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深更のミナ  作者: 安房 カズサ
第一章 地球滅亡編
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第七話 変わらないもの

「お母さん! 私、お母さんみたいな警察官になれるかな?」


まだ幼かった頃のミナが、母と並んでベッドに入っていた。

淡いオレンジ色のディスクライトが、静かな夜の部屋を柔らかく照らしている。


「うーん、ミナはちょっと泣き虫だからなあ」


母はくすりと笑った。


「でもね、いいおまじないがあるんだよ」

第七地球(ヴィルゴアース)、日本国、東京都……」


ミナは、小さくつぶやくように、心の中で家の住所を一つずつ思い浮かべた。

そのたびに、目の前のディスプレイに文字が浮かび、静かに確定されていく。

昔、家族と暮らしていた場所。母と、父と、妹と、何気ない日々を過ごしたあの家。


エンジンが低く唸り、宇宙船が発進する。

タクミから借りた宇宙防衛隊の公用艇。今となっては旧型で、どこか頼りない印象だった。


操縦の必要はない。入力した座標に従って、自動で船は進んでいく。

それでもミナは、コックピットのハンドルを両手で強く握りしめていた。じんわり汗が滲む。手を離したら、このまま宇宙の闇の彼方へ吹き飛ばされそうで怖かった。


窓の外では、無数の光の粒が尾を引くように流れていく。

あまりに速すぎて、星々の姿はもう見えなかった。



出発から、五時間ほどが経った頃。

船は徐々に速度を落とし始めた。


窓の外に広がるのは、見覚えのある景色だった。


――太陽系。


図鑑でしか見たことのなかった惑星たちが、まるで絵のように美しく浮かんでいる。


青白く輝く海王星。

優雅な輪を持つ土星。

巨大な縞模様をまとった木星。


太陽がまばゆい光で、船体を照らし出す。


いまは見えない他の惑星は太陽の反対側にいるのだろう。


船はさらに速度を落としながら、静かに進んでいく。


月だ。地球の裏側から見る月の模様には、どこか奇妙な違和感があった。


そして


青かったはずの地球が白く不気味に光っていた-―


息が詰まり、胸の奥が冷たくひりつく。

手足が震えて自分で抑えることができない。


ミナは、まるでお守りのように握っていた薬瓶をポケットから取り出す。


震える手で瓶の蓋を開ける。


これは宇宙防衛隊の救護班から処方された、即効性のある精神を安定させる薬。


水も飲まず、錠剤を口に入れる。

すると薬が舌の上でやさしく溶け込む。


現実が、まるで夢の中の出来事のように、少しずつ輪郭をぼかし始める。

手足の震えも、やがて静かに収まっていった。


ミナはようやく肩の力を抜いた。


しかしその直後、突き上げるような吐き気が襲ってきた。


胃の奥からこみ上げてくるものに、ミナはたまらず身をかがめ、ハンドルに向かって嘔吐した。


「……もう、決まった量の三錠も多く飲んじゃってる。さすがに飲みすぎた……」


弱々しくつぶやきながら、ミナは濡れたハンドルを見つめてつぶやいた。


やがて、宇宙船は目的地に到着し、ミナの家の前で静かに停まった。


宇宙船のハッチが、鈍い金属音とともに開く。ミナは宇宙防衛隊用の防護服を着て、家へ向かって歩こうとする。


その一歩一歩が、静まり返った世界に異様なほど大きく響いた。


人の声はもちろん、鳥のさえずりも、虫の音さえもしない。

庭の草はぼうぼうに伸び、荒れ地のようだった。


ナツキが言っていた“残留粒子”の影響だろうか。空は鈍く濁った灰色をしている。


足取りは重い。吸い込まれそうな静寂――

昼間のトンネルに足を踏み入れたときのような、不安と恐怖が胸を締めつける。

いや、それよりももっと息苦しい。

心の奥底からせり上がってくる得体の知れない感情に、足が地面に縫い付けられるようだった。


けれど、ここは確かに――思い出がたくさん詰まった場所。


妹の未希と笑いながら縄跳びをした庭。

母と父が、いつも玄関先から見送ってくれたあの場所。

自転車の練習で、何度も膝を擦りむいた道。


かつては、温かく包んでくれた場所だった。

それが今では、冷たく、牙を剥いてミナを拒んでいるかのようだった。


―-ここはもう、帰る場所じゃないんだ。


「……やっぱり……、ダメだ………」


足が動かない。

目からはたくさんの涙があふれる。

再び全身が震え出す。


――ナツキさんの言ったとおりだ。ふるさとに行っても私が壊れちゃうだけだ。

魄玉(はくだま)を探し出す以前に。


ミナはその場に崩れ落ち、膝を抱えて小さくうずくまった。


反射的に薬瓶を取り出そうとする――が、顔は防護服に覆われていて、飲むことができない。


――助けて…







「ミナが絶っっ対に泣きやむおまじない!」


遠い昔の記憶。お母さんの温もり。

温かい布団の中。


♪~


お母さんが歌っていた。

心に染みわたるような、優しいメロディー。

でも、歌詞はヘンテコ。


「なに? この変な曲?」

幼いミナは笑いながら、首をかしげて尋ねた。


お母さんはくすりと笑って、髪を撫でながら答える。


「ミナが赤ちゃんのとき、これを歌うと絶対に泣き止んだのよ。」



怖くて眠れない夜も

転んで泣いた日も

お友だちとけんかして、ひとりで帰ってきた日も


いつでもこの歌が、ミナの涙をそっと拭ってくれた。


―――


♪~


ミナは声を震わせながらも、必死に歌い続けた。

静まり返った地球に、かすかな歌声が広がっていく。

優しいメロディー。ヘンテコな歌詞。

――あのときと、変わらない。


震えが少しずつ収まっていく。

涙も、静かに止まっていく。


「お母さんのおまじない、本当だね」


ミナは天を見上げて、そっと微笑んだ。

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