第九話 蛇
窓の外に立つ少年の姿に、ミナは息を詰めた。
声をかけようにも、喉が凍りついたように動かない。
彼の目は、深い闇のようだった。
怒っているのか、怯えているのか、それとも――何も感じていないのか。
「あのっ」
ようやく絞り出した声が裏返った。
「…あなたは、3ヶ月前、私を助けてくれた方ですよね? あなたは宇宙防衛隊の人? それとも幽霊さん? 防護服着てないけど大丈夫なの?」
その言葉が言い終わる前だった。
ふっと、少年の姿がかき消えた。
「――!」
ミナが目を見開く間もなく、気配が真横に現れる。
スッ…
空気がわずかに揺れる。
気づいたときには、少年は――ミナのすぐ隣に立っていた。
距離は、十数センチ。
吐息が頬にかかるような、異常な近さ。
脚がすくんで、動けない。
「…俺はお前を助けた覚えはない」
その言葉と同時に、彼はガシッとミナの首をつかんだ。
「――っ!?」
圧倒的な力。爪が食い込む感触。
呼吸が詰まり、声も出せない。
「……耳、塞いどけ」
「えっ……」
ミナが耳を塞いだ瞬間、
シューッ!
景色がぶれる。
床が遠ざかる。
ミナの体が、空へ空へと引き上げられていく。
キィィィィン……!という高音が頭の中に鳴り響く。耳が痛い。鼓膜が破けてしまいそうなくらい。
「…なんで空を飛べるの…??」
そのときミナはハッとした。
ある日のナツキとの会話を思い出した。
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ミナがタブレットの参考書を見て、ふと尋ねた。
「第一地球と第二地球が仲良くなって、宇宙連盟ができたんですよね? なのに……どうして、第二地球はあんなひどいことを…」
場所はナツキの部屋。
宇宙防衛隊の入隊試験に向けて、ふたりで勉強していた最中のことだった。
ナツキは少し黙り込み、ミナが手元にもつ端末に視線を落としたまま答える。
「……たしかに、最初は友好的だったのよ。第一地球と第二地球は、お互いに協力し合って連盟を立ち上げたの。でも――」
その瞳に、かすかな険しさが浮かぶ。
「雲行きが怪しくなったのは、第二地球が“宇宙鬼族”と接触し始めた頃からだったわ」
「宇宙……鬼族……?」
ミナは初めて耳にする言葉を、戸惑いながら繰り返した。
ナツキは頷き、静かに語り始める。
「彼らは、特定の星に住まない。
宇宙の呼吸できない空間でも、極寒の地でも平気。生存条件が、人間とはまったく違うの」
「えっ……」
ミナの目が大きく見開かれる。
「彼らは、自分たちのことを“優族”、 私たち人間を“劣族”と呼ぶ。」
「れつ……ぞく……」
ミナは初めて耳にした言葉をゆっくり口にする。
「“劣”ってる種“族”だから、“劣族”。……ひどい呼び方でしょ」
ナツキの声には、苦味がにじんでいた。
「人間とは比べものにならないくらい強い。
握力も腕力も人間の何倍もある。でも、思いやりとか、命の重さとか……そういうの、全部通じない、すごく非情な奴らなの。」
――――――
(もしかして……この人、宇宙鬼族……?)
空気が薄い。息が、うまく吸えない。
高すぎて、足がすくむ。
その時――風が吹き抜け、少年の服の裾をはらりとめくった。
ちらりと見えた腹部に、黒々と禍々しい紋様が浮かぶ。
―――「そして、第二地球の奴らは、決まってあるマークを身につけているの。」
蛇のマーク――!
それはまさしく、あの噂に聞いた忌まわしい印。
少年の腹には、うねるような黒蛇の絵が刻まれていた。
(間違いない……この人、第二地球側の宇宙鬼族だ……!)