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霧幻冬のヘキサグラム  作者: 宇野壱文
第3章 Scythe × Sword
29/61

第二話 冥土襲来――新キャラ(偽)と新キャラ(真)

 終業のチャイムが鳴る。と同時に斜め前の輝燐がこちらの席へ。

「ね~え、こおりちゃん」

 猫撫で声に鳥肌が立った。

「露骨に嫌そうな顔されると傷付くんだけど」

「じゃあ変な声出すな。軟体生物が身体を這い回ったみたいな気分になったぞ」

「……流石にそれは酷くない?」

「そんなことより用件はなんだ? 晩飯のリクエストなら早く言ってくれ」

「そうじゃなくてさ、もう帰るの?」

 何当たり前のこと聞いてんだ、こいつは。

「生徒会室行く用事とか、なぁい?」

 生徒会室? そりゃ、俺は一応生徒会役員ではあるけど。

「なんで通常業務がない日まで行かなきゃいけないんだよ。つーか獅子堂とのリアル鬼ごっこさえなきゃ普段だって行きゃしないってのに」

「……どの辺がリアルなのか教えてくれない? 周防」

「そんなもん鬼に決まってるだろ。あの眼鏡の下の殺気が渦巻く目、どう見たって鬼以外の何者でも――」

 ……あれ? 今の、誰の声だったでしゃうか?

 キリキリと錆び付いたブリキロボット染みた動きで首を回す。背後に居りましたのは。

 生徒会副会長、霧学最強の女帝、獅子堂優姫。その身体に視覚化出来るほどに渦巻く怒りのオーラを纏う姿は、「優姫」なんて名前とは圧倒的にかけ離れておりました。

「やれやれ。もう二週間経つというのに未だに周防は私から逃げることを考えているの、悲しいものね」

 い、いえ、まったく棒読みでそんなことを言われても悲しいとか説得力ないんですが。

「昨日は比較的素直に着いてきたから今日は穏便に迎えに来たつもりだったけれど……この様子だと本格的にその性根を叩き直す必要がありそうね」

「いや、それ以前にだぞ獅子堂? 今日は生徒会活動はないはずじゃあ」

「つべこべ言わずに来い」

「はい」

 くそう、なんだこのプレッシャー。正面からならいざしらず、不意を打たれたらその時点で全面降伏決定じゃねえか。ていうか輝燐のヤツ、時間稼ぎに呼び止めやがったな。今日の夕飯は覚悟するがいい。

「あはは、それじゃボクはこの辺で」

 目を逸らしつつ逃げようとしたところへ、

「ああ、桜井も来て頂戴。藤田と乾、それから明野も」

「ふえ?」「お?」「へ?」「あたしもですか!?」

 帰り支度をしていた四人が素っ頓狂な声を上げた。まあ、さっきまで鬼のオーラを発してた奴に呼び止められればねえ。

「何したんだ、お前ら」

 てゆーか、そのせいで俺まで巻き添えを喰ってるんじゃねえのか。

「知らないわよ。あんたたちならともかく、あたしが問題なんて起こすわけないでしょ」

 まあ、ツラの皮は厚いしな。

「周防君のカオって素敵ねー。考えてることが手に取るようにわかるわー」

 笑顔のまま足をぐりぐり踏むな。

「ワイらだって心当たりなんてあらへん」

「さいきんはおとなしーしなー」

 つまり、「最近」でなければ心当たりはあるってことかい。

「……なんで咎めに呼ぶと決め付けるの。用事があるだけよ」

 そりゃ、あれだけのプレッシャーを放った直後に呼ばれたらねえ。

「要するに周防のせいってことね」

「だから、どいつもこいつも人の心を読むなって……」

 そして総勢六名でぞろぞろと生徒会室へ。獅子堂が先頭で俺と明野が最後尾。逃走は……無理か。獅子堂は後頭部にも目がついてるんじゃね? ってくらいの奴だし、獅子堂と輝燐を同時に敵に回して逃げ切れるとも思えんし。

「……あたし、このメンバーで呼ばれる見当がまったくつかないわ」

「お前が呼ばれるってことは、また勧誘じゃね?」

 この明野心という女子生徒、その身体の発育度合いと反比例して学年主席、スポーツ万能という肩書きの持ち主である。それが理由かはわからないが、来期の生徒会長として何度も打診されているという話だ。

