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霧幻冬のヘキサグラム  作者: 宇野壱文
第3章 Scythe × Sword
30/61

第三話 戦慄雲散――そんなことより温泉に行こうよ!

「温泉へ行きましょう」


 その唐突なセリフは、廊下での騒動が鎮静化されてからその場の全員で生徒会室まで移動して、鳳さんが淹れてくれた温かいお茶を飲みながら一息吐き、まったりしかけたところへ、スッと立ち上がった杏李先輩の口から不意討ちのように飛び出した。

「「「…………」」」

 そのあまりにいきなりな提案……提案? 杏李先輩のことだから、もう決定事項でいる気なんじゃあないだろうか……?

 ともかく、その「提案」に、ボクを含めるこの場に呼ばれたメンバーは何と返せばいいのか、反応に困ったという表情で沈黙している。

 そんな最中、コトリとティーカップが置かれる音と落ち着いた吐息がよく響く。

「良い腕だネ、オマエ」

「ん、ありがとう」

「名前ハ?」

「鳳真砂。甘味処「おゝとり」の看板娘」

「覚えとくヨ」

「……あの、優姫先輩。そこの黒メイド、いつまでいるんですか?」

 声を潜める事すらせず言ってやる。

「き、輝燐は~ん? もー少し、オブラートに包みはったらいかがでっしゃろ?」

 啓吾が何かぼそぼそ言ってるけどよく聞こえない。

「何?」

「い、いや、なんでもあらへんよ?」

「ザコキャラだなー、けー」

「桜井さんって敵には容赦しないタイプなのね。……誰かさんと同じで」

「似てきた、というべきかも。ストレートな物言いとか。同居の成果」

「いや、そういうことならお前もなかなかだと思うぞ? っつかあれが地だろ」

 と、また各々が好き勝手に喋り出したところへ、

「温泉へ行きましょう」

 杏李先輩が繰り返した。……ああ、覚えあるぞ、これ。始まりは一年近く前、苗字じゃなく名前で呼ぶよう矯正(あるいは強制)されたっけ。一言ごとにプレッシャーが増してくんだよねぇ。このやり方でいったい何度押し切られたことか。

