第十二話 雷鳴疾走
瀑発の余波による霜、それはヒュドラン自身にまで及び、鼻先に被った霜を邪魔っけに振り落としている。発動前に作られた氷の枝の壁のおかげで霜を被らずに済んだあたしは、その様子をはじめ、校舎や周防君の様子を眺めやる。
オーナーは、巻き込まれたでしょうね。同情はしないけど気分がいいものじゃないわね、周防君はやっぱり平然としてるけど。
グレートクラス同士の戦いとは思えないほど一方的な蹂躙。まさに圧倒的。しかもまだ上がある。『最強のミスティ』っていう上が。
そしてその力を自在に振るう人間は髪に張り付いた霜を払い落としながらミスティから飛び降りる。まさに規格外。それは思い返せば、ほとんどが『ミスティの為の』力。ミスティという力を手に入れたあたしたちと違って、ミスティに力を与える存在。でもきっと、それすら『最高のオーナー』という存在の定義には第二要素に過ぎない。
本当に規格外なのは『関係性』よ。ミスティと人間を心の底から同等と認めている。本当の意味で彼らは『共生』している。そんな人間、他にどこにいるっていうの?
きっと誰よりも、周防こおりは純粋にミスティを見て、純粋にミスティを理解してる。誰よりもミスティの近くにいる人間、それがきっと『最高のオーナー』。
……結局、『検閲』対象のそれを確かめる手段はあたしにはない。でもこれが当たりなら、確かにあたしが異を唱えられる話じゃない。それにどこか納得出来る話でもあった。……でも。
「周防君、そろそろ下ろしてくれないかしらー!」
上から大声で呼び掛けるとあたしの乗った枝が下に移動する。融解と凝結を繰り返して形を変えてるのかしら、その動きは氷と思えないくらい滑らかだった。
十分地面に近づいたところでさっと飛び降りた。もちろんスカートを押さえるのは忘れない。同時にヒュドランが銀光に包まれ、その体積がみるみる小さくなる。その光が収まる後には、レリーフがちょこんと鎮座していた。
「さて、あと一体いるんだっけ」
面倒そうな溜め息を吐く周防君。あの高さから落ちたワケだけど、オーナーはともかくミスティは間違いなく生きてるでしょうしね。FAの瀑心地をずらせばまとめて片が付いてたに違いないんでしょうけど……存在自体今思い出したわね、こいつ。それでもシフトを解除したってことは、それくらい取るに足らない相手ってこと、か。
「いえ、周防君は手を出さないで。あたし一人でやるわ」
「……いいの? 俺はどっちでも構わないけど」
「いいのよ」
このままじゃ全部周防君に任せたも同じじゃない。苦手な相手だからってこんな負けたような状態のまま丸投げするなんてプライドが許さないわ。それに苦戦することも信じられないような相手なんでしょう、周防君には。じゃあ、やっぱり背は向けられないわ。
「ねえ周防君。やっぱりあたし、あんたのこと認められそうにないわ」
「ふーん」
「流すんじゃないわよ」
「いや、だってどうでもいいし」
「だから、それが一番ムカつくっていうのよ! いいから聞きなさい!」
ほんっとこいつは、どこまでもあたしの神経を逆撫でして。少しはあたしをまともに見なさいよ!
