が描き出す、いわば『煌き』と呼べるもの。それが全くもって足りてない。

 それを見せろ、早く見せろ、と後ろの()が子供のように訴えている。こちらの気も知らずに。

 無い袖を振れと言われている訳ではない。単純に要約してしまえば――本気を出せ、手を抜くな。私が持っていて然るべきものをただ見せろと、それだけの無難な要求だ。

 それが、私には厳しいというのに。『私』なら何気無い一振りでもその『煌き』が現れているだろうが、今はその当たり前が難しい。

 剣の振り方は考えるまでもなく身体が覚えている。しかしもっと上(・・・・)で生じた齟齬が『煌き』を鈍らせる。

 それでいい。『私』と私にはズレがあって当然。でなければ私の意味がない。そのズレを私自身は自覚しにくいのが難点だけど。

 ……とはいえ、今この時だけは『私』と同じ事を出来なくてはいけない。それだけあの瞳を気に掛けてる。

 もし、失望の瞳で見られるような事があったら、


 『私』は、本当に彼を殺してしまうだろう。


 不可能事ではない。どう弄繰り回したところで私は『私』なのだから。

 この剣にあの『煌き』が宿らない訳が無い!

 横溜めから袈裟に一閃、勢いを殺さぬまま踏み込んだ足を軸に回転力に変えさらに二撃目、三撃目――!

 回転の最中に見た。根の脚が複雑に蠢いている。

 土津波か、と根を断ち切ろうと刀を振り下ろしたところで、それより早く土の下から根が持ち上がり、ただの土砂が顔目掛けてぶちまけられる。能力に気を取られ過ぎた。斬り払う刀はそのままに逆の腕で目を覆う。

 視界を殺されたまま、刀を返し斬り上げ。

 空を切る。

 後退()がったか。覆いを外す。

 いない……? 刹那、驚愕に囚われる。

 眼前に残されていたのは一つ、朽ち果てた枯れ木のみ。……まさか。

 一つの発想が天啓のように浮かぶ。この木は、身体の一部ではなく、仮宿? では、本体は何処に?

 振り向いた先に、いた。林立する木々の中に一本、鮫の身体が横合いから突き出す大木が。

「くっ」

 遠い。剣が届く前に牙を撃ち出すには十分。だが、私は既にそれより遥かに厄介な状況を想定してしまっていた。

 何故なら、もし枯れ木鮫が私に殺気を向けていたなら、振り向く前に居場所を察知できたはずだから。

 刀を構え、疾走。だがやはり、その刃が届く前に、

 その姿が消える。残されたのは枯れ果てた木。ここまでくればもう確定だ。

 先程の枯れ木鮫の視線の先へ振り向く。やはりいた。先程と同じように木々の中にその姿がある。

 信じ難いが認めよう。ここに至って常識など役に立たない事を思い知る。こいつは木から木へ本体を転移することが出来るのだ。

 そしてこの能力が最も厄介になるのは、攻撃に使われる時ではない。逃げに徹される場合だ。

 ああ、どれだけ翻弄されようと攻めてくるなら打ち負かす自信はあったとも! しかし殺気も戦意も感じられないものに次々居場所を変えられては追跡など出来る訳がない!

「くそっ!」

 焦りに突き動かされるように最速軌道での突き。あまりに単純過ぎて隙だらけの(てい)だったろうが、それでも反撃は来なかった。

 ざくりと枯れ木に突き立つ剣。肉の感触は、もちろん無い。

 これでは捉えられないと分かっていて、しかし後追いしか出来ない。転進しその姿を探して、

「――え?」

 何故、貴方がそこにいる――?



 転移(SA)の存在には気付いてた。

 木に取り憑くっつー条件付きだが、この場所じゃあ無問題(モーマンタイ)

 転移を止められないなら対処法は一つ。出現地点を抑える事だ。

 ここまでは当たり前に出てくる答え。では、具体的にどうするか?

 仮宿となる木に特に条件は見当たらない。勝手に枯れて勝手にでかくなる。ふざけたハナシだ。

 “Ripple”では捕えられない。転移先を知る事は出来るが、俺がそこへ向かうのと転移が終わるののどちらが速いか、比べるまでもない。

 同じ時間軸で勝負していては話にならない。だから、この能力が必須だった。

 必要なだけの情報は、とっくに収集し終わっていた。あとは解答(こたえ)を出すのみ。

 三の札――

「おいでませ〜♪」

 スペイラーが跳んで来る木に死角となる真反対側で待ち受けていた俺と、跳んで来たばかりのスペイラーの目が合った。

 “Calculation・事象演算”。

 『サルベージ』により“Calculation”の容量を増した事で今の俺は高速演算装置。“Ripple”と組み合わせて周囲の情報を収集する事で未来予測を可能とする。データの集積に時間が掛かるのと効果時間が極めて短いのが難点だが、今この時、この場は俺の()の中だ。

