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霧幻冬のヘキサグラム  作者: 宇野壱文
第2章 Tree × Aries
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第七話 霧学捕り物帳

「ねえ、こおりちゃん」

 成人の日を挟んで翌々日、ゆっくり休んで快復し、一緒に登校していた輝燐が話しかけてきた。割と不機嫌に。

「キミはどうやったら朝自分で起きてくれるのかな?」

「無理だな」

「即答すりゃいいってもんじゃないよ!」

 朝からテンション高いなあ、こいつ。

「苦労してんだよ、ボク! 殴っても蹴っても一向に起きないし! そんだけ朝から運動してたらそりゃテンション高くもなるよ!」

 だから人の心を読むなって。

「おまけに朝ごはんは手抜きだし! なにあの目玉焼き!? レンジでチンするだけなんて! ジャムは手作りでおいしいけどさ!」

「……朝起きられないのも朝の味覚が馬鹿になってるのも体質。自分の意思じゃどうしようもありません。夕飯の残り物で我慢しろ。でなきゃ自分で作れ」

「無理だよ」

「即答すりゃいいってもんじゃないらしいぞ」

「……言ってて情けなくならないのかしら? あなたたち」

 呆れ声に振り向いた。目の前にはロシア帽。視線を下げると銀色の髪が。

「……今、チビとか小さいとかちっこいとか考えなかったかしら?」

「被害妄想」

 当たってるけど。そして足を踏むな。

「まあいいわ。おはよう、桜井さん。ついでに周防君」

「おはよう、明野さん」

「おはよう」

「で、何? さっきから聞いてれば朝起きれないだの料理出来ないだの、そんなの努力すればどうにか出来る事じゃない」

「……明野さんは朝のあの惨状を知らないからそんな事が言えるんだよ。あの目覚まし時計の合奏はもう公害だよ」

「そうなのか」

「こおりちゃんは他人事のように言わない!」

「いや、俺寝てるからわからんし」

「習慣になれば難しいことじゃないわよ。あたしなんて四時には起きてるんだから」

 未知の生物がここにいます。

「……なんでそんな時間に起きるの?」

「いろいろやることがあるからよ。礼拝堂の掃除や朝のお祈りとかね」

「礼拝堂? お祈り? ……ああ、明野さんって教会の人なんだっけ」

 俺は日曜に知ったばかりだがそれは周知の事実だったらしい。そういえば学園じゃ有名人だっけこいつ。

「あれ? そういえば明野さんっていつももっと早く登校してるよね? どうして今日はこんな時間なの?」

「……別に気にすることじゃないわ」

 ん? 明野がちらりとこちらに視線を向けたが、まあいいか。

 ブロロロロ

 後ろから車の音がして脇に寄る。……なんだあれ。黒塗りのリムジンって、実在の乗り物だったのか。その存在だけでも異様なのに、更に異様なのはそれを誰も気に留めていないということだ。まるで特別大した事ではないというように。