「温泉へ」

「……石崎先輩。流石に説明責任くらいは果たしてください。いきなり用件だけ押し付けても訳が分からないに決まってるでしょう」

 そこへ「呆れた」と言う声音の天の助け。その主はもちろん、この程度のプレッシャーじゃあビクともしない霧学最強、優姫先輩だ。

「姫さんにダメ出されては仕方ありません。では、」

「行かね、帰る」

 さらにもう一人、実に面倒臭いと言いたげに溜め息を吐いたのは誰か、もう語るまでもない。

「ひどいです、こーりん。ご一緒に旅行に行きましょうと、つい先日お誘いしたばかりじゃありませんか」

「知りませんよ、なんですかそれは。一体いつの話です」

「つい三日前のことですよ。ほら――」


 Three days ago


「……なんか、仕事量多くなってない?」

 PCの脇に積まれた書類の束を見てげんなりする。その呟きに反応して獅子堂が視線をちらと上げ、すぐ目の前のPCに戻した。

「気のせいじゃないわよ。この学校、騒動が多くて忙しいんだから。いつまでも新米待遇で楽させておけないの」

 更にげんなりした。こっちは新米気分どころか、生徒会に入ったこと自体不承不承だってのに。

「今日の騒動、周防も一枚噛んでる」

 新しいお茶と一緒に余計な突っ込みも入れてくれた鳳。まあ、その辺の始末書も書かされた訳だけど。

「それでも、今年はまだ少ない方だよ?」

 そう言ったのは二年の男子生徒。顔の造り、話し口調ともに柔和、役職は書記で……名前なんだっけ。

「そうなんですか?」

 返したのは書記の一年女子だ。ちなみに今期の生徒会の内訳は、生徒会長と副会長が一人ずつ、会計と書記に一年と二年が一人ずつ、庶務に一年二人(俺と鳳)の計八名だ。

「ああ。ほら、去年は獅子堂と石崎が、ホラ、いろいろ……ねぇ?」

「……私は、暴走したあいつを止めに回っていただけだ」

 憮然とした様子で書記二年男子を睨め付ける獅子堂だが、正直説得力に欠ける。実状がどうあれイメージとして、獅子堂とは猛威そのものなのだ。

「あはは、まあ、おかげで今年はそれ以外がおとなしくしてた訳だから、ね?」

 何が「ね?」なのかわからないが、成程、こいつ以上に抑止力として効果的なヤツはそう居るまい。

「今年――新年になってからまた楽しく――もとい、騒がしくなってきたがね」

 キョウがこちらをニヤついた表情かおで見ながら話に割り込んできた。ふぅん、新年の抱負で「はっちゃける」とでも宣言したヤツでもいたのかね。

「なに「自分には関係ない」って顔してるのよ、中心人物が」

「え、なにそれ。俺普通に学生生活送ってるだけなんだけど」

「無自覚、救い無い」

 短い言葉でプスプス刺してくるなぁ、この割烹着メイド。

「……そういえば、今年に入ってから石崎先輩が騒ぐとこまったく見ないんですけど、何か悪いものでも食べたんですか?」

 この書記一年、さらりとヒドイこと言ってるけど多分まったく自覚無い。天然って怖いよね。まあ、それはともかく。

「あの先輩は騒ぐってタイプじゃないだろ。実働するより暗躍して扇動する人間じゃん」

 と、まあ至極まっとうと思われる指摘をしたが、その言葉を聞いた皆まとめて眉を顰め、すぐに納得したように頷いた。何だ?

「そうか、転校してきたばっかりの周防は知らないよね」

「とはいえ、あいつが学園にいれば確実に周防と接触してただろうな……」

「え、石崎先輩、学園に居ないんですか? まさか、休みの間に停学喰らうような騒動起こしたとかですか?」

 ……元々の俺の疑問に答えることなく各々嘆いたり驚いたりし始めたぞ。まあ、どうでもいいけど。

 で、ようやく思い出した。そーいえば昼休みに聞いたっけ、杏李先輩には弟が――

「翠歌くんは、去年から一人旅の真っ最中なのですよ」

 ドアの開く音と同時に会話に加わってきたのは、毎度お馴染み、元生徒会長であるところの石崎杏李、つまり今まで話題にしてた「石崎」の姉の方だ。

 明らかにドアの外で話聞いてたよなー、と思いつつ闖入者の方へ視線を傾けて、

 ……ちょっと引いた。なに、あのだらしない緩んだ顔。

「なんですか、なんですか。皆さん、翠歌くんのお話をされてたのですか? 仕方ありませんよね、翠歌くんカッコ可愛いですものね。でも駄目です、翠歌くんは私と水芭さんのものですから」

「なにこの弟プッシュ!? あんた、外見だけは清楚で礼儀正しい黒髪美人ってキャラじゃなかったの!? まるで自分の得意分野を語るマニアの顔じゃん、割と台無しだぞ!?」

「……すごいね、周防。誰もが思ってても言わなかったことを躊躇なく……」

「それが周防の、周防である由縁さ」

「なんで貴方が偉そうにしてるの、会長」

 そしてどいつもこいつも平然とスルーしてるし……要は、珍しいことじゃないってことか。

「それはプッシュさせて頂きますよ。私、翠歌くん大好きですから」

「ああ、そう」

 OK、これ以上は何も言うまい。杏李先輩が超の付くブラコンだろうが、俺にはどうでもいいことだ。

「……で、石崎先輩。あれは、まだ帰って来ないんですか」

「はい。可愛い子には旅をさせよといいますけれども、流石に一ヶ月近く翠歌くんのお顔を拝見していないというのはなかなかに辛いものがあります」

「ふむ、無事は確認しているのかね?」

「それは間違いなく。三日に一度は水芭さんの方へ連絡が入っていますから」

「あれ? 先輩の方から連絡してないんですか? なんだか毎日連絡してると思ってたんですけど」

「はい。本当なら一日に数回はお話をしたいのですが、あちらから着信拒否にされてしまいまして」

 ……この溺愛ぶりの姉から、一日に何度も電話されたらうざったいだろうなぁ。ん? 俺の記憶が正しけりゃ(自信ないけど)弟の方もシスコンってハナシじゃなかったっけ? だったらむしろ喜ぶモンなんじゃないのか? よく知らんし、どうでもいいけど。