 さらに。

 ――大盤振る舞いだね、こおり。

「まあね」

 既に右腕は氷。手には枝葉を模した大鎌。

「一晩で隠し札二枚に新技(・・)のご披露。そのくらい許せるほどには気分がいい」

 左手も氷(・・・・)指に挟んだ三枚の枝刃(・・・・・・・・・・)

 もう十全に廻っている。


 その異様な姿を目にして――だがそれ以上に、伝わる意図がある。

 これで決着にする。

 つまり次で決めろ、という事。

 すなわちこの一太刀で『煌き』を現せという事だ。

 であるなら、もう考えても仕方ない。

 渾身の一撃で必倒を期す。その一念だけを込め、以外は不純物として追い出せ。一点へと突き詰めることで私と『私』、同じ場所へ行き着かせろ。

 突飛な芸は不要(いらない)。正道の下()じ伏せる。

 故に構えは蜻蛉。左足を前に、右拳を耳の高さに上げ左手を添える。剣の先が天を衝く。

 二の太刀要らず――示現流、雲耀。


A・EX(アーツ・エクストラ)

 刃と指が融け合う。NAとSAの合わせ。

 揮った左腕がスペイラーの体表に三本線を引く。

 大して深い傷を負わせる事もなくばりんと割れる。

 邪魔だと言わんばかりに噛み砕こうとするスペイラー。

 ゆっくり三歩後退。すう、と上体を少し後ろに倒せば届かない。

 がちん、と目の前で閉じる口には目もくれず右手をくい、と引いて、完成。

 大鎌が三本線を交差する長い一本の傷を引いた。

 氷爪と氷鎌が描く三つの交差点から冷気が噴き出す。

「コールドスカー」

 手持ちに無かった近接戦用(アーツ)。獅子堂の剣戟を見ているうちに自然と湧きあがっていた。

 体表をばりばりと氷が覆っていく。身体全てを覆うほどではないが、本体から枯れ木にまで広がっている。

 これで、今の木から出られない。

 ここまで全て予測の内。

 さあ、お膳立ては整えた。


 言われるまでもない。

 雲に乗るが如く地を滑り――接敵。

 左の(ひじ)を切り捨てたが如く動かさず右腕を振り下ろす。その速度――雷の如し。

 すなわち、雲耀。

 反応すら許さない。

 氷の膜ごと胴を打ち砕く。

 ――その目前で、思考が光速で駆け巡る。

 このままでは、届かない。

 突き詰めて、逆に分かってしまった。私のままでは『私』ほど『純』に行き着けないと。

 あとはもう、偶然に頼るしかない。私は結局『私』なのだから、何かの拍子に齟齬(ズレ)が埋まる事はある。

 ……そんな事を、良しと出来る訳がない!

 だが、どれ程(うち)を探っても手立てが無いのが事実。

 だから、『誰か』(そと)に願った。

 ――外側扱いかよ、悲しいねェ。

 経由して、私と『私』が繋がる。

 ――振り抜く。


 稲妻が落ちる。視認()で追いつけないその刹那が()に写ったのはきっとなんかの奇跡だ。

 剣術なんて分からない。威力なんて知った事じゃない。

 ただ、剣が。

 その剣は。

 『斬る』

 ただ一事のみの『存在』へと行き着いたそれは。

 美しい。そして畏ろしい。


 閃光に遅れて。

 ずぅんと、木ごと大きく横倒しになる音が響く。


「「…………」」

 打ち終わりと同時に元の姿勢へ。審判を待つ心地。

「……すげ」

 その呟きが届くまでの数秒をやけに長く感じて、ようやく残心を解く。

 人知れず、安堵の息を吐いた。



 フゥ、と一息吐いて夜空を見上げた。

 未だココは霧に包まれているというのに、一面光の届かない闇の中、ということはナイ。日光に月光、星明かりは変わらず天上から降り注いでくる。

 十系のひとつ、天系と何か関連がアルのか。コーリに訊いたらなんて答えるだろうか。

 ……どーなったかな、コーリとオネーサマ。

 コチラの総括として、状況は悪くナイ。足止めに成功している事を思えばサフィの勝ちだと言ってしまってもよかった。

 ……特級の予想外が降ってきた事は、もう災害だと思って諦めるしかナイ。むしろプラス思考だ、コッチに来た事をラッキーだと思おう。

 ソウ、二人きりだ。どう転んでくれるだろうか。

 相性は多分ヨイ。少なくとも『(くら)き炎』と『星の姫』のように出会った瞬間殺意が芽生えたなんて事はナイはず。何よりサフィが惚れ込んだお二人だし。

 アノ二人が出逢った場にいなかったコトが本当に悔やまれる。第一印象は、本当に決定的なのだから。

 あの二人は、いや『彼ら』は過程を飛び越える。

 努力を積み重ね、こつこつ経験値を貯めて、一つずつ強くなる。それが、凡俗(にんげん)が強くなる方法。

 でも彼らは違う。練習なんて幾らしたって強くなりはしない。彼らにとって練習とは調整の意味合いしかナイ。出来る事は初めから出来る、出来ナイ事は出来ナイ。そこで成長するという事はナイ。たった一度、ただの一瞬。きっかけさえあればヨイ。それだけで百も千も飛び跳ねる。

