第六話 陰鬱道中――不参加とかありえない
カタンコトン……カタンコトン……ガタン
「……ん」
少し大きな振動に体揺さぶられる感覚、それと生暖かい空気に包まれて目を覚ます。
…………昨日までと違う天井に感じた疑問は、しかし数秒も経たないうちに解消された。
ああ、そっか。まただっけ。
俺は子供の頃起こした事件以来、ずっとあちこちの家を渡り歩いている。引き取られては手に負えないと放り出されることの繰り返しだ。
今回みたいな寝てる間に長距離の電車移動なんてのも慣れたもの。再び瞼を閉じて睡魔に身を委ねようとする。ああ、でも現在地くらい把握しとかないと。仮に乗り過ごしてたら洒落にならん。お金は大事だよ~、とアヒルが歌ってるくらいだし。あれ? アヒルは歌ってなかったかな? まあ瑣末な事か。
……しかし、薄ぼんやりとした頭の靄が少しずつ晴れてくるに従って、徐々に疑問が湧き上がってくる。
この電車、どこに向かってるんだっけ?
ていうかそれ以前に、
俺、いつ電車に乗ったっけ?
「ははは、それローン」
……とても近くから聞こえてきた能天気過ぎる女の声。出来ればこのまま寝てたいなー、と思いつつも、
「ギャー! またワイに直撃かいな!」
「また逆転された……粘るわね藤田さん」
「乾、うるさいぞ。他の乗客の迷惑になると思ったら止めるわよ」
「ご心配なく、姫さん。そちらの匙加減は私の方でも気を払っていますので」
そこかしこから聞こえてくる、実に聞き覚えのある声、声、声。さて、俺の耳はいつから空耳を捉えるようになったのだろう、と現実逃避を続けながら、ゆっくり目を開いていった。
……通路を挟んで反対側、席を向かい合わせにして携帯式の小さな雀卓を囲む藤田、乾、明野、杏李先輩という声そのままの様子がそこにあった。
「あ、やっと起きた周防」
すぐそばで聞こえた温度の低い声に反応して首を巡らすと、俺の隣、窓側の席でポッキーを食べてる鳳にジッと見下ろされていた。さらにその声で周囲の人間――顔見知りばかり――の注目を浴びた。
「おー、きぶんはどーだねこーりん!」
麻雀の面子も手を止めてこちらを覗き込む。杏李先輩が卓上にサッと手を動かしたが、そんなのは俺の知ったことじゃない。
それよりも、今のこの状況。そうか、なるほど。
「夢か」
「「いやいやいやいや」」
「しかも乾がいる。悪夢か」
「なにそのピンポイント攻撃!? お前、ワイのこと嫌いか!?」
「うるさいな。お前は夢の中に野郎が出て来て喜べるのか」
「確かに!」
女ならまだ許せる。出てきて欲しい訳じゃないが、それは俺も健全ないち青少年だというだけの話だし。
「ハーレムは男の、いや漢の夢やからな!」
そこまで言ってない。
「はいはいエロスエロス。いつまでもアタマの沸いた話してないで、とっとと目を覚ましなさい。このあたしの美貌を見てまだ寝呆けてるなんて、頭だけじゃなくて目も腐ってるのかしら周防君は」
「うん、確かに現実だ。乾の変態さも明野のSっぷりも、到底俺の想像力で再現出来るもんじゃあないね」
「あんしんしろ! こーりんはへんたいでSだぜー!」
(無視)なら当然訊くことがあるワケで。
「おはよう。そして俺は何故ここに、っていうかどこにいるんだ」
「もうお忘れになられたのですか、こーりん。昨日皆さんで旅行に行くと決めたばかりではないですか」
「……俺は、一度たりとも、行くと、言った、覚えは、無い」
わざわざ一言ずつ強調して言ってやる。が、杏李先輩は案の定というか、全く気にした様子もなかった。
「はい。ですので特別ゲストとしてドッキリ参加して頂くコトに致しました。具体的にはこーりんがぐっすりお休みの間に運んで頂きました、キリンさんに」
「おいこら輝燐」
……返事が無い、無視か。俺の位置からヤツの姿は見えないが、いるのは間違いない。
「やめときや、こおりはん。輝燐はん、朝からむっちゃ機嫌悪いで」
「ひさびさにウツってるなー」
