第十三話 怒号天震――少女の仮面
……不覚です。
想定外、ではありませんでした、そのはずです。しかし結果見事に引っ掛かってしまいました以上、如何な謗りも甘んじて受けなければならないでしょう。
まーこさんは水芭さんの護衛という誉れある大役の譲渡に対し、
「ん、おけ。任された。……ました」
実に軽々しく二言返事で引き受けてくださいました。その余りの軽さに、心構えを小一時間ほど叩き込みたいところだったのですが、流石に時間が無く、泣く泣く諦めました。
ともかく、これで水芭さんに危害が及ばれることはないでしょう。キョウさんも居られますからレギュラー二体、もしかしたら私一人が張り付いているより安全かもしれません。いざとなったら敵さんを『霧』に連れ込んで頂ければ水芭さんがお逃げになる時間稼ぎにはなって頂けるでしょう。
そうして万全の準備を整え、旅館を一歩踏み出した途端、
私が『霧』に捕まってしまいました。
……いえ、回避手段が無い以上捕まってしまうのは仕方ないことでしょう。しかしもしこの事が『上司』のお耳に入りましたら、
『そういうときは裏口からこっそり出るんだよぉ。ない? じゃあ塀を乗り越えるとか。うーん、でもルーキーちゃん、登る前に落っこちそうだよねぇ』
とのように本気でご心配頂かれて、笑われるよりもかえってやるせなくなってしまいます。こーりんやこころんも正面からお出になられたはずですのにどうして私だけ……。
……過ぎたことをいつまでも悔やんでいても仕方ありません。霧の範囲に旅館の一部も含まれているようですが、誰も騒ぐ様子が無いところから霧に取り込まれたのは私だけと判断してよいでしょう。……とりあえず水芭さんが巻き込まれているということはなさそうです。
では。私がするべきは、この霧をお喚びになられたどなたかのミスティを霧に還すこと。それが時間を掛けずに霧を解除する唯一の方法ですから。
「ワーちゃん」
イモムシ型のミスティを喚び出します。同時にY・Iを操作してプログラムを呼び出し――
「やーやーやー、それはねーじゃん! それだけスゴイモン持ってたら谷間から取り出すのがセオリーってもんじゃん!」
そのような変態的常識を耳元で力説され、思わずそちらへ振り向いてしまいました。
「ゲェイッ!」
その振り向いた反対側――ワーミンがいる側から威勢の良い鳴き声。慌てて振り向くと案の定爪を振りかぶるミスティのお姿が。
ミスティから潰しに来ましたか!
爪はワーちゃんの鼻先。操作はもう間に合いません。躱してもその勢いのままに私へ爪を突き入れるでしょう。
最速手で最善手――!
ガキンッ
「ゲェイ……」
……間に合いました。
相手方のミスティと私の間に生まれた壁。薄いですが頑丈で、私の背より大きな鋼の板。いわゆる、タワーシールドと呼ばれるものです。
古代種・ワーミンの武器化形態。
「ちえっ、じゃん」
また耳元で舌打ち。
ミスティは奇襲の失敗を悟ると薄壁一枚という距離まで迫ったことに拘ることなく身を離し、距離を取ります。その位置がまた微妙に嫌らしいのです。
古代種の最大の特徴は、シフトによる強化です。任意にシフトを行うことである程度までなら負傷を完全に癒すことが出来ますし、必ず階級が上昇しているというのも大きいです。そしてその最終形態は最低でもグレートクラス。一個人が戦車並みの戦闘能力を保有するということなのです。
しかしもう既にお分かりでしょうが、このシステムには大きな弱点が存在しています。そう、シフト中です。ミスティがシフトなされる際、その系統に則したエネルギー波が発生し、外部に対する防御膜となりますが、ミスティ自身が防御行動を取れないことには違いありません。攻撃を受ければ干渉によりシフト失敗の可能性も存在します。そして当然ながら、無防備なオーナーさんを守る術もありません。
それを鑑みて、私と敵さんミスティの距離は、私がワーちゃんをシフトしようとすればその爪が私に届きますか否か、という距離です。いえ、おそらく届く前にシフトが完了すると思われるのですが、どうにもわざとらしさが漂われているのです。
とりあえず一旦、ワーちゃんを元に戻しました。盾を構えたまま私自身が戦う、など論外です。自慢ではありませんが、私、運動全般において壊滅的なのですよ。
「いいのかじゃん? 防御解けちゃったじゃん」
また耳元からの声、しかも今度は反対側からですか。
「随分おかしな『異質』ですね」
狙った相手に声を届ける能力、でしょうか。技と考えるには目の前のミスティと印象が合わなさ過ぎます。
「や、意外と便利じゃん? 便利に使われる方が多いじゃんだけど」
『異質』と見抜かれても動揺なされる様子はありませんか。舌戦の上だけでも優勢を得ておきたかったのですが、それも難しそうです。
先手を打たれたことがとにかく失敗でした。シフトどころか相手のデータを拝見する行為ですらあの大口を開いたミスティさんが飛びかかってこられるきっかけになるでしょう。『霧』に囚われたと気付いた時点でワーちゃんをシフトさせるべきでした。
と、そのような反省点は次回に活かすと致しまして、そろそろ現状に対処いたしましょう。
「ワーちゃん、糸を」
…………。
「……? ワーちゃん?」
聞こえなかったのでしょうか、全くこちらの指示に反応される様子がありませんでした。そこでもう一度声をかけてみたのですが、
「……?」
こちらをちらちらと伺うワーちゃんの困った顔。まるで、こちらから次の指示が出なくて途方に暮れているような。
「一体どういう――」
「糸でどうする気だったんじゃ~ん?」
届いたその言葉に凍りつきます。そういえばこの方、先ほど私の言葉に対して返事をいたしてました。
まさか、この方の能力は言葉を届けることではなく、遠くの対象と会話する能力なのでしょうか。いえ、そうでしょう。そして、仮に私の声がこの方にしか届いていないのだとしたら。
私は、肉声によるワーちゃんへの指示が出来ない……!