「……ふう。周防君、あなた、何かに懸命になったことある?」
「ん?」
「何かを成し遂げるために努力したことは? 必死になったことは?」
「……ない、っぽい」
「……あたしは、周防君はその気になれば何にでもなれると思う」
おもいっきり引かれた。
「何よそのこいつ何言い出すんだキモッ! って反応は」
「突然持ち上げるなキモい。買い被りもいいとこだっつの」
「ほんと蹴り倒したくなるストレートさね、あんたって。ま、いいわ。周防君って、大抵の事は特に頑張らなくてもそこそこ以上のレベルで出来るんじゃない?」
「まあ、他者と比較するならそれなりには」
「……努力すればもっと高いレベルに行けるはず。なのにそれをしない。怠惰さでその能力を無駄にしてる」
「だから買い被りだって。だいたいな、何かを成し遂げたいってのはそこに何か望みがあるからだろ? 俺はそういうの持ったことないみたいだから」
「無気力無目的ってことね。どっちにしても褒められたことじゃないわね」
「……結局、何が言いたいんだお前は」
「……あなたは、確かに凄い。でもそんな力がどこかに向かうこともなく宙ぶらりんのまま。だから周りはあんたの一挙一動に注視し、脅えることになる。そこをちゃんと理解してるのか、怪しいものね」
「どうでもいいよ、そんな他人事」
「ええ、そう言うんでしょうねあんたは。本当腹立つ。あんたの力なんて、全部元々持ってたもんでしょうが。他人に出来ないことが出来ても、自分が出来ないことを出来るようになったわけじゃない。力を伸ばそうとすることもなく才能の上に胡坐をかく。そんなもの、どれだけ凄い力だとしても認めることなんて出来はしないわ」
そう。こいつがどれだけ優れていてもそんな人間である限りあたしは認めない。さあ、何か反論はあるのかしら。
「んー。要するに、お前は才能なんてなくても才能ある奴に勝てるくらい努力してるってことだろ」
「っ!? ちょ、なんでそこであたしの話になるのよ!?」
「始めからそういう話じゃないのか? お前の考え方を聞いてたんだから」
「その話の内容があんたのことでしょうがっ!」
「で、違うの?」
「っ」
ちょっ、ここで頷いたらなんか自惚れてる奴みたいじゃない!
「は、はぐらかさないでよ。あたしの思想よりあんたの話でしょうが。どうせあたしがどう思ってるかなんてどうでもいいって答えるんでしょうけど、じゃああんた自身はそんな自分をどう思ってるのよ」
「どうでもいいよ。慕われようが蔑まれようが、どうせ俺の事だし」
~~っ、ああもうっ、話にならないっ!
「というかさ……わかってる? そんな評価する価値もない人間にそこまでこだわる必要もないだろ?」
「それは、あんたが『最高のオーナー』だからよ」
「だから何だよ。そんなのどれだけの価値があるんだ? ずっと続けている自分の努力よりそんな称号一つが本当に価値あるとでも思ってんの? 劣等感なんて感じる必要、微塵もないだろが」
「れっと……違うわよ! あたしは怒ってるの! 憤ってるの! あんたが力にふさわしい人間じゃないから、」
「だから、それなら怒る必要もないだろ。蔑み、見下しゃ済む話だろ」
「だからその力に、その称号にふさわしい行動を取らないことに怒ってるんでしょうが!」
「なんで名前に合わせなきゃいけないのさ、馬鹿馬鹿しい。そこまで気に入らないなら称号ごと見下すくらいやってみせろ。出来ないってことは、その称号を俺が持ってることに嫉妬してるってことじゃないのか」
「――っ、黙りなさい、ペラペラと! あんたこそ人の事見下しまくるのがそんなに楽しい!?」
このドS。人の心を抉るなんてもんじゃない、メスで切り開いてあたし自身が気付いてないことまで暴き立ててくる。本当、なんて嫌な奴。
「別に楽しくない。ただ視点が違うだけ。化け物って位置から他人を見てるだけだ」
それから話を区切るように大きく溜め息を吐いた。
「だいたいさ、なんで俺がお前に妬まれなきゃいけねえんだよ。さっきも言ったけどお前、他人よりずっと努力してんだろうが」
「何よ、嫌味? それでも自分には勝てないって?」
「そんなもんどうでもいい。お前はこれまで上を目指して努力してきて、これからも努力し続ける。成長を続けるお前の方が留まり続けてる俺よりずっと価値が高い。……全部その通りだろうが。お前の言う通りだろうが。なんでそれに自信を持てねえんだよ」
「……え? えっと」
「いつも通り堂々と胸張ってろ。努力し続ける自分に誇りを持て。そういう人間、俺はすごくいいと思うぞ?」
そう言った周防君の顔は儚く、羨ましそうに微笑んでいて、それはまるで自嘲のようでもあって、そんなの周防君に言われるまでもない――という言葉は結局口に出来なかった。
ええ、そうよ。恥ずかしくも告白してしまうなら、その瞬間あたしはその表情に心奪われてしまっていたのだ。
「でも気を付けろ。上を目指すのはいいけど本当に『上』に行っちゃいけない。断言していいよ、そんなところにお前の目指すものはないって」
