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霧幻冬のヘキサグラム  作者: 宇野壱文
第3章 Scythe × Sword
35/61

第八話 水面進行――温泉といえば

「初めてじゃ、ない?」

「いえ、ウチの旅館が被害にあったのは初めてなんですけどね」

 そう前置きしてから仲居さんは話を続けた。

「ここ一月ほどここら一帯の温泉街でね、ちょっと奇妙な事が立て続けに起こっているものですから。街外れの街路樹が根元からばっさり切られてたり」

「男湯と女湯の壁が崩れ落ちたみたいに、ですね」

「蒸し返さない、明野」

「いえ、お客様には本当に御迷惑をお掛けして」

「その件はもういいです、何度も謝って頂いた上、お詫びの品まで貰いましたから」

 更に話を聞いてみれば他にも、地面から魚の生首が現れたとか、夜道を歩いてると枯れ木に追いかけられたとか、そんな怪談風味の体験をした人がたくさん現れたらしい。

「そういえば藤田さんもそんなこと言ってたわね。この旅館にも生首が出たって聞きましたけど」

 っていうか「魚の」生首って何よ、想像するだにシュールなんだけど。

「ああ、ご存知だったのですか」

 残念そうな声色で、けど素直に肯定の返事。隠すだけ無駄と判断したってところかしら。

「当館も初めのうちは興味本位でお客様がたくさん訪れるようになったのですが、実際に目撃されるお客様が増えるにつれて、今ではすっかり客足が遠のいてしまって。やっぱり山神様のバチが当たったのでしょうか」

「山神様、というと?」

「ええと……ここから北の方に行くと小山の上にお社があるのですが……あ、ここの小山へ続く山道は秋になると一面紅葉で真っ赤に――」

「いえ、それは今はいいですから」

「……そうですか? ええと、そのお社の戸が、少し前に心無い観光客の方に壊されるという事件がありまして。おかしなことが起こり始めたのもちょうどその頃からで……」

「ふむ……」

 真剣に聞いている獅子堂先輩には悪いけど、偶然の一致でしょうね。

「その現象の正体がなんにしても……予想はしていたけど、つまり周防の故意ではないということね。だったらあそこまでやることはなかったかも」

「あら、獅子堂先輩ともあろう方が甘い判断ですね。あたしはまだ周防君を疑ってますよ」

「ボクも」

「心に同じ」

「信用ないですね、こーりん」

「いえ、生身ではあの切断面は出せないわよ。鋭利な刃物なんてどこにもなかったもの」

「「「…………」」」

「……皆して、何なのその複雑な表情」

「いえ、むしろこーりんの容疑が深まりました、と意見の一致を見ていましたところで」

「? ? ?」

 獅子堂先輩一人が訳のわからないと言いたげな表情を浮かべるけど、まあ仕方ないわね。この場にいる彼女以外のメンバーは全員レリーフを知ってるもの。

 あの後、周防君と乾君をしばいてから宿の人に露天風呂の惨状を説明した。厄介なことになるのを覚悟していたつもりだけど、思いの外すんなり話が通って助かったわ。

 ちなみに、刺激が強かったのか目を回して倒れてしまった鈴木先輩は布団の中。藤田さんとサフィエルはいつの間にかいなくなっていた。

 ……サフィエル、ね。

「ねえ獅子堂先輩、あなたのメイド、どこに行ったのかしら」

「なに、突然。サフィエルに用でもあるの?」

「いいえ。昨日の今日で、しかもこんな所で会ったものだから、ちょっと気になっただけです」

「そうね。私だって驚いたもの」

「ボクはもっとビックリしましたよ。よりにもよって一番見たくない顔にこんなところで出くわすとか、あり得ないって……」

 桜井さんの眉間に皺が寄る。またダウナー寄りになってるわね、この娘。

「まあ、あの娘は私たちと違って観光に来たわけじゃないから忙しいんでしょう。だからといって説明もなしにいなくなるのはいただけないと思うけど」

 観光じゃない割には温泉入ってたのはどうしてよ、って突っ込みたくはあるけど。

「……仕事がある、って昨日言っていましたっけ」

「よく覚えてたわね。ええ、あの娘、父様からちょくちょく何か頼まれてはあちこちに出向いてるらしいから。……本当、何をやらせてるんだ」

 苦い顔をする先輩。まあ、あたしたちより年下の女の子を便利屋よろしく使ってるカタチなわけだものね、それが自分を慕う娘ともなればいい気分はしないでしょう。

 しかし、仕事……ね。

 杏李先輩をちらりと見る。目を逸らすでもなく澄まし顔なのだから本当、喰えない。

 けどこれで大体読めてきたわね。仕事の内容、周防君を連れてきた意味。細かいところは分からないけどそれは全部この土地に起きてる事件と繋がってるワケか。

 ……さて、あたしはどう動くべきかしら?