 と、リムジンがすぐ前で止まった。そして一人の女性を降ろしてリムジンは走り去っていった。

「おはよう、桜井、周防。明野も一緒なのね」

「……獅子堂?」

「おはようございます、優姫先輩」

「おはようございます」

 二人が挨拶を返す中、俺はぽかんと呆けてしまっていた。

「何を朝から呆けているの。眠気が取れていないのなら冷水で顔を洗いなさい」

「いや、あれを初めて見たら呆けもしますって」

「いつもの事だからすっかり慣れきってたけど、これが正しい反応よね」

 何に対して呆れているかも分からない周囲を他所に、俺の中では一つの結論が出来上がっていた。

「……ヤクザの跡取りか」

「ウチは真っ当な企業だっ!」

「馬鹿なッ!?」

「周防が私の事をどう見ているか、よぉく分かった。今日の生徒会活動は楽しみにしてるといい」

 今日こそは全力で逃げ切らないと命がないらしい。

「……獅子堂グループ。ニュースで聞いた事ないの?」

「世相には疎くてな」

 というかテレビをあまり見ない。

「実家が遠くで。入寮してるんだけど週末は実家に帰るのよ」

「そして休み明けの朝はリムジンでご登校のお嬢様が見れる、と」

「……あまりそういう言い方をして欲しくはないわね」

 というか何でそんなお嬢様がこんな辺鄙な学園に通っているのだか。

「そういえば明野、会長から話は伺ってると思うけれど」

「その話ならもう直接お断りしました」

「そう。私も貴方なら任せられると思ったのだけど」

「……何の話ですか?」

 輝燐が見えない話に耐え切れず割り込んだ。

「明野に次期生徒会長を打診しているって話よ」

「へー。……って、まだ半年以上先の話じゃないですか!?」

「でも半年経とうが現一年生の顔ぶれが変わるわけじゃないし。今のうちから有能な人間に声をかけておこうって」

「その評価は嬉しいですけど、あたしはその役職にふさわしい人間じゃないですから」

 謙遜ではなく事実だろう。能力的には問題ないかもしれないが、生徒会入りするって事は『ブリッジ』の下働きをするって事だからな。まあ、俺みたいに無視ぶっちぎってる奴もいるけど。……もしかすると俺だけ? まあいいけど。

「まあ、桜井の言う通りまだ半年あるから。心変わりしたらいつでも言ってくれていいわよ」

 明野は無理に否定することはしなかった。とはいえそれは認めたということではないだろうけど。

 そのまま四人で校門をくぐり、玄関で獅子堂と別れた。登校中、やたら注目されてたのは気のせいだろうか。



「新しいセンセは若い女やぞー!」

 教室に飛び込んできた乾は開口一番にそう告げた。

 沸き立つ男子。それを白い目で見る女子。例外は約三名、他人事の俺とあははと笑っている藤田、それにきょとんとしている輝燐。

「? なんでこんな半端な時期に新しい先生が来るの?」

「そりゃお前、前の教師が辞めたからだろ。なんてったっけ」

「牧センなー」

「ああ……」

 輝燐が複雑な表情を浮かべる。あの状況、あの場では敵と割り切れても、いざ日常に戻ればいろいろな感情が溢れてくるものだ。この反応が普通だろう。

 俺としては予想していた範囲の事でしかない。むしろあんな事件を起こした上でまだこの学園に在籍していたなら学園の無警戒さと教師の厚顔無恥さに胆を潰していたところだ。

「嫌いやなかったんやけどな、あのセンセ。堅物やけどそれなりにおもろかったし」

「そーかあ? 伊緒はニガテだったけどな、うらがドロドロっぽくて」

「…………」

 藤田の言い回しはよくわからないが、俺にはどちらの評価が正しいか判別する事は出来ない。それは同じ場にいた期間の短さもあるし、そもそも相手の深い人格など気にかけるはずもない他人なのだからわかるはずもなかった。それはその教師だけに限った事じゃない。目の前にいる藤田や乾、俺を家族と言う輝燐や遥香さんだってそうだ。遠く隔てた、あるいは区切りの向こうに見える他人事。俺自身の事すらそうで、例外は唯一の家族(レリ)だけ。この話を聞いても全く動揺なんてない。今までの転校と同じだ。俺が出て行ったか、向こうが出て行ったかの違いに過ぎない。何にしても他人事だ。

「……それにしても若い女性ってだけではしゃいじゃって。美人だと決まったわけじゃないのにさ」

 輝燐は答えの出ない感情を一先ず引っ込めて、今の流れに乗ることにしたらしい。

「夢を壊すようなことを言うなー!」

「そうだ、こうして騒げる内が華なんだー!」

 そうだそうだとヒートアップする男子ども。女子達の視線の温度が更に下がる。

「まったく。あたし以上の美人なんてそうそう現れやしないってのに」

 こっちはこっちですごい自信だな、チビッ子。

 と、乾がフッフッフと不敵な笑いをこぼす。

「心配するんやない、皆の衆。このわいの嗅覚が訴えとる……新任教師は美人やと!」


 結論から言うと、確かに美人だった。

「あー、今日からこのクラスの担任になった松沢(のぼり)だ。教科は現国。たまに体育も任せられるかもしれん。よろしく」

 ただし、それはちゃんと身なりを整えれば、の話だ。

 服装は上下のジャージ。長い髪は適当に纏めただけでくせっ毛もそのまま。垂れた目元の下にはクマが出来ている。大きな欠伸を手で隠すこともしない。自堕落な大人の見本だった。

