第十八話 たんぽぽと荒れた少年
二次試験は一次試験合格発表の二週間後に行われた。
新しい受験番号――ミナは2199番だ。
会場の壁には大きな案内板が張り出され、受験生たちは次々とその前に集まっては、自分の行く教室を探している。
ざわめきの中、ミナも案内板を見つめ、受験番号を確認した。
『受験番号2101~2200は3階P教室』
ミナは案内板をじっと見つめ、該当の部屋へ向かおうとしたその時、
「ちょっと、すみません。前見せてください」
突然、甲高く幼い声が背後から飛んできた。
ミナはそっと振り返るが、声の主の姿は見えなかった。
「おい、ちょっと踏むなガキ!」
低くガラガラとした声が怒鳴り返す。
「すみません。前がみえなくて……」
「なんでお前みたいなガキがこんなとこにいるんだよ!!」
ミナは案内板の前をそっと離れ、声のする方向を遠巻きに見つめた。
そこには、ミナのへそほどしかない小さな子供が、緑色の猫耳のついたカチューシャをつけて、頭を何度も深く下げていた。
茶色の髪は前から後ろまでまっすぐに整えられている。
「なんだこれ、カチューシャか?」
先ほど怒鳴ったのは、ミナと同じくらいの年頃の少年だった。黒髪のショートカットは無造作に乱れている。
その少年は子供の頭からそのカチューシャをひょいと取り上げると、よく見ると猫耳ではなく、まるでタンポポのつぼみのようなぬいぐるみが二つついていた。
「返してください!」
子供は小さく跳ねて必死に取り返そうとする。
「こんなもんつけて、ガキはさっさとおうちに帰れよ」
「ガキじゃないです!わたしも受験生です!」
小さな拳を握りしめて、子供も負けじと言い返す。
「ちょっと!!」
ミナは思わず大きく声をあげた。
「ああ?なんだお前……」
黒髪の少年が鋭くミナを睨みつける。吊り上がった目つきに、口角は意地悪く歪んでいた。
――守る立場になる人間が、弱い者をいじめるなんて
「なんだは、あなたです!!こんな小さい子供をいじめて、恥ずかしくないんですか?」
ミナの声は震えながらも強い。
周囲の受験生たちは気まずそうに視線を逸らし、さっさとそれぞれの指定された部屋へ向かっていく。
「うっせーな。ガキが来る場所じゃねぇから帰れって言ってただけだよ」
少年は腰の下がったズボンでがに股に立ち、だらしなく肩を揺らしながらミナを睨みつけた。
その横柄な態度に、ミナの胸の奥で、熱いものがぐっとせり上がる。
「帰るべきなのは、あなたの方です!あなたみたいな人に宇宙防衛隊になってほしくない!そんな人が隊員になったら、救われる命も救われなくなるかもしれない!」
守る立場にいるはずの人間が、弱い者を踏みにじる存在だったら――救われる命は失われ、第七地球と同じ悲劇がまた繰り返されるかもしれない。
そんな未来だけは、絶対に許せなかった。
ミナは真っ直ぐに彼を睨み返す。
その傍らで、タンポポのカチューシャをつけた小さな子供が、不安そうに二人の言い争いを見つめている。
「はぁ?宇宙防衛隊にすらなってないお前が、どの立場でいってんの?」
少年は片手をポケットに突っ込み、薄ら笑いを浮かべた。
ミナは迷わず少年の目を捉え、はっきりと言い放つ。
「……それは、第七地球の住民の立場として」
あの日、第七地球の人々は、誰ひとり宇宙防衛隊に救われなかった。
自分だけが生き残った事実は、誇りではなく、胸に刺さったままの痛みだ。
守る立場のはずの宇宙防衛隊は、第七地球を守ってくれなかった――その事実への不満が、言葉の奥に滲んでいた。
「……第七地球……」
その言葉に、少年の目が細まり、わずかに動揺を見せた。その時、
「…あの……もうあと五分で試験案内が始まりますが……」
受付に立つ、物腰柔らかそうな青年が声をかけた。
「チッ、うるせーやつに足止め食らわされたぜ。」
そう言って、少年は背を向けたかと思うと、振り返りざまに
「あばよ」
とつぶやき、エレベーターに乗り込んでいった。
扉が静かに閉まり、姿は視界から消えた。
ミナは、張り詰めていた肩の力を抜くように、ふぅっと息を吐いた。
緊張が解け、胸の鼓動も少しずつ落ち着いていく。
「大変だったねー」
と、そっと子供に声をかけようとしたその瞬間――
その大きな瞳が、ぱっと見開かれた。
「……っ!!」
まるで何かのスイッチが入ったように、頬が一気に真っ赤になる。
次の瞬間――
「すっっっ、すきですーーーーーーっ!!!」
空気を震わせるほどの声量に、廊下にいた受験生たちが何人かびくっと振り向く。
両手はぎゅっと握りしめ、短い足でドタドタとミナに突進。
タンポポのカチューシャがぶるんと揺れていた。
「えっ……」
あまりの勢いに、ミナは思わず半歩、後ろに下がった。
さっきまでの緊張とは別の理由で、心臓がどくんと跳ねる。
「助けてくれてありがとう。わたし、橘たんぽぽといいます。」
子供は深く頭を下げた。
「ううん、全然平気よ。あなた、とても小さいのに受験生なの?すごいね、たんぽぽちゃん。」
「たんぽぽは男です。名前が言いにくいから、ぽんぽって呼んでください。」
ミナはカチューシャを見て女の子だと思っていたが、彼は男の子だった。
「じゃあ、おたがい試験がんばりましょう!また会いにいくから!」
そう言って、ぽんぽは手を大きく振った。
(私も行かなきゃ、遅刻になっちゃう!)
ミナははっとして、足早に3階へ向かった。