第十話 咎人十字――さあ、殺せ
観光地の夜は早い。食事処も土産物屋もとっくに暖簾を下ろしてしまっている。夜も明るい、なんていうのはむしろ真逆、都会の領域であり、唯一観光地でその例外が適用されるのは祭の夜くらいのものだろう。それに年齢層が高いんだろうな、夜遊びをする若者の姿も見かけない。冬の夜ともなれば相当冷え込むから外に出たくないだけ、なのかもしれないが。
そういうわけで俺は誰に見咎められることも無く逃げていったミスティを、さらにそのミスティを追跡していった獅子堂を追うことが出来ているわけだった。もっとも、土の中を移動しているなら道に沿っての追跡なんて無意味だけど。
「メルフィン、地系泳種、レギュラークラス、ね」
操作に四苦八苦してどうにか読み出したさっきのミスティのデータを斜め読みする。
そして溜め息。このユグドラシル・インデックスとやら、ミスティを捜す機能とかそういうのを期待してたのに一つもありゃしないのはどういうワケだ。
なお、俺はこのY・Iとやらを常時携帯してるわけではもちろんない。一度浴衣から私服へ着替えに戻った時、荷物の中に紛れてたのを見つけ、何かの役に立つかと思い持ってきたのだが……
「こんなミスティ図鑑なんて渡して、何がしたかったんだ遥香さんは」
図鑑。それ以上でも以下でもなかった。それなりに便利とか明野は言ってた気がするんだが……ん? 機能拡張がどうとか言ってたっけ? ま、いっか。
正直、系統・種別もクラスも遭遇時に形状とか威圧感とかで大体把握できる。名前がわかって呼ぶときに困らない、程度の収穫だ。……いや、割と大収穫なのかも。今まで遭ったミスティ、結局どいつもこいつも名前わかんないままだったし。
それと、多分今回は使う機会無いとは思うが、Y・Iと逆の手の中で玩ぶ球形の機械。名称を『エレメントボール』というらしい。古代種専用のエネルギー供給装置だ。装置内にレリーフを収容、三十秒ほどでエネルギー充填が完了し、ヒュドランへと氷力昇身する。……問題は大きすぎてこんな場所じゃあ霧の中以外で使えないって事。普段使ってる意味とは別の「制限」が付いちまってるワケだ。
「やっぱり自前の力でどうにかするしかないか」
“Ripple”。生命体の感情波を探知するこの『異質性』はそのまま生態レーダーとして活用できる。生命体、と大雑把に言ってしまったが限度はある。まさか小さな羽虫の一匹一匹、果ては植物に至るまで感知できる、なんてことはない。つーか、そんなもん膨大な量になりすぎて処理できるわけが無い。
ある程度俺、もとい人間と近い身体構成の生物であることが条件だ。具体的には哺乳類、出来ても精々鳥類までが限界だ。それと、ミスティ。これは形状に関わらず、虫型だろうが植物型だろうが読み取れる。その理由は、先程の条件と矛盾することになるが、ミスティという存在そのものがこの世界の生物とまったく違うためである。“Ripple”で読み取りやすい存在なのだ、という程度に考えておいてくれ。
そういうわけで、この『異質性』を用いればメルフィンの追跡は容易である。しかし、俺はその使用を躊躇っている。というのは、常によって「制限」しているから、ではない。“Ripple”の「制限」は緩い部類に入れてあり、対ミスティで出し渋るような力じゃない。
そもそも、警戒対象がミスティじゃないってのが異常だ。野生ってのは己へ敵意を向けてくる相手への対応に容赦が無い。そういう意味ではオーナーと共生するミスティよりずっと危険度が高く、こちらの意識も引き上げられるのが毎度の事。しかし、それら野生よりあいつの方が危険だと、俺の全身が訴えている。
獅子堂優姫。
今まで一度として起きなかった事態。“Ripple”そして“Operation”のオーバーフロー。
今まで我を忘れて感情が昂ぶった相手なんてのは幾らでもいた。それでも余裕で処理できるだけのスペックがあったのに、獅子堂はそれを振り切ってみせたのである。
いや、それだけならまだいい。問題は、その結果俺に幻覚にも似た症状が起きたことだ。
俺に幻覚は通用しない。
正確には、光の操作により幻像を映し出すという手段なら通用するのだが、例えば薬、あるいはもっと直接的にテレパシーとか、そういう精神に直接作用して幻を見せるという手段は効かないのである。
堅牢な精神防壁。これは『異質性』ではない。俺が俺であるという事、事実を事実として受け止めるという事。ただそれだけの事を体現しているに過ぎない。