不味い、です。私には常時H・Dを発動出来るような、以心伝心と呼べるほどの意思の疎通など持ち合わせてはいないのですから!
「おねいちゃんが何もしないんなら、こっちからいっちゃおうじゃん。……」
向こうの音声がフェードアウトしていきました。これは、おそらく、
「ゲェッハアア!」
「ワーちゃん、もう一度!」
「ピッ!」
今度は届きました。再びタワーシールドと化したワーミンを構えて、軽快に跳躍して飛び込んできたミスティの爪を防ぎます。
「そんなんでよかったんじゃん?」
再び敵さんの声が聞こえました。良いはずがありません。正面からが駄目ならば、と相手方のミスティは横から回りこんできます。防ぐ私は身体を回転させるだけの最低限の移動でよいのですが、それでも移動する相手のスピードに翻弄され、打ち込まれる爪の威力に身体を煽られ、どんどん消耗していくだけのジリ貧に追い込まれているのですから。
しかし、先ほどの時点では武器化を選択するしかありませんでした。どうやらあちらのミスティに指示を出すため『異質』の対象を変更なされたことで私の声もワーちゃんへと届いたようですが、それが長い時間続くはずもありません、案の定すぐに対象を私へ戻されました。結果、あそこでは対処療法的な指示を出すことしか出来なかったのです。
あの時点では、ですが。
わかりましたか、ワーちゃん……と言葉には出せないので信じるしかありません、伝わっている、と。
後は位置とタイミングが整うのと、私の体力が尽きるののどちらが早いか、です。このようなギリギリの勝負と縁があるのはどちらかといえば翠歌くんの方なのですけど、などとぼやいても詮無いことですね。
力強く叩かれる盾、衝撃で痺れる手。たたらを踏んで後退してしまいます。
向こうも跳び下がりました。一度力を貯めて、また跳び込んでこられるのでしょう。
ですが、その一瞬の間。盾の裏を軽く叩きます。
反撃開始、です。
「…………」
「……ぶう」
え、ええええぇーっと、なにこの予想の遥か斜め上。誰が、誰がこんな事態を想定した?
「やっぱりだめ……くっつかない……うぅ」
未練がましく折れた眼鏡のツルをどうにかくっつけようと合わせている。その表情は相変わらず涙目で、いつもの近づくもの全て跪けと言わんばかりのオーラは微塵も感じられない。俺の立場としちゃそれは安堵するべきことなんだろうけど、こうも唐突に人が変わられると戸惑いばかりが先に立つ。
どうなっている? 以前にも羞恥で真っ赤な獅子堂、なんてレア顏に遭遇したこともあったが、今回のそれは格が違う。
弱気な獅子堂なんて、獅子堂じゃねえ!
「女っぽい獅子堂なんて、獅子堂じゃねえ!」
あ、口に出た。
「――今のは聞き捨てならない」
「――あ、いや、うん。獅子堂だ、間違いない」
相変わらず涙目なのに、こちらに向けられた瞳の力が尋常じゃなかった。仕草がどんだけ女っぽくなってもやっぱり獅子堂は獅子堂っていう証明ですね、うん。
「なによ、それ。私は私以外の何者でもない、当たり前じゃないの」
「いやいやいや」
まるで説得力の無い台詞だなあ、おい。
「お前、二重人格か何かか?」
「? さっきから何を言ってるのよ、周防さ……ん…………!!」
可愛らしく(!)小首を傾げて胸ポケットに眼鏡をしまっていた獅子堂の指がピタッと止まる。同時に驚愕の表情で口元を押さえた。
すっごい勢いで目が泳いでる。ダラダラと、真冬だってのに冷や汗が流れ出す。
……なに、このあからさまに怪しいの。
まさか……今の今まで自分の変化に気付いてなかった?
「……あのさ、獅子堂?」
「な、なに、周防さ……すお……」
返事をするだけなのにプルプルと口ごもり、それを何度も繰り返して、「無理……」と口の中で呟いたかと思うと、諦めたように肩を落とした。
「……なに、周防さん。って、聞きたいことなんて決まってるね」
「あー、んーと……獅子堂って、眼鏡外すと人格変わるとかってヒト?」
んな漫画みたいなヤツ本当にいるとは思わなかったけど。
「逆よ。こっちが素なの。私が眼鏡をしたまま生まれてきたとでも思う?」
そう言ってクスリと笑う。あれ、そういえば俺、こいつの素の顔初めてまともに見るけど(風呂場の件は数に入れるな)、
「それに、変わったのは人格じゃなくて性格。ちゃんと記憶は繋がってるし、基本的なものの考え方は変わってないの。一片の紛れもなく、私は獅子堂優姫なんだよ」
自分を指差す仕草と一緒にそんな解説を入れてくる。
「……なりきりみたいなもんか?」
「そうだね。……って、何で目逸らしてるの?」
パチクリと瞬く。
「何でもない、気にすんな」
「気にする。私、どこかヘン?」
小首をかしげる。
「……変じゃないと思ってんのか、いきなり変身されて」
「変身て、大袈裟ね」
肩を竦めて苦笑する。
大袈裟なもんかい、あの鉄面皮がコロコロ表情変えやがって。何だ、その普通の女の子みたいな仕草は。
ああもう、自分の事ながらビックリだよ。
可愛い女の子の顔をまともに見れないなんて、こんないかにも思春期の少年っぽい感覚があっただなんて。
とにかく悟られるな、一生の弱みになりかねん。と、そのことに全神経を注ぎつつ、話題を逸らしてみる。
「じゃあ、眼鏡すると何で性格変わるんだ? はじめっからそうだったのか?」
その質問をした途端、獅子堂の表情が陰った。
「……はじめから、こんなおかしな体質だったワケないじゃないの」
あー、なんか地雷踏んだみたい。今のこいつ、下手すると俺よりわかりやすいんじゃないか?
