第八話 その少年の異質性
状況の終了を見て取り生徒たちが解散してもあたしはまだ窓辺に張り付いたまま一人思考の海に潜っていた。
「“Resist”の『異質持ち』、か……」
三階から飛び降りて平然としてたり、明らかに体格差のある相手に突き飛ばされても怪我した様子もない理由をそう結論付ける。あの夕暮れ、遠見先輩のミスティ、テレムスが放った熱線をまともに受けて負傷した様子もなかったことから予想が着いていた事だけど。あたしの時だって、本気ではなかったにせよアライエスのサンダークラウドをまともに喰らってすぐに起き上がってきたし。
単なる硬化のような防御能力じゃないと推測したのは、あたしたちの電撃。打撃や熱ならともかく、電撃の効果は単に攻撃を受けた箇所の負傷に留まらず、身体の内部に浸透して影響を与える。その影響を受けた様子もなかったことから、周防君の『異質』は防ぐ力ではなく耐える力だと判断した。
耐衝撃、耐電、さらに耐熱も。異常耐久力、それが周防君の『異質』。
そして、これは周防君にふさわしい『異質』だ。
ミスティの戦闘において、オーナーはパートナーであると同時に足枷だ。ミスティの動きを制限するために狙われたり、同時に範囲攻撃へ巻き込まれたり、あるいは余波だけで死んでしまうかもしれない。
その対策としてオーナーには『ミストクローク』という能力がある。簡単に言えば霧による防護服だ。結界として張る霧と同様、内と外を遮断している。もっとも、完全な空間遮断というわけではないし、高レベルミスティにはあまり効果がないけれど。でも何も備えが無いより遥かにマシ。
だが例によって周防君は霧を喚べない。しかも、ミスティと融合する周防君は従来のオーナーと違い前線に立って戦う立場となる。身の守りが無くてはいくら命があったって足りはしない。
「なるほど……ね。まあ、『最高のオーナー』なんて言われてる位だし、『異質持ち』であることくらい予測の範疇だけど」
「有用ではあるが特異な力ではない、といったところかな?」
……慌てて振り向くような真似はしない。余裕を持ってターン。
「まあそんなところです、遠見先輩。確かに驚きましたけど、“Resist”の『異質持ち』は何も彼一人ではありませんから。それにあの高さから飛び降りて着地するというのも人体構造的には可能です。現に下着泥棒もやってみせていましたが?」
とはいえ、着地時の衝撃でなかなか立ち上がらなかったのに対し、周防君は平然とした様子で足をプラプラと振っていたけど。……限界値も従来の“Resist”より上のようね。
「うむ、全面的に同意しよう。流石は学年にも数人いる知能強化型『異質人』の生徒を制して主席を維持し続ける明野女史だ」
「それほどでもありませんよ」
向こうは嫌味を言ったつもりだろうが笑みすら浮かべて返してやる。
あたしが特別な人間でないことはあたしが一番よく知っている。だから、遠見先輩の言ったことはあたしにとってはむしろ勲章なのだ。
……つい最近味わった敗北を思い浮かべるとこめかみに血管が浮き上がりそうになるけど。
「しかし、そんな君でも一つ間違いがある。そう、根本的な間違いが」
「?」
言われて前述を反芻してみるが間違いなんて見当たらない。いったい何が間違いだっていうのかしら?
「周防が持つ『異質性』を、君は本当に把握していると言えるのかい?」
「……は?」
言葉の意味が一瞬理解出来なかった。数瞬して思考が追いつく。確かにそれは根本的で、大前提を覆すことだけど……
「何言ってるんですか。あれは明らかに“Resist”でしょう。それともまさか周防君は特別な訓練を受けて肉体改造しているとでも言うんですか」
「いやいや、“Resist”は間違いなく彼の『異質性』だろう。だが」
ふと、遠見先輩は言葉を止め、
「むう。もう昼休みも終わってしまうな。どうする? 生憎生徒会長の放課後は忙しいのでね、続けるなら――」
「授業は休みます。場所はどうします? 生徒会室ですか?」
即決した。これは周防こおりについて重要な情報だ。『教会』の『修道騎士』としても、明野心個人としても。
「思い切りがいいのは好ましいが、知らないぞ」
あたしに背中を向け歩き出す。
「結果、何を覗き込む事になったとしても」
「……カッコつけるのは構いませんけど、その為だけに生徒会室と逆方向に歩き出すのは馬鹿ナルシスト扱いされても文句は言えないと思いませんか?」
「よんきょーかくてーおめでとこーりん!」
「……は?」
教室に入った途端、たくさんの視線に囲まれ、藤田に不可解な言葉を告げられた。
「え、うそ、なんでこおりちゃんが!?」
一緒に教室に戻ってきた輝燐がいち早く反応した。信じられないといった様子で。
「どうして!? こおりちゃんたいしたことないよ!? ホラ!」
ドゴッ
「ぐほっ」
鳩尾におもいっきり拳を叩き込まれた。
「お前……」
「あ、ごめん、驚いたから、つい」
つい、で人を殴るな。
「でもホラ、見ての通りでしょ」
「いやあ……だって輝燐はんやし」
「キリンはすげーな! マッチョぼこったこーりんのっくあうと!」
……状況がまったくわからん。知りたくはないが。
「輝燐はんが何言いはっても条件はクリアしとるし。何より副会長殿のお墨付きや」
「ちょーせんしゃ、姫!」
「……って、まさかこおりちゃん、優姫先輩と闘ったの!?」
「有り得ない」
間違ってもあいつとだけは戦う日が来て欲しくない。
「だいたいな、ふつー輝燐はんにどてっぱら殴られたら十分は悶絶しとるで。わいは今こおりはんがこうして立っとるだけでスゴイと思うわ」
周りがうんうんと頷く。……話の内容はちんぷんかんぷんだが、周りが勝手に盛り上がってる分にはどうでもいいや。
「ねえ周防くんって桜井さんみたいに格闘技とかやったりしてたの?」
と思ってたのになあ見知らぬ女子!
