第十二話 急転落下――仮面の少女
困りました。
キリンさんがいらっしゃいません。
困りました。
鬱状態でしたからおとなしくしていらっしゃるでしょうと考えていたのですが、甘かったようです。
困りました。
訓練中ですのに現場へ飛び出されるとは、無鉄砲さに脱帽致します。
困りました。
『上司』からキリンさんの護衛に専念するようお達しを受けたばかりです、ここに居てはお仕事が出来ません。
困りました。
探しに行かなければいけません。
困りました、
水芭さんから離れなければいけないじゃないですか!
このような危険な場所で!
万が一水芭さんの身に危害が及ぶことを考慮しましたら、ねえ、キリンさんの身に何が起こりましょうと、別にどうでもよいではありませんか!!
……ふう。困りました。
遺憾な事に、そうお考えになられないのが世の決まりというものですので。ここでお仕事を放棄してしまって立場を悪く致しますと後々都合の悪い事態に陥るかもしれません。
そもそも温泉へは本当に卒業旅行で来るはずでした。それを、こーりんを誘導するまでという条件で受けたはずですのに、超過労働もよいところです。そのような理由で断れる職場でも立場でもありませんが。
もちろんこころんにお話しした監視のお仕事は空言です。『ブリッジ』は本当にこーりんを戦わせるだけ戦わせて、その展開について知る気がないようです。管理責任者として非常に無責任な態度と言わざるを得ません。
ですから、ええ。別のお仕事が入らなくても、こころんには理由をつけてこーりんを追いかけて頂くつもりでした。あの方がどれほど危険か、私には正確に把握しておく義務がありますから。私自身で調べないのか、ですか? 水芭さんから離れるわけがないじゃないですか。ですからこのお仕事はむしろ渡りに船、そう思っていましたのに……。
やはりこーりんをお連れしたのは大きな失敗です。いえ、予定通りならばあのような危険人物、お連れする気などさらさらありませんでした。あの方を水芭さんや翠歌くんにお近づけになる、考えるだけで背筋が凍る思いです。
あの方は私たちにとって百害あって一利もありません。今回の旅行でその事を存分に認識致しました。あのような粗末なモノを――普通サイズがどの程度か分かりませんが、粗末に決まっています――純情可憐な水芭さんにご開帳なさって、もし翠歌くんとのいざというときにトラウマになられていたらどう責任を取るおつもりなのでしょうか。
やはり、水芭さんをお連れになるべきではなかったのでしょうか。いいえ、それでは本末転倒です。
客室の中から伊緒さんたちの談笑が漏れ聞こえてきます。その声の中に水芭さんのものはありませんが、笑っておられる皆さんをご覧になって、水芭さん自身も笑っておられる姿がはっきりと目蓋に映ります。そう、水芭さんは「旅行」に来られたのです。迷う余地など始めからなかったのです。
惜しむらくは翠歌くんがいらっしゃらないことですが……前向きに考えましょう、こーりんにお会いさせずに助かりました、と。
ですが、ええ……。翠歌くんの性格上、こーりんと関わりになられないという期待は無駄に終わるでしょう。ですから、その日までにこーりんを出来る限り私の側へと取り込みませんと。ええ、問題ありません。今まで、ずっとやってきたことなのですよ? 少々風変わりな方でも失敗するはずがありません。確かに多少精神性がおかしな方ですが、キョウさんやサメさんの態度は全く理解出来ません。何をそこまで畏れるのでしょう、同じ人間だといいますのに。
さて、いい加減に次善策を打たなければなりません。私がキリンさんの護衛へ向かうことが決定事項ならば、
ガチャリ
「……? どうかした……しました、杏李先輩?」
ああ、日頃の行いが善良なお陰ですね。呼び出す手間が省けました。
賑わいが漏れる客室から出てきたのは、光栄にも水芭さんの護衛に選ばれたオーナーさんでした。
「……来たわ」
ボクらの位置から森の中の様子は伺えない。しかし、心が持っていた機械から得た情報で、そいつの姿を掴むことが出来た。その画面を横から見て首を傾げる。
「……これって木? それとも鮫?」
「さあ。どっちが本体か……なんて考える意味があるかもわからないけど」
スペイラー、地系木泳種、グレートクラス。
まさかミスティが二体現れてたなんて。
「なんか……どことなく似た感じだよね」
さっきのミスティ……メルフィンと。
「仲間とか?」
「それにしては友好的な関係には見えないわね。けど系統・種別が近いなら生息地が似通っている可能性はあり……」
そこで言葉を切り、髪を弄る。その間に考えをまとめたらしい。
「恐らく『向こう』でメルフィンがスペイラーの縄張りに踏み込んだのね。それを追いかけている最中に、偶然『扉』が開いてしまった。そのまま二体まとめて『こっち』へ来て、それでも追いかけっこを続けている、そんなところかしら」
珍しいケースね、と付け加える。どの辺が珍しいのかはボクにはわかんない。
「――で、グレートクラスね」
その重たい声音で、心の顔が険しくなっているのにようやく気付いた。
「……強いの?」
言わずもがなではあるんだろうけど。
「さっきのあれ、刃物の乱れ撃ちみたいな技、見たわね」
うん、そりゃ。
「あれ、多分NAよ」
「…………」
マジでか。あの威力で?