だから――そう、幻覚に足元を浚われかけるなんてあるはずが無いのだ。
「けど起きた」
そう、それが事実。ならば否定は意味が無い。ただの現実逃避だ。
可能性を挙げるとすれば……“Ripple”か。元の原因が獅子堂の感情とはいえ、“Ripple”を通さなければ幻覚が生じることなど無かった。つまり……“Ripple”により直接俺の精神へ働きかける経路を、俺自身が作り出してしまったということなんだろう。もっとも、経路が通ったからといって精神作用が成功するかと考えると首を傾げざるを得ないんだが……まあ、これ以上は保留でいいか。
話を戻すと、“Ripple”を使用してもう一度獅子堂が掛かった場合、どんな作用が起こるか想像がつかない。あれから約二十分、一つの感情で埋め尽くされたままミスティを追っていったあいつの頭も冷えてる頃だろうし、またオーバーフローを起こす可能性は低いとは思うけどな。
……まあ、あいつ自身に俺を害する意図があったわけじゃないしな。
ようやく決心がついた。どの道使わないことには見つけることなんて出来まい。
波を広げる。空気そのものを振動させているわけじゃないから、対象が地上だろうが地中だろうが関係ない。精度より範囲を重視で。
――発見。
小山の方角にメルフィン。その近くに……おい、追跡できてるよ獅子堂のヤツ。どれだけ執念燃やしてんだ。それと、
……待った。執念?
そういやさっきの歓喜といい、俺に起きた影響についてを真っ先に検討してたから後回しにしてたけど、
『あの娘、なんでミスティを追いかけてるんだろね?』
……さあ、なんでだろ?
「つか、出てくんなよ」
重くなった頭の上に視線を向ける。
『大丈夫大丈夫、この辺に人がいないのは確認済みでしょ?』
「けどあいつ、以前に“Ripple”を潜り抜けた前例があるからなあ」
そういう訳で今回レリは出来るだけ外に出さない方針に決めたばっかだってのに、こいつときたら。
「まあ、遠くのほうに感知出来たからいいんだけどさ」
見つからないから問題なのであって、一度見つけてしまえば問題無いというのは道理だ。
「しかしまずいな」
『もしかして、あの娘が先に追いついちゃいそう?』
「ああ」
完全に予想外だ。しかもミスティは興奮してる、逃げ切れないと分かった途端に戦闘に入ってもおかしくない。
『接触済みだったらどうする?』
「様子見。レギュラーとはいえ戦闘向きじゃあなさそうだったし、もしかすると任せちゃっても大丈夫かも」
人間じゃミスティに勝てない、なんてのはただの思い込みだ。同位の『存在』である以上、勝利の目はどちらに向いてもおかしなことじゃない。まして、あの獅子堂だ。レギュラー相手でも技さえ喰らわなきゃ十分に勝ち目はあると踏んでいる。このまま帰って朝までぐっすり寝ちゃっても構わないんじゃないかなー、って思わせるくらい。
『だろうと思った。何が問題なの』
「ああ。――――」
そこで、先程感知したものを教える。
『なるほど。じゃあ急いだほうがいいかな』
「だな」
『でもさ、こおり……やっぱり下りない、この件』
ふんむ。野生のミスティを追うのなんて珍しいことじゃないのに、レリはどうも気乗りしないみたいだ。
「なんで?」
『気づいてるクセに』
呆れた、という溜め息。ま、確かに旅行先で偶然ミスティに出くわすなんて出来すぎてる。しかも、本来俺はこの旅行に参加するはずのなかった人間だし。
要するに、今のこの状況はキョウとか杏李先輩の手の中で踊っている可能性が高いってことだろう。
「でも可能性が無いわけじゃないから」
地元民とかに話を聞けば真偽がはっきりするのかもしれないけど、有り体に言ってどっちが面倒かってハナシだ。仮に証拠が出ても、それで終わりと楽観的に考えるには相手が悪い、あるいは悪い相手だ。なら元を絶って後顧の憂いを払拭しておくのも、選択肢としちゃ有りかな、程度には考えてる。
『とか言っちゃって、気になるんでしょ、あの娘』
「……自分から危険人物に近付く気なんて無い」
つもりなんだが。
ついさっき獅子堂から感じた強い感情、歓喜。その正体を俺は知りたいと思っている……のだろうか。他人事のはずなのに。
強い感情というのはさながら炎の様だ。その放つ光と熱に煽られた者は虫のように惹かれ飛び込むか、でなくば獣のように恐れ近づかぬか。そう考えると今の俺は飛んで火に入る夏の虫か。
「熱いの嫌なんだよね」