「……てか何の話してるかさっぱりわからないんだけど」
仕方ないからそう答える。あ、そっかー、ごめんごめんと周りから一様の反応が返ってくる。
「この学園のちょっとした伝統。要するに、強い順トップ4だよ」
「ウチのガッコってさー、とにかく実力主義! みたいなとこあって。成績のいい奴や部活で入賞したりするような奴はいろいろ優遇されるわけだ」
「それとか何でも順位付けしたりね。定期テストどころか小テストまで順位発表するんだよ、信じられる!?」
「そうするうちにじゃあ一番強いのは誰だ? ってハナシになって、上位四人までは決まったけどあとは闘るたび順位が変わって、じゃあまとめて四強って呼ぼうってことになったのがその始まりってワケだ」
「今代の四強は獅子堂先輩、石崎先輩、桜井、そしてついさっき周防が加わったばっかしだな」
「石崎……って、杏李先輩も?」
意外すぎる、と思ったら乾が激昂した。
「アホぬかすな! 杏李先輩はな、始業式の日に壇上へ向かう途中に転け、お辞儀をしてはマイクに顔をぶつけ、戻るときにもう一度転んだという伝説を残すほどのドジッ娘やぞ!? そんな乱暴なこと出来るわけあらへんやないか!」
乾。お前は杏李先輩を擁護したいのか貶したいのかどっちなんだ。
「あんあんじゃなくてすいすいだなー」
「石崎翠歌先輩。二年で杏李先輩の弟だよ」
ふーん。弟なんていたんだ。
「ところで、俺の前に四強って呼ばれてた奴が一人いるはずじゃないのか?」
正直こんな称号なんていらないので熨斗付けて返品してやりたい。ところが皆一様に苦笑して続きを話し始めた。
「……一昨年の春までは四強だったらしいんだよねえ」
「ところがだ。杏李先輩にちょっかい出してた当時の四強の人を新入生だった翠歌先輩がのしちゃって」
おや、シスコンですか。
「で、その内輪だった他の四強の人たちが敵討ちとばかり挑んだんだけど返り討ちにして」
「で、調子に乗った石崎先輩を目に余った獅子堂先輩が秒殺しちゃって」
うわー。流石と言うかなんと言うか。
「で、リターンマッチに石崎先輩は長物を用意して、かなりいい勝負になったんだけど結局獅子堂先輩の勝利」
「で、二人が新しい四強になるのは確実だったんだけど、他の人とあまりに実力が離れすぎてるでしょ? だから結局その年は二強になっちゃって」
「ちなみにこの年から四強への加入条件に何らかの伝説を残すことというのが追加されました」
「で、今年輝燐が加わってから今までずっと三強体制だったわけだけど」
「今この時をもって、四強の復活と相成りました!」
辞退したい。ものすごく。
「要するにな、こおりはん。なんだかんだ言うたが簡単に纏めるとやな、四強っちゅうんは厄介事が起きたらとりあえず腕っ節で片付ける連中の集まりってことや」
「あと、てきにまわしちゃいけないべすとふぉーとかな!」
……そうか。結局認識の問題である以上俺がどうこう言っても仕方ないってことか。じゃあこれ以上考えるのは止めよう、他人が何か適当なことを言ってるに過ぎないというだけのことだ。……単に諦めの境地に達しただけかもしんない。
「おう、説明あんがと。じゃあ席に着け、もうチャイム鳴ってんだからよ」
ばっと皆が一斉に声の方を見る。松沢教諭が教科書片手に立っていた。蜘蛛の子を散らすように席に着く面々。
「よかったねこおりちゃん、一躍人気者だ」
輝燐がウインクしながら呟く。まあ散々変態呼ばわりしてたくせに調子いいと思うのは同意するところだが、個人的には望ましい状況じゃないな。
「ん? おーい、優等生クンどこ行ったか聞いてないかー?」
その教師の言葉で初めて隣の空席に気付いた。
「……んー、ま、いっか。明野心、欠席、と」
それだけで何事もなく授業は進んでいった。
「よかったのかい?」
遠見会長はあたしの前に紅茶を出すと同時にそう切り出した。
「よくなければ着いてきてません」
授業を一回サボったくらいで落ちる成績じゃない。減った勉強量はその分努力して補えばいいだけのことだもの。
紅茶をわずかに口に含む。同じ茶葉を使ってるはずなのに真砂が淹れるものとは全然味が違った。……あたしも淹れ方習おうかしら。
「前置きは結構ですからさっさと本題に入ってください。でなければそれこそ無駄に授業をサボることになりますから」
「あまりせっかちなのもどうかと思うのだが、いいだろう」
そう言って会長の指定席に腰掛ける。目を瞑って長く息を吐き出し、切り出した。