スペイラーと対峙する二人を見た。生身の身体はあっさりと細切れにされそうで、しかもまだ上がある。
「どうするの?」
「……困ったことに、さっきとは状況が違うわ。周防君がいる。余程の事態にならない限り、あたしから横槍は入れられないわ」
「それなら――」
「やめておきなさい。貴女が行ってもそれこそ犬死によ、分かるでしょう?」
……確かに。一撃喰らえば終わりだし、ボクの拳もプゥの技でも損傷を与えられそうな気がしない。……何しに来たんだ、ボク。
「見ているしかないわ、貴女もあたしも。……今は、まだ」
木々の隙間、枯れ木の下半身から突き出す鮫の上半身。爛と光る双眸から目を逸らさず二人身を起こす。
「……周防、お前はあれを止めていたのか?」
なんで俺がここにいるとか、面倒臭くなること訊かないでくれて本当助かる。適当にはぐらかすのも時間掛かるし、そんなことしてられる状況じゃねえからな。
「止める予定だった、んだけどな」
獅子堂とメルフィンの戦闘が始まったときあの鮫は様子見を選んだ。それは俺にとって好都合で、おかげでここまで追いつけた。……こいつら追っかけて山の中道なき道を突っ切るよりどう考えても普通に登山道を行く方が早かったなあ。出来るだけ離れないコースを選んだはずが完全裏目。いつの間にかあっちの二人に追い抜かれてるし……くそ。
「出来ればもうちょっと長引いてて欲しかったんだけどね。様子を伺ってるところに奇襲掛けたかったけど、思いの外早く終わっちまった所為で喰いついてきやがった」
「周防にはあれを仕留める手が?」
「ない」
じゃり、と地摺る。
「んな手はない。打たない。俺が打つ手は止める手だけだ」
「……意外ね」
無駄話はここまで。同時に左右へ散開。固まってたらまとめて血の海に沈んじまう。
「――」
鮫が、唸る。
ざあっと、根がうねった。その動きはまるで多脚の虫。
「「!」」
ターゲットはこちら。突っ込んでくる。速い。
口を開く。生え変わったばかりの鋭い牙。直接攻撃にせよ飛び道具が来るにせよ、簡単に肉を引き千切られそうだ。
口腔の射線から外れる。同時に鎌状態のレリを喚び、逆手に振るう。
軽く皮膚を撫で斬り、巨体の突進に飲み込まれぬよう斜め前方に跳び逃れる。その交差、悲痛に鳴いた。
レリが。
「!!」
鎌の刃を見る。酷い刃毀れ。単に硬いものを斬った、という風ではない。
「鮫肌か」
チッと舌打ち。即座にレリを引っ込める。
「触れるな! それだけで削られるぞ!」
「……無茶を言ってくれる」
ほぼ全ての攻撃手段を封じられ、しかし平静を保ったままに獅子堂が走り抜けながら地に手を伸ばすのを目に捉える。
「フッ!」
足を止めぬまま呼気と共に石を投擲。腕を大きく振るって投げられたそれらは、鮫の上半身へ見事に当たり、しかし皮膚にめり込むこと無くぽとりと落ちる。
だがその際嫌がるように身動ぎしていた。いや、「ように」ではないことは俺には分かってる。確かに痛みを覚えていた。
では、先程の鎌との違いは? 動き回る鮫の先を読んで側面に回り、
「そらっ」
つい数分前、遠目に見た動きを模倣する。
左脚を軸に後方へ回転、振り上げた右足裏を叩きつける背面回し蹴り。ただし、靴裏が当たった瞬間、削られる前に足を引く。
肌に対して垂直に、あるいは瞬間的に攻撃を入れれば削りも最小限しか喰らわない。こんなのでダメージになるとは思ってないが、痛みは与えてるようで、嫌がらせ程度にはなっている。