 男子どもの視線が殺意を伴って乾へ集中する。いやん、と身を縮める乾。ぬか喜びと期待外れの代価は相当大きそうだった。

「えーと、桜井輝燐と周防こおり。いるかぁ?」

 と、名前を呼ばれて顔を上げた。斜め前の席でも同じような反応。

「一限終わったら職員室来てくれ。以上、HR(ホームルーム)終わり」

 パンパンと出席簿を打ち鳴らして教室を出て行く。ひょっこりとこちらに首を伸ばす輝燐。

「何だと思う、こおりちゃん?」

「さあ」

 まあ、この二人の共通項といえば……



「おーう、こっちこっち」

 二人揃って職員室に入ると松沢教諭がぶらぶらと手を振った。椅子にだらしなく腰掛け口には煙草を吹かしたままで。獅子堂が見たら一瞬でキレそうだ。

「いやあね、なんか生徒会の副会長? ってのにいきなりタメ口で注意されちまった。まったく、生徒会ってのはいつの時代もイイ子ちゃん揃いで()んなるねえ」

 すでにキレていた。つーか、それは教師側からすると喜ばしいことのはずではなかろうか。

「つっても何? あーれーは、只者じゃないね。アタシも喧嘩慣れしてる方だけどさ、格が違うわ。アレが筆頭じゃ三強にもなるか。つーかあんなのがあと二人もいるのが驚き」

「獅子堂の話しに呼んだんなら、帰っていいですか」

「おいおい、何生き急いでるんだい若者。焦らずゆっくりしていきな。吸うかい? 吸ったら指導室行きだけどさ」

「戻ります」

「だーっ、キレんな! 若い奴ってのは本当キレやすいよな!」

 そう言ってぐりぐりと煙草を灰皿に押し付ける。

「二人だけで生活してて困ったこととかないか?」

 この二人のセットで思いつく用件っていうとそれくらいか。

「いや、別に。けど、教師が私生活まで気にかける必要ないでしょう」

 それとも不純異性交遊とか勘繰ってるのか。そんな熱心さとは対岸の岸っぽいが。

「遥香の奴からお前らの事頼まれてるからだよ」

「遥香さん?」

「知り合いなんですか?」

「昔からの腐れ縁兼同僚だよ」

 そう言いながら新しい煙草を取り出して火を点けた。

「もしかして……オーナー?」

 輝燐が小声で訊く。教諭は首を振った。

「タダの事務員だよ。まあ、ちっとばかし荒事には慣れてるけどね」

 にひ、と笑い、引き出しを開けてすぐに閉じた。……なんだろう、黒光りするものが見えた気がする。教育の現場にとてもふさわしくないもの。荒事の内容については聞かないほうがよさそうだ。

「しっかし、遥香が子育てなんて聞いた日にゃどうなることかと思ったけど、なんとかなるもんだねえ。昔っから仕事人間で家事なんてからっきしだった癖に。こりゃ、アタシが用意した鍋やら包丁やらはムダにならなかったかな? はっはっは」