「天才、神童、怪物――いわゆるそう呼ばれる存在だったのだよ、こおりちゃんは」
その呼び方で、この二人の関係がただの庇護対象者ではない事に気付いた。そういえば日曜、周防君は遠見先輩の事を『キョウ』と通称で呼んでいなかった?
隠す理由――それはおそらくこの人が、周防君――『最高のオーナー』の何か重要な秘密を知っているから!
「しかし、僕はこう思う。こおりちゃんは『暴君』であったと」
「……我侭でやりたい放題だったってこと?」
昔の話。おそらく『白い死神』以前の。
「素直ないい子だったさ。先生の言う事をよく聞き、困ってる人を助け、人の心を汲めるいい子さ」
「……どこが暴君?」
正反対じゃない。
「性格的にはね。しかし、自身の受け入れられないものには決して従わなかった。例えば授業内容とか。こおりちゃんの成績ってよかったと思うかい?」
「そりゃ……」
天才と周囲から呼ばれている人間なんだから良いと答えるのが当然のはずだけど、あたしは答えを詰まらせた。この人の含みを持つ問いの正答が順当な答えとは思えなかったから。それを察したのか先輩はあたしの返答を促さず話を続けた。
「悪かったんだよ。何せ、簡単な漢字の書き取りもまともに出来なかったくらいだから。授業を投げ出すようなことはなかったがね」
「……それで何で天才なんて呼ばれるんですか」
ニヤリと笑われて、しまったと感じた。この言葉を出させる為に誘導されたっ!
「じゃあ君は、僕らが算数の掛け算割り算を習ってる時に、一人有名大学の入試問題を解いてる子供を頭が悪いなんて言えるのかい?」
――なんですって?
先程の悔しさが塗り潰されるほどの衝撃を受けた。
「一度見せてもらったことがあるが、あれは数学と物理だったんじゃないかな。答えが合ってたかは分かるわけもなかったが、まあ出鱈目は書いてなかっただろう。結局教師の方が匙を投げたよ、教えることがないんだから。しかしこんな勝手をすれば成績が悪くもなるだろう? 正確には内申がな」
はははと軽快に昔話を語られるがあたしの頭はそれどころじゃなかった。一部能力の異常発達、これは『異質持ち』のよく見られる傾向だ。
「演算能力“Operation”、これもやはり珍しい『異質性』ではないがレベルは段違いだな。“Resist”にしても、まさかレギュラークラスのFAに耐え切るほどとは予想外も――」
「有り得ないっ!!」
声を荒げた。優雅な優等生の姿なんて忘れ去って。
「そんな馬鹿なことがあるわけないでしょう、『異質』が二つなんて! 何かの間違いに決まってるわ!!」
「ほう。何故?」
「何故って、そんなのルール違反でしょう!?」
「誰がそんなルール決めたんだい? 前例が無い事は否定の材料にならないよ。そして落ち着きたまえ、話はまだ続くのだから」
その言葉でようやく自分が取り乱していたことに気付く。グッと歯を食い縛って飛び出しそうになる感情を抑えた。
「……まだ続くって、これ以上何があるんですか」
「うむ。さっき言った通りこおりちゃんは国語の成績が特に悪くてね。しかしだ、その割に難しい言葉の意味はよく知っていたんだよ」
……特別気になるような事ではない気がするけど、こうやって話題に出る以上気に留めておきましょう。
「スポーツは運動会以外大活躍だったな。もっとも、専門に習ってた子には及ばなかったがね。喧嘩も強かったな、複数相手でも負けなかった」
その辺りは今と大差ないわね。そう聞くと万能選手だけど、まだ優秀な子供という範囲で収まってるわね。あるいはガキ大将かしら。
「勝手といえば、極めつけはレリーフだな。学校にまで抱えて連れてきてたんだよ? 僕は後にビジョムスと同じ生物だと気付くわけだが、初めはぬいぐるみをいつも抱えてる変な子だと思ったものだ」
あっはっはと笑う先輩と対照的にあたしは呆れていた。陽炎の扉の開け方が分からなければミスティはこっちにいるしかないでしょうけど、だからってそこまでして一緒にいる必要はないでしょうに。
「……子供の頃、僕の母親が亡くなった」
話が飛んだ。
「母親とはビジョムスの事で諍いが絶えなくてね、拒絶に近い態度をとられてたかな。そんな中で死んだから正直悲しみというものも浮かばなくてね。しかし知能強化型『異質人』でそれなりに頭の良かった僕は――ああ、その当時学校で習っていたレベルの内容は僕も楽々理解できたけど、こおりちゃんと違って器用だったから少し頭のいい生徒くらいにカモフラージュしてたけどね――で、それが不自然であることを理解していたから悲しいフリをしたんだ。完璧だったと今でも思う。誰も不自然さを指摘する人はいなかったしね。ところが」