で、俺へ意識が集中した瞬間に、
「後ろはどうだ?」
鮫より高い樹上から獅子堂が落ちてきた。その踵を枯れ木の尾ビレに叩き落とす。すると、
バキバキッ
折れた。普通の木みたいに。呆気なく。
その様にむしろ俺たちの方が驚き、さらに俺に至っては、
「(痛みがない……?)」
“Ripple”により得たその情報によって眉を顰める事となる。
「――」
「おっ、と」
鮫が一気に直進。こうやられると速度差は明白、一気に距離を取られる。
そのまま反転、牙を剥いて突撃――はして来ず、俺たちの周りをゆらゆらと泳――違った、歩き始める。最初みたいにバラけようにも下手に動けば狙われる位置だ。
どうやら挑発が効いたらしい、さっきまでの勢い任せと違ってしっかり俺たちを狩る気だ。
――まあ、概ね予定通りだが。
本気になったとはいえ、あくまで「獲物」を狩る動き、「敵」と戦う姿勢じゃあない。こっちの攻撃はまるで効いてないんだ、そう見下すのも、まあ当然か。
だから、今のうちに片を付ける。
レリは出さない。負傷だけが原因じゃない、階級差による干渉を防ぐためだ。
俺は決して野生のグレートクラスも、階級による制約も軽く見ていない。レリーフの――コモンクラスとの共撃ではあの鮫に決定打は通らない。しかし、人間では肉体的に届かないのもまた事実。
だからこの戦い、一枚だけ、一回だけ札を切る事にした。
「『サルベージ』開始」
使うのは一の札。他四枚のうち同種三枚と違って引き揚げるだけだから使用まであまり時間は取られない。
故、同時に右腕を引き絞る。拳は作らず貫手。鍛えてない俺の指じゃあ突き指しますって言ってるようなもんだ、普通なら。
けど問題あるまい。俺の『最初の異質性』が戻ってくればあの程度の皮膚、簡単にブチ抜く。NA程度じゃ阻ませない。この動作だけは何度も反復した、FAもSAも間に合わせない。
そんな思考の最中、感じ取る。自分の身体の変質を。その瞬間がスタートの合図。
「行くぞ――」
絶対の一撃、その意気込みで屈めた身を、
茫と、
見られている。
強烈な嫌悪感。
――駄目だ。今、こんなところで、こいつに見せちゃいけない――
ただの直感は、それでも俺の腕を止めるのにも、札を隠すのにも十分な命令となって、
しかし足だけがたたらを踏み体幹を崩す。
そしてお粗末な獲物を逃すほど野生は優しくない。
同時に――瞬間的とはいえ確実に命に迫る程の脅威を俺が現した事に気付く辺り、やはりグレートクラスは伊達ではないらしい。
地面に突き刺さった根の脚が不規則に蠢く。
ぼこり、と土が盛り上がった――来る。
「――」
FAが。
ズバン、と立ち上がった巨大な土の壁が鮫の姿を遮断した。
いや、壁ではない。上端がこちらへ崩れ、木を薙ぎ倒し巻き込み押し潰し、近づいてくる――津波!
「――退くぞ周防!」
ぐいっと肩を引かれ体勢を持ち直し、二人して土津波と反対方向へダッシュ。目に入った獅子堂の横顔に、常にはない焦燥の色。
逃げ切れるか?
「飛び降りる!」
……この方向は崖へと続く柵。そこからダイブする、と。マジか。
「おま、ビル火災での死因で転落死が多いの知ってるか!?」
「アレに呑まれるよりマシだ!」
……同感。あそこから飛び降りても少なくとも俺は死なない。こいつにも成算があるのか? ある、と考えるしかないか。
ちらと振り向く。土津波は徐々にその厚みと速度を上げている。間に合うか?