まあ、偶然知っちまっただけだし、これ以上踏み込むこともないか、と名残惜しくも撤回しようとしたところで、
「これ」
しまったばかりの眼鏡を差し出された。
「?」
「かけてみて」
「いや、壊れてるんだろ?」
「そうじゃなくて、レンズ覗いてみて」
意図が読めないながらも眼鏡本体を顔に近づけ覗いて見る。
「あれ?」
右のレンズは割れているが、残ったもう一つのレンズ、そこから見える景色は歪む事なく、普段と何も変わらなかった。
「伊達か、これ」
しかし、尚更わからない。ファッションで眼鏡かけるタイプだと思わなかったんだが。
「さっき周防さん、なりきりって言ったでしょ? あれ、そのものズバリなの」
眼鏡が俺の手からすっと抜き取られる。そのまま俺がやったように、眼鏡は獅子堂の顔へ当てられた。
「これ、お母様の形見なの」
「エレクトロホーンッ!」
「…………」
雷系の破壊エネルギーを纏った角、それと爪を打ち合わせる事もなく回避するヘーゲルネ。危なげなく角の斬線を見切り、余裕を持って回避する動きは一朝一夕に習得できるものじゃない。
それでもこちらが上位クラス、殺陣を繰り返すたびに基本的な能力差が次第にその余裕を削っていく。
そして、次の一撃。
必ず当たる、その確信があった。
けど。
角を振り切った時、ヘーゲルネはアライエスと大きく距離を離していた。
そして、サフィエルも。
こんなことが、これで都合三度繰り返されていた。
「……心」
「これで気付かないほど鈍くないわよ」
そう、こいつら、
明らかにあたしたちとまともに戦う気がない――!
「強気なこと言っといて実際やることは時間稼ぎだなんて、随分セコいわね」
「フン、勘違いするナ」
忌々しげな表情のあたしたちを見て仮面の下で鼻を鳴らす。挑発に乗ってくれる様子は全く無い。
「サフィは自分ノ役目ヲ果たす為に最も効率的ナ手段を選んでいルに過ぎナイ。貴様ラを刻ムのはコノ霧が解けル間際デ十分ダ。運が良けれバ生きて帰れルかもナ」
「……やっぱ舐められてるね」
「ええ。過小評価は事故の元って教えてあげないと。アライエス、FA発動!」
あたしの宣言と同時に叩きつけた角から電撃が地を走る。普通なら回避に十分な距離、当然サフィエルもヘーゲルネも突っ立ってなんかいる訳なく横方向へ回避に動く。けど雷走は逃げた獲物を追ってその軌跡は弧を描く。
「そーゆー技カ。ナラ」
ヘーゲルネ、さらに移動。その現在位置と電撃の動線上にあるのは、
「木くらいで、」
走る雷撃が障害物となる木にぶつかり、焦がし、割り裂き、しかしその走行は未だ止まらず。
「止まるもんです――かっ!?」
ええ、木の一本くらい何の問題にもならないわ。
けど、それが何本も連なっていては話は大違い。
二本目、三本目、それらぶつかる全ての木を焦がし割り裂き、しかしその電撃は次第に力を失っていき、
目標へと辿り着いた残滓は、足の裏で踏み消された。
「イイことを教えてヤル。下位が上位ニ勝てナイのは法則ダガ、上位が下位ヲ倒せルナドとゆー決まリはナイんだゾ」
「余計なクチを……」
ヘーゲルネと反対方向に移動したサフィエル。戦力を分散したオーナーへ輝燐がたたみかけようとプルディノと二人掛かりで追い縋る。
「叩くなっ!」
懐に踏み込んでフック。差し挟んだ腕に当たる。
「馬鹿力メ」
その腕で拳を払いつつ、痛そうに振る。むしろ“Attack”の打撃を受ければ骨折しててもおかしくないけど、当然の備えでサフィエルの身体の表面には『霧』――『ミストクローク』が取り巻いてる。
それはともかく。
「……なぁにが人殺しは悪いことだ、よ」
今の、『クローク』がなきゃ死んでる――正確には死んでてもおかしくない一撃じゃない。
実際の戦闘において容赦なし。ほんと、こおりに似てきちゃったんじゃない? はたまた生来のものか。あるいは、
「師の影響か……ああ、十分ありそうね」
あたしは武道とか詳しくないけど、サフィエルの動きが輝燐と似通っているってことは無いから、多分空手はやってないんでしょう。けど、それよりももっと上の部分で、
「同門対決、なのかしら」
だから割り込まない、なんて風情をこの場に持ち込む気は、あたしにはからっきし無いけれど。
数度の立ち会いで確信した。肉弾戦の練度はボクが上だ。
一撃で決まらないのなんて会長で体験済み。けど、無限の防御力があるわけでもないことも聞いている。なら、
「削るよ、プゥ!」
「きあ!」
プゥの腕が光に包まれる。左右から拳を連打、連打。
「うっとおシイ」
呟き。同時に、サフィの腕が消えた。
「――っ!」
信じられない早さで振り上げられた腕を勘だけで後退して回避。銀の煌めきが服を掠めた。
プゥは避けずに受け止めた。その瞬間にポロリと手から離れるナイフ。
両袖口からフォークが滑り出る。宙で指に挟み、ボクらへ投擲。これも速い。
「勢ッ!」
横から弾いた。多分に、運頼みで。
プゥは弾いた。そのまま一歩踏み込み、
「きあっ!」
サフィの肩口へ拳が入る、そのタイミングだったのに、
サフィはその拳を擦り抜け、すれ違いざまにプゥの肩を撫で斬り、ボクらの大きく後方へと移動していた。
「きっ……」
「くそっ」
速い。サフィもミスティも。ただ、常にあの速さなんじゃなくて、要所要所で速くなるっていうか……。
「『異質』、それにSAね」
心がいつの間にかボクの傍まで来ていた。
「そっくりの能力ってのは相性がとても良いか悪いかなんだけど、後者は期待できそうにないわね」
そう言いつつ、ボクとプゥを交互に見る。
「あんたたちも割りと似た能力よね」
う、なんか心のボクらを見る目が、薄ら寒いんだけど……。
「ええっと、SAはともかく『異質性』はなんで時々しか使わないんだろ? あれ、別に使うと体力減るとかいうことないのに」
「あたしはわかんないわ、そういう感覚。『異質』なんてないもの」
う、うわあ、声の温度も下がったよ!? な、なんか地雷踏んじゃった、ボク!?