一度話を切って息を吐く。
「その当時はまだこおりちゃんとそれほど仲がいいわけじゃなかった。ただ、クラスで葬式に参加しただけだった。その時たまたま二人きりになる瞬間があって。レリーフを抱えたこおりちゃんは言ったんだ」
『なんで、悲しくないのに泣いてるの?』
「…………」
押し黙る。まだ先輩が何を言いたいのかわからない。続きを待ちましょう。
「それから……まあ、いろいろあって僕はこおりちゃんの友達になったわけだが、ある日のことだ。道で外国人に話しかけられた」
ん?
「何語だったかは覚えていない。しかし何語にせよ日本語しか知らない僕らには解らないという事に変わりない。だが」
ちょっと、ちょっと待って。まさか、
「こおりちゃんは彼の手を引いて、交番へ連れて行って。そして、言ったんだ」
『アサイさんって人のおうち、知りませんか?』
「…………」
『地図』
『……はい?』
『地図持ってきて霧学の場所教えてやれ』
「その後こおりちゃんに英語の本を見せる機会があったが、読めるわけないと突っぱねられたよ。嘘ではなかったと思う。素直な子だったんだ、当時は」
『……言葉、解るの?』
『そう訊かれたら解らないとしか答えられない』
手に汗が滲んだ。異様なモノをあたしも感じ始めている。
「……先程『ルール違反』と言ったね」
先輩の傍の空間が揺らぐ。陽炎の扉からそれはぬっと顔を出し、そしてその姿全てを現した。
「テレムス。僕のミスティだ。シフト前の姿はビジョムス」
隠すように掌に滲む汗を服で拭っていた動きが、
「こおりちゃんと話していた」
完全に凍り付いた。
「――気がする」
「どっち!?」
詰め寄った。これは、かなり重要な話。だって、それが本当ならさっきとは違う、明らかなルール違反なんだから。
オーナーが話せるのは契約したミスティだけ。それは前例が無い事は云々なんて屁理屈で納得してはいけない、絆のルール。
「分かるものか! ビジョムスの言葉に相槌を打っていたと感じた程度だ! ビジョムスだって僕以外の人間の言葉は理解できないのだし、君のミスティだってそうだろう!?」
遠見先輩も珍しく興奮した面持ちで声を荒げている。そうそうこんな事を話す機会はなかっただろう、もしかして前会長の石崎先輩にだって話してないのかもしれない。そしてあたしは逆にその姿を見て落ち着きを取り戻し始めていた。
「……ミスティが理解してないって事は会話してるわけじゃないって事ですよね」
冷静に意見を述べると先輩はただこくりと頷いた。
「周防君が一方的に相手の言葉を理解していると仮定して。“Language”……じゃないですね、それじゃ先輩の件が説明できないわ」
そもそも、“Language”の『異質持ち』がミスティの言葉を理解出来るならあたしたちはこんなに動揺していない。大体、一人の人間が三つもの『異質』を持っているなんて……。
「……推測に過ぎないが、一つの結論が出ている」
今までよりも重い声で、告げた。
「詳細は不明だが、おそらく読心能力系『異質性』だ」
――眩暈がした。
「……本気?」
今度こそ、目の前の男の正気を疑った。全部この男の妄信が産み出した妄想であってくれればいいと。しかし、
「この話をした『ブリッジ』の上層部が出した説だ。周防こおりは一人で三つの『異質性』を保有する人間だと」
余人の預かり知らぬ場所で、それは真実と認められていた。
「今でこそこおりちゃんは力を隠しているようだが、昔なら訊けば教えてくれたのかもしれない。思ってなかったんだ、自分が特別な人間だとは。周りと違う人間だなどとは。ただ一人頂点を歩き、味方を惹き付け従わせ、敵を蹴散らし轢き潰し、己が意思のままに生きる者――すなわち『暴君』だとは。だから隠すのだろう、自らが化け物だと理解しながら、それでも人間を望むこおりちゃんは」
「…………」
これは、あたしの中に渦巻く感情は、
「……これが、周防こおり」
後悔、だろうか。
「これが、『最高のオーナー』」
三つもの『異質』。溢れんばかりの才能の塊。それはまるで、
何の才能も異質もないあたしを真っ向から否定するかのようだった。