「さて、俺はいつまでこうしてればいいんだろう……?」

 『私はヘンタイです』と書かれた紙を貼り付けられて乾と並べて正座させられているこの姿を、あいつらはいつまで放置しておく気だろう……。



「あー……ンッ」

 むぐむぐ。うまうま。

「悪くナイ。ヤはり温泉地に来タら饅頭だナ」

 と言いつつ今度は栗羊羹を切り分けて口に入れる。こちらも美味い。餡子の甘さは、どうしようもないほどクセになる。

「オネーサマにも和菓子ノ繊細な甘サをぜひ理解しテ頂きタイのですガ……」

 辛党と甘党。オネーサマがサフィにとってどれほど偉大な主であろうと、悲しいことにこの点だけは追従すること叶わぬ道なのです。オネーサマが生クリームを一口舐めただけでしかめっ面をしてしまうように、サフィの舌には子供用の甘口カレーしか合わないのだ。

 だから、オネーサマがコノ茶屋にやって来る可能性は高くナイのだが……他のヤツらの保護者として一緒に入ってくるとゆう状況は十分に考えられる。用件は早めに済ませるべきだ。

「ムグムグ。すまなイ、串団子追加ダ」

 ……とゆう思考とは裏腹に追加注文。はーい、と店員が返事とともに奥へ引っ込む。クッ、恐ろしきかな、甘味の魔力とゆうヤツは。

「……食い過ぎじゃん。遊びに来たワケじゃないんじゃん?」

 それと入れ替わるタイミングで、真横から男の呟き声。ようやく来たか。

「サフィ流のカロリー補給だヨ、文句ヲ言われル筋合いはナイネ」

 もちろん経費で落とさせてもらうから、サフィの懐は痛まナイ。

「あんたの請求書にやたら食費が多いワケはこれじゃん。経理のヤツが愚痴ってたんじゃん」

「ミスティの陰ニ引っ込ムだけノオーナーと違ってサフィはよく動クカラ。一流ノアスリートに比べれバ可愛イものだヨ」

 『異質性』の発揮自体にエネルギーは必要ナイが、サフィの『異質性』は結果的に運動量が増えるものだからな。

「でもじゃん、動く前からそんだけ食ってたら、逆に動けなくなりそうじゃんじゃん?」

「そんなヘマはしナイ。サフィは成長期だからナ、もっト食べたほうガイイくらいダ」

「……それで、ワザワザ呼び出して報告ってなんじゃん? 調査はこっちに押し付けたクセにじゃん」

「細かイ仕事ハサフィに向いてナイ。サフィは裏方ヨリ現場向きダ」

 ゆえに、現段階で仮にサフィが遊んでようが、サボりでは決してナイ。心地よく温泉に浸っていても、和菓子を味わってても、なんら文句をつけられる理由なんてナイ。

「……絶対そのメイド服は飾りじゃん」

 失礼なヤツだ。サフィは紛れもなくオネーサマの小間使いだというのに。

 串団子が一皿運ばれてくる。餡子の乗った団子をひとつ口に入れ、モグモグと噛みながらやっと本題を切り出した。

「先程マデ生首が出タとユう旅館のひとつにイたガ、ちょうドそのときに出タゾ」

「……は?」

「例ノ、『怪現象』とユうヤツダ」

 ヒュウ、と口笛。賞賛の意か。

「強運じゃん。もしかして、もう仕事終わらせて後は余暇じゃん?」

「イヤ、取リ逃がしタ……とユうか、動いテもいナイ」

「……説明、してくれるじゃん?」

 うってかわって声色が不審を帯びる。絶好のチャンスをわざと見逃したと言ってるようなものだから仕方ナイ。

「単純なハナシだ。マズ、サフィ自身は『ソイツ』ヲ捕捉していナイ。随分スバしっコいヤツのようダ。『霧』デ閉じ込めルことも考えタガ、失敗したラしばらくサフィは動けなクなるカラナ。ソレに、サフィが追えル状態ジャなかっタからナ」