『面倒なのも、痛いのもね』
嫌なコトをしなくちゃならないとき、大抵の人間は特急で終わらせるかズルズルとその時を先延ばすかのどちらかだと思う。で、俺もその御多分に洩れず、傍から見ると散歩をしているようにしか見えない程度の速度でメルフィンの元まで向かっているのだった。
ただし、“Ripple”は展開したまま、メルフィンと獅子堂以外の動きに気を配った上で。
――本当、面倒だ。
「で、一体どんな手品を使ったんです? あの面倒臭がりの周防君が自分から動くなんて」
部屋から出てきたばかりの先輩の背中に話し掛ける。
「人聞きが悪いですよ、こころん。まるで私が手練手管でこーりんを操ったみたいではないですか」
くるりと振り返ってとっても白々しい返事をくれた、笑顔で。
「では、午後の間ずっと周防君にくっついていたのは何故かしら? その間に何か吹き込んだんじゃないのかしら?」
あたしも杏李先輩も、ついさっきまで浴衣だったのをあたしが正装に着替えたように先輩も私服に変わってる。さっきの光景をあたし同様旅館の中から見ていた、だから至急着替えてきたんでしょう? あんな服じゃ何をするにも頼りないもの。
「まあ! 驚きです、こころんに私たちのデートを覗き見られてしまわれたなんて……罪深い人ですこーりん、いずれ嫉妬に駆られたこころんに背中から刺されてお亡くなりになる運命なのですね」
「いろいろつっこみたいですが、際限無くなりそうなので一言だけ。嫉妬なんてなくてもあたしはいつだってこおりを刺す理由に事欠きませんよ?」
「あら、意外な喰いつき方です。ご愁傷様ですね、こーりん」
杏李先輩、合掌。いいのよ、どうせその程度で死んでくれるほど可愛らしいタマじゃないもの。ふん。
「まあ、こおりをいつ刺すかは又の機会に決めるとして、直近の問題に話を戻しましょう」
「はい。私の監視、いえ観察ですか。その為にずっと傍にいらっしゃったこころんがご覧になった通り、私はこーりんに何一つ働きかけてはいませんよ」
おかげでこおりはずっと両手に花状態。こんな美少女二人を侍らせながら大手を振って歩いたなんてこおりの人生における唯一の美点でしょう。これでいつ神の元へ召されても未練なんて無いに決まってるわ。
「こーりんには基本的に説得・誘惑、その他諸々どのような交渉も無意味です。先のキリンさんの件のように急務で助けが必要な状況というのなら話は変わるのでしょうが、そちらにしてもこーりんが自分が動く必要があると考えなければ彼は動かないのです」
「そうね。あれのドライさは身を以って知ってるわ」
眉を顰める。氷雪の竜巻に巻き込まれかけた恨み辛みはもちろん忘れてなんていやしないわ。
「ですから、今こーりんが動かれている理由には『ブリッジ』や『レオンハルト』の思惑は一切関係がありません」
「……要するに、こおりは自分の目的を持って動いているということね」
「目的というより責任ですね」
「?」
首を傾げる。それに全くの同意ですと言わんばかりの何とも妙な表情で杏李先輩は頷いた。
「ご一緒に戦われたこころんは感じておられるとお思いですが、あの方はこれまで『こちら』とは離れた生活を送られていたはずですのに、妙に戦い慣れていらっしゃると思いませんでしたか?」
「……そうですね。動きに迷いがなかったわ。何をしてくるか分からないミスティに対し、何をしてきても対応する心構えが出来ているっていうか」
「ええ、その通りです。ミスティは常識外の生き物――頭でお分かりでも実際に目の前で常識外の現象を見せられた途端混乱に陥られる、よく伺うお話です」
「まあ、こおりの場合頭の中身が常識外だからそんな一般論通用しないかもしれないけど、場慣れしている事くらい戦場に立ったときの雰囲気だけでもよく分かるわ」
緊張も無い自然体。むしろもっと危機感持ちなさいってツッコミ待ちのレベル。
「『ブリッジ』、実は密かに戦闘訓練でも受けさせていたんじゃない?」
「勘繰りたくなられるのももっともですが、そのような事をする必要などないのですよ。彼の訓練相手は、勝手に彼の前に現れてくれるのですから」
「……野良?」
「ご名答です。流石優等生さんです」
「ただの消去法よ。でもそれが訓練相手って、いくら彼のミスティが古代種だからって」
こちらの意を察して先輩が頷く。古代種の性質を当然知っている相手だから話が早くて助かるわ。