 豪快に笑う松沢教諭と対照的に引きつり笑う輝燐。ええ、有効活用させてもらってますよ、俺が。

「こおりに輝燐だったか。二人とも元気そうにしてたって伝えとくよ。もっとも、携帯繋がんない事も多いからいつになるかわかんねけど」

「……えっと、松沢先生」

「あー、カタい! 昇でいい! 先生もいらね!」

 この人、多分教師としての自覚無い。

「えーっと、じゃあ昇さん。遥香さんってどんなお仕事してるんですか? ボク、一度も聞いたことなくて」

「あん? んー、……アタシも知らね。今何やってんだろ? なんかトップシークレットとかって話で情報も下りて来ねえ。ああ、そういえば……」

 教諭が吐き出した煙がぷかーっと輪になって浮かぶ。

「以前遥香が『害虫退治』とか言ってたな」

 と、教諭の視線が動き、ついで煙草を揉み消す。

「そろそろ時間だな。教室戻れ」

「あ、はい」

「なんか困ったことあったら来いよ。やれることならやってやる。避妊だきゃしとけ」

「ぶっ! だからそういう事はないんですってば!! なんで皆そういう事言うの!?」

「そーゆー反応が見たいからに決まってるジャン、けけけ。――っと、こおり、お前はもちょっとだけ残れ」

「? はあ」

「~~ッ、じゃ、先行くね!」

 輝燐が一足先に職員室を出て行く。教諭はぼりぼりと頭を掻いて、

「実はさ、遥香にはアンタの方を特によく見といて欲しいっつわれてたんだけど……ゴメン、無理だわ」

 ふーっと息を吐き、頭を揺らすように首を振る。

「アンタの瞳、怖いよ。昔の遥香みたい。自分を特別な人間だと思ってる奴の瞳――じゃない。特別な人間の瞳だ」



 昼休み。屋上で一人肉まんを頬張る。生徒会に追われてるわけではない。ただの気分だ。

 そうして、少し考える。

 特別な人間、か。

 先週の事を思い出す。あの男はオーナーになって自分は特別な人間になったと思っていた。思い込んでいた。

 そう、それはただの思い込み。ミスティを喚べても普通の人間であることに変わりはない。オーナーになっただけで資質や器が変わりはしない。仮にあの男が手に入れたミスティが最強の名を冠していたとしても、力に溺れる事すら出来ず滅ぶ。化け物にすらなれはしない。

 ……そう。滅んでいた。ただの『人間』なら、『化け物』になんてならなかった。暴走を起こした一人のオーナー。それ止まりのはずだったのに。

 自分がどれだけ異質だったのか。どれだけ異常だったのか。どれだけ特別だったのか。理解出来なければ耐えられず、『別物』になんてならなかったのに。

 『化け物』ですらない、『別物』に。

 受け容れられるという事自体を受け容れられない。

「……何を考えてるんだ、俺は?」

 少し、自分でも意味がわからない思考に嵌っていた気がする。起きながら夢でも見てたのか、俺は。

 ああ、でも何でだろう。少し昔のことを思い出した。

『面白い。君は『オレたち』が未だ見誤ってる事実を、その歳でもう『理解』しているのだな』

 ……『先生』、か。間違いなく『化け物』ではない『人間』だった。なのに。

『よろしい、ならば『化け物』を飼いならしてみるというのはどうだい? なあに、難しくはないさ。君は既に『化け物』と『人間』は同列の『存在』だと『理解』しているんだから。それに、『人間』というのはね、脆い生き物ではあるが――決して弱い生き物ではないのだよ』

 その言葉を他人事として処理しなかったのは、彼女がまさにその『人間の強さ』を体現しているようで。

 『先生』。俺は貴女に憧れています。貴女の様な『人間』で在りたい。

 ……俺も明野の事は言えないな。まったく。

 紙袋の中に手を突っ込む。手が底に着いてがさりと音がした。

 ……あれ?