この時、二人ともその意識を津波にのみ向けていた。あるいは、その津波から逃げ切ることにのみ注力していた。
そしてその瞬間、俺は獅子堂から視線を外しており、たとえその存在を検知していたとしても間に合わなかっただろう。
ズンッ
「か――」
掠れた呼気と共に獅子堂の膝がくず折れた。不意の事態に様子を窺おうにも急には止まれず獅子堂を追い越す。
しかし、それで現状を知るには十分だった。
獅子堂の腹に突き刺さる、地面から生えたイルカもどきの嘴。
「~~っ、存外執念深いな、おい」
そんなこちらの言葉が聞こえたのかも定かでないが、報復は果たしたとばかりに地面へ潜るメルフィン。支えを失って地に倒れる獅子堂。不意打ちで急所にモロに喰らっては流石に意識を保つことも出来なかったようだ。
そして――迫り来る土津波。今のタイムロスは大きい。
……間に合わん。
a few seconds ago
瞬く間に噴き立った土の壁、それを見た瞬間に心が『霧』の構成に入った。学園と違ってこの場所じゃ少々時間が掛かる。
「今度は止めないでよ!」
止める訳ない。流石にあれは一個人じゃ無理だ。いや、先輩なら相手できるかもしれないけど、試してもらう気にはなれない。
ただ――
「どっち!?」
『霧』に隔離するのは、先輩かスペイラーか。
普通なら当然後者。しかし、『霧』に隔離できるのはミスティだけで、放たれた技はそのままだ。だから、このままだと先輩はあの土津波をそのまま喰らう事になる。
だからって先輩を『霧』に隔離したら、それはそれで説明が面倒なことになる。『霧』を喚ぶ心自身は必ず『霧』の中に入らなきゃいけないので、見つかったが最後尋問――質問責めにされること間違いなしだ。
それらの意図を心は正確に汲んで、
「スペイラー! 後よろしく!」
後? ああ、飲み込まれた先輩を助ける役目――って、
「ちょっ」
いや、必要なのは分かるけど、結局ボクは蚊帳の外に閉め出されるのかい!
そんな抗議の声を上げる前に、『霧』が完成してしまう。
ボクら二人を包み込んで。
「………………えっ?」
「――――――やられた」
想定外の展開に思考が停止した。停止したまま、目の前の光景だけを受け入れる。
スペイラー――いない。
こおりちゃん――いない。
優姫先輩――いない。
心――いる。
霧の色――黒。
「……あたしの霧は、金よ」
視線からボクが見ているものを読んだのか、そんな注釈を入れられる。けどその注釈でようやっと頭がまともに働いて、この状況を理解する。
心のミスではない。つまり。
誰かが先に『霧』を喚んで、
「囚われた――!?」
正解の合図の代わりに、
「邪魔をするナ」
低く冷たい声に射抜かれる。
振り向く。眼前。
迫り来ていた凶器を寸前で回避した。
「――!!」
その形状を横目で確認した。予想通りというべきか。
三つ又の刺突武器――だとでも思ってるのか、本来の使用用途はあくまで食器、間違っても人に投げるもんじゃあない。
フォーク。
「プゥ!」
陽炎の扉を開きつつ、敵の姿を視認する。
「――へえ、正体割れても、まだソレ付けてんのね」
それは、あの夕暮れに遭遇した凶の顔。
仮面。
右手にナイフ。左手にフォーク。
メイド服。
「――サフィエル=サザンウインド!」
そして、
「鈍い。墜ちロ」
「!」
咄嗟に頭上で腕を十字に組む。どんっとそれなりの重量を受け止めた。腕に爪が食い込む。
交差した腕の隙間から覗くのは、赤黒い獣。
「きあっ!」
陽炎の扉から現れたばかりのプゥが飛び掛かる。獣は迷わず跳躍して避け、
その間に無数のフォークがボクらに迫っていた。
「! プゥ、クリスタル――」
間に合わない。鋭い痛みを覚悟し、
バチンと、全て撃ち落とされた。
「感心しないわね、このあたしを無視して二人で踊ろうだなんて」
傲岸不遜に言い放つシスター少女の足元に、毛皮を帯電させた三本角の羊。
「フン、生憎サフィは裏方ダ、ダンスナド似合いハしない」
再びフォークとナイフを取り出す仮面メイド。その肩に器用に飛び乗る赤い獣。
「裏方仕事ヲ全うスル。差し当たっテ、キサマらゴミの始末ダ」
「誰がっ」
「失礼ね、こんな綺麗なゴミがあるわけないじゃない」
挑発に乗りかけたところを余裕綽々の声に遮られた。その手にはY・Iっていう例の機械。
「ヘーゲルネ、コモンクラス、ね。下位クラスでその自信を保っているのは、根拠あってのことかしら?」
……あ。
「試しテみれバドウ――」
「えっと、会長がなんとかドライヴが使えるって……」
「「…………」」
な、なんか場が白けた空気になっちゃったよ?