「だったら藤田さんと乾君はいらないでしょう」

 まあ、そうだな。輝燐は生徒会の裏事情関連で納得出来なくもないけど、この二人を引き入れる理由はどこにもない。第一、俺まで一緒に引っ張ってこられる理由だってない。

 まあ、どうせすぐにわかることだし、と切り捨てたところで、ポケットに走る振動。

「ん?」

 最近ようやく扱いに慣れてきた携帯を取り出す。メールの差出人は、キョウ。

 なんだ? もう数分もせず会うってのに、と思いつつメールを開くと、そこにはたった一文、すらなく一言。

『にげろ』

 あまりに簡潔で、それ故まったく意味が分からなかった。

 が、その理由はわずか数秒後、どんどんこちらへ近づいてくる疾走音により明かされることになる。

「……どうしてあの娘が?」

 いつの間にか獅子堂の足が止まっていた。つられて全員の足が止まり、その視線の先を見遣る。

 廊下の先からどんどん、高速で接近してくる物体。それはどう見ても、

「メ、メイドさん!?」

 全員の心の声を乾が代弁した。フリルのたくさん付いた、白を基調とする西洋のハウスキーパーの仕事着、いわゆるメイド服。それをヘッドドレス込みで完璧に着込んだ少女をメイドと呼ぶことに何の異論があろうか、いや、ない。それが似非だろうと本物だろうと、だ。

 そのメイドが俺たちの手前で走ってきた勢いのままジャンプし、

「オネーサマ~~~ッ!!」

「わっ――と!」

 獅子堂の懐へと飛び込んだ。驚きの表情を浮かべながらもしっかりキャッチする獅子堂。

「ハア、流石お姉さまデス。受け止めテくださルと信じていマシた」

「サ、サフィエルッ!? お前はまた勝手に来たのか!?」

「何を言っておられルのデスか、オネーサマの居られルところナラたとえ火ノ中水ノ中。どこまでだっテ付いてきてお仕え差し上げルのがサフィの使命でござイます!」

 どうやら獅子堂の知り合いらしい。『お姉さま』とか言ってるけどその褐色の肌はどう見ても日本人のものじゃない。というか今の言動から察するにコスプレとかじゃなくマジもんのメイドなのだろうか。

「う、うおお! 見いや、メイドさんやで、本物のメイドさんや! メイド喫茶みたいなインスタントもんやなく本職さんに出会えるなんて、今日はなんてツイてるんや!」

「あっはっはー、けーはあいかわらずヘンタイだなー。でもめずらしいものみれたぞ!」

「……さっすが天下の獅子堂グループ。いるところにはいるのね、メイドって……」

「うっわ、うっわー! すごいなぁ、優姫先輩! やっぱり先輩専属の娘とかだったりするんですか? 紹介してくださいよ!」

 ギャラリーも四者四様の興奮を見せている。ああそっか、獅子堂ってなんか大企業のお嬢様らしいんだっけ。てことは本当に本物のメイドなのか。

 しかし、よくよくメイドに縁があるなあ。先週金曜の謎のアサシンメイドに始まり、割烹着メイドのウェイトレス、歓迎会じゃ杏李先輩のコスプレ、終いには本物が来たかあ、流石に脱帽だよ。人生で最もメイドとのエンカウント率が高い一週間だな。メイドウィーク。本当、この街に戻ってきてからイベント尽くめの濃い毎日を送りっぱなしだぜ。誰か、俺に安息プリーズ。ま、このメイドとは接近遭遇以上の関わりはないだろうけど。

「サフィエル。少し落ち着いて、それから離してくれないか。後輩たちも見ているだろう」

 獅子堂のその言葉でサフィエルという名前らしいそのメイドが初めてこちらに顔を向けた。ルビーの瞳に俺たちの姿が映り込む。途端、それまでの満面の笑顔が、まるで汚物を見るかのような顔に変わった。

「サフィとオネーサマとノ感動の再会ヲ邪魔するナ、この虫ケラどモ」

 ――ものすっごい態度の変わり様だった。

 その言葉で輝燐と明野は頬を引き攣らせ、乾はあまりの変わり身に硬直し、藤田は……変わらんなあ、相変わらずあっはっはと笑っている。こいつの思考回路だけはまったくわからない。まあ、独特の自然素材(てんねん)を一般ピーポーが完全に理解しようとするほうが間違ってるのか。