 紙袋の中を漁る。覗き込む。空っぽ。いつの間に全部食べたっけ。

 顔を上げる。

 輝燐。両手に肉まんを掴んでもふもふと。

「……おい」

 手を伸ばす。届く前に二つとも口へ放り込んでむしゃむしゃごくん。

「ごちそうさまでした」

 ごちそうさまじゃねえ。

「油断大敵だよこおりちゃん。考え事しながらごはん食べてるからそうなるんだよ」

「お前の今日の夕飯は卵かけご飯のみ」

「ちょっ!? ふ、ふふん。いいもん、こおりちゃんのごはん強奪してやるから」

「俺の今日の夕飯も卵かけご飯」

「敵に大打撃を与えるためなら自軍の損害を気にしない人だ!」

「選べ。たかだが売店の肉まんを買いなおしてくるか、卵かけご飯か」

「こっ、このオニごおり!」

「あと一分」

「行ってまいります、サー!」

 鉄扉の閉まる音とともに輝燐の姿が校舎へ消えた。フェンスへ寄りかかる。

 ジャンジャジャーン

「…………」

 着信音の変更ってどうやるんだろうと考えながら電話に出た。

『やあこおりちゃん』

「お前か俺の携帯の着信音いじったのは」

『昨日否携帯電話になってる際にちょこっとね。ああ、ちなみにパスワード設定になってるから変えられないよ』

「今すぐ変えろ」

『それより今どこにいるんだい』

 それより変えろ、と返そうとして留まる。口振りこそいつも通りだが何やら急ぎの様子を感じられたのは幼馴染み故か。

「屋上。それが何」

『下着ドロが出た』

「……は?」

『ウチの制服を着て潜入していたらしい。見覚えのない生徒を不審に思った優姫クンが職質したそうだ」

「はあ。そりゃ相手が悪い。っつかそんな報告わざわざ入れんな」

 獅子堂が見つけたって時点で「捕まえた」と同意じゃねーか。

『ところがどっこい、ただ今校内を逃走中だ』

「……何故に?」

『優姫クンも年頃の女子ということだよ。逃げる際に、女性物の下着や体操服をばら撒いたらしい。それらの回収を優先したそうだ』

「……やっぱり俺は必要ないと思うぞ?」

 そこまでされて怒り狂った獅子堂が逃がすはずがない。

『相手が一人ならな』

「……複数犯かよ」

『一人は確実に捕まえるだろうが、バラバラに逃げられてはもう一人を逃がす可能性がある。しかし、犯人は学園生の格好をしている。紛れられては顔を知っている優姫クン以外見つけるのは難しい』

「それを俺に探せ、と」

『出来るだろう?』

 はあ、と溜め息。あの女子寮の件からそうだろうとは思ってたが、やっぱ俺の“アレ”に気付いてたか。まあ、子供の頃は控えてもいなかったし、バレてても不思議はない。

 プチッと携帯を切る。こんなことで「制限」を解く気にならないんだけどなあ。

 しかし、逃がしたときの獅子堂の怒りの矛先が向く場所を想像すると……。

 己の身を守るため、屋上を後にした。



 職員、生徒会役員、そして有志の面々がどたばたと校内を駆け巡る。なんでも学園内に入り込んだ下着ドロが見つかったらしい。

 ……女子寮に続いて学園まで。セキュリティどうなってんのかしら。霧を喚ばれた時点で結局は無効化されるといっても逆に言えばセキュリティが働かなければ霧無しで潜り込まれる危険性があるということでしょうに。

 ……あるいはセキュリティの詳細が洩れていた? 下調べの上で行われた、計画的犯行ということかしら。捕まえればわかることだけれど。

 あたしの出る幕ではない。身体能力が高いことは戦闘能力の高さじゃない。せいぜい簡単な護身術を習った程度だ。こういう場面で役に立つのは獅子堂先輩や……桜井さん。

 異常攻撃力“Attack”の『異質持ち』。彼女だけじゃない。優秀なオーナーというのは大抵『異質持ち』だ。

 ……やめましょう。もう何度も考えたことよ。

 思考を切り替えようとした、その時、

 ドンッ

「おっと」

 前から歩いてきた生徒と肩がぶつかった。

「悪いな」

「いえ、あたしも上の空だったもの、気にしないで」

 ちらと見る。ガタイのいい見覚えのない男子。……上級生かしら?

 通り過ぎるのを視線で追って、

「おーい、明野」

 呼びかけられた声に、苦虫を噛み潰したような表情で視線を正面に戻した。

 周防君がこちらにすたすたと歩いてくる。

「珍しいじゃない、周防君のほうから呼び止めるなんて。何の用よ」

「いや、特にお前に用はないんだけど」

 口の端がピクッと跳ねた。次の言葉を口に出す、その前に周防君がすっと指を差す。

「それ、下着ドロ」

 …………。

「えっ」

 バッと振り返ったとき、男子制服の下着ドロは窓から飛び降りていた!