「……ありがとう輝燐。ええ、予想の範囲内だけど確定情報が得られたのは嬉しいわ。ただ貴女、淑女らしくなりたければ様式美ってものを理解しなさい」
「褒められてる気がしない!」
敵の情報だってのになんで責められてるカンジなのボク!?
「チッ、キョーめ、サフィの奴隷のクセに生意気ナ。二度と余計なクチが叩けナイよう二調教し直すべきカ。まずはトングだナ」
トング!? トングで何すんの!? あー、でも被害に遭うのは会長かー。……だったらいっか。
「……ま、おふざけはこのくらいにしようかしら」
その台詞の直後、羊型ミスティの体毛が膨張、弾け飛んだ!
「な、え、うあ」
視界一面、宙に漂う白い毛で包まれる。弛緩していた空気の中、緊張が緩んでいたボクには全く反応も対応も出来なかった。
「ぼさっとしない。死ぬわよ」
サフィはミスティ共々、いつの間にか毛が散った範囲から飛び退いている。そこから一本、軽くナイフを投擲。
バチンッ!
電光が弾けた。撃ち落されたナイフが黒煙を上げて落下する。
「雷系の結界……イヤ、雷雲カ」
「屋外での使用はいろいろ制約が付き纏うけど、無風で助かったわ」
「フン……」
鼻を鳴らして、次の瞬間残像が残るほどの鋭い動きで手を振り上げる! 同時に飛んで来る無数のナイフとフォーク!
「甘い!」
その刃が届く前に稲光が轟く。全ての刃物が撃墜され、
「! 危ない!」
側面から回り込んでいたヘーゲルネの蹴りをプゥがガードした。こいつ、いつの間に!?
「このっ」
ヘーゲルネへ雷を落とそうとする心。けど、サフィは間髪入れずにナイフで狙い撃つ。
両方を撃とうとした結果、ナイフを正確に撃墜した代わりにヘーゲルネからは外れ、雷雲より逃げられる。てか、
「ちょ、今プゥに当たりそうだったんだけど!?」
「近くにいればそういうこともあるわよ」
なんて言い草。チームワーク大丈夫かボクら!?
そんな危惧に慌てるボクとは対照的に(おそらく)仮面のスリットからこちらをジッと見ているサフィ。その口がぽつりと漏らす。
「どうやラ、その雷ハ任意でノ発生のようだナ。多方向カラ攻められれバ全てヲ正確に狙イ撃つ、とはいかナイようだナ?」
その言葉に心の顔面筋がぴくっとわずかに跳ねた。たった一回の交錯でその欠点を見抜いたってこと?
「……戦い慣れてるわね。アライエス」
羊型のミスティが一歩前に出た。バチバチと真っ直ぐ突き出た角が帯電する。
「あの女の飛び道具は全部あたしたちが止めるわ。輝燐は今みたいな死角からの攻撃に対処して頂戴」
「了解」
即座に返答。右半身に構える。ボクに倣ってプゥも同様の構え。
今までの挙動を見てる限り、ミスティよりサフィの方が厄介だ。人間の腕で受け止められる程度の攻撃力だったし。ただ――
「油断しないで。あいつ、まだNAすら使ってない」
「わかってるよ」
そのおとなしさが、不気味な事この上ない。
こおりちゃんたちがどうなったか、気になるけど今は忘れろ。集中しろ。一挙手一投足見逃すな。
今はただ、ここを生き残ることだけ考えろ!
足を止められ絶体絶命――
そのはずの状況で、しかしどうやらまだツキは残っているらしい。
とても都合のいいことに、今、この瞬間、獅子堂の目は存在しない!