古代種特有の性質、霧の分解。また、オーナーの意思を介さず陽炎の扉を開く能力。それらは、『こちら』の世界と『あちら』の世界を繋ぎ易くする能力ということでもあるのよね。
つまり、古代種が居る場所では陽炎の扉が自然発生する確率が高くなり、野良のミスティが実世界に現れる確率が高くなるということなのよね。
ただし、扉が自然発生する確率自体がもともと低いものだから、それが数%上昇したといっても、そうそう頻繁に野良と遭遇などという事態には直結しない。この事は、自分自身も古代種のオーナーである杏李先輩だって分かっているはず。そもそも、自分の付近で陽炎の扉が発生することと野良に遭遇することはイコールでは結びつかないわ。
でも。
「年に三体、だそうです」
「……はい?」
「こーりんが野良と戦いになられた頻度だそうですよ」
えーと、六年の間各地を転々としてたんだっけ? 単純計算で十八体……。もちろん、無所属のオーナーとしては異例の数字だ。
「……だから嫌なのよあいつ、こっちの常識なんて悉くシカトしてくるもの……」
「いらっしゃるのですねえ、規格外というものは」
今回はそこまででもないけど、毎度のように法則から逸脱してくるとか、ホント勘弁して欲しい。
……いえ、違うわね。多分、周防君だって法則の範疇内に居る。おそらく、あたしたちの知っている法則の方が間違っているか、足りないか。……その通りだったところで、組織より一個人の方が情報面で勝利しているとかいう頭の痛くなる事実が待っているわけだけど。
「んん? ちょっと待って、おかしいわよ。いえ、そんな数と遭遇してる時点でもう十分おかしいけど、それ全部と戦ったっていうのはもっとおかしいわ。何より周防君の性格と合わない。そんな面倒事なんて真っ先に避ける性格で……いえ、でも、まさか責任って」
「はい。おそらくこころんのお考えの通りです」
「……自分が居るから野良が現れた、だからその始末は自分でつける」
……自分で言ってて頭を抱えた。
「キョウさんもこの異様な撃破数をそのように結論付けておられました」
「全部が全部古代種の影響というわけじゃないでしょうに。可能性さえあればとりあえず潰してるのね、あのバカ」
「変なところで責任感が強い方ですので。キョウさん曰く、決めたことをやっているだけだろう、との事でしたが」
「面倒事を避けたがる割には自分から首突っ込むタイプよね、あれって」
本当、呆れたヤツよね。冷血人間かと思えばお人好しとか、肝心なところで損をするタイプなのよね。と考えていると勝手に口元がニヤニヤと笑みを浮かべてしまう。杏李先輩も同様に微苦笑を浮かべていた。
「難儀な気質ですよね。こーりんにとってはメリットがあまりにも……いいえ、全く存在しないと言ってしまってよいでしょうに」
「貴女がそれを言いますか?」
この人が派手で大掛かりなイベントを企画する裏で多くの面倒な仕事を引き受けていたというのは霧学生のほとんどが知ってる事実だ。
「私、元生徒会長さんですから」
にこり
出たわね、伝家の宝刀の台詞と笑顔。この笑顔で頼まれれば命すら賭けるとかいう信奉者が数多存在するとかしないとか。
「……ですが、こーりんはそうではないはずです」
と笑顔から一転、真面目な表情へと切り替わる。
「私は生徒会長さんという役割を背負っておりましたし、その範囲より逸脱なされた責務を遂行したとは思えません。ですがこーりんは、少々自責の範囲が広すぎはされないでしょうか」
「野良の件は周防君が責任を感じるようなことではないってことですか?」
「はい。私自身が古代種のオーナーですので、もしかしたら責任逃れのように聞こえてしまうかもしれませんが、この性質は体質と言い換えてもよろしく、本人ですらどうしようもないものなのです。ですから、その全てに責任を負うという姿勢は、少々行き過ぎの嫌いがあるかと思うのですが」
へえ、珍しい。この先輩が他人の姿勢をやんわり受け止めるでなく真っ向非難するなんて。
「愚考しますに、少々万能感に酔っていらっしゃるのではないでしょうか。こーりんにとってレリーフさんは唯一の家族――大切な存在なのでしょう? その大事な方を強制的に巻き込む判断を選び取られるなど、私には信じられない行為です。大事なものを危険に巻き込んでまで果たさなければならない責任など捨ててしまえば良いのです」
棘のある言葉の数々に眉を顰める。あれ、先輩ってこういうタイプだったかしら。意地の悪い言い方はよくするけどこんな攻撃的な言葉はちょっと覚えが無いし印象からも遠い。……まあ、今までそれほど付き合いがあるワケでもないんだけど。