「……まあ、想像は出来るわ。『異質』の使用そのものにエネルギーは使わなくても、実際に身体は動かすのよ。負担がないはずないでしょう」
「ああ、そっか。ボクの“Attack”って結果だけに影響出るから、そういうの関係ないし、わかんなかった」
「それに、単純にただ“速くなる”なんて『異質』、そうそう無いわ。あんたが“攻撃力”のみの上昇であるみたいに、どこか特定の一部だけの具体的な作用っていうのが一般的よ」
こんなトンデモ能力に「一般的」とか付けるのはいまいち納得がいかない。
「ちょっと意味がよく……」
「例えば速く走るだけなら“脚力”が代表的だし、身体能力を落とさずに自重だけを軽くすることで結果速度を上げる“軽身”、二地点間の高速移動能力とかいう“移動”なんてのもあるわね」
『異質性』をつらつらと挙げていく。心なし声が大きくなった気が……いや、サフィがこちらの声が聞こえているような反応をわずかに示した。
「でも“Leg”や“Tranceport”だと腕の振りが速くなるのと矛盾するし、“Light”みたいな燃費の良さそうなのだとしたら時々しか使わないってのは腑に落ちないわ。……時々しか使わないんじゃなくて、時々しか使えないのかしら? 使用場面が限定されてるんじゃない?」
「…………」
チャッとフォークを取り出す。もう結構落としたはずなのにまだ持ってるのか。ボクとしてはそっちの方が『異質性』に思えてくるよ。
「投げるのかしら? いいわよ。確信させてちょうだい、あたしの予想」
嗜虐的に笑う。声までかけてんだからもう疑う余地なんて無い。ワザと聞かせてたんだ。
「Sだなあ」
相手の能力を解体していく様子を聞かせるとか、相手によっちゃあ相当プレッシャーになるんじゃない? ……でも相手はアレだし。てことは趣味か。
「周防君を参考にしたのよ。人格解体されるよりよっぽどマシだと思わない?」
「ああ……」
すごい納得。
「言ってないでちゃんと「観て」なさい、戦いの基本はそこからよ」
「了解」
「――サフィの『異質性』ヲ暴く程度デ勝てルと思ってルのカ?」
その言葉とともにフォークが飛んで来た。やっぱ速! 初動とか手が見えないし!
「所詮スタートラインに決まってるでしょ、アライエス!」
心の指示ですぐさま電撃が飛び道具を墜とす。しかし間近で発生した稲光がボクら自身への目眩ましになってしまう。距離は十分にあるから飛び道具に警戒、と普通は考えるけどこいつらは違う。
二組とも後ろに下がる。視界が広がる、おかげで閃光の左右から挟撃してくるサフィとヘーゲルネが視野に収まった。
「何度も何度も」
「同じ手を喰らうかぁっ!」
ボクがサフィへ蹴りを、アライエスがヘーゲルネへ角を振るう。カウンターで入るタイミングだったそれらを、両方とも急ブレーキをかけて回避。
「フラム!」
そこへ間髪入れずFA! ターゲットはサフィ、ヘーゲルネは既に雲の中!
どちらも必中の状況!
「…………」
サフィの身体が少し右に傾いた。
次の瞬間、サフィが消えた。
「なっ」
目だけが右を追う。数メートル離れた位置で、既に凶器が投げられていた。
躱す間も、SAを出す間も無い。咄嗟のガード、頭と胸を庇った腕に突き刺さる。
「ぐっ」
その怪我を気にかける間も無くサフィが高速で踏み切った。乾いた音が鳴った。右手に鉤爪のようにナイフを構え、ボクに突き立てんとまっすぐ飛び込んでくる。と思いきや、
「――ッ」
何故かバランスを崩した。失われる勢い。横に傾ぐ身体。しかし倒れず踏ん張り、逆に倒れかけた勢いを遠心力に変え、踏み込みと同時に身体を捻って爪を振り上げる!
「~~ッ、SAッ!」
今度は間に合った。ボクとサフィを光の壁が隔てる。その壁へ三本の爪が線を引く。けどその程度の力じゃ傷ひとつ入らない。
距離を取る。壊せない壁を前に向こうも後退したのを確認して、ようやく刺さった刃物に意識を向けられた。
なにこれ、熱い。刃物が体に刺さるなんて経験もちろん初めて。金物だから冷たいのかと思えば灼けるように熱い。これはきっと刃物の熱じゃなく、刺された傷から零れる生命の熱。
そして、もちろん痛い。すっごく痛い。
邪魔だし抜いちゃいたい。けどこういうのって抜いたら血がドバッて、
「抜いちゃいなさい」
こ、心?