『感染』るではなく『鬱』るである、念のため。
「ほら、何か言いなさい。文句でいいから」
向かい合わせになった席の後列に座っていた獅子堂が身動ぎした。多分、隣の席にいると思われる輝燐を小突いたのだろう。
数瞬の沈黙。しかし獅子堂の言葉だからか、一言だけ。
「この、おっぱいハンター」
……空白。沈黙ではなく空白であるところがミソ。あるいはザ・ワールド時よ止まれ。
きゃー、輝燐サンまだ根に持ってらっしゃるー。せめて、状況と言葉を選んではいただけないですかー。いえ、選んだからこその容赦ないお言葉ですかー。うわぁ、女性陣の視線が痛い痛いー。
「また、なのね。この乳FOキャッチャー」
口火を切ったのは明野サン、流石の毒舌。なんですか、そのぶっ飛んだ玩具は、まるでつねに胸を捕まえようとしてるみたいじゃないか。
「申し訳ありません、こーりん。こーりんの性欲値がピークまで到達されていることにも気づかず、ついに犯罪を犯させてしまいました。このような事態に陥る前に、この胸を差し出して人身御供となる覚悟でしたのに……!」
そんなことを言いながら眦にハンカチを押し当てる杏李先輩。百パー嘘泣きで嘘っぱちですね。つーか仮に、万が一俺の性欲値が溜まってるんだとしたら、故意にその巨乳を強調してくるあんたのせいに他ならないと思うんですが。
「胸なんて、飾り。エロい人にはわからない」
ああ、うん。そうですね鳳サン。エロい人には割と高確率で大事なものだと思いますよ、胸。
「あっはっはっはーー!」
楽しそうですねー藤田サン。うん、放置。
「なんや……なんやこの格差社会は! ワイも、ワイもおっきくてやーらかいぽよんぽよんの球体に顔を埋めてみたいっちゅーねん! 代われ、今すぐワイと代わるんやこおりはん!!」
今すぐ黙れ、乾。
「――ふう」
ビクンと、跳ねた。怖がってたノリの身体が本物によって縛られる。
息をひとつ吐いた。彼女のしたことはそれだけなのに、身体が恐怖で竦み上がった。
「貴様は、本当に懲りない……」
威風堂々立ち上がる、それが誰か、言う必要があるか?
「い、いや待て、待てよ? 俺は本っ当に何もしてないぞ? そう、ちょっと役得を黙ってただけで」
「遺言はそれだけか?」
殺されるーーー! マジで殺されるーーー!! 自分の命に執着はないけど、この死に方はゴメンだーーー!!
…………。
この後俺がどうなったか……語る機会は多分、ない。
「で、結局なんで俺はこんな朝からこんな所に連れて来られてるんだ」
「あっさり話戻したわね。今さっきまでの態度どこに行ったのよ。あと、もう昼よナマケモノ」
あ、ほんとだ。流石に俺だって、自分の起きた時間こそが朝だ、なんて明野的傲慢さを発揮する気はない。
「周防君、今とっても不名誉な扱いしたわね、このあたしに向かって」
「断言かよ」
その通りだけどさ。
ちなみにナマケモノとは貧歯目ナマケモノ科の哺乳類であり、一日二十時間眠りっぱなしの動物だという意である。つまり、俺は決して家事全般一切人任せの怠け者ではないということだけ明言しておく。同居している約二名と同列視されたらたまらない。
「ん? 明野、お前も欠席組じゃなかったっけ? いや、どっちでも別に構わんのだけど」
「それはもちろん、こーりんが参加なされたからですよ」
参加? 拉致だろ、拉致。
「……石崎先輩、あたしは」
「名前で結構ですよ、こころん」
「あたしとしては、そのこころんっていうのもやめてほしいんですけど」
「名前で結構ですよ、こころん」
「いえ、ですから」
「名前で結構ですよ、こころん」
「…………」
どっかで見た、っていうかすっごく身に覚えのある遣り取りだなぁ。
「名前で」
「杏李先輩。その言い方ですと、あたしが周防君に好意を持って追いかけてきたみたいに聞こえるのですけど」
「違うのですか?」
「違うに決まってるじゃない、こんなナマケダモノ」
「何故ダが多い……」