「あいつに限ってその辺は心配してないけど……進級大丈夫なのかしら。二学期も割とギリギリだったんでしょう?」

「翠歌くん、割と自由人ですから」

「答えになってない」

「写真ご覧になられますか? ラーメンのドカ盛りを見事時間内に完食された記念写真ですよ。すごいですよね、こんなにお食べになられたのに、無料で済ませることに成功したのですよ」

「……それ、もしかして手持ちの金がヤバイことになってるってだけなんじゃ……?」

「翠歌くんのチャレンジャー精神に乾杯です」

「……まあ、無一文になる前には戻ってくるだろう。多分」

 多分かよ。

 ところで、これだけ話に参加してても獅子堂の作業速度は少しも落ちていない。成績は優秀っていうほどじゃあないって話だが、マルチタスクの技能は高いらしい。その辺のことを言ってみると、

「慣れよ」

 なんとも素っ気無い。まあ、人のことは言えんし、実際のところ照れられたりしても逆に反応に困るし。

「ふむ……旅行か」

 と、不意にキョウの呟き。なんだろう、何故だろう。無闇に不安が増していく。

「よし皆、行こう」

「よし、じゃねえよ」「よし、じゃないっ!」

 見事に獅子堂とハモッた。

「頭から否定することはないだろう。親睦を深めるのは大事だぞ?」

「私も旅行自体は否定していない。合宿扱いで企画するのもいいだろう。だが、いったい何時行くつもりで言った?」

「うむ、今週末なんてどうだ?」

「却下に決まっているだろうが。先代の生徒会長がいろいろ行事を増やしてくれたおかげで、これから相当忙しくなることぐらい、去年から生徒会に居るお前が一番よく知っているはずだろう」

「……あんた、何余計なことしてくれてんですか」

 道理でたかが学生のお仕事にしちゃあ妙に忙しいと思ったよ。

「いけませんよこーりん。既存の事、言われた事しかなさらないようではせっかく運営組織に在籍している意味がありません。それに生徒の皆さんにはとてもご好評でいらしたのですよ」

「いやあまったく、脱帽ものの手際だったよ。当初は実現不可能と思われていた企画の問題点を、予算の捻出成功を皮切りにトントン拍子に解決していってね。見事学園側の首を縦に振らせたのさ」

「そもそもこの学園自体お祭り好きな風潮はあるからね。喧嘩も祭りの華にするくらいだもん」

 その言葉に昼間のことを思い出してげっそりする。俺が本当の意味で『恐怖』を覚える数少ない人間、獅子堂優姫。金払ってでも回避すべきそいつとのガチンコ、書記二年の言葉はその実現を諦めていない頭の沸いた輩がわんさか居るという事実を示唆するもので、実に頭の痛い話だ。

「その分限度を超えたときの対応は厳しいけど。一発退学も珍しくはないわ」

 ふぅむ、シビアね。しかしPTAとかそれで納得してんのかね。まあ、俺が気にするところでは全くないな。

「学園の教育方針についてここで議論しても仕方あるまい。話を戻して、今週末の旅行の件だが」

「いやいや、なに行くのを前提にしてるんだ、お前は」

「そーですよ。わたし、日曜はデートって決まってるんです。ようやくここまで漕ぎ着けて、彼氏が出来るかどうかの瀬戸際なんですから」

「何気に自慢してみたかっただけだよね、三条さん……」

「…………振られてしまえ」

 ここまで一言も喋っていなかった会計のニ年女子が、陰鬱そうに一言だけ呟いた。

「ひ、ひどっ! ちょっと、可愛い後輩を応援してあげようとかいう優しさはないんですか!」

「…………」

 書記一年の抗議に耳を貸さず黙々と仕事を続ける会計二年。ちなみに、会計一年はこの場にいない。昼休みのうちに出来るだけ終わらせ、残りを自宅で片付けてくるというパターンが毎度のことだそうだ。こうして見ると、書記が社交的、会計が独特な人間という変な対比が窺えた。