「厚手の服着てるんだから重要な血管まで届いてないでしょう。心配なら止血してから抜きなさい。霧が解けるまでに失血死することはないわよ。むしろ、解けるときに刺さったままの方が危ないんだから」
「…………」
思い切って一本、フォークを抜く。痛みに眉を顰める。服に血がじわっと滲んだ。
「で、ちゃんと「観て」たわね?」
「あ、うん」
心はボクを背中に回して振り返らずに訊いてくる。サフィとそのミスティから視線を外さない。
「特徴あったでしょ、あいつの速さ」
「……うん」
何度か、動きを目で追いきれなかった。でもそれは、本当に目で追えない程の速さになった訳じゃない。
停止状態から瞬時に高速化。その緩急に目が対応出来なかったんだ。
そして、その速度が最速点。
「スタートダッシュだ。動き出しだけ異様に速くなるんだ、あいつ」
「合格。体使うことには目敏いのかしら」
一言余計だよ、と思いつつ二本目のフォークを抜く。
「“V-zero”ねぇ、やっぱり、ふーん、そう……」
そう呟いたきり、二人を見ながら何か考えてるよう。ところで、
「ぶい……何それ?」
この質問で振り返った心に、哀れな目で見られた。ちょっ、何!?
「V0……速さヲ求める公式デ“初速度”ヲ表す記号ダ」
手の中で食器を弄びながらサフィが答えた。
「物理の授業で出て来たと思うのだけど。年下のサフィエルに教えられて恥ずかしくないのかしら、貴女」
「う、うるさいなっ! 物理は苦手なんだよっ!」
「物理も、でしょう」
「んぐうっ、こ、心がボクの成績の何を知ってるっていうのさ!」
「ええ知らないわ、あたしより下の順位争いなんて興味ないもの、違っていたらごめんなさい」
うおおおおっ、そんな風に言われた上で「その通りです」なんて言えないっ、恥ずかし過ぎるっ!!
しかし、そんなのは心には本っ当にどうでもいいらしい。視線がサフィを睨み据えて離さない。
「……“V-zero”があんたの『異質』でいいのよね」
「アア。『異質性』ト言って貰いたイがナ」
あっさり認めたな。サフィにとっちゃ大した秘密でもないのか?
「……舐められたものね」
――心が震えている。恐怖? 武者震い? いや、違う。
屈辱に、怒りに震えている。
でも、何に?
「ソノ様子、気付いたカ。随分早いじゃないカ。ココロ、といったカ?褒めてヤル」
「ありがとう。お礼にふた目と見れない顔にしてあげる」
「ちょ……何!? 二人だけで理解してないで」
「さっき、そこのミスティはあたしたちの電撃を避けたのよ。止まった状態から、一気に最高速に上がって」
「…………」
ヘーゲルネのSAは、サフィの“V-zero”と同じ能力ってこと?
「で、一瞬姿を見失った隙をついてアライエスに蹴りを一撃。少し効いたわよ、H・D状態の蹴りは」
今サフィが攻めてこないのは、反動の弱体化ってヤツの途中だからか? と思ってたら、
「お代は足りたかしら? あたしとしては、もう少し支払いたいんだけど」
そう言って心が顔の前に持ってきた右手を見てギョッとした。その手には何時の間にか拳銃が握られていて、しかもその銃口から硝煙が立ち昇ってる!
「ほんとに撃ったの……?」
「撃たなきゃ何に使うのよ」
フッと西部劇のガンマンがやるみたいに煙に息を吹きかける。
「あたしに戦闘能力はない、って見積もってたみたいだからきっちり撃たせてもらったわ」
ここから見てもヘーゲルネの負傷の具合は分からないけど、もしかして今って絶好の好機なんじゃないのか?
……だとしたら、何で心は動かない?
「ねえ輝燐。オーナーとミスティの関係性ってね、「自分ではない自分」って呼ばれてるの。ミスティっていうのは別世界の自分なんだ、とかいう説が主流なの」
そう言われてプゥを見た。プゥもボクを見た。……流石に、その説は頷けない。
けど、話の本筋はそこじゃないらしい。
「そして、H・Dっていうのは二人の自分を一つに近づける行為、だそうよ。わかる? ドライヴ状態で、ミスティは自分自身なのよ」
それがどういうことなのか、答えを思いつく前に、
「自己作用型の『異質』を自分自身にかけるなんて、随分簡単なんでしょう?」
「……え?」
それはボクへの解説ではなく、サフィへの答え合わせだった。
「九十点だナ。『異質性』とユウものの理解ガ足りてナイ。ヘルがサフィノ『異質性』を得ル、とユウのガ正しイ」
「結果的には変わらないわね。要するにヘーゲルネのあの速さは“V-zero”だったんでしょう? SAじゃなくて」
えっと、何だ……つまり、まとめると。
あのなんとかドライヴってヤツを使ってる最中だと、ミスティがオーナーの『異質性』を使えて、今までのヘーゲルネのスピードも自分の技じゃなくて『異質性』だったって事か。……ん?
「あ……」
舐めている。その言葉の意味が、ようやっとボクにも分かった。
つまり、あのミスティは、あいつらは、
未だに技を一度たりとも使ってない――!
少し乱暴に、三本目、最後のフォークを引っこ抜いた。
「ふっ――」
そのままオーバースローで、
「ざけんなーーッ!!」
投げたッ!