「レリ、限定融合!」
再度喚び出したレリとノータイムで融合、半身が氷と化す。その時点で津波は既に眼前へ。
――繋がり、廻れ。
「ゼロストームッ!!」
巻き起こった氷の竜巻が、土の高壁と激突した。
「ぐうぅっ!」
重い。ドライヴで威力を引き上げてるとはいえ、地力に大きな差がある。押し返すのは流石に無理か。既に細かな波濤――要するに砂がパラパラと降ってきている。こちらの壁が破られてきてる証左だ。
範囲攻撃系技として、ゼロストームの方が明らかに劣っている。
だから、打ち勝とうなんて考えない。命が残ればそれでいい。
その為に、意識の無い獅子堂を傍に寄せ、竜巻の径を細くした。
一定空間に存在する大気・氷密度の収束。
規模の縮小により抑えのなくなった波濤が崩れ、倒れ、両側を通過する轟音が響く。その際の摩擦で正面からだけでなく両脇からも削られる。
それでも。それが通過すれば。
轟音が止んだ瞬間。竜巻が受ける圧力、その手応えが弱まった。
「――フッ!」
竜巻を外側へと爆散させた。土煙が巻き上がりむせる。周囲は腰の高さまで土が盛り上がっている。しかし土砂が襲ってくることはない。
生き残った――そう安堵するなら早計だ。何故なら、相手そのものはまったくの無傷。
荒れた地面を物ともせず鮫が迫ってくるのを感知する。必勝の自信を持って放った攻撃を耐え切られたことへの大きな怒り。土煙でこちらの姿が見えないはずだが、匂いでも追ってるのか。
まあ、こちらも「俺の」姿を隠すため土煙を起こした訳じゃないからいいけどな。津波を破った時点で既に打っていた次の手、それを隠せればそれでいい。
「早いな」
側面、少し離れた位置に巨大なモノが現れる気配。初回登録・設定に掛かった分の時間を短縮、さらにドライヴ状態だったためさらに短縮。シフトまで十秒ってとこか。
氷力昇身、ヒュドラン。こんな目立つの本当なら最後まで出すつもりはなかったけど、
「こんな派手にやってくれたんだ、今更都市伝説の怪物が一個二個増えても知ったことか」
都市じゃないけど。
突然自分と同格の存在が出現し、鮫のそれまでの憤りが動揺に取って代わられる。当然、その隙は見逃さない。
「アイスブランチ」
氷の枝を伸ばす、伸ばす、伸ばす。打ち据え、捕獲にかかる。ちゃんと送り返してやるから、おとなしく捕まれ。
「――」
そんなこちらの心も露知らずに速度を上げ、さらに泳走の方向を変える。――チッ、考えることは同じか。
「逃がすな、ギガイスカッター!」
巨大な氷の葉を射出。枝の先に形成したまま放さずに、直接斬りにもかかる。
「――! ――!」
飛来した刃が枯れ木の尾びれに直撃する。振りかぶった氷の枝葉で何本もの根の足を薙ぎ払う。
しかしそれでも前進を止めない。こちとら殺す気がないので本気で斬りかかる訳にもいかないし、もちろんFAなんて撃てるワケがない。決め手を欠いたまま、最後にはつんのめって転がりながらも、木の柵を破り、崖から宙へと身を躍らせるのを許してしまった。
姿が見えなくなっても“Ripple”による感知を頼りに氷枝を伸ばす。だが落下スピードの方がずっと速い。アイスブランチの先から悉く擦り抜ける。
「……もういいよ、レリ」
追いつくのは不可能と判断し、攻撃中断。それでも念の為しばらくはシフトを維持したまま、追尾も怠らない。
万が一にも崖を逆登り、奇襲を仕掛けてきたならむしろチャンス、返す刀で捕まえると、まあそんなことは起きないだろうけど一応警戒してたのだが、
「……? 消えた……?」
唐突に。あまりに唐突に鮫もどきの存在が“Ripple”の感知範囲内から消失した。
……何らかの手段を用いて範囲内から脱出した、あるいはまだ範囲内だが感知されない手段を持っている。もしくは感知する感情波自体がなくなった、つまり死んだか。どれにしても面倒な話だ。
「レリ、戻っていいよ」
絶対にとんぼ返りしてこないとは言い切れないけど……大丈夫だろ。こちらを「獲物」ではなく「敵」と認識したなら、向こうも迂闊な真似はしてこないはずだ。……だからこそ今ここでケリつけておきたかったんだけどね。
さて、そうすると俺が次に取るべき行動は……。
「厄介な方から先にどうにかしちまいたいけど、こっちから追いかけるのは危険だな。迎え撃つ状況を作った方がいいか」
追われてる方の確保。そうすりゃ追ってる方も自分から現れてくれる。
というワケでメルフィンが逃げた方角――山頂へと続く山道を見遣る。まったく、あの牙の攻撃圏から一応逃がしてやったってのに、恩を仇で返しやがって。あの鮫とメルフィンの関係に関して、俺が介入する理由は無い。狩ろうが狩られようが勝手にどうぞ、だ。ただ、さっきのはそこに至るまでの過程で(自意識過剰かもしれないが)俺たちが関わり過ぎたという負い目があったため真っ先に逃がしてやったのだが、そんなこちらの機微は見事に汲み取ってくれませんでしたよ、ええ。
しかし、そっちがそういう気ならこっちもそれなりにいかせてもらう。どうなろうが自己責任ってことで。
そういう訳で、『霧』に呑まれた二人も自己責任。俺が割って入る気はさらさらない。その辺は輝燐よりお前の方が理解してるかね、明野?
