6.医療魔道書(メディカルマギノビオン)
この物語はフィクションです。この物語にでてくる病院名、薬名、治療法、一部の病名などは架空のものです。
徹 :「今日はシステム工学について勉強したいと思う」
部員 :「いやいや、うちはシステム研究会です。何も改まって勉強する必要など…」
徹 :「では、システム工学とは何か教えてくれないか?」
部員 :「コンピュータを使うことにより、業務を支援して、人間が行う仕事を軽減することを目指す工学です」
徹 :「なるほど。しかし、50点だ。なぜなら君の言っていることはソフトウエア工学だ。システム工学とは業務を改善し人間が行う仕事を軽減することが目的だ」
部員 :「何が違うんです?」
徹 :「システム工学ではコンピュータを使わなくても人間が行う業務を軽減できる」
部員 :「ありえないです。そんなの理想論です。人間の何倍もの能力を持つコンピュータを使うことで仕事の軽減ができます。今の時代、コンピュータを使わずに業務など改善できません」
徹 :「では、百聞は一見にしかず。コンピュータを使わない最高のシステムを見せてあげよう」
徹は部員を連れて街にでる。
つかさ:「徹さん、どこに行くんですか?」
徹 :「キャバクラだ」
つかさ:「ちょっと待ってください。学生がキャバクラなんて。とても不健全です。しかも、こんな昼間からあいてなんかいません」
徹 :「まあ騙されたと思ってついてきな」
つかさをはじめ部員たちはしぶしぶついてくる。
学生街の中で1軒だけあるキャバクラの前につく。ここは教授や講師たちを目当てにしたキャバクラである。
部員 :「あいてないですよね。これで何がシステムについてわかるんですか?」
徹はふっと笑い看板を指す。
徹 :「読んでみて」
部員 :「19時前入店なら6000円ぽっきり。20時前なら8000円ぽっきり。これが当店のシステムです?!」
徹 :「そう。ここにコンピュータなど使われていない。標準化された業務と標準化された価格が表示されているだけだ。でも、これを見ればお客さんは安心する。ぼられないと。標準化された業務に基づく標準価格。これがシステムだ。これを導く出すのがシステム工学であり、当部の目的だ」
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私が病室の見回りから帰ってくると田中さんが残っていた。
田中さんはキングファイルを開き、それを見ながら体を動かしている。ちょっと見ると踊っているようだ。
知子 :「何してるんですか? もう、勤務時間は終わったのでは。」
田中 :「ああ、ともちゃん見回り御苦労さま。変わったことは?」
知子 :「特になかったです。それで、それは?」
田中 :「ああ、看護マニュアルだ。師長が作ったやつだ。それの見直しを行っている」
知子 :「マニュアルですか。」
私は顔をしかめる。
田中 :「気に入らないようだな。」
知子 :「ええ、マクドナルドじゃないんです。マニュアルに頼って仕事をするなんて人間味にかけます。」
田中 :「そうだな。私も最初はそうだった。だけど、実際は違うんだ。これこそ師長の看護業務効率化の神髄なんだ。」
知子 :「マニュアルがですか?」
田中 :「そ、マニュアルがだ。」
次の日、高橋さんが来ていた。
高橋 :「こんにちは~。つかさいる?」
師長 :「ああ、いらっしゃい。あっちゃん。今日はどうしたの?」
高橋 :「やっぱり知らされてないのね?」
師長 :「ふぇ?」
高橋 :「大学から『監査』が来るわ。」
師長 :「やば~。じゃ。私、番井先生のところに行ってくる」
そういうと、師長はどこかに行ってしまう。
知子 :「『監査』?」
高橋 :「うん、うちの大学独特の制度なんだけど。卒業生がちゃんと活躍してるかチェックしに来るのよ。そして、うちの大学の卒業生が働くのにふさわしい病院かもチェックするのよ。教授たちがね。」
看護部長:「こちらになります。」
高橋 :「噂をすれば早速だわ。」
年配の女性が3人やってくる
高橋 :「おはようございます。」
教授A:「あら、高橋さん、こんなところで。何してるの?」
高橋 :「お休みなので、つかさに会いに。それと勉強です。つかさの仕事を」
教授A:「そう、あなたも物好きね。こんな小さな病院なんて見習うことなんてないわよ。」