「私も、店の手伝い」

「ほら見ろ。皆にも都合があるんだ。急に企画を入れても、参加人数自体が少なくては成功には程遠いだろう」

「うぅむ。本格的に忙しくなる直前だからこそ、良い機会だと思ったのだがね」

「どうしてもと言うなら、春休みまでに、今度はしっかり予定を立てておいてください」

 いやあ、俺は集団旅行自体行く気がしないんだがなあ。

「まあ、仕方あるまい。では、これはどうだ? 今日の昼休み以降、優姫女史と周防のタイトルマッチ開催を望む声がそこかしこから出ているのだが」

「私と周防を見世物にする気か? 生徒会長にあるまじき暴言だな、本気で解任動議を起こすぞ? いや、その前にお前が私と試合(しあ)ってみるか? 生徒会長対副会長だ、これこそタイトルマッチと言えるぞ?」

「ははは、御免被る」

 乾いた笑い声で引き下がるキョウ。昼休みでの獅子堂は少々乗り気だったから少し心配だったが、杞憂に終わって助かった。獅子堂と戦り合うなんてねぇ、想像するだけでも、


 Answer:必ず一度は殺される。


 ――呼吸が止まる――

 ――心臓が早鐘を打つ――

 ――顔が強張る――

 生理現象として生じようとするそれら全てを意思で封じた。表に出すな、今の俺(・・・)は不味い。

 この場に居る全員を(・・・・・・・・・)再起不能にしかねない(・・・・・・・・・・)

 ……おい。なんだ今のは。いや、現象としては判っている。自分自身の『異質性』で出来ることくらい把握してる。問題なのは、“ソレ”が俺の制御を離れて挙動を起こしたこと。本来常時発動している筈の“Ripple”が漏れたのとは比べ物にならない。『隠し札』として指定している“ソレ”は、今の俺(・・・)では一定の手順を踏まないと使えない筈の現象なのだ。

 その原因をどうにか解釈してみるなら……言い方として少々苦しいが、無自覚で意識的に発動した、ということか。『隠し札』の使用を無意識下で容認するほど、獅子堂は脅威の存在である故、あの『異質性』のレベルを無自覚で引き上げ、“アレ”を使用していた、と。うっわあ、それが真実なら俺はどれほど獅子堂に恐怖してるんだ。俺は自分で思っていたよりずっと臆病だったのか。

 ……あるいは。本当に全くの無意識で、つまり手順抜きでごく自然に発動していたのなら。

 それはつまり。

 無意識的に発動できるレベルまで、俺自身が引き上げられていた……?

 そこで気付く。さっきの俺(・・・・・)は、“アレ”も、“アレ”も、“アレ”も使用可能状態になかったか……?

 それが意味する事すなわち、獅子堂優姫とは――


「どうしたの?」


 ――そのなんでもない一言は、不安定な積み木を(つつ)く行為で――


「あ、いや、なんでも」

 あった筈なのだが、何故か今まで迷い込んでいた思索の靄は、綺麗さっぱり斬り裂かれて(・・・・・・)いた。

「そう……?」

 心配そうにこちらを覗く獅子堂の裸眼。手早くレンズを拭くと、その瞳はすぐ眼鏡の向こうへ隔てられた。

 そして、今までの俺の思考も霞で隔てられたかのように見えなくなっていることに気付く。それに首を傾げながらも、詮索はしなかった。自分で自分を詮索する、ってのも変な話だが。

「それでは、私は卒業旅行に行ってきたいと思います」

 と、唐突に、いや順当にとも言えるか、終わったはずの話題を引き継いで杏李先輩がそんな発言をした。

「……それこそ卒業してから行くもんじゃあ……?」

「私、長期の休みに入るといろいろと忙しくなるのです。ですから、確実に余裕のあるうちに行くのが最善だと思いまして」

 含みのあるセリフだな、あっち方面の。

「国内の旅行ですとやはり温泉は外せませんよね。花見も素敵ですが、温泉で一番風情があるのは雪見ではないでしょうか。ここ近年気候が不安定ですから、今のうちに出掛けるのがベストでしょう。こーりんもそう思われませんか?」