で……コレはどうしたもんだろう。すぐ傍へ目をやると未だ意識を失ったままの獅子堂が。わざわざ起こして連れて行くなんて選択肢はもちろんないが、さて、こいつをこの寒空の下放置していっていいものか。流石に風邪引くんじゃないか、この超人でも。
……と、軽く悩んだが、結局さっきと同じ、自己責任って事で結論付けた。起きたら追いかけてくるだろうが……いや、手掛かりも無くなればいくらなんでも諦めるだろう、と強いて楽観的に考える。
……怪我の具合くらい診ておくべきか? さっきのは結構見事に腹に入っていたし、下手をすると折れてるかも……いや、ちょっと待て。そりゃ、怪我人の心配することくらい『人間』として当たり前のことだけどさ、自分から関わってきたんだしなあ、やはり自己責任、俺が気にしてやる義理はないはず。まあ、共闘してたと言えなくもないから、放置しておくべきじゃないのかもってあれ義理はある? 最初の結論からして間違ってる? いや連れて行く気が無いのは間違いないから、このまま起こすべきではないという結論で問題ない。
「…………ん」
んん、不味いな、堂々巡りになりそう。大体こういう場合結論を出すのは保留しちまうんだけど、今回はそういう訳にいかない。うーむ、鳳辺りを呼ぶってのはアリか? 借り作るのは癪だが、あいつのミスティ回復持ちだし、上手くすれば夢だと思わせられかも。……いや、高望みだな。こんな現場の有様見りゃ夢と現実なんて一目瞭然だって。
「そっか、私……あれ?」
まったく持って面倒臭い。そもそも一体何しに来たんだ、この大魔じ――
「…………」
「…………」
瞳が合った。
「うおっ」
割と失礼な事考えてた最中だったから、思わず仰け反る。その際一歩後ろに踏み出した。
「あの、私のめ――」
パキ
? 何の音?
足元から聞こえたような。目を向ける。獅子堂も見る。あれ? 何だ、この違和感?
その正体はあっさり判明した。俺の足の下には、ツルが折れてレンズが割れた眼鏡が。
ああ成程、眼鏡してなかったからか。ふぅん、眼鏡一つで人の顔って随分雰囲気変わるもんなんだなぁ、HAHAHA。
あれれ? 獅子堂サン、俯いてプルプルと震えちゃってるよ? 寒いのかな、冬の山だもんね! 違う? やっぱり怒ってる? WOW、参ったね!
……やっべぇぇぇ。
未だかつて、獅子堂のこんな様子見たことねえぞ。そんな大事なもんだったのかよ、この眼鏡。
どうすんの!? どうなんの!? もしかしてオラオラですかァ!?
ここまででも十分な急展開。しかし次の瞬間、俺はさらに思い掛けない事態に直面する事となった。
ゆっくりと顔を上げる獅子堂。怒りの眼差しと対峙する瞬間をごくりと喉を鳴らして待ち受けていた、のだが、その瞬間、俺は全く別の理由で戦慄を覚えることになる。
獅子堂が、
あの獅子堂が、
涙目で打ち震えている、だと――!??
それだけでも異常事態だというのに、更なる追い打ちが降り掛かる。
「周防さんの、馬鹿ぁ……」
……何だ? おかしくなったのは俺の耳か? 頭か? それともこの世界か!?
周防、「さん」!? 「さん」ってなんだ、惨劇の「さん」なのか!?
おい、一体、
この目の前の女は誰なんだ――!??