「あら、こおりは言われなきゃわからない変態なのかしら、それともあえて詰られたい変態なのかしら、この名称負けモノ、いつの間にSからMへ変態したのかしら」
「うん、最後の変態だけ用法が違うってのは分かった」
それと、俺っていうより『最強』とか『最高』とかって名称を追いかけてきたってのも、まあ分かった。それも『教会』の仕事ではあるんだろうしな。
「で、再三聞くわけだが――」
「その前に着替えてきたらどうだい? コートの下は寝巻きのままだぞ」
トイレにでも行っていたのだろう、ハンカチで手を拭きながら座席へ戻って来たキョウが開口一番そう言った。
「……ほんとだ」
おいおい、俺はこんなカッコで公共交通に乗ってるのか。てかそれ以前にこんなカッコで駅まで運ばれたのか。それはむしろ運ぶ側のほうが恥ずかしかったんじゃ、ああ、それもあって機嫌悪いのか。
「着替えならここだ、キミの衣装箱から適当に見繕ってあげたぞ」
「他人の箪笥を漁るなと言いたいが今回は仕方な……くなんてねえよ。何が見繕ってあげただ、恩着せがましい言い方しやがって。俺を連れて来なきゃ済む話じゃねえか」
「……でも周防。拉致や誘拐紛いの手段を正当化するわけじゃないけど、私はあれだけ傍でドタバタ動いてれば、そのうち起き出してくると思ってたわよ」
「それはないな!」
何故か藤田風に断言した。
「すごく力強いご返事をありがとうございます、こーりん」
「ええ、実に正直で、こちらの神経を逆撫でしてくるわね」
「さて、着替えてくるか」
戦略的撤退。獅子堂の口調が荒れる前に。
で、化粧室。
「なんで止めなかったの」
着替えながらずっと起きてたに違いないレリに文句垂れていた。
『ぼくじゃこおり起きないでしょ』
「お前があいつら止めりゃよかったじゃん」
『いやあ、あの怖いヒトも居たし。それに』
その柔らか球根ボディを弾ませる。
『ぼく、温泉入りたいし』
「……暑がりのクセに」
まあ、俺だって嫌いじゃない。
と、コンコンとノック。
「おーい、こおりはんおるか? はよ着替えんと、駅着いてまうで」
「もうかよ、慌ただしいな」
結局電車内じゃあ詰問する時間は無さそうだ。もっとも、あいつらが素直に吐く輩かといえば断じて否なんだが。まあ、とは言っても結局ただの悪戯でたいした理由なんて無いんだろうけど。
……九割はそう思いつつも、残り一割、不安の種を捨てることが出来ないのが俺という人間の性か。相手が悪いだけとも言えるけど。
「むしろ悪い相手と言って間違ってないかも」
前後を入れ替えるだけで大違い、日本語って不思議。
「なんやゆーたか?」
「なんでも」
さて……美味いメシは食えるかな?
「へーえ、普通にいい部屋じゃないの」
電車を降りてすぐ旅館へ直行。その後三組に別れて部屋へ通された。内訳は男子、あたしたち一年生四人、上級生三人、だ。
正直、あまり期待してなかったのよね。商店街のくじ引きってハナシだから流行ってない潰れかけの旅館、なんてのも考えてたんだけどけど、なかなかどうして、いい意味で予想を裏切ってくれたわ。
十畳一間の和室、畳って初めてなのよね、あたし。広縁から見える小さな庭園は雪化粧に覆われてる。液晶テレビ、トイレも完備だし、温泉を味わってほしいとのことで浴室はついてないけれど。
「ここ、本当にタダで泊まっていいのよね?」
思わず、誰にともなく訊いてしまう。仕方ないじゃない、あたしの普段の生活、質素倹約がモットーなんだもの。
「はっはっはー、いがいにきがっちっせーなー、こころん」
「お金のことで慎重になるのは当たり前よ。真砂、貴女何か聞いてないかしら?」
水を向けられたあたしの友人は、こんなところに来てまで人数分のお茶を用意していた。これもこの娘の性ってものなのかしらね。
「ん、シーズン外れだからって。紅葉狩り」
……んー。確かに近場の山はそういうスポットみたいだけど、温泉が一番の売りって考えたら弱い気がするわね。
「ふふふー」
と思っていたら藤田さんが変な含み笑いをしていた。いえ、この娘はいつも変だけど。