「ん? いや、いいんじゃないの?」

 なんで俺に聞く? 自分の都合がついてるなら、勝手に行けばいいだけの話だろうに。

「そうですか、安心しました」

 一言そう言って微笑む先輩。特に裏を感じさせるような態度ではないのに、いちいち勘繰ってしまうのは決して俺の性格だけが原因ではないと思う。しかし、それ以上何も言ってこない以上いつまでも気に留め続ける訳にもいかない。

「……ねえ、周防。貴方、手書きの方が早いんじゃない?」

「……そのうち慣れる」

 今までろくにパソコンを触った事もなかった俺の手付きはとてもたどたどしいもので、周りの作業からどんどん取り残されているのだから。

「触れた電子機器が片っ端から壊れた、なんて面白――厄介な経歴があるなら早目に申告してくれたまえ。去年の生徒会役員で、コンセントに引っかかって転んだ挙句データをパソコンごと吹っ飛ばすわ、バケツの水をぶちまけてショートさせるわの惨事を起こした人間が居たからな。それを思えば担当分を手書きに変更する程度の融通は利かせるぞ?」

「いや、そんな酷くは。てか、そんな漫画みたいな人間がほんといるのか」

「ふふふ、世の中は広いですねえ」

 ――後日、俺が報告書を書き上げた直後にスッ転んだ杏李先輩の手がパソコンをおもいっきりぶっ叩き、フリーズを起こした時点でドジッ娘生徒会長の逸話を聞かされる羽目になる。


 Return now


「思い出されましたか?」

「……俺は一度たりとも行くなんて言ってない」

「いいえ、確かに「いいんじゃない」と」

「俺が、じゃなくてあんたが、に決まってるでしょうが」

 流石に無理があるとボクも思う。

「しかしですね、集団での旅行券が手に入りまして。十名までなのですが、余らせてしまうのも勿体無いのです。他の生徒会の皆さんにはもうお伺いしましたが、既に土日の予定を入れられてしまったそうなのです」