 マア、マッパでもヤるときはヤるガ。

「ふうん、思ったより慎重じゃん」

「茶化すナ。ソレに、ソレ以上にアノ場に『ブリッジ』のメンバーがイた事が問題ダ」

「げ。向こうも首突っ込んでんじゃん。仕事の前にソッチ潰しときゃよかったんじゃん?」

「サフィを見境ナイ獣みたいニ扱ウナ。数的不利、ソレに一般人がソバにイれば迂闊ニ手は出せン」

「パンピーが一緒? それって、向こうはプライベートってことじゃん?」

「分からン。分からンが、関係ナイ。目の前で起きタ現象とサフィを結び付けられナイホド馬鹿ナ相手ジャあナイ」

「ふん、厄介じゃん」

 が、このくらいは許容範囲だ。対立している以上ぶつかりあう場面があるのは必然。

 アノ場での行動を断念せざるを得なかった決定打は、次の一点。

「最後ニ――コレが最モ重要ダガ――『最高のオーナー』とオネ……お嬢様がいらっしゃっタ」

「おじょ、って、えーっと、確か」

「特例事項、サフィたちの『仕事』全般に関わらせルコトの一切ヲ禁止スル、ダ」

「……あったじゃん、そんなの」

 溜め息を吐く気配。親馬鹿、過保護。跡継ぎとはならない娘を真っ当な世界で生きさせるための特例。そう考えているんだろう。

 今すぐそのオネーサマを見下す思考を矯正してやりたいところを、残り三個の団子を丸ごと串から食いちぎって、どうにか我慢する。

「それはわかったじゃん。けど、『最高のオーナー』って……実在するんじゃん?」

「フン、噂話の化ケ物とデモ思ってタカ? 正真正銘、本物だヨ。サフィたちごとキでハ及びもつかなイ怪物サ」

「……不確定要素過ぎんじゃん。帰るまで見送るんじゃん?」

「『ブリッジ』のヤツらがイなけれバ、ソレもアリだったガナ。後手に回ル気はナイ、コノまま続行ダ。今夜、遅くとモ明日中にハ片を付けるゾ」

「了解じゃん」

 その言葉を最後に、耳元から音の揺れが消え去った。PDA――Y・Iを操作して調査経過が送られてきているのを確認し、立ち上がる。引き続き調査は向こうに任せ、サフィはオネーサマが『コチラ』に触れぬよう――不本意な言い方ではあるが――監視する。フム、つまりオネーサマと、あわよくばコーリとも合法的にご一緒出来るとゆうワケだ、フフフ。

 ……しかしアレだ、携帯を耳に当てるマネくらいしておくべきだったか。傍から見たら、サフィは一人しかいない座敷で(・・・・・・・・・・)ブツブツ喋ってる(・・・・・・・・)危ないヤツみたいじゃないか。まあイイが。

「清算頼ムー」

 店の奥に呼びかけ、レジスターへ向かう。懐を探り、

「……ム?」

 あるはずのものにいつまで経っても触れないことで、サフィの顔から血の気が引いた。

「お待たせしましたー。……どうしました?」

「イ、イヤ、ナンデモ」

 アル。イヤ、ナイ。

 財布が、ナイ。

 マ、マズい。ドコで落とした? 道中取り出してもいないし、ならば……旅館、か? そういえば、風呂上がりにやけに懐が軽かったような。急いでたから気に留めなかったが、クッ、コレが急がば回れとゆうヤツか。

「……お客様?」

 マズい、相当不審がられている。どうする? 近くに同僚の男がまだいるかもしれないが、ココで助けを求めては隠れて接触した意味がナイ。かといってオネーサマに連絡されて、余計な恥をかかせてしまう事態だけは絶対に避けたい。

 ……ヨシ、食い逃げだ。ご、誤解するなよ、ちゃんと後で金は払うんだからな。いざって時の為に店内構造は把握してある。モ、モチロンはじめっから食い逃げする気で入ったんじゃナイからな、ホントだぞ。