「でも、こうしてその甘さを利用してる貴女が文句をつけることじゃないと思うんですけど」
「それは……そうなのですが……」
真っ当過ぎる反論に唇を尖らせる先輩。この人、基本的な身体のピースは大人っぽいのに、こういう子供っぽい仕草とかも似合うとか卑怯よね。
「それより気になることが。今回は周防君の影響じゃないことは明らかでしょう? 流石に自分と無関係とはっきりしてる件にまで首を突っ込むとは思えないんですけど」
「ええ。ですから私が傍に侍らせていただいたのです」
「……そういうことね」
つまり、先輩の役割はこの地に現れたミスティに関する一切の情報を周防君へ届かないようシャットアウトすることだったのだ。周防君がこの地へやって来てからミスティが現れたように見せかけるために。
「あとは周防君の前にミスティが現れれば勝手に追ってくれる、と」
「聞き込みなどをなされるタイプでいらっしゃらないことは確認済みだそうですので」
「だからって、ちょっと簡単に引っ掛かり過ぎじゃないかしら、あの間抜け」
「こーりんは基本的に無警戒ですから。私、本当に軽く話題から遠ざけただけなのですよ? 念入りに絡め取る必要もなく事がお進みになってしまいました。……今思いましたけど、こーりんはどうやって追跡なされていらっしゃるのでしょうか?」
「さあ、まだ隠し玉でもあるんでしょう」
例の『異質』の応用かしら。やっぱりこおりが複数の『異質持ち』っていうのは杏李先輩にも秘密みたいね。
「そうなのでしょうね。キョウさんもご存じのことはすべて教えて頂ければこちらが楽になるので大変素晴らしいのですけど」
「遠見先輩はあくまで外部協力者、でしたっけ」
「ええ。彼に情報の公開を強制する権利は私には与えられておりません。今のメインは別のお仕事なので、仕方ないと言えば仕方ないのですけれどね」
それでも元生徒会長、つまり学内のオーナーに対する元現場監督という立場はそれなりに強いもののはずなんだけど。まあ、確かに『最高のオーナー』というトップシークレットの情報を聞き出す権限としては役者不足に違いないわね。
「さて、本来ならこの後こーりんを追跡して見届けるまでが今回の私のお仕事なのですが、『上司』からの指示がありまして。こーりんの監視を解いて別のお仕事に就かなければならないのです」
あら意外。私服に着替えたのはてっきりこおりを追いかけるためだと思ってたのに。
「……それを何故あたしに?」
「いえ。ここまでこちらの経過をお話しした情報料を頂けたらと思いまして」
にこり、と笑顔でお代を請求してきた。……聞いてから条件を付け足すとか、ほとんど詐欺師の手口よね。踏み倒すのも今後の関係を考えると上手い手とは言えないし。
「ご安心ください。無理にそちらのお仕事を増やそうという訳ではありませんので」
「……何をさせたいのか、まずは聞かせてもらうわ」
「ありがとうございます。こころんがこーりんを追い掛けて見聞きしたものを後で教えて下さい」
「承諾してないのに礼とか小狡い真似ね」
成程、周防君の観察は元々あたしの仕事だし、報告が一手間増える程度ね。とはいっても情報の横流しには違いないし……
「こころんならば引き受けてくださると信じておりますから。更に白状してしまいますと、この取引は『組織』からの命令ではなく独断です。上へ報告する気も現時点ではありません」
現時点では、ねえ。
「独自の情報収集ですよ。先程もお話ししました通り、私が戴ける情報には限りがありますので。少々気持ち悪いではないですか、隠されたままにしておくのは」
「そういう気分もわからないではないわ」
ギヴアンドテイクとしては十分な条件かしら。でも相手がねえ。ここまでの経緯を聞かされたことで余計に慎重にならざるを得ない。
「ご心配戴かなくてももう悪巧みはございませんよ。私の、いえ『ブリッジ』のシナリオはここまでなのです、こころん。ここから先、こーりんがどの様に動かれるのか、本当に見当も付かないのですよ。ですから必要なのです、あの方を見届ける人間が」
「……そもそも、何故今回周防君を駆り出したんですか?」
「偶然が重なっただけなのです。もしこの旅行自体が『ブリッジ』の計画の内とお考えならば大間違いなのですよ」
「それって、先輩たちの旅行先にたまたまミスティが現れたから周防君を連れて来たってことですか?」