「卒業旅行なら卒業生だけで行きゃいいじゃないですか」

 学内男子の人気を明野さんと二分するこの人が誘えば入れ食いだろうね。

「今の時期は皆さん必死ですから。旅行に行く、なんて言ったら恨まれてしまうので、お忍び旅行です」

「……ええと、鈴木先輩はいいんですか……?」

 と、この場にもう一人いる三年生、鈴木水芭先輩に視線が集中すると、彼女は縮こまって視線を俯けてしまった。

「当然、問題ありません。私と同じく、水芭さんも推薦で合格なさってますから。それにそもそも、旅行を当てた当事者が行かれないなんてどうかしてます」

「当てた? ってもしかして、商店街の福引きかしら?」

 心当たりがあったらしい明野さんが訊くと、鈴木先輩はこくりと頷いた。

「う、うん。特賞の、温泉旅行集団御招待券……」

「流石、水芭さんです」

「へえ、太っ腹だねえ。普通そういうのって、ペアか家族旅行が普通じゃない?」

「それがですね、期間が今月いっぱいでして」

 ……もしかしてなんかの余り物? 安物っぽいしあまり期待は出来ないなあ。

「それ、来週に出来ないんですか? 今週の土日って……明日じゃないですか」

「今夜だけで準備っちゅうのも、えらい強行軍やしなぁ」

「思いついたが吉日、とも言いますし。来週以降となりますと、少々この街を離れられない事情がありまして」

 その事情ってヤツが相変わらずきな臭い。

 まあ、折角誘われてるんだから行くけどね。周りを見るともう乗り気の人間もチラホラと見られた。

「温泉は混浴でっしゃろか!?」

 啓吾が勢いよく挙手。見事と言いたいほどエロ全開だった。

「アホだなー、けー。それなら姫がとめてるぞー」

「藤田の言う通りよ、露天はあるけどね。あと、覗きが発覚したら酷いからな」

「……はい」

 現地へ行く前から釘刺されちゃった。さもありなん、ってカンジだけど。

 続いて、明野さんが軽く挙手。

「せっかくのお誘いですけど、あたしは辞退させてもらいます。教会を空けてくるわけにもいかないので」

「……あそこって人来んの?」

「あら、お言葉ね。教会は常に迷い子へと門を開いているのよ。リアルに迷い込んできた人は一人しかお目に掛かった事ないけれど」

 むぐ、とこおりちゃんが口を噤んだ。

「それに……その、旅費が……」

 その一言でこちらのムードまで消沈する。え、えーとお財布の中身どうだっけ。

「……そうね。急な話だし……どうかしら、私が立て替えておくわよ?」

 その優姫先輩の言葉に全員が目を剥いた。

「! オネーサマがそんナ」

「サフィエル、無粋なことは言わないでね。皆も気にしないで、せっかくの旅行にそんなことで水を差したくはないでしょう?」

「さすが姫、おーものだ!」

 いやあ、伊緒の言うとおり。いくら家がお金持ちだからってなかなか言えることじゃない。ただのボンボンならともかく、優姫先輩みたいなしっかりした人なら尚更だ。

「そ、それじゃあ十二カ月払いで……いえ、だからあたしは行かないって」

 けど、この反応からすると明野さんも行きたくないって訳じゃないみたい。

「ふむ。しかし、だ。状況によっては君も参加する気構えがない訳ではないだろう?」

「……ええ、そうですね。状況がどうなるか当日まで分からないので、保留ということでいいかしら」

「ええ、構いませんよ」

 ……? 何、この一連のやり取り? どういう意味?

「真砂はどうするの? 初めからここにいたってことは、参加なのかしら」

「うん。お父さんに許可貰った」

 淡々と喋る鳳さんだけど、その声音はわずかに興奮を帯びている気がした。

「……つか、一番意外なのがさあ……」

 こおりちゃんがちら、とその人のほうを見る。ボクも、皆も考えることは一緒だった。

「……言いたいことがあるならはっきり言えっ」

「いの一番に却下してたはずのお前が何でここにいるんだ、獅子堂?」

 ここで本当にはっきり言えるのがこおりちゃんだよねぇ。

「~~~っ、いいだろう、私だって人間だ、心変わりだってする! 温泉は魅力的だ、観光だってしたい!」

 そっぽを向いて吐き捨てるように言う優姫先輩。その顔は羞恥で紅潮――って、そんなの初めて見た!

「いやあ、あんたに限ってそんな」

 そして、こおりちゃんのターンはまだ終わらない!?

「こ、こおりちゃん、いいじゃない! たまには日々の雑事を忘れて温泉に浸かるのもいいですよね! ね!」

 てかなんでそこだけいつもみたく放置してくれないの! ええい、ここは癪だけど黒メイドが「主を辱めた」とか難癖付ける事を期待――

「コーリに言葉攻メされルオネーサマ……アア、素敵デス」

 なにこの駄メイド!

「ふふふ、よろしいではないですか。姫さんが参加してくださって私は嬉しいですよ」

「く、うっ……」

 更に言葉に詰まる先輩。ああ、見てらんない。

「ちょっと――」

「オネーサマ困らせるナ、コノ雌牛」

 ……あっれぇ? え、なにこの変わり身?