次に周防君が口を開いた時にはその表情は消えていた。そしてやはり、その瞳はあたしを見てはいなかった。
半壊した校舎に入り込む。どこに隠れてるかわからないから慎重に、でもあまり時間をかけるわけにもいかない。
学園を覆う霧は三人のオーナーによって構成されていた。そのうち一人がいなくなったことで今霧は二人のオーナーによって維持されている。しかもいなくなったのはメインとなっていた人間。そのうえ霧を分解する性質を持つ古代種がわずかの間ながらも現れた。だから、霧の限界時間まであまり間がないはず。
霧が解ければあいつは逃げるだろう。さっきまでの攻防で一人では周防君に勝てないことは明らかだからだ。でも、それはあたしから逃げる訳じゃない。というかこのまま逃がしたらあたしの負けもおんなじじゃない。
負けたくない。いいえ、負けられない。
周防君は言った、苦戦することも有り得ない相手だって。それなら今のあたしはなんだってのよ。今のあたしはあんたの目にどう映っているのよ。こんな無様な人間が『最高のオーナー』を目指すなんて、どれだけ身の程知らずに聞こえているのかしら。
それとも。
どんなに無様だろうと努力し続けるなら「いい」って言うのかしら、あいつは。
……あの表情、反則よね。不覚にも一撃で心に焼き付けられるなんて。今までどれだけの女の子を毒牙にかけた事やら。
「……この辺ね、あいつらが落ちたところは」
熱くなった顔を誤魔化すかのように口に出した。さすがにこの場所にはいないかしら。でも油断は出来ない、と慎重に周囲を探る。普段なら目立つ岩の巨体も瓦礫の山じゃどこに隠れてるか分かったものじゃない。
そう考えていたところに、ひらり、と動くものが視界に入る。
「…………」
流石にあからさま過ぎる。誘いを掛けられてるのは明らかなのだけど、どのみちこのまま睨み合ってたら時間切れ。
……任務に失敗してそのままただ逃げ帰るという状況は向こうも避けたいはずなのよね。とすると、あたしの方を仕留めて少しでも評点を稼いでおきたい、といったところかしら。なら確実に短期決戦を仕掛けてくる。
「アライエス!」
呼びかけると同時に飛び出した。罠であることは承知の上。何かが見えた先、岩陰へ飛び込む。……いない。確認と同時に離脱。二秒前居た場所に岩弾が降り注ぐ。逆算して撃ち手へ迫撃。ロックギガンドなら迅速な移動はない。
「NA発動、同時にFA待機……!」
体毛を膨張させ、でも拡散はさせない。パリッと弾ける電気、全て角へと注力。突撃槍を構える騎兵の如く疾走。駆け抜けた先に、
「……そうくるのね」
宙に浮かぶ、黒い点。
「FA発動っ、ギャザリングボディッ!!」
離れた所から響くスキンヘッドの号令とともに周囲から石が浮かび上がる。あたしまでの距離約5メートル、砂礫から巨岩まで様々。それらが動きだす、一点へ収束するために、邪魔なものを巻き込んで。さっきのように抜け出す隙を与えないためか、岩はそれほど拡散せずに取り囲んでる。その分十分な加速を与えられないだろうから激突時に即死の可能性は減ってるけど中心で圧し潰すことに変わりない。岩の群れは確実にあたしたちへと向かってくる。
だからカウンターを仕掛け易い。
短期決戦なら今までのチマチマした攻防より一撃必殺でくることは予想出来た。向こうは確実に仕留めるつもりで仕掛けた罠なんだろうけど、あたしたちにとってもわざわざ向こうから近付いてきてくれる状況は願ったり叶ったり。
……でも、今のままじゃやはり負けるのはあたしたち。正面からぶつかりあって潰されるのがどちらかなんて火を見るより明らか。
故に、あたしたちが勝つためにはここで一段階強くならなきゃならない。その手段は既に先刻、周防君が示している。
即ち、ハーモニアス・ドライヴをここで発動する。
「無理だろ」
一蹴した周防君に一蹴お見舞いする。
「足癖悪いよな、お前」
この木偶の坊め。脛を蹴っ飛ばしたのに眉一つ動かさないなんて。
「傷口を抉るくらいしないと堪えないみたいね。学習したわ」
「怖いことを平然と。つーか教えを請う人間の取る行動じゃねえ」
平然と人を殺そうと出来る奴に言われたくないわね。
「無理ってどういうことよ」
出来ないことを出来るようにする為には、出来る人間にコツを訊くのが近道。だから……そう、こいつに訊くっていう恥辱に耐え忍んで訊いた結果が『無理』じゃあ、そりゃ蹴りたくもなるってものよ。
「言ったとおり。お前と羊モドキじゃ“廻る”ほどシンクロしねえよ」
「廻る?」
「繋がった精神の中を高速循環……みたいな? まあ気にすんな、ただの俺のイメージだし」
H・D状態の周防君の精神イメージ。一応覚えておきましょ、彼自身が思ってるより重要かもしれないし。
「そう。で、なんでシンクロしないって断言出来るのよ」
「お前ら見てりゃ分かる。意思決定がどちらかに偏ってる時点で“廻る”わけがない」
「どういうこと?」
確かに、あたしが指針を決定してアライエスに行動を指示するっていうのがあたしたちの方針だけど、それが悪いってこと?