翌日、水曜の二限目は欠伸を堪えるのに必死だ。時に睡魔との格闘にも発展しかねない。それほど退屈な時間なのだ。
何せ、それはもう子供の頃に全部覚えたことだから。
だからもう退屈で退屈で仕方ない。教科書には貰った時に一応目を通して、子供の頃と差異がないかだけは確認してそれ以降見ていない。開いてはいるがポーズだけだ。
子供の頃はずっと先の勉強を一人で進めていた。結果、当時の大学卒業レベルの数学的知識は身に付けていると思う(それ以上の数式も理解できるだけの能力はあったが生憎文章理解のほうで行き詰った。式は解けてもそれが何を意味するのか解らない)。が、例の事件以降はしていない。異常だからだ。
そう、俺は異常だ。異常であることにずっと気付かなくて、それが普通なんだと思っていた。
けど違う。
普通の人間は、脳内に高速演算装置など持ちはしない。
普通の人間は、屋上から無傷で飛び降りれなどしない。
普通の人間は、周囲の人間の感情を読み取れはしない。
特に三つ目。常の状態で「制限」の対象としている、俺が“Ripple”と名付けた能力。
仮にここで“Ripple”を展開する。俺が起こした波は少なくとも両隣のクラスまで広がり、全生徒、教師から波紋となって返り俺に感情の種類、含有率、指向を伝えてくるだろう。それだけの情報量が一度に頭に入れば普通なら頭がパンクしてしまうのだろうが、幸か不幸か俺の頭はそれを処理するだけの能力を持っていた。
また、相手が自分の身体のどの部位に「動かす」という意識を向けているか汲み取ることで、次の行動、タイミングの予測が可能である。逆にどこに意識を向けてないか――死角も丸分かりなのだ。女子寮のときもこれで人の意識が向いていない場所を探し出したのである。
……改めて獅子堂の恐ろしさを思い知る。あいつはすぐ近くまで“Ripple”にその存在を察知させず、また行動意識も読み取らせなかった。本当何者だよ。忍者か?
さらに応用編。普通この能力は相手が考えていることまでは分からないが、相手が会話という形式で伝えようとするとき、その意思が分かるのである。あのロシア人(仮)の時も、俺は相手の言葉を理解したのではなく、声という「波」に含まれる意思をこちらの波が読み取り理解したのである。翻訳した訳ではない。同じ事を文章で示されてもちんぷんかんぷんだ。ああ、だから昔は国語の授業とか嫌いだったっけ。聞けば分かるんだから。ま、今でも苦手なんだけど。
故に、俺に『検閲』は意味がない。あれはミスティからオーナーへの翻訳を阻止するものだが、そもそもこの力は翻訳する必要がないのだから。その気になれば猫や犬、レリ以外のミスティの言葉も解るし。
そして、この力は発動する類のものではない。むしろ意識的に抑えているのだ。結果、相手への感情把握力や危険察知能力が常人より鈍くなるという弊害を負っても。……いや、それは他人事視点が原因か? ま、どっちでもいいけど。
普通の人間の枠から少々かけ離れた能力。枠というより線や道と言う方が近いか。“Operation”や“Resist”は「頭がいい」や「頑丈」という線の延長にある力としてまだ誤魔化しが効く。それに、それらはあくまで俺個人の特徴として片付けられるという点が大きいと思う。
けど他者の感情を読む“Ripple”はある意味、直接的な力よりも危険視される。これが知られれば間違いなく俺は排斥の対象となる。化け物を自認し、人間を他人事とする俺ではあるが、それでも人間社会で生きていくなら自分が異物であることは隠し通さなきゃならない。
なんて、上っ面の理屈だ。実は使わない理由に全然なってない。排斥されようが割りとどうでもいい、とか考える一面も俺にはある。
簡単だ。ちょっとした意識の問題。『普通の人間』の枠から外れた、少々特別な力を多用してるとまるで自分が『特別な人間』であるみたいな、そんな勘違いを抱きそうになる。少々特別な力があろうが、それで『特別』なんてことありはしないのにな。それだけの簡単な理由だ。
……特別な人間の瞳、か。そう言ったのは二人目だ。『先生』に言われて以降抑えてきた訳だが、それでも分かる人間には分かるらしい。鏡なんかで見てもどこがどう特別なのかさっぱりわからんのだが。
まあでも、あるものはあると割り切ることも肝心だ。常用はしないが、殴られそうになってまで抑えているほど人が出来ちゃあいない。比較的「制限」は緩めに設定してる力だ、平常時と緊急時の切り替えは柔軟にしている。