「スマンが――」

「ほーい」

 ぴらり。駆け出す寸前、サフィの顔と店員の間に割り込んできた一枚の紙切れ。

 日本銀行券。印刷された顔はフクザワ・ユキチ。

「たりるかー?」

「あ、はい。ありがとうございます。こちらお釣りで――」

 流石は客商売、ワケの分からない出現をした見た目第三者としか思えない女にも笑顔で対応。対して未だ状況が掴めていないサフィに、にへらと笑った女が振り向く。

 その動きにつられて、頭頂部、ひと纏まりピンッと飛び出した毛がプラーンプラーンと揺れた。


「借りが出来たナ。エーと……」

 サフィの代わりに金を払った女と一緒に茶店を出る。確か、オネーサマと一緒に来た一般人のひとり、のハズ。

「伊緒だ、藤田伊緒!」

 何がそんなに面白いのか、さっきからズッと締まりのナイ笑顔を浮かべたまま、両手をバンザイして勢いよく返事した。

 ……まあいい。多少アタマが緩くとも、恩人には違いナイ。

「イオ、カ。金をスグに返しタイところダガ、おそらク財布は脱衣所に忘れテしまっタみたいでナ。今かラ取りニ行くガ、一緒に戻っテ構わナイカ?」

「あはは、きにすんなサメちん!」

「サ、サメちん?」

 サフィ、のこと、だよな? いつからサフィは魚介類になった?

「おー、サフィ・オブ・メイド、略してサメちんだ!」

 ……一瞬、恩人であることも何もかも無視してフォークを取り出したくなった。

「サ、サフィで十分だろウ、ニックネームなラ」

「いかーん! サメちんはメイドだろ! これなら、メイド服をきてなくたっていちもくりょーぜんだ!」

「分かるカ! 「メ」以外にメイドっぽサの欠片モナイわ、コノ触覚!」

 ……頭痛がする。イカン、変なヤツに捕まった。

「スマン、礼ハ後で必ずスル。だからココで――」

 お別れだ、と言おうとして、

「きにすんなって。だって、あれサメちんのおかねだしなー」

 ……なんだと?

「ほーい、ぷれぜんとふぉーゆー」

 そう言ってイオが両手で差し出してきたのは、唐草模様のがま口――明らかにサフィの財布だった。

「……オマエ、マサカ届けニ追ってきタのカ?」

 受け取りつつ尋ねる。するとイオの能天気な笑顔が、さらに明るくなった。

「おー!」

 ……ズッと思ってたことではアルが、馬鹿なのかコイツ。偶然会えたからよかったものの、入れ違いになる可能性のほうが高いだろう、どう考えても。ソレに、

「コレが、サフィの財布ジャなかったラ、ドウするんダ?」

「お?」

 この反応、どうやら財布の奥に縫い付けてある名前の刺繍は見ていないらしい。であれば、

「コレがサフィの財布だとユう証拠ハ、サフィの証言しかナイ。サフィが嘘を吐イてネコババしようトしていルかモしれないゾ?」

「けど、サメちんのなんだろ?」

 ――間髪入れずに返されるとは思わなかった。

「……イヤ、万一サフィの財布デなかっタらドウするのカと」

「でも、サメちんのなんだろ?」

「……イヤ、ソレはソウだガ……」

「ならもんだいねーじゃねーか。むずかしーことゆーなよ、伊緒バカなんだからさー」

 あっはっはー、と馬鹿みたいに笑う。イヤ、馬鹿だ。紛れもない大馬鹿だ。

 当たり前のことを当たり前と言える、実に人間らしい(・・・・・)大馬鹿者だ。

「……ック、クハッ」

「お?」

「ハッハッハッハッハッハ!!」

 笑った。人目も憚らず、実に久しぶりに、馬鹿みたいに笑いたい気分だったのだ。

「あっはっはっはっはー!」

 イオも一緒に笑った。多分、理由なんて何もナク。


 コーリ、気付いてますか?

 きっと、アナタの理想形に最も近い『人間』がココにいるぞ?