「あらあら、雌牛ですか。いったい私のどこを指してそう呼ばれたのでしょうか」

 そう言いつつ胸の下で腕を組む。圧倒的な戦力差がそこにあった。啓吾がガン見してるのはまあデフォとして、

 ぐにっ

「……はにふる(なにする)

「ジロジロ見るな、エロこおりっ」

みふぇふぇえよ(みてねえよ)いーふぁふぇん(いーかげん)ふぁれふぁ(なれた)

「それもそれで女の子に対してどうかと思うけど……ってか慣れるほど見たの!?」

 つまんだ頬をねじる。ちなみに“Attack”働いてます。

「いふぁい、いふぁ――」

 ヒュッ、バッ、カンッ

 風切り音に反応して咄嗟に腕を引っ込めたところをフォークが通過した。

「チッ」

 露骨に舌打ちする黒メイド。……こいつ、いっぺん締めよう。

「…………」

 そして無言のままに優姫先輩の手が閃く。その速度は先ほどのサフィ以上。スクリュー回転で飛ぶボールペンがだらしなく鼻の下を伸ばした啓吾の眉間を問答無用で撃ち倒し、啓吾は背後へ無様に引っくり返った。

「周防、乾。女性の胸を下卑た視線で舐め回すな、不愉快極まりない」

「いや、だから別に凝視してなんか」

「石崎先輩」

「…………」

 諦めなよ、こおりちゃん。こういうとき、男性諸君の意見は一顧だにされないのが世の常ってもんなんだよ。

「サフィエルをいちいち挑発しないでください。サフィエルも、わざわざ敵を作る言動をするな」

「しかしオネーサマ、アノ饅頭は一度モいだほうガ」

「止せ、と言ってる」

「……ハイ」

「私も、少々戯れが過ぎました。ここで手打ちに致しましょう」

 いつのまにか腕を解いていた杏李先輩が軽く目礼。ふう、と一息吐いた優姫先輩が暴走した話を元の路線に戻す。

「……という訳だからサフィエル、私は今週末は帰れない。連絡する手間が省けたな、父様に伝えておいてくれ」

「……父様って」

 流石に突っ込んだ。メイドといいその呼び方といい、こんな地方の学園にいるのが不思議なくらいのお嬢様なんだよね、優姫先輩って。

 そのお嬢様へ、メイドは一礼して謝意を述べた。

「申し訳ありマせん、オネーサマ。本日こちらへ出向いたノは、サフィも週末オ屋敷を空けることヲご報告すルためなのでス」

 ……お屋敷。うん、もう突っ込まないぞ。

「そうか。……しかし、わざわざ来て伝えるほどのことではないと思うが」

「それハ! オネーサマノご尊顔を拝見できナイと思うとイてもたってモ……! しかしコノ判断は正解でしタ。マサカコーリの姿を見つけルことが出来ルなんて。そレに――」

 最後、声の温度がスッと下がり、視線が真っ向ぶつかった。

「――羽虫ガ湧いてル」

「――上等だよ」

 何でこんなに敵視されてるかわかんないけど、それはこっちも同じだ。さっきは一瞬戸惑ったけど、

「なんかお前、気に入らない」

「こっちのセリフダ」

 拳を握り、フォークを取り出す。視線に飛び交う火花。俄かに一触即発。


「い・い・か・げ・ん・に・し・ろ・よ、貴様ら」


 そんな空気は女帝の怒気で押し潰されました。

「サフィエル、桜井、いつからお前らは見境のない獣の如く暴れるようになった。少なくとも、私はそのように指導した覚えはないぞ?」

「あう……」

「ウッ……」

 ボクは部の後輩として、サフィは従者として縮こまる。

 そして、まったく関係ない鈴木先輩まで涙目になっていた。

「姫さん……」

 杏李先輩の珍しい非難気な声に優姫先輩の怒気が萎み、決まり悪げな顔になる。

「……すみません、鈴木先輩」

「う、ううん、こっちこそ」

 頭を下げる優姫先輩に、恐縮してペコペコと頭を下げる鈴木先輩。小動物っぽい人だなー。

 ともかく、伊緒と啓吾はノリノリだからこれで九人。ぐるっと見渡して、最後の一人に視線をやる。ここまでお膳立てされてれば、

「パス」

 うん、言うと思ったよこおりちゃん。

大変遅くなりました。ようやく第三話更新です。

回想部分、こおりのあの思考の部分がおそらく訳分からないと思います。おまけにアレとかソレとか指示代名詞が多くて。しかしこおり自身も『隠し札』と呼んでるように、こおりの所有する情報には今の段階ではオープン出来ないものが多いのです、ご容赦を。

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