「役割が決まってるのが問題なんじゃない。自分の意思を相手に合わせる、あるいは任せる、委ねるのが不味いってんだ。一見、それで二人の行動が一致するように見えるから始末が悪い。シンクロってのは、いや本当はもっと複雑なんだろうけど簡単に言や、次に取る行動がなんの示し合わせもなく一致することなんだから。名前を呼ぶ程度ならともかく、明確な行動指示が出る時点でシンクロしてたまるか」
「…………」
ぐうの音も出ない。言われてみれば確かにその通り。シンクロは深層意識で起こるもの。だけど、指示を出すというのは表層意識で行動を合わせるということ。要するに、示し合わせ無しでも行動が一致する、と信じていない。それなのにどうしてシンクロするっていうのよ。
「取らぬ狸の皮算用。その程度の勝算で博打打つ気なら素直に逃げ回るのをお勧めするけど」
周防君の言う通り。必ず勝てる戦いしかしないのはただの臆病者だけど、勝算の目処も立てず戦うのはただの馬鹿だ。そんなことはよく理解していて、でも、
「……嫌」
それは出来ない。逃げるという行動自体を戦略として否定する気はないけど、これはそういう話じゃない。これは、
「あたしはここで、こんなところで逃げるわけにはいかないのよ」
何より、目の前の化け物から逃げないために。
退く様子のないあたしを一瞥して周防君は目を伏せ、それから一言、
「お前、思ってたより頭悪いな」
「だから努力してるんでしょう。それに、聞き分けの良さが頭良いってことだとあたしは思わないわ」
なるほど、と一言。次いで、
「けどお得意の努力をする時間はないぞ? むしろ今までの努力がシンクロする上で最大の障害だ。長年積み重ねた連携を根本から捨て去らなきゃならない。登る山を間違えたんだ、お前たちは」
それはきっと、ゼロから積み上げるより困難なことで。
「上等よ」
ここで不敵に返せたのは、きっと強がりなんかじゃない。だって、さっき言われたばっかりじゃない。あんたが言ったことでしょう。
「自信を持っていいんでしょう? 努力し続けるあたしは」
「……そうなんだけど」
言葉に詰まる周防君。何か言い返そうとして、しかし結局、
「まあ、どうでもいいか。お前が戦おうが逃げようが、結局他人事だし」
「ええ、そう。その通りよ。これはもう、あたしの戦い。だから見てなさい、あたしが勝つところを」
――そして、目が離せなくなってしまえばいい。注目せずにはいられないほど、大きな存在になれればいい、と。
踵を返す。あたしの戦場へ。
勝算は、ある。この会話は決して無駄じゃなかった。きっと周防君は気付いてない。まあ、彼には必要ないんだから当然といえば当然だけど。
狙うは一瞬のチャンス。それは、言うなれば、
火事場の馬鹿力。
迫る岩塊を前に、逃げるという選択肢は捨てている。
勝ち抜くという決意を固めている。
なら――躊躇なんてしてる暇はない。あらゆる人事を尽くす。
「“我が傍らには白羊宮”」
それは祝詞にして呪言。
「“下すは雷走の裁き”」
敵性に死を与えるという誓約。破れば死に等しい罰が下るという制約。
「“そして死する汝に祝福を!”」
教会の“送り唄”。それが齎す効果。それ即ち、同調率の上昇。
気のせいか、あたしとアライエスの間に見えない経路が繋がった気がする。錯覚だとしても、自己暗示だとしても、効果は本物……のはず。Y・Iで確かめることはしない。それは慎重と隣り合わせの疑心であり、今は必要ない。
そして、まだ足りないことも間違いない。H・Dには届かない。
その為の今の状況。眼前に迫る敗北と死。
「いっ、きなさぁいっ!!」
掛け声と同時、突っ込んでくる岩塊へ回避行動を取るでもなく、地を蹴り渾身の力を込めて強化した角を突き出し跳び込む!