教授B:「まったくそうですわ。貴重な時間を使ってこんな田舎までわざわざ来る必要なんてあるのかしら。」
教授A:「ほんと、小さな民間病院。うちの卒業生は皆、国立病院でエリートとして頑張ってるわ。何も民間病院なんて行くことないのに。高橋さんも考え直したら。少しは大きい病院かもしれないけど所詮民間よ。あなたの能力にふさわしいとは思わないわ。」
高橋 :「そんなことないですわ。」
教授A:「考え直したらいつでも相談に乗るわ。」
そういって、二人は看護部長に連れられて各部屋を回る。
教授B:「なに、この消毒薬。みすぼらしいったらありゃしない。どこのメーカーのもの?」
そう言ってメモに書き写す。
教授A:「ああ、またベッドの配置を変えている。まったく、ちゃんとまっすぐ並べないとだめでしょうに。うちの大学の卒業生と考えるとはずかしい限りだわ。」
そう言ってメモに書き写す。
知子 :「なによ、あの人たち。勝手なこと言って。師長のすごさわかってないくせに。何様のつもり?」
教授C:「ちゃんと、わかっていますわよ。」
もうひとり教授が残っていた。
知子 :「あ、ごめんなさい。つい。何様のつもりかは私ですね。」
教授 :「いえいえ。あんなに悪口言われればね。でもね、彼女たち、そんなに悪く思ってないわよ。認めるのが悔しいだけ。」
知子 :「そうなんですか?」
教授C:「ええ、彼女たち去年と違うところをチェックしてるのよ。そして、メモに書いてるでしょ。あれは大学病院で取り入れるか検討するために書いてるの」
知子 :「え?ええ~?」
教授C:「毎年楽しみでね~。この見学会。つかささんの工夫が。」
高橋 :「ところで先生、その手に持っている本はなんでしょうか?」
高橋は教授が持っているキングファイルを指しながら、にやにやしていう。
教授C:「あらやだ、なんでこんな本が私の手に。いやねえ、年を取って少しぼけてしまったのでしょうか」
高橋 :「まったく、もう。油断も隙もありません。その本は門外不出です」
そういって高橋はキングファイルを棚に返す。
教授C:「だって、その本の価値をわかっているのは教授の中では私だけよ。つかささんの最高傑作の医療魔道書。何度その本でつかささんに魔法を唱えられたか」
高橋 :「実習で意地悪で看護師学校出たばかりの准看護師たちをつかさに与えて、激務に放り込んだはいいけど、その医療魔道書であっという間にスキルアップされて、医師たちに絶賛されたとかね」
教授C:「そうそう、この本に何が書かれているか興味津々なのよ」
高橋 :「持ち出すことはできませんが、ここで読む分には構いませんが」
教授C:「ありがたいわ。ではほかの教授たちが戻ってくるまで、ここで読まさせていただきますね」
そういって教授Cは眼鏡をかけて読み始めた。
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番井 :「ところでつかささん、経営改善の方法は見つかった?」
つかさ:「はい!」
事務長:「ほほう、話を聞かさせてくれないかね」
つかさ:「はい、レンタルと書店のMUTAYAを病院の隣に作ります。大体1億円くらいの初期コストでできます」
事務長:「それがどうして経営改善につながるのかね」
つかさ:「この病院は待ち時間が長いというのが不満です。しかし、これは仕方ありません。患者さんとのコミュニケーションの時間をとるのがこの病院の魅力だからです」
事務長:「ふむふむ」
つかさ:「しかし、その待ち時間はなにもすることがないからイライラするのです。そこで、MUTAYAで待ってもらい、本を選びながら、あるいはMUTAYAに喫茶室を作り、そこで本を読みながら順番待ちをするのです。電光表示板に今何番の人が呼ばれているかわかるようにすれば落ち着いて本が読めます」
事務長:「ほほう」
つかさ:「さらに、入院患者さんに病室から注文やレンタルの貸し出しや返却ができれば患者さんも喜びます。」
事務長:「なるほど」
つかさ:「これにより話題性が上がり病院の評判も上がり、お客さんがもっときます」
事務長:「すばらしい。さすがつかささんだ。早速検討しよう。」
番井 :「なぜ、Mポイントカードなんだ?」
つかさ:「え?」
番井 :「なぜ、交通系のNASUBIカードではないのだ?」
つかさ:「やっぱり、そこ気づいちゃった? 」
つかさはペロって舌を出す。