 ここ三階よ! と窓に駆け寄り下を覗くと、男は見事に着地していた。……力の使いどころ間違ってるわ、絶対に。

 それよりどうする、ここから出来ることは、と視野を広くして――

「……え?」

 三階下の地面。下着ドロの対面。

 周防君が既にそこにいた。


 正体を看破された瞬間、下着ドロの意識が向くのは(みぎ)か、明野(ひだり)か。

 (みぎ)に向いた瞬間、傍の窓を開いた。

 飛び降りたのは、男と同時だった。

 着地と同時に“Ripple”再展開。

 目の前の男は驚愕により停止中。

 再起動。逃走を再開。

 接触まで残り五秒。

 痛いの嫌いなのになあ。


 地面へと降り立った周防こおりは、突進してきた男にあっさり吹っ飛ばされた。当たり前よね、あれだけの体格差、正面衝突して押し負けるのがどっちかなんて決まってる。

 こうして派手な登場をした割に周防君の出番はあっという間に終了、下着ドロは逃走を続け、場内大ブーイングの嵐……って、なるかと思われたんだけど。

 周防君の反対側。そこに下着ドロの男が大の字に倒れていた。立ち上がろうとして、よろめき尻餅をつく。

 皆は何が起こったか分からないって顔してるけど、あたしは見えた。二人がぶつかる瞬間、周防君が男の顎に一撃、カウンターをお見舞いしてたのを。

 そして、先に立ち上がったのは周防君だった。ダメージなど微塵も受けた様子なく、平然と。冷静に。ただ男を見下し続けている。


 男が立ち上がった。逃走から戦意へ切り替わる。

「警告する。次は容赦しない」

 男が両手を上げた。戦意は継続。嘘か。

 警告無視と判断。戦闘続行。

 平常の歩幅で敵へ接近。行動意識を右腕に確認。


 降参の意を示したはずの男が右腕を思い切り振り回してアッパー気味に殴りつける!

 が、周防君は軽くかわしただけでなくその肩に腕を絡め、足を払い倒れこむように男を正面から地面に叩きつけた! 更に背中を取って右腕を極めたまま後頭部に掌底を打ち込み地面に打ち付ける!

「ぐあああああ!」

 男がみっともなく悲鳴を上げた。

「強い……」

 誰かの口から洩れ出た言葉が耳に入る。

 これは……。

 もしかして……。

 四人目……?

 呟きがざわめきとなる中、あたしは周防君が男の腕を解放しても未だその場から目を離せずにいた。

 だからか、気付いた。男の右腕が不自然に曲がっていることに。

 まさか……折ったの? さっきの悲鳴は……まさか!?


「容赦しないって言っただろう、この五流芸人」

 男に背を向ける。

 男の戦意が再び増加する。敵意と憎悪も。やれやれ、それだけの根性があるならもっと他にやれることがあるだろうに。

 振り向いた。伸びきった左肘へ足裏で蹴りを叩き込む、その行動に移る刹那、


 すぐ背後に凶悪なまでの存在感を捉えた。


 ――馬鹿なッ!

 向けられる戦意。作為的? 行動意識は――読めない!?