サフィの顔にまっすぐ飛んでったフォークは、顔を軽く振っただけでひょいと躱される。
構わず前傾姿勢。一気に距離を詰め
ぐいっ
ようとして、後ろからの引きに遮られた。
「心っ!」
「貴女は怒りに任せて殴りかかれとでも教わったのかしら?」
「だって、悔しいでしょ!」
昨日、こおりちゃんに全く相手にされなくて、舐められた方がマシとか思ってた自分に拍手を贈りたい。よくそんなに寛大になれるなあって。
今のボクには無理だ。少なくとも、あいつに舐められて黙ってたら女が廃る。
「一発殴んないと気が済まないよっ!」
「それでも落ち着きなさい。止まってるあれに下手に近づいたら腕の傷が増えるだけよ」
~~っ、くっそう、そんなの分かってるんだ。なのに抑えが効きにくい。サフィ相手なのもそうだけど、昨日からフラストレーション溜まり過ぎなんだよっ。
「ククッ」
ピキッ
「笑った! 今鼻で笑ったよあいつ! もお許さない、プゥ、丸焼きにしちゃえっ!」
「だから落ち着きなさいって言ってるでしょ、電気ショックでダンス踊らせるわよ!」
現在、仲間内で揉めに揉めております。しばらくお待ち下さい。
ぜーっ、ぜーっ。
「……やっぱ舐められてる、内輪揉めの最中に何もしてこないなんて」
「向こうの目的は時間稼ぎだっていうんだから正しい判断でしょう。……いえ、そもそも……」
心がまた何かに気付いたっぽい。すっかり頭脳労働ポジションが板に付いてるなあ。
「……サフィエル。貴女、何が目的なの?」
?
「今自分で時間稼ぎって」
「だから、その時間稼ぎの目的よ。あたしたちを閉じ込めてる間、この『霧』の外で、誰が、何をしてるの?」
……サフィに反応は無い。ただそれは、無視というより傾聴に見えるのは気のせいか?
「貴女たち『レオンハルト』の目的はメルフィン及びスペイラーの回収でしょう? 周防君との戦いで弱った二体を外にいる仲間が回収する、ってシナリオが順当だけれど、しっくり来ない。だって貴女、こおりが出し抜かれるなんて想像もしてないでしょう」
「奇跡が前提ノ計画ナド、計画とは呼べナイ。タダの空想ダ」
奇跡は言い過ぎでしょ。こおりちゃん、どうでもいいことには本当どうでもいい対応しかしないし。ああ、でも横から結果だけ掠め取られるのは気に入らないかも。
「任務なド、サフィにハとっくにどうでもイイ。コーリとオネーサマ以上に優先されル任務ナド、世界のドコを探しテも出てきはしナイ」
「尚更ワケわかんないよ。だったら何で先輩助けんの邪魔したのさ」
「助けル? 馬鹿ガ」
仮面の下でメイドが嗤う。貴様ら、あの二人の近くにいてそんなにも理解が浅いのか、と。
「記念スべきオネーサマノ初舞台ニ、我々如キ凡俗が土足デ登るナド許サれるト思ってルのカ?」
「な、何言ってんの? いくら先輩だって、あの場面じゃ誰かが助けに入らなきゃ」
「助からナイ、とでも? ソノ認識がツクヅク凡俗ダと言っていル。判断基準を我々『人間』ト同列に貶めるんじゃあナイ」
「……面白い言い方ね。まるであの二人が……」
そこまでで続く言葉を止める心。まるで……何?
「貴様ハ心当たりガあるようだナ。ソウ、アノ二人が同じ舞台ニ立ってイル。ソレだけで他ノ人間ナド余分なダケだ」
「……役者が良くても台本がつまらなきゃ三流の舞台にしかならないわよ」
「安心シロ、全て役者ノアドリブだ」
「……予定変更」
最後の台詞だけ小声で呟いて、銃身を開いた。空薬莢を落とし次弾へ入れ替える。
「サフィエル。あんたは得体が知れないわ」
ザッと一歩踏み出す。アライエスも並んで進む。
……って、え!? ちょ、ボクはどうすりゃ!?
「『異質』で技を隠す。一見画期的だけど、その実は戦術として穴だらけ」
フードを脱ぎ払った。銀の髪が流れ出ずる。
「どう考えたって技を隠すメリットより勝負所で本来無い四つ目の能力として使う方が効果が高い。ドライヴ後は能力減衰のリスクもある。あんたみたいにメインで張る能力じゃあないのよ」
腕を組みながら左手で長い髪を弄る。そうしながらもサフィへの視線は外してない。
「その欠陥、自分自身が一番よく理解してるんでしょう? その上でまだ技を隠す理由なんてあたしにはちょっと想像もつかない。精々予想出来るのは――技自体を隠してるわけじゃないってことくらいかしら」
「――――」
反応なし……か? 厄介だなぁ、あの仮面。表情の細かい変化とか隠されちゃうし。正体隠すだけのものじゃなかったんだね。
「だから、このまま仕掛けるのは分が悪いと思ってたのよ。無理に仕掛けるよりそっちの思惑通り今回は退いた方が賢明かもってね」
――え。
「はああっ!?」
思わぬ裏切りの告白に思わず大声で驚きの声を上げてしまったけど、心は振り向きすらしない。ボクのこんな反応は予想通りだったに違いない。
「ちょ、そんなの聞いてな」
抗議の声を上げようとしたけど心は堂々と、自分のペースを崩さず、状況を進行させる。
「けど。ねえサフィエル」
状況へ侵攻する。
「舞台には観客が必要だと思わないかしら」
心が腕を持ち上げる。照準をサフィへ合わせる。
アライエスの体毛が膨らむ。静電気がパチンと弾ける。
「ホウ……ヤル気か」
「あんたがベタ褒めするその役者、あたしが見極めてあげるわ。目に叶わなきゃその即興劇、舞台に乗り入れて主演を代わってあげるから」
「身ノ程知らズだナ、凡俗。サフィにスら劣る体たらクでヨク吠えル」
「そうね。多分あたしはあんたに劣るんでしょうけど、それでも積み上げて勝ち上がるのがあたし、明野心の誇りなのよ」
ボクを置いて高まる気運。いつの間にか心との距離が開き、サフィと心の間合いが縮まってる。
そして一呼吸分の沈黙。
「――アライエス!」
飛び込んだ! って、それじゃ急加速にやられるだけだって……いや。
攻め込むのはアライエスだけで心は動かない。三者を見渡せる位置でじっと銃を構えてる。そうか、全体を見ている人間がいればあの能力は脅威じゃない!