番井 :「それは気づくさ。つかさなら当然ビッグデータを狙いに来ると踏んでいたからな。なので、今回の提案の真意はMUTAYA本体でなくMポイントカードのほうだ。しかし、カードならNASUBIだ。」
つかさ:「だってNASUBIはレギレーションきついんですもん」
番井 :「だとしたら、もう少しこの提案は練らないといけないな」
事務長:「いい案だと思うのですが」
番井 :「確かに顧客満足度を上げるにはいいアイデアだ。しかし、顧客層が増える変わるといったブルーオーシャン狙いの圧倒的な発想がない。なので、まだ粗削りだ。1億円出すにはものたりない。カードのところをもう少し考えてほしい」
つかさ:「わかりました」
つかさは怒られた猫のようにちょっとしょげてすねた表情を見せた。
番井 :「で、プランBだ。もっと簡単にできるアイデアはないか」
つかさ:「じゃあ、ER兼内科を作るのはいかがでしょうか?」
事務長:「はあ? なんですかその組み合わせは?」
番井 :「ERと内科を一緒にする? 両極端だな。どの顧客層をねらっているんだ?」
つかさ:「ビジネスマンです」
番井 :「ビジネスマン? 内科? 成人病予備軍? ER? 成人病の果ての脳梗塞? ああ!」
つかさ:「ふふ」
番井 :「社員カードかあ! 顧客層にまだ病気でないサラリーマンに増やすのか。そのための布石か!」
つかさ:「あたり! だからMUTAYAカードだとパンチ不足なのわかります。社員カードにMUTAYAカードというのはちょっと遠いですからね。NASUBIのほうがいいのですが、データ利用が厳しいのです。」
番井 :「うむ、それは時間がかかるな。なら先にER兼内科で実績作りか。しかし、ER部長の坂口先生は絶対納得しないだろうな」
事務長:「よりによってつかささんを面接で落としたボンクラ部長という評判がついてしまい、いいふうにはつかささんを思っていないですから。つかささんの提案なんか絶対拒否でしょうね」
番井 :「ああ、ERは『戦場の医療集団ナイチンゲール』と呼ばれプライド高いからなあ。そう簡単には許されないだろうな」
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田中さんや大学の教授が絶賛している医療魔道書こと「マニュアル」ってそんなにすごいのだろうか。
私は興味を持って比較的暇な夜勤の時間マニュアルを見てみることにした。
7巻のER編を見てみる
知子 :「第七巻 3章 気管挿管」
目的
食べ物を戻してしまったときなどで気管がふさがれ呼吸ができなくなったときに使う方法。
概要
挿管セットを気管内に挿入して呼吸路を確保する。でも、なかなか難しいのよ。特に新米の先生とか研修医とかはまず無理。だからって自分でやっちゃだめよ。看護師は気管挿管認められていないから。でも、コツさえ分かれば誰でもできるのよね~。なので、この章はいかに先生をおだてて挿管させちゃうかの話よ。
知子 :「いきなり口語体に代わってる。それに気管挿管の解説じゃなくて気管挿管のさせ方になってる。」
基本
まず、大事なのは気道確保と気管挿入はポジショニングが違うので注意。まるでお母さんが小さい子の歯を磨くように膝の上に乗せるの。そう、体と頭の延長上にお母さんが来るようにね。もちろん、本当に膝枕するんでなくて枕を使うんだけどね。そしたら、右手の親指で患者さんの顎を抑えるの。他の指は反対側の顎の下を抑えて右手でチョッキンと紙をハサミで切るようにすると顎が開くわ。そうして覗き込むと声帯は見えてくる。その奥が気管よ。
知子 :「へえ、こんな感じなんだ。」
ポイント1
あわてて声帯が見えないのに入れちゃうとそこは食道。気管はその手前にあるから、その時はあわてずに挿管鏡をゆっくり上げて、もう一回奥に差し込む。そうするとべろが上に上がってちゃんと声帯が見える。何にせよ声帯が見えるのが大事。
こんなことが図入りで解説してある。
ポイント2
初めての気管挿管で怖気づいている先生への対処法。
①自分があわてないこと。その気持ちが伝播するわ。
②のんびりした口調でゆっくり進めること。もちろん急がなくちゃだめだけど、何度も失敗するより安全確実よ。
知子 :「面白い~! 看護師視点で書かれてる。確かに気管挿管は慣れないと難しいし、やるときは緊張する。私も前の病院で何回か見たけどお医者さん大変だった。でも、こうやって書いてあると誰でも出来そう」