 咄嗟にしゃがみ込み、回し蹴り気味に足払いをかける。

 しかしそれを軽くかわした気配の主は俺の身体を跳び越え、男の側頭部に飛び蹴りを見舞った。

 完全に意識を断つ一撃。放ったのは誰もが知る生徒会副会長・獅子堂優姫。

「…………」

 “Ripple”終了。

「……で、なんで俺を攻撃しようとしたの」

「……鋭いのね。いつもの鈍さが嘘みたいよ」

「答えなよ」

「……あのままだと、あなたがどこまでやるかわからなかったから。意識を私に向けさせるのが一番だと思った」

 作為的と感じたのはそれが原因か。

「……いつから見てた?」

「貴方が押さえ込んだところ」

「もう一人は?」

「雑木林の中で捕まえたわ。気絶させた後は先生に任せて戻ってきたの」

 雑木林から校舎まで数分で往復かよ。つくづく人間離れしてるな。

 何より、それまで一度も“Ripple”に掛からなかったなんて。

「折る瞬間、一瞬も躊躇わなかったわね」

「決めてたから。悪い?」

「悪くはない。むしろ敬意すら覚える。しかし、危険だ」

「まあ、なんでもいいけど」

 他人からどう思われようが知ったことではない。

「……生徒会に入れて正解だったな。しっかり躾けてやろう」

「ん? なんか言った?」

「なんでもないわ。それより、コレどうしましょうか」

「警察に引き渡しゃ万事解決だろ」

 気絶した男をつま先でつつく。しかし獅子堂はそうじゃないといわんばかりに首を振る。

「……さっきから聞こえてるでしょう、このコール」

 ……なんか面倒なことになりそうだから気付かないふりしてたってのに。まあ、流石に無理があると分かってたけどさ。

 校舎をちらりと見上げる。いつの間にやら窓からこちらを見下ろす大勢のギャラリー(暇人)ども。

 周防! 獅子堂! 周防! 獅子堂! 周防! 獅子堂!

 学園中に響かんばかりに俺と獅子堂の名前が連呼されてた。頭を痛そうに押さえる獅子堂。

「……何コレ」

「……対戦カード希望、ってとこかしらね」

「何ソレ」

「お祭り好きってことよ、うちのガッコ」

「教師は」

「あの通り」

 指差す先でジャージ姿の新任教師が煽っていた。

「いつもはだいたい生徒会が止めに入ってお開き、って感じになるんだけど……」

 当事者は二人とも生徒会役員。俺たち自身の言葉じゃ弱いってことだろう。しかも一人は副会長、下の立場の者が止めに入ったとしても収拾はつくまい。キョウや杏李先輩は……むしろ煽るほうだな。

「なんにしても、無駄に殴りあう義理はないな。痛いの嫌いだし」

「少しは空気読みましょう。ここで私たちから解散なんてしたら大顰蹙(ひんしゅく)よ。……とはいえ、流されるまま喧嘩し始めるなんていうのは私もゴメンだけど」

 個人的には顰蹙買おうが構いやしないんだけど。

「昼休みが終わるまで待つとか」

「その前に乱入者が出そうね。私はともかくあなたって未知数だから」

 その言葉が終わるが早いか二階からボクシンググローブを着けた男が飛び降りた。

「…………」

 展開。馬鹿馬鹿しいので感情分析無視。

「シッ!」

 繰り出された右ストレートを左手甲で払いざまの右掌底。カウンターで男はひっくり返った。

 終了。展開するまでもなく相打ちでも倒せたけど痛いのやだし。

「払うタイミングもポイントも的確」

 解説いらない。野次馬沸き立つな。

「まあでも、お前の相手より楽そうだ」

「……いや、私が闘ろう。無駄に怪我人が増えそうだ」

 ……今なんと仰いました、この人。

「……俺は怪我してもいいと?」

「…………」

 無言で眼鏡を外す獅子堂。何? 割れたら危険だからとか? まさか眼鏡を外したら本気モードとかって設定はありませんよね?

「……ごめんなさい、周防さん」

 何やら呟くと同時に構える。場が一転、静寂に包まれ――

 ジャンジャジャーン

「「「…………」」」

 とても場違いな音が響いた。携帯を取り出す。……輝燐か。

「……もしもし」

『ごっ、ごおりぢゃ~ん、いまどごぉ~』

「……とりあえず鼻をかめ」

 電話の向こうからちーんって音がした。

「……校舎裏にいるけど」

『肉まん買ってきたよ~、一分で戻ってきたよ~、なんで屋上にいないの~」

「……ああ」

 忘れてた。

『夕飯、卵かけご飯オンリーじゃないよね? ね? ね?』

「あー、はいはい。わかったからそこ動くな。肉まん抱えて待ってろ」

 そんな会話をしながら自然に、あくまで自然に校舎入り口から中へ。ぽかんとするその他大勢。次の瞬間。

 ブーイングの大合唱が、さらに獅子堂の一喝で沈静された。

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