「はい。こーりんの能力を計る機会があれば積極的に活用するべきだそうですよ」
それはまた、なんてやっつけ仕事……。先輩の口調も投げ遣りになってきてるし。
「ていうか、本末転倒じゃないの、それ。『ブリッジ』にとってはここからが本番でしょう? なんで途中退場しちゃうのよ、有り得ない」
「……わかりません。こーりんをただ危険に晒すだけならば作戦中止を命じてくださる方がマシでしょうに。あの人のお考えになられることは私には理解できません」
「……苦労してるみたいですね」
この笑顔のまま腹の中で舌を出してそうな女狐でも新米には違いないってことね。そうと頭でわかってても意外感を禁じえないのは、『学園』というコミュがあたしの中で高い比率を占めているってことかしら。我ながら意外ね。
「さて、そろそろ正式にお返事頂けませんでしょうか。こーりんを追うのにもそろそろリミットでしょう」
あたしから捕まえておいてなんだけど、確かにこうしている時間は惜しい。……これ以上逡巡しても結論は変わらないでしょうね。
「りょーかい、了解です先輩。引き受けるわよその仕事」
「ご足労おかけします」
笑顔でぺこりと一礼。やれやれ、どれだけの男が騙されたのかしら、コレで。
しかし、その笑顔が不意に曇る。
「それで、現場判断に関しましては私が指図出来る領分ではないでしょうが……その……一つだけ…………お頼みしたいこと、が……」
どんどん歯切れが悪く、声もぼそぼそと小さくなっていく。余程言い辛いことらしいけど、
「先輩、あまり時間に余裕が無いので。用がないなら、あたしはもう行かせていただきたいのですが」
あえて突き放す言い方をすることで続きを促す。
「こころん……はい」
一度目を瞑り、唇を噛み結んで顔を上げた。
「万一、こーりんが命の危機を迎えましたなら――他の何を捨てても彼を救うことを優先して下さい。たとえ――貴女自身の命と引き替えでも」
「……確約はしないわ」
というより二言返事で了承できる方が異常な内容。『ブリッジ』じゃないあたしが断っても当たり前。それでも――そこまでの要求をする程、こおりは『何か』に必要とされているってこと。だから、とりあえず却下だけはしなかった。
それと……ま、それだけの非情な要求、決断を苦しくても下したということを評価して。まあ、だからってあたしに従う義務はないんだけど? 頭の片隅に残すくらいはしといてあげるわ。
……さて。
杏李先輩とは旅館の中で別れあたし一人外に出る。確かミスティは小山の方へ消えたはず。周防君もそちらへ向かったようだし、ひとまず追う。
タッタッと、しばらくの間は小走りで。等間隔に立つ街灯の光に照らされることを避け、月明かりだけをその身に受けて夜を駆ける。
しかしそのうち速度を緩め、あえて街灯の下、光の円の中で足を止めた。
流石に限界。
「……いつまでそうしてるのかしら?」
これ以上放っておくと、勘違いして付け上がりかねない。
フードを取り払う。髪を梳き流して、くるっと振り向く。
「桜井さん」
こおりちゃんみたいな鈍い人じゃなさそうだし、やっぱり気付かれてたか。まあ、走ればどうしても足音を合わせるのは困難になるけど。
闇の中から街灯の下へ身を現わす。闇を挟んで二つの円、舞台上の演者みたいにボクたちは対面した。
真っ先に動いたのは明野さんだった。といっても呆れた表情で鼻で笑われただけ。ムッとする間もなくその意味は明らかになった。
「あれで隠れてるつもりだったのかしら。先輩がまるで気付かないのが不思議なくらいだったわよ」
「げっ」
りょ、旅館の中からもうバレてましたか、そうですか。
「……話聞いてたなら時間無いのは分かってるでしょうから単刀直入にいくわよ」
「待った!」
「……何よ」
初っ端から水をさされて憮然とした表情の明野さん。けどここで突っ込まなきゃ、多分これ以降のシリアス展開で突っ込むスキはきっと無い。
「そのカッコ……ナニ?」
「おかしなことを聞くのね。知ってるでしょう、あたしの正装よ」
うん、まあ知ってる。そーゆーお家の人だってことは。でも。
普通、旅行先にまで修道服持ってくる!?
「そのカッコ、誰かに見られたらどうすんの?」
「どうするも何もないでしょう。コスプレなんかじゃなく本物なのよ、あたしは。言い訳とかする方がおかしいのよ」
そ、そういうもんかな? 暗闇に身を潜めて町外れへ駆け抜けるシスターさんっていう絵柄に違和感感じまくるのはボクだけかな?