「サフィエル」

 獅子堂の語調がキツめになる。メイドは獅子堂から離れて一礼し、しかしそれでも自らの意思を変えなかった。

「事実デス。オネーサマと比べれバ全ての人間ハ塵芥のようなモノ。であれバ、コノ有意義な時間ヲ邪魔する無粋者ヲ虫と呼ブことに何の問題があリましょウか」

「――言ってくれるじゃない。塵芥に虫ですって? そのクチ溶接してほしいのかしら?」

 当然というか、始めにキレたのは明野だった。プライド高いもんな。けど、

「お前もさっき人のことを虫扱いしてなかったか?」

「そんな昔のことは忘れたわ」

 銀の尻尾(かみ)を指で梳きながらさらりとのたまう。何気にひでえ。

「ボクもね。流石にここまで言われて黙って引っ込んだら女が廃るってもんだよ」

 続けて輝燐も拳を鳴らす。怒りに燃えるその姿は威風堂々。しかし、

「お前、廃るほどの「女」があるの?」

 鼻っ柱に裏拳を叩き込まれた。

「だから、なんでそういつも余計なことばっかり言うかな……!」

 しかしメイドはそんな二人の怒気も意に介した様子はなく、言い放つ。

「事実を指摘しただけデ怒るンじゃない。自ラの卑小さモ自覚出来ない様じゃ器もたかガ知れてルね」

「初対面の人間によく言ってくれるわ、貴女。貴女こそ小間使いらしい口の利き方を学習したほうがいいんじゃなくて?」

 俺に対するように突っかかってこそいかないが、冷笑を浮かべた明野の言葉には静かな炎とでも言うべき十分な怒りが洩れ出ている。

「先輩の知り合いだからって何言っても許されると思わないでよ。ボク、結構短気なんだから」

 対して輝燐は分かりやすい。表情からすっかり笑顔が消え、敵対者を睨む目つきになっている。ああ、ちょうど越してきたばかりの俺を見る目つきか。こいつ、敵味方の区別ははっきり付けるタイプだったんだな。