「ンメエエエッ!!」
どちらも加速のついた衝突。しかし明暗は明らかで、硬化した身体に刺さった角は先端のみ。亀裂は更に広がり、更に力が加われば砕け折れる事明白。でももう一押し食い込ませなければFAは不発に終わる。
地に足が着いてないアライエスの身体は岩塊に刺さったまま収束点――黒い点へと運ばれていく。アライエスの真後ろにいたあたしは避けずに体毛へしがみつき埋もれ、一緒に収束点へ。
「くっ、ああ!」
体毛で蓄えられた電流があたしの身体へ衝撃を与える。バチバチと身体が焼ける。けど、しがみつくこの手を離すわけにはいかない。今から逃げ出したところで岩の群れに身体を打ち付けられて死ぬのがオチ。膨張した体毛の中にいれば圧死まで猶予が出来る。
だから、落ち着きなさい。パニックを起こしちゃだめ。
ポロポロと角の外殻が崩れる。今、あたしたちの身体はこの角で支えられている。つまり、あたしたちの体重が全てこの角に架かっているということ。もうそれだけで折れたっておかしくない。それはつまり、あたしたちの賭けの失敗を、そしてあたしたちの死を意味する。
恐怖が身体を駆ける。だから落ち着きなさいって。思考を手放したら終わりよ。
そして幸運にも折れぬまま、しかし結局は変わらぬ最期の時。すなわち収束点。全方位から岩の群れが一点にぶつかり集う。四方八方からの衝撃。きっと何本か骨が折れた。同時に視界が完全な闇に包まれる。体毛の抵抗は所詮微々たる抵抗で、数秒後には二つの身体が原型も留めない姿に圧し潰される。
――死ぬ。その恐怖に。
「ああああああああっ!!」
「メエエエエエエエッ!!」
抵抗の咆哮が上がる。
125% SYMPATHIZE!
HARMONIOUS DRIVE!!
これが彼女の策。
死への恐怖。或いは生への渇望。極限状態で思考をそれ一つに絞ることによりH・Dを発動させる。
この策を心はアライエスへ伝えていない。FAをカウンターで撃ち込むという方針のみ伝え、最も重要なH・Dを発動させる手段は教えなかった。教え、実行させるのではH・Dは発動しないとこおりとの対話で分かっていたからだ。
しかし、それでも発動確率は絶対ではない。仮にどちらかが恐怖に負け思考能力を放棄していたなら確実に失敗に終わっていただろう。でなくとも、同位の精神状態になっているとは限らないのだ、たとえ通常よりなりやすいとしても。
これは一瞬が全ての勝負。至る為積み重ねるものは無く、故に経験も努力も入り込む余地のない、明野心の在り方とは真逆の策である。しかし、唯一つ彼女の努力が入り込む余地があったとすれば。
アライエス。共に在り共に戦った経験が、指示がなくとも彼女の戦術を予測させてくれたということ。同系の思考が存在したのではない故に同調ではない。しかし確信はしていた。それこそがH・Dへの最大の足掛かりになったのである。
そして二人の咆哮に呼応するかのように精神は繋がり、廻り、
突撃槍の如き角は折れる事無く深々と岩の身体に突き刺さり、
H・Dが発動してる間に行えた行動はそれだけだった。
ほんのわずかな抵抗。イタチの最後っ屁。この程度で既に決まった勝敗は揺るがないと圧し進む岩塊からは嘲笑の気配すら伝わってくる。
しかし――あたしたちは笑う。これまでの人生でした事もないほど凄絶に。咽喉が切れる程の叫声を――勝利の宣言を果たす。
「サンダァー、ドラァイヴッ!!」
FA発動の宣言。同時に体毛に、角に蓄えられていた電撃が駆けた。
不細工な岩塊の内部を。
「!? ギッ、ギギャァアアアッ!?」
ガラガラと駆け巡る電撃が岩の塊を崩壊へ誘う。