「ククッ……気ガ変わっタ、今スグ礼ヲしてヤる。何をシてほしイ、『人間』」

「おお、えっらそーだなー」

 んーと、と考えたかと思うと、

「わかんね! あるきながらかんがえるぞ!」

 ……本当なら、今すぐオネーサマの元へ馳せ参じなければならない。他の些事に(かかずら)っている場合ではナイ。しかし。

「ならバ付いテ来い。目ぼしイ甘味処はチェック済みダ」

「おー、きがきくな!」

 久方ぶりの『トモダチ』を無碍に追い払うのは、些事で片付けていいコトじゃあナイよね、コーリ。



 ハァーッ、ハァーッ、ハァーッ

「……やるじゃねーか、明野」

 軽く息を切らせて、その手に収まった武器の握りを確かめるこおり。

「甘く見たわね、こおり。降参するなら今のうちよ?」

 余裕の体を見せながら、髪を払いつつ額に浮かんだ汗を指先で拭う。安心は出来ない、油断すればすぐにでもひっくり返される程度の差よ。こんな時こそ気を引き締めなさい、心。

「さあ――今すぐとどめを刺してあげるわ」

「上等だ」

 じり、と両者再び構えを取る。緊迫の度合いが一気に跳ね上がる。

「――しゃっ!」

 先に動いたのはあたし。武器を振り下ろし、放つ力でこおりを制圧に掛かる。

「フッ!」

 しかしそれが簡単に叶うはずもない。返す刀で周防君の反撃を浴びる。

「たっ!」

「はっ!」

 武器と武器の応酬。両者の間を行き交う力。いつまでも続くかに見える攻防。だが、それにも終わりのときが見え始める。

「――そこォッ!!」

 一瞬の隙。空いた弱所を、あたしの力がついに貫いた。

 …………。

「試合終了です。11対8でこころんの勝利です~」

 パチパチパチ、と杏李先輩の控えめな拍手が卓球場に鳴り響いた。

「あー、負けたか」

 自分のラケットでトントンと肩を叩く周防君。なんとなく本気で悔しそうな辺り、貴重で小気味好い……って、

「なんであたしら、卓球なんてしてんのよ」

 いえ、ここまで白熱しておいて言うのもなんでしょうけど。

「お前こそ何言ってんだ。温泉といったら卓球だろう」

「……その短絡思考までは百歩譲って認めるとして、なんであたしたちが通りかかるまで一人で壁打ちなんてやってたのかしら」

「それはお前、俺一人しかいなかったから」

「だ・か・ら! なんで一人しかいないのに卓球しようって発想になるのよって言ってんのよあたしは! 素直に諦めなさいよ! せめて誰か呼びなさいよ! あたしたちがあんたハブにしてるみたいじゃない!!」

 まくし立ててぜーはーと荒い息を吐く。こんなのあたしのスタンスじゃないわ。それに対しこおりはコーンコーンとピンポン玉をリフティングしながらうーんと唸る。

「まあ、それもそうなんだが。所詮俺の事だし、他人(ひと)を呼びつける事でもないと思ってな。それに「卓球がしたい」っていうより、「温泉に来て卓球をした」っていう雰囲気? そういうものを味わえれば十分だったから」

「……壁打ちでその雰囲気が味わえたとはあたしにはどうしても思えないわね。あたし一人なら絶対にスルーしてたわよ」

 壁打ちをしていた周防君にはじめに喰い付いたのはあたしではなく、杏李先輩の方。ところが、あたしが審判についていざ試合開始、という段階になって二つの問題が発生した。

 ひとつ。この先輩が重度の運動音痴だって事。サーブで空振りするわ、真っ直ぐ飛ばないわ、まともに試合が成立しなかった。

 もうひとつ。今、あたしたちは私服でなく浴衣を着ているということ。……ねえ、あれって何かの精神攻撃なのかしら。杏李先輩が上半身を振ることにふたつの巨大な膨らみが揺れて浴衣の裾から今にもこぼれ出そうに……ッ! なんでブラしてないのよ!!

 以上の理由につき急遽あたしが代打ちをすることになったのよね。まあ、こおりへの勝ち星が一つついたことだし、それで良しとしてあげましょう。

 ……いえいえ、違うでしょう、心。目的を見失ってんじゃないわよ。

 あたしがこうして杏李先輩について回っているのは、『ブリッジ』の動向を確かめるため。さらに、周防君に何をさせようとしているのか、それを探るためよ。運動音痴にも関わらずわざわざさっきの周防君に近づいていったのは何かしらのアクションをして働きかけるため、と考えて多分間違ってないはず。

 ……けど、どうやってあの(・・)周防君に目的の行動を起こさせる気かしら。この超の付く頑固者に言うことを聞かせるなんて並大抵の苦労じゃ済まないのは分かってるはず。

 ! まさか、色仕掛け!? その為にブラまで外して!?