「もう……馬鹿なことで時間取らせないで欲しいわ」
溜め息を吐いて小さな身体がすたすたと近づいてくる。もちろん舞台のセットじゃないんだから光の円は動かない。でも彼女の銀髪を照らす光は、人工的な街灯より、生命に溢れた太陽より、神秘的な月の光が似合っている。
そしてボクの数歩前で止まり、
「帰りなさい」
「やだ」
簡潔な言葉の応酬とともに睨み合った。身長差でボクの方が見下ろす形だけど、そんなのは慣れっこなんだろう。明野さんの眼光はまったく怯まない。
「ここから先一般人は立ち入り禁止よ。お引取り願うわ」
「ボクもオーナーですー。無関係じゃありませんー」
上から目線の警告(要するに命令)に子供っぽい口調で返す。明野さんの眉が一瞬ピクンと跳ねた。
「オーナーかどうかなんて関係無いわ。これはお仕事の話なの。邪魔しないでくれるかしら」
「だったらこおりちゃんだって無関係じゃない。巻き込まないでよ、一般人を」
「あれを一般人の括りに入れたら一般人に失礼よ」
それはちょっと同意だけど。
「無関係には違いないでしょ」
「当の本人が無関係だと思ってないわ」
「じゃあ無関係だって教えればいいでしょうが!」
話は聞かせてもらったあっ! お前らの悪事は全部まるっとお見通しだぁい!!
「……あたしはそれでもいいけど」
「あれっ、そうなの?」
なんか肩透かし。
「あたしの本来の使命は観察だもの、不要な扇動なんてしないわよ。……それでも、周防君が手を引くかは半々だと思うけど」
「なっ、何で」
「……一度決めたら退かないでしょう、アレは」
「……そこまで融通が効かないヤツじゃない……」
と思いたい。
「~~ッ、ああもう、じゃあなおさら行くよ、ボクは! こおりちゃんが退かないならボクも退いてやるもんかっ!」
「強情ね。時間も無いって言ってるのに……しょうがないわね」
溜め息とともに肩の力が抜ける。おお? 思ったよりあっさり――
「実力行使よ。自分が足手纏いだってわからせてあげるわ」
「――なわけないかっ!」
上等! そして油断大敵!
拳を握る。この間合いならミスティを喚ぶ前に終わりだ!
速度重視の中段突き。それでもボクなら威力は十分。ただし今は寸止めに留めて――
カチャッ
腕が伸びる前に、勝負は決まった。
ボクの胸に突き付けられたのは、明野さんの小さな手に収まった、
「拳、銃……」
「デリンジャー。装弾数たった二発の小型拳銃よ。ま、この状況なら一発で十分だけど」
トン、と銃口で胸を突かれる。
「さようなら、ね。本当なら」
それはある意味ミスティより現実感がなかった。だってそうでしょ? まさかクラスメートに銃口を向けられるなんて、
「平和ボケ。日本人共通の病気よね」
「……自分だって日本人じゃん」
「拳銃を見てどう思った? 袖から突然銃が飛び出すなんて映画みたい――そんなとこじゃないかしら」
「…………」
思わなかった、わけじゃない。
「こおりを見て勘違いしてるんでしょうけど、あんな余裕が許されるのはあいつだけよ。あたしが今引鉄を引けば貴女は死ぬ。それが、貴女が向かおうとしてる場所の本質」
勘違いしてるつもりはなかった。ミスティの技は人を殺せる力があるし、事実死にかけた。けどなんていうか……
インパクトは強い。でも、そう、ファンタジーだ。どこか現実から乖離して、即座に死のイメージと結びつかない。
それにこおりちゃんも言ってた事だ、ミスティは戦うための存在じゃあない。その言葉でどこか安心していたのかもしれない。
でも。
目の前の銃は、純然たる殺意の象徴。ファンタジーに比べあまりに判り易い暴力のイメージが訴える。
――勘違いするな。
お前がこれから向かう場所で、ミスティは銃と同じだ――
「力不足は別にいい。良くはないけど、まだ構わない。でも桜井さん、あなたは覚悟をしていない」
「覚悟?」
「殺す覚悟と殺される覚悟よ」
明野さんの眼が一層鋭くなる。
「一番困るのがね、いざって時に味方にパニクられる事なのよ。おかげで機を逃したり戦況そのものが大きく変わったり。酷ければ一度のミスでチーム全滅もあり得るわ。そんな人間、怖くて一緒にいるのもゴメンよ」
「……だから、人を殺すのを受け入れろ、って?」
「そうよ」
わずかな逡巡も無く、クラスメートは頷いた。
「こおりみたいになれ、なんて言わない。割り切れなくていい。本当に正しい選択をしたのか、悩み続ければいい。でも、いざという時の気構えだけはしなくちゃいけない。そうすれば少なくとも――後悔することだけは避けられる」
ちきり。鉄塊の筒の先、その温度が一、二度下がったような印象を受ける。
撃てる。
この人は、いざという時が来れば、その引鉄を引ける。
人を殺せるなんて声高に自慢するようなことじゃあない。むしろ社会で生きていくには害悪でしかない、排斥すべき能力だ。
でも、そんな主張、いや常識を語る意味は無い。倫理を説いて、不戦を訴えて。そんなことで終わった戦争がどこにある?