 ソノきっかけを与えるモノとして、『同類』はうってつけだ。『同類』故、無視が利かナイ。嫌でも何らかの影響があって然るべきだ。

 ソノ影響として得られるもののひとつである強烈な印象――衝動は、飛び越えて先取りされた真実なのだ。

 ――と、マア、全部受け売りなのだけど。

 だが事実であるとは、体感で理解している。

 ならば、オネーサマとコーリが比翼となった時。

 二人の描く軌跡は螺旋となって、どこまでも昇り詰めてユクのだろう。

 ……ソノ昇る先で、必ず訪れる『その時』が、サフィは怖い。

 ……アイツはコノ状況について、どこまで知っているのだろう。

 ちらりとアイツを見ると、ココロと話しつつ、隙あらば抱きつこうと身構えていた。

「成程、先に杏李先輩の方へ」

「うん。旅館のすぐ前で『霧』が張られてたからねぇ」

「正直、面倒な方がお相手でしたから。訪れてくださって助かりましたよ」

 すぐ側にアンリ。キリンは、起きる気配もナイ。

「では『レオンハルト』のミスティを倒した後こちらへ……?」

 言葉尻が怪しくなる。自分で言っていて変だと気付いたのだろう。それならわざわざアンリを先行させる必要がナイ。

 これみよがしに大きな溜め息を吐いてやる。枠の外だったサフィに視線が集まった。

「ハルカ。オマエ、アレをやったナ」

 そう言うと、えへ、と小首を傾げて見せる。死ね。

「あれは……流石に吃驚しましたよ」

 その光景を間近で見ただろうアンリが頬に手を当てて首を振った。

「でもね、ほら。酷いケガもなかったし、これならいいかなぁって」

「?」

 一人、何を話しているのか見当つかないという表情(かお)のココロ。まあ仕方ナイ。普通は発想にも上らナイ。

「アンリ。壊したナ、コイツ」

「はい。ものの見事に」

「…………何を?」

 今度の疑問には、まさか、とユウニュアンスが含まれていた。多分、そのまさかだ。

「『霧』を、ダ」「です」

「…………そうね、うん。要するに念系のミスティと同じと考えれば、空間破壊が出来てもおかしくないのよね。……おかしくは、ないわ。ないけれど……」

 納得はしづらいのだろう。規格外ってそんなモンだ。

「……って、ちょっと待ちなさい。確か、『霧』って自然解散以外で、途中で壊したら」

 ほう、本当よく知っているな、そんなことまで。

「はい、修復されません。物も、人もです」

 そう言うアンリの服は所々泥の塊がこびりついている。アレが損壊にあたるかは微妙なラインだから気に留めなかったが。

 ココロのジットリとした視線がハルカに注がれる。

「むぅ。だってその方が色々と手っ取り早かったんだもん。杏李ちゃんを先行かせられるし、実力差を見せつけてプレッシャーかけられたし」

「大雑把なンだヨ、ハルカは」

「よく言われるよぉ」

 何故そこで胸を張る。

「でもね、わたしだってこれでもいろいろ考えてるんだよ。だからここまで来たんだし」

「ソレだ。イイ加減話せ、何故貴様はココへ来タ」

「んー? だからね、サフィちゃんと輝燐ちゃんに会いに来たの」

 まだ言うか。

「だから貴様――」

本当に(・・・)、そうなんだよ。この際、こおりくんは関係無いんだ。あっちはほっといてもなるようになる。だから、重要なのはこっちなの(・・・・・・・・・・)

「…………」

 どういう意味だ? コイツ、コーリとオネーサマの接触に干渉しに来たワケじゃナイのか?