「お前たちこソ、オネーサマの後輩だかラと情けヲかけてもラえるなド思わナイほうがイい。イヤ、お前たちゴときガオネーサマと話すナ近づくナ。オネーサマが穢れル」

 そう言ったメイドの袖から彼女の両手へストンと何かが落ちる。俺の目が確かなら、それはテーブルの上で、それも食卓という限定時にのみ使われるはずのもので。

 すなわち右手にナイフ、左手にフォーク。

「…………」

 改めてメイドの格好をよく見る。暗かったこともあって細部までよく覚えてる自信はないんだが、この片言といい……

「……!」

「あんた……!」

 輝燐も気付いたか。明野まで反応したのは意外だが、こいつの立場を考えれば何処で遭遇してても不思議じゃない。

 そう、あの仮面メイド。

「……なんやねん、それ」

 そんな緊張感にも気付かず、乾が珍妙な武器(乾は武器とすら認識してないかもしれないが)に突っ込みを入れる。

「メイドの嗜み」

 嘘つけ。こっちを見もせず事も無げに言いやがって。

「…………」

 輝燐が完全に構えを取った。スタイルは空手。対するメイドの前傾姿勢はその殺気と相まって獣の様。

「――フッ」

 一呼吸。同時に地を蹴り駆け出すメイドは次の瞬間、

 スパンッという小気味よい音と共に床に顔を正面衝突させていた。

「いい加減にしろ、まったく」

 為したのは彼女に敵と認識された輝燐ではない。

「ここをどこで私を誰だと思ってる。私立霧群学園、私はその生徒会副会長だぞ。部外者に暴れられるのを黙って見過ごせると思うか。それが身内なら尚更だ」

 獅子堂優姫。彼女はメイドが始動するタイミングを完全に読み切り、合わせて足払いと掌打の打ち下ろしをかましていた。

「アウウ……」

「すまない、我が家に仕える者が迷惑をかけた。しかしあの程度の戯言に易々と反応するのも部の先進としてどうかと思うがな、桜井」

「う……」

 一睨みで輝燐が後退った。獅子堂の怒りは分かりやすい。言葉遣いが乱暴になるからだ。

 顔を上げたメイドが輝燐を睨む。しかし獅子堂の視線に気付くとすぐ目を逸らした。

 しかし、これは一言突っ込んどくべきだろ、今後の為にも。

「だがな、獅子堂。そう言うならお前も結構頻繁に怒ってないか? 俺とか、キョウとかに」

「サフィエルは純粋なだけだ。会長は確信犯だし、周防、お前は性根が曲がっている。だいたい、どちらにしても私はお前たちに実際に手を上げたことはないぞ」

「……え? 嘘、マジ?」

 言われてみればその通り……かも? 強いのは分かるけど、実際その強さを目にしたのって下着ドロ事件の時だけのような気がするし。威圧感だけで既に暴力みたいなもんだからなぁ、こいつって。もう何発も殴られてるみたいな錯覚に陥ってたよ。しかしそうか、なるほど。

「……だからって今後もそうとは思わないで。私だっていつ堪忍袋の緒が切れるか分からないんだから」

「……OK、ボス」

「ボクとしてはこおりちゃんは一度先輩に徹底的に叩きのめされたほうがいいと思うけどなぁ」

 恐ろしいことをさらりと口にするんじゃねえ、と嘆息して、

「…………ふぇ? コーリ?」

 ぽつり、耳に届いた小さな言葉。その元へ向けた視線は、ルビーの光と交わった。

「…………」

「…………?」

 かちんと硬直したままこちらを凝視するメイド。その突然の停滞に一同――俺自身も例外でなく――怪訝な表情で首を傾げる。

 そんな不審極まりない彼女へ声をかける役割は、当然彼女に最も近しい者が請け負った。呼び掛けとともにメイドの肩へ手を伸ばす。

「おいサフィエル、どうし――」

 しかし、その獅子堂ですら、彼女の次の行動には反応出来なかった。

「コーリ!」

 固まった表情(かお)から一転、花が咲くかの如くパッと輝く笑顔。同時に地を蹴り、獅子堂の手を擦り抜け、引き絞られた矢の如く真っ直ぐに俺へと跳んできた。

「はあっ!?」

 俺は獅子堂とは違う。至近距離から跳んでくる人間を咄嗟に避ける反射神経もなければ、受け止め支える足腰の強さもない。

 つまり、ぶつかった勢いと衝撃で後ろに倒れて、後頭部を強打するのは自明の理であった。

 ガァンッ

「ぐおっ」

 脳みそが揺さぶられて世界が回る。目の前がフラッシュでも焚いたみたいにチカチカする。それを頭を振って強引に打ち払った。俺にとってはその程度のダメージだ。

「お前、いきなり何を――」

 しかし、今この状況においては目の前が点滅したままなり気絶するなりしていた方が幸運だったのかもしれない。

「コーリぃ……コーリだァ……」

 至近距離。目前数センチの顔という不意打ちに心臓が跳ねた。

 潤んだ瞳。浮かべた微笑。それらが細部まではっきりと読み取れる距離。

 まるで時間が止まったかのように、身体がぴくりとも動かない。

 すっと彼女の顔が視界から消える。しかしそれで緊張が解れる事はない。何故なら、彼女は俺と頬同士を摺り寄せてきたからだ。

「ああ、サフィの馬鹿……なゼさっさと気付かなイの。この口、この鼻、この髪……何よりこの瞳。こンな瞳をした人が何人もいるわけナイじゃない、この凡俗メ……ああッ、コーリ、違うからネ? 虫けらって、コーリの事じゃナイの。サフィ程度の存在がコーリを貶めルなんてありえない。ああっ、でもサフィハ……ごめんなさイ、こんな碌に目も見えテいない畜生デ。でもお願イ、見捨てないでコーリ」

「な……な……」

 耳元での囁きとともに顔中を撫で回されて、まくしたてられる言葉が全部右から左へ流れていく。なんだ、一体何なんだこの状況。

「アア、それにしてもなンて素晴らしイ偶然。まさかすでニコーリとオネーサマがお知り合イだなんて――ハッ」

 それは跳びついてきたときと同様まったく唐突に、メイドは俺の身体から跳び離れた。その時ようやく周囲の人間が目に入る。全員、あの獅子堂までもが茫然自失の様で俺たちをただ見ていた。約一名普段にも増して能天気な笑顔で面白そうに見ていた奴がいるが、そいつはやっぱり大物か大馬鹿だ。そして肝心のメイドは、まるで何か大変なことに気付いてしまったという顔で。