「それだけじゃねーんだなあ」
少し興奮したような表情で――女の子が人前で鼻息荒くするのは止めなさい、みっともない――胸を張って――くっ、意外にあるわね――そう言った。
「知ってるならもったいつけずに言いなさいよ。何? 幽霊でも出るのかしら?」
曰く付き。幽霊旅館。口にしたことを後悔するようなありがちな話、ベタな話。
「おお、しってたのか! さすがこころん!」
……もちろん、当たりだとは全く思ってなかったわ。
「典型的。面白みに欠ける」
「ひっでーなー、まーこ」
「まーこ? …………私!?」
表情の変化に乏しい真砂がそれと分かるほど愕然とした表情を浮かべた。こころんの方がマシかしら……いえ、比較対象にすること自体が問題外ね。
それはともかく。
「くだらない噂ね。幽霊? そんなものの実在を信じてるの、貴女」
「それをたしかめるのがミス研のしめいさー!」
呆れ返った否定の言葉にも物怖じしない藤田さん。
「じめんからぬううっと生首がでてくるんだってよ! ところかまわず、あちこちで! おっかねーなー、うかつにあるけねーぜ!」
「蹴り飛ばせばいいじゃない、自分から絶好のポジションに出てきてくれるんでしょう?」
「こころんのほうがおっかねー!!」
あら、心外ね。幽霊如きと比べられるなんて。
と、客室のドアがガチャリと開く音。誰かが勝手に入ってきたのなら精々罵倒してあげようと思ったものの、その実は――オートロックが掛かることを思えば当然だけど――開かれたのは内側から、つまり桜井さんが出て行こうとしていた。
「あ……っと、先お風呂行くね」
それだけあまり笑えていない笑顔でそう言って、そのままドアは閉じた。
「本当、雰囲気違う」
「真砂はクラス違うものね」
ネガ状態。
学園全体じゃあ元気のいい、活発なイメージが大勢を占めてるけど、クラスメイトから言わせてもらうと、どんなときでも笑顔っていうのは藤田さんのイメージよね。
浮き沈みの激しい普通の女の子。それがあたしの「桜井輝燐」像だ。
……こおりについていける娘じゃあ、ない。
変に関わってくれないといいんだけど。
「しまった! キリンに一番風呂とられる!」
……で、こんなセリフが出てくるこの娘、やっぱ大物だわ。
「…………」
髪を解いて。
「…………」
セーターを脱いで。ブラウスを脱いで。
「…………」
スカートを落として。ニーソックスを脱いで。
「……………………あの」
下着を、脱いで。
「馬鹿こおり」
ようやく、その言葉が口を衝いた。
こういう重苦しい心情のとき、服は相当邪魔だ。心だけじゃなく身体まで縛り付けられてる気分になる。だからこういうとき、家の中じゃいつも下着姿だ。もちろん冬でも。暖房全開で。オトコノコの幻想ぶち壊し? 知らないよそんなの。いっそこの手でぶん殴りたい。こおりちゃんじゃないけどどうでもいい、だ。
あー、こおりちゃん、こおりちゃんね。あの野郎。出来るならあと二、三発は殴りたい。殴り倒したい。
でもそんなの無意味。むしろ、こっちの苛立ちと情け無さが倍増しで返ってくるだけだと分かってる。
だから電車の中じゃあえてエロ天誅に限定したけど、本当は――本当に胸にしこりを作っているのは、その後の出来事なのだ。
「謝らんぞ」
この手のエロハプニングでは原因の如何に関わらず男が謝るべし、という不文律はこの男に通用しないらしい。
「ほほーう、おっぱいが当たってるのに気付いててそのまま何も言わなかった輩が何も悪くない、と」
「うん。だって、申告した時点で殴られるの目に見えてるし。それなら、地獄を先延ばしにしつつ役得を堪能しようってのは別段おかしなことじゃないと思うけど」
「屁理屈こねんな! 触ってたのは事実でしょ!」
「その言い方こそ語弊がある。まるで俺が自分の意思で触ったみたいじゃないか。何かしたのはお前であって俺じゃない。責められる謂れがどこにある」
ふん、無防備なボクが悪いってか!?