「……でもねぇ。現状を自分の目で確認できる機会を逃がす手もないよねぇ」

 と、真面目な表情を崩してにへらと笑いやがった。

「だ・か・らぁ、ちゃあんと手は打ったんだよ、わ・た・し♪」



「……で、どうしよっか」

 未だ鳥肌の収まらない腕を服の上から擦りながら問うた。

「……その辺りは、私より周防が詳しいんじゃないか?」

 分かりやすいくらいつーんとした口調でそんな事を仰る。

「まあ、元居た所に還すのがスジっていうかいつも通りなんだけど」

 最終的にはそうするけど、このまま還しちまって大丈夫か? 結構ボコボコにしちまったし。つーかあれでよく生きてるな、峰打ちだったにせよ。

「お前はいいの? それで」

「ん……、どうにかしたくてもどうすればいいかわからないというのが本音ね。逃がしたくないって思いで追いかけて来たけど、じゃあ捕まえてどうするのか、なんて単純な事を全然考えてなかった事に今更気付くなんて。馬鹿にしていいわよ」

 そこで本当に馬鹿にする勇気は俺には無い。

「とはいえ、収穫ゼロでもないしね。とりあえず、搾り取れる所から搾り取るとしましょうか」

 流し目の先、足元のレリがぶるりと震えた。

「はは、お手柔らかに」

 俺の声も若干引き攣ってた。……とりあえず、俺個人に関しては何もかも洗いざらい吐かされる、くらいの覚悟はしておこう。

 と、その視線()が横にスライド、俺の脚へ向けられた。

「……病院は必要?」

「いや、大丈夫。このくらいなら治る」

 この場は断言しちまった方がいいだろう。無論、鳳に手を借りるなんて説明は出来ない。

「ん、そう。でもすぐ治る訳でもなさそうね……痛いんじゃない?」

「痛い」

 耐えられようが痛いもんは痛い。

「……帰るときは肩くらい貸すわよ」

「よろしく」

 呆れ混じりの表情(かお)に片手をあげて答えた。

「しっかしあれだな、お前って」

「何よ」

「エロいな」

 睨まれた。しかし事実だ。

 妖艶ってヤツだろう。声と仕草で頭の中を蕩けさせてくる。

 身近でエロいといえば杏李先輩だったが、認識を改める必要がありそうだ。あっちはボリュームを駆使した肉感的エロさでタイプが違うが、それに頼り切りという感がある。比べてこの悪女は、はっきり言ってモノが違う。身を取り巻いていたのは大人の、いや美女の色香。あどけなさと危なさが同居してる。しかも下品に振り撒かない辺り流石お嬢様。これがエロスでなくて何なのか。

「……欲求不満の友人に一つ忠告しておくわ。悪い女に騙されない様気を付けること」

「いや、どっからそんな心配される謂れが出てくるのさ」

 あんなの、俺じゃなくても誰でも引っ掛かる。むしろ未だ堕ちてない俺がおかしい。

 だというのに。

「何言ってるの。貴方、さっき思いっきり引っ掛かったばかりじゃない」

 そんな事を言って、珍しい事に口の端を吊り上げ人を小馬鹿にするような笑みを浮かべた。

「こんな初心な小娘の誘惑もどきに簡単に乗るなんて、よほど女にでも飢えているの?」

 だが別に気に障ったりはしない。それは関係の気安さからのものと分かってる事がひとつと、もうひとつ。

「………………なん……だと……?」

 あるいはこの夜覚えた、最も大きな戦慄の為。

 まさか、こいつ、自覚がないというのか。

 自分がどれだけエロかったかということに!!!

 あの調子で男を惑わせた日にはルパンダイブを敢行する奴でウェーブが出来上がるに違いない。

 そして物理的に返り討ち。築かれる屍の山。

 そうか、これが傾国の美女というヤツか(違)。

「獅子堂、ああいう真似は他の人には絶対にしないように」

 両肩を掴んで真剣に忠告してやる。

「……何か、とても失礼な想像をされた気がするが……問題無いわ。そういうのは周防の前でしかやらないから」

「おう」

 ふー、やれやれ。どうにか友人が大量殺人犯になることは避けられそうだ。代わりに何かとんでもない宣言をしやがった気がするけど。


 この時、この場におけるある事実を、俺も獅子堂も一片たりとも忘れていなかった。

 なのに、俺も獅子堂ですら、その瞬間までその存在に気付かなかった。


 丸い身体/平たい頭/道士風の服を着た何かが、

 俺の目の前/獅子堂のすぐ背後を通り過ぎた。

 ――――。

 獅子堂は剣を抜いた。俺は鎌を投げた。

 それの背中へ。

 なのに。

 そこには、何もなかった。

 倒れていた、スペイラーの姿すら。

「「…………」」



 獅子堂にとって、スペイラーとは絶対の一じゃない。(レリ)がここにいる以上、彼女の目的は果たされている。

 俺にとっても、もう最初の目的は今の目的じゃない。脇に転んで、獅子堂がその位置に鎮座していた。

 つまり、俺たちは目的を達成している。敗北を喫した訳ではない。正直持て余していたところだったのでちょうどよかったくらいだ。

 出し抜かれた訳ではない。

 面倒事が片付いた。少なくとも俺にとってはそれで済ませて良い話――そのはずなのに。

「……面倒な」

 不意に湧きあがってきた苛立ちに、舌打ち一つ、そう零した。

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