「も、もももも申し訳ありマせんオネーサマァッ! 折角のコーリとのデートヲ邪魔してしまうなンて、このサフィこそが無粋者でしたァッ! どうか、どうかこの不出来ナ愚か者をお許シ下さいぃっ!!」

 今度は平謝り。めまぐるしい態度の変化に最早誰もついていけない。まずい、思考を停止してたらいつまで経ってもコイツの独壇場だ。よし、とりあえずコイツの言葉の内容を一つ吟味してみよう。

 ……終了。今、この黒イノシシがほざきやがりましたのは。

 デート。誰が。

 獅子堂が。誰と。

 俺と。ほうほう。

 なるほど、そうか。アッハッハ。

「「「「ありえねえっ!!」」」」

 硬直(フリーズ)解除(リリース)と同時にハモッた。しかも四人同時に。

「あウッ!?」

 周囲で同時に叫ばれて耳鳴りを起こしたのか、メイドが耳を押さえる。

「ど、どうシたのコーリ、オネーサマ? そしていきなり低周波を撒キ散らスな騒音公害」

「ばばば馬鹿言わないでよねっ! なんでこおりちゃんが優姫先輩とでででデートなんて」

「……なんで貴女が一番挙動不審なの、桜井」

 頭が痛いと言うかのようにこめかみを押さえる獅子堂。実に板についている、と言ったら睨まれるだろうか。あ、睨まれた。そして何やら眉を顰めたメイドが口を開きかけたが、

「……周防君。あんた、この罵詈雑言メイドと知り合いなの?」

 明野の白けた視線がこちらに向けられると同時に留まった。それを一瞥して一言。

「いや、知らん」

「!?」

 その瞬間のメイドの表情はまさしく唖然。それを見て明野は再び訊き直してくる。

「周防君。いくら衆人環視の中、人目もはばからず猥褻行為に及ぼうとする破廉恥痴女メイド相手だからって別に他人の振りすることはないのよ?」

「お前もそこのメイドに負けず劣らず毒舌だが、生憎知らんものは知らんとしか言いようがない」

「!??」

「ドSっちゅうならこおりはんもやと思うけど。あのメイドさん、すっかり凍りついてるで」

 それどころか、顔色がどんどん蒼褪めていく。身体が小刻みに震えだし、目尻にじわりと涙が滲んで……っておい、なんでそんな目で俺を見る?

「さ……サフィエル=サザンウインドだよ、コーリ!? 貴方の、トモダチの!」

 涙目で必死にアピールされても、俺には本当に覚えがなく、出来ることといったら首を傾げるのみ。さらに愕然とするメイド――サフィエル。む、なんか周り中から非難の視線が。

「忘れちゃっタ……? コーリがサフィを忘れちゃっタ? 『あの時』のことモ? そンな、なんで……」

 ゆらり、とサフィエルの膝が崩れるが、すんでの所で倒れず踏み止まる。しかし平静ではないらしく、ブツブツと何やら呟きながら忙しなく視線を彷徨わせていた。

「――あリえない。コーリは『トモダチ』って言っタ。ダからあリえない。デモ、じゃあなんで……」

 その視線がある人物と目が合って止まる。その人物はきょとんとしてきょろきょろと周りの人間を見回した後、ようやく自分が注視されていると気付く、というお約束の行動を行った後、