「これが……あたしたちの本当のFA、よっ!」
角を突き刺した地点から自走し、標的へと至る電撃はサンダードライヴの仮の姿でしかない。その真の姿は突き刺した物体の内部を駆け巡る破壊の雷撃。この状態のサンダードライヴでは表面だけを走る通常の電撃とは性質が一変する。即ち、雷撃の姿をした破壊エネルギーそのものに。故に、電撃が効かない物質だろうが問題など全くない。
しかしその性質、一物体の内部で完結する技である以上、分裂した状態で放ってもその部位しか破壊出来ないし、また発動時点で分裂されても同じ事。故に、最大のチャンスは元の姿に戻るため一箇所に集まり、でもまだ収束しきってないこの時点。本当は外側から攻撃したかったけど、それではH・Dを発動出来なかったからこの状況は苦肉の策。外面みたくスマートに決められればよかったんだけどね、と苦笑してみる。皮肉な状況ね、内側に飲み込んだもの、それの狙いは更に内側へ飲み込ませることだなんて。
未だに収束を続けようとする岩塊。でも遅いわ。ほら、分かるでしょう? 貴方の身体が雷速で壊されていくのが。だから、
「さようならよ、ロックギガンド。神の元へ逝きなさい」
角が食い込んだ場所、今では大きく亀裂が入った場所へ渾身の蹴りを叩き込んだ。岩とは思えぬほど脆く、開いた穴。連鎖的に広がる崩壊。そこから脱出して振り返ったときには、その身体は既に霧へと還っていた。
ふらり、と身体が崩れた。
「れ?」
そのまま身体を支えることも出来ずばたりと倒れる。ズキンと体中に走る激痛。ああ、そういえば骨折れてるんだったわ。
地面に両手を着いてどうにかこうにか起き上がってみるも足元がおぼつかず尻餅をぺたり。そのままバタン。あいたた、こりゃ三半規管がイカレてるわね。ちらりと視界に入ったアライエスもおんなじ状態。つまり――あ、そっか、H・Dの反動ね。解除直後に来なくて助かったわ。
あーあ、角折れちゃって。って、止め刺したのあたしかしら。
多分、霧が解けてもこのふらつきは治らないわね。おまけに視界がぼやけてきたし、意識もはっきりしなくなってきた。参ったわね、もうあまり時間がないっていうのに。こんな、まるで酔っ払いみたいにぶっ倒れてる姿を大勢の生徒に見られるなんて、ほんと、プライドにガタが、
ガチャッ
金属音。それは、こんな世界にいれば一度や二度は必ず耳にする、撃鉄を起こす音。
なによ、やっぱりマフィアじゃない。そんな悪態を思い浮かべると共に、意識が闇に吸い込まれた。
ドバンッ
「がっ!」
倒れた明野へ銃口を向けていたハゲが、黒い十字形のエネルギー体に吹っ飛ばされた。
「お見事」
「それは心に言うべき。私のはただの後始末」
その発生源にいたのは、学生服姿の割烹着メイド――もとい鳳真砂とその横に浮遊する、白いふさふさの毛並みに、額に黒い宝石の付いた小さな生物、要するに彼女のミスティだった。
「ミンカー、ホワイトクロス」
名を呼ばれたミスティはふよふよと浮かんだまま明野へ近付くと、両手をかざし白い十字形のエネルギー体を発生させた。その光を浴びた明野とアライエスの顔色が見た目にも良くなっていく。おそらく身体の方も治癒されているだろう。まあ、霧が解ければ完治するはずだけどだからって放って置く必要はないわな。
「つーか出張ってくるのが遅くね? もっと前からいただろ、お前」
「気付いてて撃った周防は容赦ない。巻き込まれかけた」
「自業自得」
こそこそ隠れて動くような奴はそのまま人知れず野垂れ死ぬのがお似合いだ。