迎え撃ったのはヘーゲルネではなくサフィ。ナイフを振る速さだけならサフィの方が速い。しかし合わせて打ち込まれた角に触れた途端粉々に砕け散る。
「チイッ」
左手首のスナップだけでフォークを飛ばす。どれだけ速くても手首だけで出せる速度じゃない。会長の言葉を思い出す。きっとあのフォーク自体が『異質性』を帯びてるんだ。
しかし、その速度を以てしても深い体毛に阻まれ肉体までは届かない。
封殺だ。サフィエル=サザンウインドはこれで完全に抑え込まれた。
それでも心にはまったく安堵した様子が無い。その視線はおそらく、サフィの背後に控えるヘーゲルネを警戒しているはず。
でもそこまでの警戒がいるとはボクにはどうしても思えない。過小も過大もなしに評価して、プルディノの強さって技ありでも人間とどっこいだぞ? ヘーゲルネだってそれほど大きく差があると思えないんだけど?
ボク自身もコモンのオーナーだからこそ思う、ヘーゲルネよりサフィの方がよっぽど脅威だって。今こうして四人の戦いを後ろから眺めてても明らかにサフィの方が威圧感が大きい。
「ん?」
そのサフィの動きがキレを増した。振るうナイフの筋が鋭くなり、アライエスの角を躱す避け幅が小さくなっている。これは……。
「しゃっ!」
ヘーゲルネが鳴いた。同時に姿が消える。ドライヴ状態!
「甘い――」
けど心はそれに備えていた。銃口が動く。しっかりとヘーゲルネの動きに追随して。
“V-zero”が高速なのは最初だけ。すぐにその速度は減衰する。心はその瞬間を逃さずに引き金を、
トスッ
「! くっ」
その腕に三つ又の刃が突き刺さる。フォークによる攻撃はアライエスに届かない。だから投げたいままに投げさせていた油断を突かれた。ヘーゲルネが大きく動いたのも心に腕を横へ開かせるためか。
その間にヘーゲルネは止まり、次の移動態勢に。
「させるかっ」
「きああっ!」
ヘーゲルネが動いた時に既にプゥも走り出していた。ボクらに近い位置まで移動してくれたのが幸いで、どうにか追いつけた。
「きぃあっ!」
光る拳を振るう。しかし、
「しゃあ……」
それがどうしたと言わんばかりに高速移動、ついでに脚の振りも高速化させてプゥとすれ違いざまに腹へ蹴りを叩き込む。
「き……」
ごろりと倒れるプゥ。……ごめん。
何となく、そうなるんじゃないかって思ってた。
何となく、ただ避けるだけじゃなく反撃されるんじゃないかって思ってた。
プゥだって立場が逆ならそうだったんじゃない?
でもそのおかげで速度が落ちた。
「いっ、」
だから、狙える。
「けーーーっ!!」
腕を大きく振って、投げたのはただの石。そこらに落ちてた、手頃な大きさの石。けど狙いはドンピシャ。ヘーゲルネの顔へと吸い込まれるように飛んでいく。
右脚で庇った。当たる。砕ける石。
「しゃっ!?」
砕けたのは石だけじゃなかった。ヘーゲルネが横倒しに倒れる。大きく腫れた右脚をピクピクと痙攣させて。
「あぐッ!?」
同時に悲鳴。振り向くとサフィが右腕を抑えてよろめいている。
「ンメエッ!」
避ける余裕も無かったか、アライエスの角がその右腕を叩く。ビキッという鈍い音と共に弾き飛ばされ転がり、動かなくなった。
「……勝った」
「そのようね、どうやら」
二人して大きく息を吐く。
「さっきのサフィのアレ、どうして動きが止まったの?」
「多分、H・Dのリスクでしょうね。痛覚……いえ、感覚連動かしら。唐突に骨を折られる痛みが飛び込んでくれば、そりゃ動けなくなるわよ」
そしてジロリとこっちを見る。
「それより“Attack”を武器に付与出来るなんて聞いてないわよ」
そう、あの石ころがミスティの腕を折るまでの効果を発揮したのは、ボクの“攻撃”だったからだ。殴るのでも石でも“攻撃”には違いないから“Attack”の発動条件に当てはまる、って遠見会長の受け売りだけど。
「そりゃ言わないよ。だって……初めてだし」
……別に悪いコトを告白するワケでもないのに目を逸らしてしまった。
「……はい?」
「だから、初めてやったの、“Attack”を飛び道具に上乗せ、とか。あ、成功するとは思ってたんだよ! だって、サフィだってやってるんだし!」
そんな、妙に早口になってしまうボクを心は半眼で睨んで、
「……ま、いいでしょ。成功したんだものね。そんな調子で『ミストクローク』も成功してくれれば貴女が突っ込んでFAでとどめ、と賭けに出る必要も無かったでしょうにね」
うぐ、『ミストクローク』使えないのバレてる。この状況で使ってない時点で明白だけどさ。
「さて、と」
心が億劫そうに腕を持ち上げる。銃口の照準が倒れ伏すヘーゲルネへ。
「……ほんとに殺しちゃうの?」
「この期に及んでそれを聞く?」
「でも……もう動けないんだし」
「そうね。そして、あたしたちも霧から動けない」
それを言われると口をつぐむしかない。ボクはサフィたちと戦うために来たんじゃない。こおりちゃんに追いつくため来たんだ。
ボクからの反論がなくなって、心が撃鉄を上げた。
「さようなら。神の元へ――!」
途中で銃を引き跳び退る。空いた空間を通過したのは棒型の金属。
「腕一本デ終わッタツモリか、新米」
右腕をぶらりとぶら下げて、左腕に戦意の証を構えたサフィエルがしっかりと立ち上がっている。