「な、何さ」

 若干気圧された感じで問うた。

「……『サクライ』?」

「え? う、うん。桜井輝燐」

「……『コーリチャン』?」

「え、あ、うん? えっと?」

 戸惑う輝燐と対照的にどんどんサフィエルの声色が剣呑さを帯びていく。視線にもどことなく敵意――どころか殺意がこもってるような。

「何をシたっ!!!」

 ドカンッ、と大砲の発射音のような叫声が轟いた。うおぅ、耳鳴りが。ガラス窓がビリビリと振動しちまってら。

「ちょ、いきなり何」

 抗議を言い終えることなく反射的に身を逸らす輝燐。一瞬前までその身体があった空間を通過してフォークが壁に突き刺さった。

「コーリに何をシた!」

「なっ、一体なんのことさ! わけわかんない言いがかりやめてよ!」

「とぼけルなっ!」

 袖の中から三本のナイフが取り出される。指の間に挟んで鉤爪のように扱いつつ輝燐を指す。

「もう一度訊ク。ハルカとオマエはコーリに何をシた……!」

「……遥香さん?」

 予想外のところから我らが家主の名前が飛び出したことに困惑する。輝燐も同じ感想を抱いたのか、問い質そうと口を開こうとした、その間際、

 ゆらり、サフィエルの脇の空間が陽炎の如く揺らいだ。

「「「!!」」」

 それを目の錯覚と捉えず、正確に理解できる人間はこの場に三人。うち一人は硬直し、咄嗟に反応できたのは二人。一人は同様に陽炎の門を開き、一人は『霧』を呼ぼうとする。しかし、二人ともが直感している。間に合わない、と。

「やめないかサフィ!」

 故に、その挙動を止めたのは第三者の声だった。

「……キョー」

 サフィエルがちらりと視線を向けた先に居る人物の名を呟いた。そこにはこの学園の生徒が二人。うちの男子、こいつにしては珍しく困りきったという表情をしている。

 名前は遠見京之介。この学園の生徒会長兼――

「……オマエもココにいたノか。ん? とユーことハー、キョーはコーリと一緒にイることをサフィに黙っテたってことカナー? サフィってば仲間外れデ悔しいナー、悲しいナー。プチプチ潰してやりたいナー、食玩のラムネヤロー」

 ……あれってオマケどっちなんだろ。

「いや、まあ、それはねぇ……」

 これまた珍しい事に歯切れ悪く視線を逸らしている。そこへ助け船を出すように割り込んできたのはもう一人の生徒。

「相変わらず口が悪いですね、サフィさん。メイドさんの基本は笑顔で『お帰りなさい、ご主人様☆』ですよ。恥ずかしいならご一緒にやって差し上げましょうか? あいにく私はメイド服じゃありませんけど」

 淑やかな風貌、丁寧な口調とは裏腹の挑発にしか聞こえない言葉を吐き出した女子の名は石崎杏李。去年の生徒会長らしい。もう引退してるのに頻繁に生徒会室へ顔を出しては毒を零していく女だ。

「……オマエもいたンだったナ。相変わラずふざけまくっテるネ、コノ超肥満体女」

「あら、これでもウエストのサイズには気を遣ってるのですよ? そ・れ・に、こーりんはここが大きくて柔らかい方が好みみたいですよ?」

 そう言いつつその90は下らないとされる二つの球体をわざと揺らして見せる。むう、相変わらずの迫力に思わず脱帽です。そして女子生徒諸君、その冷え切った目をやめてくれませんか。

「……ブチコロス」

 うおぅ、サフィエルの顔が今にも憤死するんじゃねえかってくらい真っ赤だ。

「コーホー、コーホー」

 呼吸音もなんかおかしいし。ていうか火種が輝燐から杏李先輩に移っただけじゃないか?

「……あんり」

 と思ってたところへ聞き覚えのない声が聞こえた。その声に反応して振り返った杏李先輩。その動作でやっと気付いた、先輩の後ろに線の薄そうな女子生徒が一人いたことを。

「はい、どうしましたか水芭(みずは)さん?」

「……喧嘩、しにきたんじゃ、ないよね」

 短い三つ編み、不安そうな視線と声、いかにも気弱でおとなしそうな雰囲気の少女が杏李先輩の袖をぎゅっと掴んで離さない。

 彼女の方へ振り向いた杏李先輩の顔はここからだとよく見えなかった。しかし、

「もう、心配症ですねぇ。大丈夫ですよ、こんなのは挨拶みたいなものですから」

 その声は、今まで聞いたことのない程穏やかなもので。

「……あちらは挨拶では済まないようだが?」

「あら、大丈夫ですよ。ホラ」

 ズドンッ

 強烈な音。その発信源で地に叩き付けられたサフィエルの頭がぷすぷすと煙を出していた。

「学習能力ないのか、お前は」

「……ゴメンナサイ、オネーサマ」

 ……なんというか。

「もうグダグダね」

 明野サンが見事に代弁してくれましたとさ。

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