その時だった。館内放送が流れた。
「ハーリー先生、ハーリー先生。至急ER処置室に来てください。繰り返します。ハーリー先生、ハーリー先生、至急ER処置室に来てください」
知子 :「これは手空きの医師、看護師の緊急招集放送。ERで大変なことが起きてる」
知子は医療魔道書を持ってERに向かった。
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入江 :「それでは今夜の当直は鏑木さんあなたに任せるからね。しっかりやるのよ」
入江女史は研修医の鏑木にそういって帰宅の途につこうとした。
鏑木 :「あの。」
入江 :「どうしたの?」
鏑木 :「私一人で大丈夫なのでしょうか? 研修医としてERに来たばかりですし」
入江 :「大丈夫よ。あなたも医者なんだから。それに今日は患者は来ないわよ」
鏑木 :「こない?」
入江 :「ええ、救急隊に連絡しておいたわ。今日はうちの病院の当直医は研修医だって。向こうもわかっているわ。そんなこと言われたらこの病院は避けるわ。」
鏑木 :「そんなものでしょうか」
鏑木は独り言のように小さく口の中でつぶやき、入江の背中を見送った。
そして、入江の言った通り、その夜救急車は来なかった。
鏑木はほっとして、早く朝が来るのを祈りながら静かに待っていた。
今日は看護師は若い准看護師がひとりだけで静かな夜だった。
しかし、静寂は破られた。
若者A:「すいません、こいつを見てやってください! 酒飲んでいたら急に意識がなくなって。それに呼吸が浅いような気がするんです。」
近くの大学の学生である。意識のない男子大学生が直接病院に運び込まれたのである。これでは救急隊に連絡しても意味がない。
鏑木は呆然としながら学生を見る。意識はないが、呼吸もそれほど浅くない。それ以外に外傷とかも見られない。鏑木は少し安心した。
鏑木 :「どれくらい飲んだんだ?」
若者 :「3人で日本酒2升。3人で飲み比べてたんです」
鏑木 :「典型的な急性アルコール中毒だな。処置室で寝かせて毛布を掛けて暖かくして点滴だな。今夜は一晩入院だな。君たちは今日は帰りなさい。それと今後無茶な飲み方をしないように」
そういって、2人の学生を帰らせた。
鏑木 :「急性アルコール中毒か。まだ、こんなのでよかった。一晩寝れば大丈夫でしょう」
看護師:「あの? 点滴以外に投薬とかしないんですか? ただの点滴ですよね、これ。」
鏑木 :「ああ、エチルアルコールに解毒剤はないんです。お酒が抜けるまで待つしかない。それで強制利用効果のある点滴を打つだけだけなんです。」
看護師:「へえ~、そうなんですか」
鏑木 :「ああ、これなら私でも処置できる。緊急手術とかでなくてよかった。そうなってたらパニックでした。」
看護師:「先生は正直なんですね。」
鏑木 :「小心者ですよ。本当は医者になんかなりたくなかったんだが、家が医者でね。跡取りのため仕方なくさ」
看護師:「でも、結構向いてると思いますよ」
鏑木 :「そうかな。あ、そうだ。患者さんはあおむけでなく横向きに寝かせてくれませんか。そう、そうだ。そうしないと万が一吐瀉したときに吐瀉物で呼吸ができなくなるからね。」
鏑木は患者が横向きになったのを確認すると安心して執務エリアに戻った。
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ゴホッゴホッ。
患者が吐瀉する音が聞こえた。鏑木は処置室に入り患者をみた。
そこには寝返りを打ちあおむけになった患者が自分の吐瀉物で息がつまり苦しんでいる。
鏑木 :「しまった! 見ていればよかった。うっかり安心して目を離してしまった。」
患者は苦しそうにして顔がどんどん青くなっていく。看護師が入ってくる。
看護師:「先生!気管挿入を!いそいで」
鏑木 :「そんなのできないよ!研修医ですよ」
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次の朝。
ERの医局では重苦しい雰囲気が漂っている。
副部長:「なんてことをしてくれたんだ。よりによってハーリー先生まで呼ぶなんて」
昨日の夜、ERは当直が研修医だけだった。本当は指導役の若い女医がついていたのだが、私用で研修医に任せてしまった。さらに悪いことに看護師も経験の少ない未熟な准看護士だけだった。