たとえば今、こんな場所とか。
……どうしてこう毎日トラブル続きなんだ、まったく。
誰もいない教室で一人、
「時間くらい選んで欲しいわよね、まったく」
二人、溜め息がユニゾンした。
ガラリ
数学の授業中、突然教室の前のドアが開いた。当然、教室にいた誰も――当然教師も――がそこに注目する。遠見会長だった。
「失礼、二年の遠見だが周防はいるかね?」
気まずさなど微塵も感じた様子なく軽快に用件を述べる。先生の睨みなんて何処吹く風だ。
こおりちゃんの席はボクの斜め後ろ。そちらに首を回すと、
あれ? そこは空席だった。授業が始まる前は確かいたような気がするんだけど。
皆が注目した席を見て取ったのか、もとから知っていたのか、遠見先輩はこおりちゃんの不在を確認すると何やら「ふむ」と頷いた。
「いないのでは仕方ない。輝燐クン、代わりに来てくれないか?」
「え、ボクですか!? でも」
ちらりと先生の方を見る。今にも怒り出しそうな顔で、しかし何も言わなかった。
「えっと、いいんですか? 授業中なのに」
「問題無い。今の状況においてあの教師より僕の方が権限は上だからね。ちゃんと上に報告書を出しておけばお咎めは何もないさ」
「生徒会長権限です。もっとも姫さんに知られたら個人的な制裁は免れませんでしょうが」
教室を抜け出すと廊下には杏李先輩もいた。それから人目に着かない場所まで移動してやっと話が始まった。
「えっと、今の状況、って?」
「ええとですね。今この学校に霧が張られているのです。そこにこーりんは取り込まれてしまった、ということなのですよ」
弛緩していたボクの頭が急に引っ張り起こされた。
「ええっ!? 霧って、まさか」
「ご存知の通り、オーナーが召喚する霧です」
「まず『レオンハルト』――対立組織のオーナーとみて間違いないだろうな。それもピンポイントでこおりちゃん狙いだ。事情を知る職員たちが全てのクラスを確認して回ったが、生徒が減っていたのは君のクラスだけだ」
「こーりんがいなくなられても誰もお気付きになられなかったのは誤魔化しがかかるからなのです。この世界から消える瞬間、或いは戻ってこられる瞬間、その方のおられた場所はどなたからも死角になっているのですよ」
状況を説明する先輩たち。けど突然そんな事を言われてもボクの頭は着いていけてない。だって、先週起こった戦いの時と違って周りには何の変化も無い。なのに今ここで戦いが起こっていると言われても全然ピンとこないのだ。そう話すと、
「霧を視認出来るのは向こうだけだからね」
「それでも何度か霧に出入りなされば感覚で今この場所、或いは付近に霧が張られていると分かるようになるのですけどね」
つまり、ボクが分からないだけで今先輩たちはその感覚を感じているって事か。
「霧の規模は校舎からグラウンドを覆うくらい。結構広いな」
「強力なミスティか、複数人が相手ということですね。こーりんが本気で戦えば物の数ではないのでしょうが」
こおりちゃんのミスティ、レリーフは『最強のミスティ』と呼ばれるほど強力なミスティにシフト出来るらしい。けどこおりちゃんはその力を使わない。それは、余りにも無意味に命を奪い過ぎるから。
「こおりちゃん一人ではさすがに分が悪いか」
「! だ、だったら、こんな所で話し込んでる場合じゃないじゃないですか! すぐ助けに行かないと! 生徒会ってそういう組織なんでしょう!?」
「あ……えっと、それは……霧の中に入る手段が……」
目を泳がせしどろもどろに話す杏李先輩の肩に手が置かれた。
「杏李女史、ここは嘘を教えるべき時ではないよ」
「ですけど……」
言ったきり杏李先輩は俯き口を噤む。代わりに遠見会長が話を引き継いだ。
「霧の中に侵入する手段はある。ほぼ全てのオーナーが可能な手段だ。もっとも、それなりの訓練はいるがね」
「じゃあ」
「輝燐クン。これから僕が話すことはこおりちゃんには絶対に内緒にしててくれ」
不吉な前置き。続く言葉は、
「僕たち生徒会は、周防こおりが襲撃されても助けに入ることを認められていない。その他『ブリッジ』の属するオーナーも全て、だ」
「……………………待って」
呟きと共に手が動いていた。遠見会長の胸倉を掴み上げていた。
「どういうこと。こおりちゃんを保護するためにこの学園に呼んだんじゃなかったの」
言葉は静かで。でも手は痛いほど握り締めて。多分ボクはキレている。