「つーか、お前『ブリッジ』とやらの一員だろ? よかったのか? お前ら、俺に手貸さないように命令されてるだろ?」
「……会長から?」
「いんや、状況から予想しただけ」
本気で俺を保護する気ならそもそも前回、俺に電話を繋げたりする訳ない。俺が気付いてることにキョウも気付いてるだろうけど……あちらの事情が変わらない限りは、形だけは隠したままにするんだろうな。
「手は貸してない。セーフ」
「まあ、そうか。けど、そこのには手貸してもよかったんじゃないか?」
気絶している明野を顎で指す。しかし鳳は首を振り、
「それは、手伝いじゃなくて邪魔。心は自分たちの力で勝つって決めてた。強くなるって」
にしちゃ無様だけどな。もう一回同じ真似したら絶対死ぬぞ、こいつら。
まあ間違いなく経験にはなっただろ。一度体験したことで次回以降発動しやすくなるはず。それか感覚を再現しようとし過ぎてうまくいかないか……。まあ、どうでもいいな。俺が気に掛けることじゃない。多分だがうまくいく気はしてる。経験を糧に積み重ねる……努力はこいつの得意分野なんだしな。
「じゃあ最後の最後で手出したのは?」
「愚問。友達が殺されそうになってるのは見過ごせない」
「矛盾してないか?」
「してない。ただの優先順位。説明するまでもない当然の事。周防もそうなんでしょう」
そう言って鳳がちらりと見たのは俺の右手。そこに握られたレリーフの鎌。ああ、そういうこと。
「別に俺は明野が死のうがどうでもいいけど」
ただ、共闘してた間柄の奴に「見てろ」と言われて。なら、勝負を見届けるくらいはするべきだと思って。
「あれは、ミスティを倒した時点で明野の勝ちだ。別に銃や不意打ちが卑怯とか言ってるわけじゃない。隠し玉、切り札として最後まで忍ばせてたんなら何も文句ないさ。けどハゲのはそうじゃない。決着が着いた後に、自分のミスティが倒された後になってようやく、持ってるのを思い出しただけだ。チェスで王を取られた後も手を差すようなもんだ。敗北と現実を認めたくないだけ。そんなもん、たとえ他人事だろうが見てる側として納得出来る訳がないだろ」
「自分ルール、周りにまで適用する人は怖い」
「自分ルールは徹底させるもんだ。他人の都合で変えてたまるか」
「社会不適合者」
喫茶店のときから思ってたが、言葉数少ないくせに一言一言が棘あるよな、こいつ。
「心、保健室に運びたい」
「……意味あんのか? 運んでも霧解けたら教室に戻るんだろ?」
「方法はある。研究の成果、科学の進歩」
「そうか、頑張れ」
「……手伝って、と言ってる。私一人じゃ重い」
「そこまでする義理無いし」
「人でなし」
明野を担ぎ上げようとする鳳。しかしうまく持ち上げることが出来ず、ついには制服を引っ張って引きずりだした。おい、へそ見えてるぞ。
……ああもう、仕方ない。
「ほら、お前はそっち持ってけ」
「あ」
明野を奪い取って背に担ぐ。そのまま保健室があるはずの場所へ歩き出した。
他人事だけど、だからって懸命にやってる奴を放置していい訳じゃない。むしろ他人事だから。逆に俺に関わってきた奴こそあっさり放置出来るのが俺という奴の性分。理はあって、でも矛盾してるよな、どう見ても。
「訂正。周防はお人好し」
アライエスを抱えて俺の隣に並んだ鳳がそんなことをのたまってくれた。
「違う」
「じゃあ世話焼き」
「それも……」
違う、と言えなかったのは現居候宅の欠食児童のせい。
「……帰り、奢れ」
「毎度ご贔屓に」
薄れる朱色の霧。こんなところ誰かに見られたくないからとっとと運んでしまおう、と。
小さな寝息を立てる背中の重みを担ぎ直した。