それでも、普通は問題なかった。救急隊員も心得ており、そんな日はわざわざこの病院に運び込まない。もっと、重篤な患者を見る3次病院を探す。
万事、平穏に済むはずだった。
しかし、夜中過ぎ、酔っぱらった若者が仲間に連れられ自分たちの足でこの病院にきた。
鏑木 :「急性アルコール中毒!」
そして患者は吐しゃして、その吐しゃ物でのどを詰まらせた。
鏑木 :「不味い! 早く、取り除かないと」
しかし、あわてるばかりでうまくいかない。
看護師:「気管挿入を」
鏑木 :「わかっている、わかっているが」
気管挿入はベテランの医師でも難しい。まして、研修医では・・・
看護師は気を利かせハーリーコールをした。
看護師:「ハーリー先生、ハーリー先生。ERまで」
ハーリーコール。それは緊急時を表すコード。手空きの医師、看護師の緊急招集だ。
そして、その時現れたのが小児科で夜勤をしていた『ともちゃん』こと島崎知子だった。医療魔道書と呼ばれるマニュアルを携えて。
鏑木は知子とマニュアルの指導を受け、無事に患者に気管挿入を行い、気道が確保されたことにより容体も安定し、朝にはただの二日酔いに戻った。
副部長:「いったい、研修医だけに当直を任せるなんてどういうことだ」
副部長が当直予定だった女医を睨めつける。
副部長:「それに、准看護士だけで夜勤をさせるなんて。師長のマネジメント能力を疑うぞ」
ER師長:「ですが、この人手不足。正看護師を夜勤にどんな日でもつかせるなんて無理です!」
副部長:「そこを何とかするのが看護マネジメントだ。師長の仕事だ。」
鏑木 :「でも、なんとか治療できました。患者も無事です。入江先生や師長は悪くありません。ハーリー先生を呼んだのだって念のための最善手です」
副部長:「正論だ。だが甘すぎる。ERとして何年も築き上げたものが一夜で崩壊だ。なんでガーディアン(周産期科)に頼まなかったのだ。よりによって、あのつかさのいるマザー(小児科)を呼び出すとは」
そんななかER部長の坂口が入ってくる。盛大なため息とともに。
副部長:「どうでした? 部長会議」
坂口 :「院長代行の番井先生以下大喜びだったよ。さすがERだとほめてくれた。いざというときは難しい治療も研修医でできるってな。他の病院のERの研修医ならだめだったろうって」
女医 :「申し訳ありませんでした。私の不行き届きです。本当に申し訳ありませんでした。」
坂口 :「まあまあ、患者も無事だったからいいじゃないか。それに番井先生は指導医の指導の良さのたまものだって言っていたぞ。研修医に一人で当直させるなんて千尋の谷に落とすスパルタ教育で今時そんなことできないって言ってた。」
女医ががっくりとうなだれる。
看護師:「あの~、何がいけなかったのでしょうか?」
周りの医師たちがふうとため息をつく
副部長:「なにもわかっていないのか」
坂口 :「そうそう、帰りがけにつかささんから渡されたよ医療魔道書第7巻を。『聖域だったナイチンゲールでも是非ご活用くださいって』」
副部長:「『聖域だった』ですか」
部長 :「ああ、そうだ」
若い看護師はまだきょとんとしている。
副部長:「教えてやるよ。昨日の事件は、ERなんて、マニュアルさえあれば研修医と未熟な准看護士と専門外の若い看護師でも十分対応できるってことを証明したんだ」
部長 :「このマニュアルがあればERはどんな医者や看護師でもできる。そう言われたも同然だ。俺たちの専門性なんてマニュアル化できる大したものでないって認識された。」
副部長:「ERはマクドナルドではない。マニュアル化される必要なんてないんだ。なのにマニュアルの重要性が証明されてしまったんだ。くそ!」
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田中 :「お帰り、つかささん。部長会議どうでした?」
つかさ:「大成功。ER部長の坂口先生も苦虫をかみつぶしたような顔をして医療魔道書第7巻を受け取ったわ。いまどき属人性の高いやり方で業務をするなんて無理があるわ。先生それぞれにやり方があって、それに合わせてたら看護師さんも大変。ちゃんと標準化すれば楽になるのに。専門性ある部門だから標準化なんて無理だなんてバカ言っちゃって。そんな頑固おやじの頭にガツンと言ってやったわ」
田中 :「やれやれ」