「すまない。だが必要なことなのだ」
「答えになってない。殴られたい? それとも先輩レベルじゃわからないとか? だったら上の人呼んできてよ、学園長とか」
「キリンさん」
「話したところで僕らの結論が変わりはしないよ。そして絶対に言うな」
腕が掴まれた。渾身の力で握られる。痛みに顔を顰めた。
「僕が……好きでこんな事を受け入れていると思っているのか。あの当時、あの事件を知っているこの僕が。その上でまだ話したいなら、よかろう、話すがいい。ただしその後、如何なる事態が起きようと全ての責任を取ってくれるのだろうな」
ぎろりと睨み返される。その目は、ただ感情に任せているだけのボクを怯ませるには十分だった。
「~~~ッ」
乱暴に手を離す。むせて堰を何度かした後、遠見先輩はいつも通りに戻っていた。
「さて。キミをここへ呼んだ本題だが、今言った通り我々は動けない。しかし不測の事態に備えていつでも動ける人員は必要だと思ってね」
……なんか読めてきたかも。
「輝燐クン。キミに霧の喚び方、及び霧への侵入方法を教えようと思うのだが、どうだろう?」
やっぱり。
「強制はしないよ。どれだけ他人には息巻いてもいざ自分に降りかかってくれば及び腰になるのは仕方の無いことさ」
……なんだか、今までの一連の会話が全部先輩のシナリオ通りみたいな気がしてきた。
「やるよ、やりますよっ! でも、これってそんなにすぐ出来るものなんですか?」
なんとなく癪に障ったので杏李先輩に訊いてみる。
「私は諸事情で喚べませんので。役立たずで申し訳ありません。どうなのですか、キョウさん?」
「霧は感覚的にはミスティの召喚と変わらぬからすぐだろうが、侵入方法は数日かかると思うぞ」
「ダメじゃないですか!」
戦いはもしかしたらもう始まってるかもしれないのに。
「はっはっは。安心したまえ。気付かなかったかな? キミの後ろの空席に」
後ろ? 空席?
「援軍ならもういるよ。今のキミよりずっと頼りになる、ね」
軽い挑発。その誰かに軽い嫉妬を覚えさせるような言葉。
けど、ボクは、
「……すぐ始めましょう」
遠見先輩が思ったより、そして自分で思っているよりずっと深い嫉妬を抱いていた。
「……なんでお前がいるの。この霧、お前じゃないだろ」
周囲に漂う霧の色は朱。こいつの金の霧じゃない。
「あら、知らない?」
真横の席に座っていた女生徒――明野が立ち上がる。と、彼女の周囲を金色の霧が薄く取り巻いているのに気付いた。
「『ミストクローク』。霧の防護服ってとこよ。これを纏えば張られた後でも霧に入り込めるの。まあ、今回はあたしも同時に霧を喚んだだけだけど」
「知るわけないだろ、そんな使えもしないもん。霧については『先生』から最低限の知識を教わっただけだ」
言いつつ立ち上がる俺を、明野が身体中をチェックするように眺め回す。
「怪我はしてないようね。まあ、どっちみち先週のならもう治ってるころでしょうけど」
「……てことは、霧を張り直すと以前に受けたダメージも戻ってくるんだな?」
「あたしたちだけじゃなく建物にもね。霧が張られてない間に自動修復されるけど」
なるほど。この仕組みなら一度霧を解除して完治した後にまた喚び直す、なんて真似は出来ないわけだ。どうやら霧を解くと傷が治るというより、俺自身の身体も含めて元の世界に在った物と同じ形をした別のモノだと考えたほうがいいかもしれない。
二人と二匹揃って廊下に出る。窓の外にも霧が広がっていた。
「結構大きいな」
遠くまではよく見えないが、少なくともグラウンドが見えている。
「そうね。少なくともあたしと敵で二人分とはいえ、これは厄介かも」
「そういやお前も霧喚んだんだろ? なんで朱色なんだ?」
「最初に喚んだ奴のが反映されるのよ。あまりにクラス差があれば高位のが反映されるけど。どうやらリトルクラスってことはなさそうね」
それ以前にそんな奴が刺客として送られてはこんだろ。
「しかし、戦闘前に自分の系統が知られるってリスク高くないか?」
「霧と同じ系統のミスティが強化されるのよ」
「なるほど、メリットとデメリットが表裏一体なワケだ」
ちょっとした講義を受けつつ、周囲の警戒は怠らない。
霧に取り込まれた際に一度波を広げた。敵は二人。場所は校舎内一階。遠くて行動意識まで読み取れなかったがおそらく二手に別れての挟撃。敵意は言うまでもなし。
さて、どうする? やはりこちらから迎撃に向かうか?