最低でも敵戦力の無力化が最低条件。では、この場合の戦力とは、
「ミ……、~~ッ!」
唇をおもいっきり噛む。血の味が戒めだ。
今、とても恥知らずなことを口にするところだった。
「……ミスティだけを始末して戦闘能力を奪う。殺人に忌避感を持つ人は、この考えに行き着いたりもするわ」
「それは、ダメだ」
言いかけた言葉に気付いてないフリをしてくれたことに感謝。
この思考はミスティをひとつの生き物とみなしていない。それじゃ前のボクとおんなじじゃないか。
「そうね、ダメダメよね。知識不足を露呈してるわ」
しかし、明野さんはそんな観念論とは別の視点からダメ出ししてきたらしい。
「どういう意味?」
「……会長ズなら知らないワケないでしょうに。わざと教えてないならそれはそれで酷いハナシね」
な、なんかわかんないけど明野さんの機嫌が目に見えて悪くなっておられますよ? 銃が、銃がお腹にゴリゴリって!
「あたし、ゆとり教育反対派なの。だから甘やかさずちゃんと教えてあげるわ。ミスティの死はね――オーナーの死でもあるの」
「――え」
「逆もまた然り。同時に死ぬってわけじゃないけど、ミスティを失ったオーナーは近いうちに必ず原因不明の死を遂げているの。心臓発作とか、自殺に近い事故死とか、ね」
肩を竦める。わざと軽い調子で喋っているような口調だった。
「自滅因子、あるいは比翼連理と呼ばれているシステムよ。絆が深い程早く道連れの運命は訪れる。一般的なオーナーで二、三ヶ月らしいけど、こおりなんかは即死でしょうね」
……あ。
と気付いて、今さら怖気が走った。あの時、こおりちゃんはプニャモを殺すこと自体に躊躇いは無かったはずだ。もし意識の天秤がちょっとでもプニャモを殺す方に傾いてたら、今頃ボクもこの世にいなかったのかも――
「まだ大丈夫じゃない? 貴女、随分とミスティを毛嫌いしてたんでしょう?」
「だから、心を読まれるのはこおりちゃんの専売特許でいいんだって!」
「それはそれでひどく……もないか、こおりだもの」
うおう、随分雑な扱いだよこおりちゃん。でも仕方ないよね、こおりちゃんだもん。
「…………」
『どうしたの、砂噛んじゃったみたいな顔して』
「……今、二人の人間に同時に、すっごい諦めきった目で見られたんだけど」
『しょうがないんじゃない、こおりだもん』
レリーフお前もか。
「つまり、オーナーのいるミスティの殺害とは間接的な殺人ということよ。いえ、その事を知っていれば間接的とすら呼べない、確信犯ね」
ふう、と銀の髪を払う。
「そして、ついこの前。そういう意味で」
わざわざ前置き、さらに十字を切る。
「あたしは、人を殺したわ」
重い。とても重苦しい言葉。当然だ。ただのプロフィールみたいに平然と言える方がどうかしてる。
ミスティを殺して、結果、人を殺した。あるいは、これから殺す。
今なら言霊ってヤツを信じられる。地球の重力は確実に強くなったはずだ。
けど――悔恨の響きは感じられなかった。
罪を被っても堂々と立つ、凛々しくも強い修道女・明野心がここに在る。
「――で、脇道に逸れるのはここまででいいかしら」
銃口が上がる。胴体から頭、目線の高さへ。
殺意の象徴と、はっきり向き合わされる。
と、と銃身がくるりと回って、代わりに銃把が突きつけられる。
「取りなさい」
凛とした声に従って手を伸ばし、
「その時点で、貴女に「殺す意志」があると見做すわ」
止まった。
「取れないなら帰りなさい。ここが境界線よ。一般人のまま引き返すか、踏み越えて手を血に染めるか」
その選択に、ボクは――
「選びなさい、桜井輝燐」