つかさ:「ともちゃんもお疲れ様。大活躍だったじゃない」
知子 :「実は前の病院で一時期ERだったもので、ちょっと知ってたんです。」
つかさ:「それでもすごいわ~。そして、あとは周産期科を残すのみ。いちご先生はいいんだけど、あそこのゼネラル7も頑固だからなあ。我々高度な専門家にマニュアルはいらないって。まあ、でも今回のことで考え方も変わるでしょ」
田中 :「だといいのですが」
つかさ:「それと、坂口先生、ER兼内科を承諾してくれたわ。盛大なため息ついてだけどね。じゃあ、ちょっと理学療養科に行ってきますね。最近、腰が痛くって」
そう言って小児科のナースセンターをでて行くつかさの後ろ姿を見ながら田中はぼそっと呟く。
田中 :「本日も小児科平常運転っと」
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足立 :「やはり、病院は時間がかかるな。無理やり会社を1日休んだのは正解だったな。」
ER兼内科の前の待合室でPCの画面をにらみ、メールをチェックしながら呼ばれるのを待つ足立だった。
健康診断の結果が芳しくなく、成人病の疑いありで医者に診てもらえということでこの花の丘病院を紹介された。そして、受付を済ませたところER兼内科に案内された。
足立 :「ERって、事故とか緊急で運び込まれる救急対応をする医療の最前線だろ。そんなところに健康診断の結果の相談患者(患者ですらないか)をまたせていいのか? ERで内科の診療っていいのか?」
足立は周りで一緒に待っている人たちを見た。みな足立と同じ中年のビジネスマンで、同じような境遇らしく血色のよさそうな方々ばかりだ。
足立 :「まあ、たしかに急を要するような人じゃないから緊急時は待たせればいいのかもしれないけどね~」
そんななかで廊下をはさんだベンチに座って待っていると目の前をストレッチャーに乗った患者さんが通過していく。
「ピッピッピッ」
心音計の音がするなか、気管挿管あるいは人工呼吸器をつけられた壮年の男の患者さんだった。
のんびりと内科の受付業務をする看護師の横を青い服を着た医師たちが走っていく。
呆然と見送る私たち。その男性と同じような年の内科受診のかた(いたって健康そう)が口をあけてみている。
さらに、あわただしく、取りみだした女性が現れた。その女性には80過ぎのおばあちゃんと20歳くらいの金髪に髪を染めた子供が同行している。
「今、こちらに運び込まれたと連絡を受けた家族のものです。」
「こちらへどうぞ」
小走りに廊下を移動する家族。
受付 :「足立さん、お待たせしました。中にお入りください」
中では青い服を着た医師が待っていた
医師 :「ちょっと血圧が高いですね。少し運動するとかしたほうがいいですよ。成人病を甘く見るもんじゃありません。脳卒中とか起こして、職場で倒れて、そのままここに運ばれてくる患者さんも結構多いんですよ」
がははと笑いながら説明する医師。
医師 :「またしばらく経ったらここに来るといいでしょう。緊急時は少し待つが、医師は優秀なものばかりです。検査結果から判断できない若い医者じゃあないから、隠れた病気も見抜くことができる。なにせ、ERで検査なんか待ってたら死んじまいますからね」
また、がははと笑う医師を見て足立は思った。
「確かに健康こそがかけがえのない財産だ。定期的にまた見てもらうか。ER兼内科。いいんじゃない」
おしまい
ということで実に3年ぶりの投稿です。
課題の上方展開を掲載したのがついこの間だと思っていたのですが月日が経つのは早いものです。
この物語は4年位前から考えていました。そのため、カードとかビッグデータとか今となってはちょっと古い概念となってしまいました。まあ、つかささんと番井さんの会話は話半分で聞いといて大丈夫です。
この物語はマニュアルの効用が書かれています。これは業務マニュアルと呼ばれるものでどんなに専門的でも作成可能で属人性を排除するものです。このマニュアルの書くのが大変なのですが、システム研究会出身のつかささんにとっては得意分野です。
そして、ER兼内科。異種科合併。これこそ医療改善の神髄の一つです。縦割り組織の中で異文化のものをくっつけて効率化する。現場改善より一つ上の改善になるためそれなりの役職が必要になります。しかし、十分力をつけたつかささん。今後はこの異種科合併でとんでもないことをやってくれるでしょう。