「……そうね、戦歴が長いってことはちょっとやそっとの痛みには慣れてるってことよね」
そう言う心のこめかみにつーっと汗が流れるのを見た。あれをちょっとやそっととはボクも言いたくない。
けど、いくら立ってももう終わってる。今は実質四対一で相手は手負いだ。どうにか押さえ込めば再び勝負は決まりだ。
けど。
「ねえ。ミスティを殺す以外に、この霧を解除する方法ってないの?」
まだこんなことを考えているボクは、やっぱり甘いんだろう。
「ナイ。あってモ解く気などナイ」
肩で息をするサフィ。格闘技をやってるボクにだって骨を折った経験はある。『ミストクローク』による軽減を差し引いても皹は入ってるハズだ。仮面の下はやはり苦痛で歪んでいるんだろうか。
「ワケわかんない……意味わかんないよ、一体ボクらを足止めして何になるの!? どうしてこれがこおりちゃんや先輩の為なのさ!?」
「サフィではダメだからダ。サフィだけじゃナイ。コーリがどれだけ『人間』でアろうとしてモ、結局『人間』がコーリに追いつけナイ」
仮面の表情は変わらない。けどその下から言葉と共に滲み出るものがある。
哀愁と、諦観。
それに、カチンときた。
「理解しロ、凡俗。あの二人は特別ダ。我々が並び立てル『存在』じゃあナイ」
「そうやって自分が諦めたからって、他人にまで強要しないで欲しいなあ」
よし、決めた。優先順位が入れ替わった。
こいつに、とにかく一発いいのを顔面に入れてやる。
「何? 自分の手に入らない場所だから他の誰も入って来るなってことなのかしら? 無様でみっともないわね」
「知らヌが仏、だったカ? そんな単純な話じゃあナイ。アノ純性に立ち入ル資格などナイ、ソウ言ってるんダ」
「ああもう、またワケわかんない言い草して!」
だんっと一歩踏み出す。びしっと指を突きつける。
「資格だあ? そんなもんいるかあ! ゴチャゴチャゴチャゴチャ屁理屈ばっかし、全っ然意味わかんないってーの!」
「……フン。一理アル。結局ソノ身で思い知らなけれバ」
「それに!」
何か言いかけたのを遮り、踏み出した足でダン、ともう一度地を踏む。
「恩がある人を助けに行くのに、そんな細かい理屈が必要?」
「……道理だナ」
初めて、サフィがボクに何の隔意もなく同調した。なんていうか、えらく背中がむずっとする。
「だがコーリハ貴様に助けナド求めナイ」
だからこのセリフに余計にむかっ腹が立って、つい反論してしまう。
「それだけじゃないよ。あんなのでもね、一応ボクのお義兄ちゃんだからね! 助けに行くくらい当然でしょ!」
「へえ、お義兄ちゃん」
「へ?」
妙に楽しそうな声がした。声の元へ目を遣ると、心が片手に銃を、もう片手で髪を撫で梳いていた。
「貴女、もしかして」
そしてぞくりと背筋に悪寒。目が嗜虐的に笑ってる!
「人目の無いところじゃ密かにそう呼んでるとか? こおりお義兄ちゃ~ん、って」
……な。な、な~~~っ!?
「ば、馬鹿! そんなわけないじゃん! 今のは売り言葉に買い言葉ってヤツで」
「いいのよ恥ずかしがらなくても。大切な家族ってさっき言ってたじゃないの」
こ、このいじめっ子! いかにも感動しましたー、なんて口調だけど明らかに面白がってるだけじゃん!
「べ、別に大切なんて言ってな――」
「クッ」
そんな馬鹿騒ぎに割り込んだ押し殺した声に二人とも反応する。サフィが棒立ちで、わずかに顔を伏せている。
妙な、瞬間の静けさ。刹那、
「クアッハッハッハッハッハッハッハァーーーッ!!!」
大哄笑。なんだこれ、何か知らないけど、こんな昏い、叫び声にも似た笑い声なんて初めて聞く。
不味い。とても不味い。全身が警戒警報を発しているのに、視線が縫い止められたようにサフィから離れない。わずかに目の端で、再び心がヘーゲルネに銃を向けたのが見えた。撃てば終わる。ああでも、とても嫌な、
「ふざけるナァッ!!!」
嫌な予感が、当たる。
血を吐くような叫びと共に仮面が脱ぎ捨てられ、般若のごとき憤怒がついに表に晒される。同時に、ヘーゲルネから爆発的な闇と土が吹き出した。
「なっ、これって」
「許せるカ、許せるモノカ」
サフィの手からフォークは既にない。地面に滑り落ちている。
代わりに握られているのは、一つの機械。親指一本で器用に操作する。
「サフィが喪った場所ニ、何故貴様ナドが居座っていル!!」
一筋だけ、涙が零れたのが、見えた。
しかし、それを気にする余裕なんて、無い。
ボクらは、これからサフィエルの「本気」と対峙する。
「起きロ、ヘル――ヘルビースト!!」
――近過ぎる、不味い。
悪寒に後押しされ闇と土に包まれたそれから逃げるように距離を取る。闇と土が収束し何かの形を縁取っていく。
「プゥ、フラム!」
気付けば命じていた。プルディノの口腔から撃ち出された凝縮された光。当たれば炸焔を撒き散らす、その光であの闇を吹き飛ばせと念じて、
片腕で弾き消された。
その一動作で身体を取り巻いていた闇と土も吹き散らされる。
ヘーゲルネよりも闇の濃くなった赤い体躯。二足歩行する獣。両腕から伸びる刃。
その姿を認めて、思う。なんで今まで戦っている気になっていたのか、と。
「斬り崩セ――」
あの日の仮面がサフィエルなら、当然こいつこそがそのミスティなのはわかりきったことなのに。
「擦り潰セ――“黒血の魔獣”」
刃が黒く染まる。
夕暮れの魔獣に、追いつかれた。