 ……無いわね。この精神的不能野郎に限ってそれが効くとは思えないわ。

 ……そうね。考えられる手段としては。

 自発的に行動する、あるいは、やるしかない状況に追い込む、そのくらいかしら。過去のケースでもそれが常套手段ね。もっとも、結果まで思い通りとはいかないみたいだけれど。

 『レオンハルト』の状況も気になるけれど、あたしはこちらで杏李先輩のお手並みを拝見させてもらおうかしら。

 ……それにしても。

 仲居さんからの話を聞いていたとき。上辺は普通に見えたけど。あの人にはとても似合わない表現なんだけれど。

 獅子堂先輩……なんだか、目を輝かせてなかったかしら?



 Another eye


「ばばんばばんばんばーん♪」

 プルルルル

「もしもぉし♪」

『上機嫌だな』

 非通知の番号から聞こえてきた声は、いつもより一層硬くて低い。

「それはもぉ、久しぶりの休暇ですからぁ」

『休暇を許可した覚えは無いのだが。君は何時から勝手な行動が許される立場になった』

 うわぁ、いつにも増して怒ってるなぁ。

「仕事はちゃんとしますよぉ。報告書は提出したでしょう?」

『それが勝手に持ち場を離れる理由になると思っているのか。至急戻って来い。例の場所には君の部下の新人がついているだろう』

「それなんですけどねぇ……あの娘だけでは少々役者不足だと感じたんですよ」

『……言い訳くらい聞いてやろう』

「ありがとうございます。『死神』を向かわせた例の場所で、『赤獣(アカイヌ)』の姿を発見したとの報告がありました」

『『赤獣』か。確かに処理の難しい相手ではあるが、『死神』と例の新人がいれば難しい問題でもないだろう』

「霧群学園内であれば、そうでしょう。今回、場所は我々の管轄外である温泉街であり、地形的にも起伏に富んでいます。さらに『死神』には他の仕事を据えてあり、『赤獣』にまで手が回らない可能性は十分あります」

『……つまり、『赤獣』の存在による不安要素は、『死神』や案件に対するものではない?』

「はい。『仔竜』との接触、それを最大の不安要素と認識しています」

『ならば新人を『仔竜』の護衛に専念させろ。あの新人は『赤獣』に対して優秀な戦績を収めていると聞いているぞ』

「……うーん、それなんですがねぇ……。わたし、あのサフィちゃんが負けっぱなしのまま済ませているっていうのがどうしても信じられないんですよぉ」

『そういうこともあるだろう』

「……塀内さん。いつまで『赤獣(・・)()赤獣(・・)のままで(・・・・)いるんでしょう(・・・・・・・)?」

『……どういう意味だ?』

「そのままの意味ですよ。長過ぎる(・・・・)。今回の件、このまま進めたら取り返しのつかない事になるかもしれない、そんな気がするんです」

 そのまま両者の間を支配する沈黙。数十秒後、携帯の向こうから聞こえた重苦しい溜め息が向こうが折れた合図だった。

『説教は覚悟しろ。減給と始末書もだ』

「……ぶう。サボるわけじゃないんですから大目に見て下さいよう」

『黙れ。分かっているとは思うが、『死神』に加勢する事は認めんぞ』

「はいはい、わかってますよう」

 さて、そうと決まればちょっと急ぐとしようかなぁ。

『ところで話は変わるが』

「はい?」

『また運転中ということはないだろうな』

「安心してください。今ハンドルを握りましたから」

『……………………待て』

「さあ、急ごっと。今日は何キロ出せるかなあっと」

『待て待たんかこのスピード狂』

「安心してください、事故なんて起こしませんから。浮き上がったりスピンしたりしないよう、ちゃんと車体を押さえつけますから(・・・・・・・・・)

『警察への根回しが手間だと言ってるんだ、この大馬鹿も――』

 ウ――ォオオオオンッッ!! マフラーが唸りを上げ、電話の向こうの声を掻き消した。

「さあ――お姉ちゃんが今行くよぉっ、サフィちゃん、輝燐ちゃん、こおりくん!!」


 Another eye end

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