「…………」
ん? 明野? 何やらこっちをじっと見ているが……
「……後ろから刺す気か」
「しないわよっ! あんたはほんとにあたしをなんだと思ってんのっ!」
「一番ありそうだと思ったんだが……。じゃあ何でお前も入ってきたんだ?」
「本気で言ってるし……本当に刺してやろうかしら……いいえ我慢よ心、任務に私情は捨てなさい……」
ブツブツと独り言を漏らす明野。恨み言だろうな、随分と黒いオーラを放出してるし。
「……決まってるでしょう、任務よ。あんたたちの能力を見定める絶好の機会じゃない、逃す手は無いわ」
「……それは自分からこの場所に飛び込んできたって事でいいんだな? 俺がお前の命の心配をする必要はないんだな?」
「何言ってるの、危険なんて承知の上よ」
「そうか。俺はあるものは使う主義だからな、遠慮なく利用させてもらうぞ。ホラ、来た」
周防君が背後を指差す。何かが迫ってくる気配。けど慌てる事はない。
「アライエス!」
呼びかけとともに振り向く。雲の拡散は既に済ませてある。後はあたしの指示一つで雷撃が――
そんな余裕はあたしたちに迫りくる飛来物を確認した瞬間失われた。
岩の塊が数個。炎の弾やエネルギー光といった超常的なものではない。しかし、だからこそあたしたちには分が悪い!
「~~~ッ、行って!」
アライエスが飛び出す。と同時にその角が電撃を纏う。
「ンメルアァ!」
身体ごと角を振り、飛来する岩を砕き、発生した砂礫が体に降りかかる。
「! 防御!」
時間差で一発、飛んできた岩に体勢を立て直す余裕がない。咄嗟にアライエスの体毛を膨張させる。
岩弾がアライエスの体に直撃した。けれど体毛が衝撃を吸収して大きなダメージにはならなかった。SAの副次能力。けど完全に無効ってわけでもないから頼りにしすぎちゃいけない。
視線は前。敵の姿が二つ。一つは人間、スキンヘッドにサングラス、黒スーツの大男。……どこのマフィアよ。似たようなものでしょうけど。
そしてその男よりさらに大きな岩の巨人。Y・Iを開くまでもない、ポピュラーなミスティだ。
ロックギガンド、地系剛種、レギュラークラス。
厄介な相手だ。あたしたちにとっては。
地系ミスティというのは大別して二種類に分けられる。身体が岩や粘土そのもので構成されているものと大地からエネルギーを汲み上げ技として使用するもの。このロックギガンドは見ての通り前者な訳だけど。
クラス的には問題ない。問題なのは相性なのよね。
岩の身体、岩の砲弾。その全てが電撃を通さない。サンダークラウドのような普通の電撃は効果が無い。実質上、こちらの攻め手を一つ奪われた形だ。
それでも戦れない事はないけど……
「周防君、代わってくれないかしら」
折角二人いるんだから無理に苦手な相手と戦ることはない。そもそもあたしの目的は周防君の戦力調査なのだし。
「断る」
「……楽しようったってそうはいかないわよ、どうせあいつらの狙いはあんたなんだし」
ちらりと振り返った、そこに、
既に限定融合状態の周防君と対峙する人影。……あれってこの前のロシア人(仮)?
「~~~~」
「……何て?」
「おとなしく着いて来てくれれば手荒なことはしませんって常套句」
周防君の返事は決まっていた。鎌を振り上げて、振り下ろす。刃が射出された。回転しながらロシア人へと飛んでいく。
バキンと砕いたのは、二本の刀。
ロシア人の前面に開いた陽炎の扉から現れた二本の腕。そのまま空間を広げるように腕を広げ、その身体全てが姿を現す。
四本の腕。二本の腕には刀が握られ、二本のカラクリ腕には鉄爪が装着されている。身体のサイズは人間大。頭は無く、胸の部位に両目があった。
似たようなミスティを知ってる。けど身体が一回り大きくなってるし、何より腕は二本だった。おそらくシフト後の形態。
Y・Iを開いた。検索。
ジャスリン、素系刃種、グレートクラス。
グレートクラス!?
「あっちと戦りたいなら話は別だけど。勝算があるなら代わっていいぞ」
「……あんた、勝つ気? ミスティの基本原則くらい知ってんでしょ」
下位クラスのミスティは上位クラスのミスティに勝てない。二対一なら可能性はあるがこの状況では望みようも無い。
「で、結局どっち?」
……どうやら、腹を括らなきゃならないみたいね。
「……後から泣き言言っても助けないわよ」
「お互い様」
そして、あたしたちの背中は離れた。お互いの敵へ向かって。