「そーゆーこと言ってんじゃないでしょ! 乙女心を傷付けたことに関する誠意を見せろっつってんの!」
「そんなもんないよ。どう考えてもお前の自爆だし」
――堂々巡りだ。こおりちゃんの意思を曲げるのは至難というか不可能に近いってのは体感済み。けどこのまま矛を収めるには、この日のボクは好戦的だった。
「なら、力ずくで謝らせてやる! プゥ!」
そして、逆にいい口実だと思った。
『霧』を喚ぶ。学園でほどスムーズにいかなかったけど、十秒は掛からなかった。
オーナーとして、戦う意思を示した。
「……レリ」
視線を伏せ溜め息ひとつ。それでも応じてレリーフを呼ぶ。テーブルからこおりちゃんの足元へ。
「…………」
勝てる訳がない。生身同士ならともかく、ミスティでの戦いで会長にも勝てなかったボクがこおりちゃんに勝てるはずがない。
だから、胸を借りるくらいのつもりで、『最強』ってのがどれほどなのか、片鱗だけでも知っておくことは無駄じゃないだろうから。
それに、今日立て続けにいろいろあったから、本気でぶつかってストレス解消って打算も少し。
「行くぞっ!」
プゥと共に踏み出した。
ガンっとロッカーを蹴飛ばした。思い出すんじゃなかった。
ボクの方から売った喧嘩。結果は、見事に、
ボクのボロ勝ちだった。
戦いの最中ボクらの秘められた力が目覚めた――なんてことはもちろんない。
なんてことはない。
こおりちゃんが、手を抜きに抜きまくっていたからだ。
手加減された、なんてレベルじゃない。
シフトしていなかったのも、実力差を思えば当然。
舐められていた、油断した、うん全然マシ。
もちろん、自分の所業を反省してわざと倒された、ということもない。
それ以前の話として、やる気そのものが無かった。微塵も。これっぽっちも。
面倒臭い、勝とうが負けようがどうでもいい。そんなものに価値は無い。
――所詮、ただの他人事だ――
独り相撲。
そりゃ、ボクが勝手に突っかかってっただけですよ? 応じる義務も理由もありゃしないよ? 温度差が出るのは当たり前。ノリが悪い、精々その程度の事だよ。……相手がこおりちゃんでなきゃ。
でも構えたなら――ちゃんと相手してくれたっていいじゃないか。横綱相撲取るくらい横柄でもよかったのに。
虚しくなった。ここ最近のボクが、何の為に『霧』の特訓やらやってるって、そりゃこおりちゃんへの恩返しの為で。
そんなものは無意味だと、放り捨てられた気分になった。
そりゃわかってたけど。求められてる訳でも感謝される訳でもないって。こんな事でこおりちゃんの他人事癖が消える訳がないって。
でもさ、それでもだよ。こっちは真剣なんだよ。本気なんだよ。
なのに、まったく相手にすらされない。こっちが真剣だろうが、本気だろうが、自分には何の関係もないことだと。
ストレス解消どころか、マキシマムだった。
「……ぷえしっ!」
さぶっ! うう、いつまで裸のまま立ちんぼしてるんだ、ボクは。
やめやめ、ずっとこんなこと考えてても精神的に不健康になるだけだ。
とりあえずお風呂、温泉! リラックス効果に期待しよう!
カララララ
引き戸を開けると、視界は湯煙と雪景色で白く染まった。
おー、温泉。露天風呂。いったいいつ以来だろ。
ブルリ
身震いする。寒い寒い、早くあったまろう。景色を楽しむのはそれからで。
桶を持って岩風呂に近づく。と、湯船の中の影に気付く。先客だ。
先輩の誰かが先に来てたかな? それとも、別の泊り客? 声をかけるのを躊躇う。
そちらに気を取られていたから、湯を掬い、身体にかけるという一連の動作は無意識的、ただの習慣、当たり前の行動だった。ざばあ、と水が落ちる音。
「ン?」
それで向こうもこちらに気付き、振り返った。折好く吹く風で湯煙が薄くなる。
同い年くらいの女の子だった。
褐色の肌。紅玉の瞳。無防備な表情は昨日より幼く見える。
昨日?
「…………」
頭の中で、
メイド服を足してみた。
適合。
――サフィエル=サザンウインド。
「んにゃああああああ!?」