9.
トゥルギアの地における視察も終わりが近い。この日テティデューは軍事関連の工場を視察し騎士が実際に身に付ける鎧や剣が作られる工程を見て来たところだ。エイリカと二人、部屋に戻り彼女は安堵の溜息をつく。
「中々、難しいですわね。どうにもこうにも、この土地は」
彼女にとってトゥルギアの視察はどうにも息苦しい物であった。と言うのもどこへ行けどもその裏に見える戦の影が彼女を精神的に苦しめるのだ。
「国の維持には必要だとわかっているのだけれど……、戦だとか、そういう、争い事が無ければと思ってしまうわ」
戦に限らず戦う為の力が必要なことなど彼女にも分かっていることだ。アバストロフの地で彼女が刺客に狙われた事が無いわけでも無い。そのほとんどは彼女の目の前では無く気が付いた時には彼女を護衛する騎士やエイリカが捕らえ相応の処罰を与えたのだが、もしも彼らがいなければどうなっていたことか。
民を、領地を、国を、守る為に必要なことだと理解はしている。それでもテティデューの生来の性格故か、そう言った物事への忌避感はかなり強いらしい。
「エイリカ、あなたは護身術を身に付けてるし多少はトゥルギアに親近感も沸くのかしら?」
「親近感ですか?」
エイリカは少し考える素振りを見せてから首を横に振った。
「そもそも私が身に付けたのはあくまでテティデューを狙う悪漢に痛い目を見せる為で、彼らのような騎士とは大きく違うわ」
「それもそうね」
「でも確かに私はテティデューほどこの場所を嫌ってはいないわ。身体を鍛えるのは私もやっているし」
「……私、嫌いとまでは言ってないつもりだけど」
テティデューはそうは言ったものの、初日の牧場の視察以降、日に日に彼女の気が滅入って行くのを誰もが感じていたはずだ。しかし彼女の見解は違う。
「……苦手、なんでしょうね。嫌いと言うよりは。戦の中に芸術は生まれないわ……。だってそれを生み出す余裕なんて無いでしょう?」
「それはまあ……」
アバストロフの地では毎日天を衝く奉納の光を見ることが出来る。日々切磋琢磨する芸術家たちは自身が作り上げたことをその光で周囲に知らしめる。
ロンドーリアの地ではそのような光を見ることは無かった。しかしあそこは根本的にそれを目的としない場所だ。世紀の傑作を生み出す才が無くともそこで、絵筆を握り、調べを奏で、石を彫る。その日々を送ることが出来る場所だ。
トゥルギアはどちらとも違う。騎士はいずれ来る戦いの為に自らを鍛え、他の者はいずれ来る戦いの為に剣を打ち、鎧を鋳て、馬を養い、食事を作る。それらは国と民を守る為、決して半端は許されない。
故にここには芸術が育まれる土壌が育たない。
「私はどこまで行っても芸術の都で育った令嬢なのよ。それなしでは生きられないわ」
「テティデュー……」
エイリカはこの視察は無駄になるかもしれない、そんな懸念が過る。婚約者を選ぶ為のものだったが、相手を知り、内情を知る、それが必ずしもプラスに働くとは限らないのだ。彼女は窓の外、空に光る星を見ようとしたがそれは分厚い雲に覆われてしまっている。
トゥルギアの視察は明日で最後だ。あの暗雲を吹き飛ばすような何かが起こってくれればいいが、そう祈ることしか彼女には出来なかった。
朝が来て、食事を終え、気が付けば視察へ向かう時間だ。テティデューは重い足を引きずりながら彼女を待つガーレンの元へ向かう。
「視察も今日で最終日、どこへお連れ頂けるのかしら?」
彼女は努めてにこやかな笑みを浮かべてそう言った。その内心がどうであるかは語るまでも無いだろう。
ではそのことにガーレンは気付いていないのだろうか? およそ十日ほど行動を共にする中で彼は何も気付かなかったのだろうか?
「テティデュー嬢、今日は城の中を案内しよう」
少なくとも、今の彼はそれほど鈍感でもないだろう。
城の中の案内、ガーレンはそう銘打ったのだが実際にはあっさりとしたものだ。そもそもテティデュー達は日中はともかく夜間はこの城に滞在しており全てを回ることは無くとも主要な場所は既に把握している。たとえ彼女が普段向かう必要のない使用人の部屋などを案内されたところで、出て来る感想は気の抜けた相槌だけだろう。
当然ガーレンもそんなことは分かっている。
「どうだろうか、我らがトゥルギアの城は」
「ええ、大変素晴らしいと思いますわ」
テティデューは精一杯に笑顔を浮かべる。何か言葉を付け加えると嘘臭くなりそうだと思いそれ以上の言葉は言わなかったが。
しかし。
「素晴らしい世辞だ。ありがたく受け取っておこう」
ガーレンはあっけらかんとそう返答した。流石にテティデューもそれを聞いて察する。
「ガーレン様。今日は城の案内と聞きましたが、もしや他に目的があるのでして?」
「そういうことだ。城の案内は、まあ、ついでだな」
テティデューはその言葉に納得しずんずんと先へ進むガーレンの後ろを付いて行く。
「あ、でも、城の作り自体はよくできているとは思っていますのよ?」
「ははは。それはこの城を建てた先祖も喜ぶことだろう」
広い廊下にガーレンの笑い声が木霊する。さあ、彼らが向かう先は何処か。
トゥルギアは騎士の国だ。そしてそれ故に城の中にも騎士の為に結構なスペースを取ってある。例えばその一つに練兵場があった。
「ここは私が幼い頃より騎士としての鍛錬を行っている練兵場だ」
「……随分と広いのですね」
そこは建物の中とは思えないほどに広く、テティデューがその端から端まで走ったならば息も絶え絶えになることは想像に難くないほどだ。
「ここでは大勢の方が集まって鍛錬を?」
「ああ。時には剣術の大会が開かれることもある。その時は領主である父も見に来て見事勝ち抜いた者には勲章を授けるのだ」
「そうなんですの。でしたらここは彼らの……、血と汗が……、結晶となる場所ですのね」
「テティデュー、あなたは詩のセンスが無いのだから余計な事は言わない方が良いわ」
「……エイリカ、それこそ言わなくて良い事よ」
テティデューは恥ずかしそうに頬を赤らめ、ガーレンはその様子に微笑みを浮かべる。
しかし彼らはここに詩の練習に来たわけでは無い。
「それでガーレン様、ここが目的地ですの?」
「ああ」
ガーレンが数歩前に出る。テティデューはその姿を見て改めてその巨体を驚きを持って見つめた。この数日一緒に行動し少しは慣れたかと思っていたが、やはりそれでも僅かとはいえその姿に恐怖を感じざるを得ない。
「エイリカ、あなたならあんな巨漢がこちらへ向かって来たらどうする?」
「逃げます。どうにもできるわけが無いでしょう」
ついついそんな確認をしてしまうぐらいだ。
テティデューはガーレンと正面から向き合うことが出来る稀有な人間だ。彼女はその生来の性格故か比較的物怖じすることなく、多少の恐怖を流して会話をすることが出来る。彼女がガーレンとこの数日で交わした会話は既に彼にとって他のどの貴族令嬢よりも多い物となっただろう。
しかしそれでも心の底から分かり合うことが出来ないのは、ひとえに彼らが芸術と戦というある意味で相反するものを彼らを形作る芯として持っているからなのだろう。
どうにか分かり合うことが出来たらと思っていても真の意味で分かり合うことは出来ないのかもしれない、テティデューは内心そのように考えていたのだ。
その点に置いてガーレンの考えは違ったようだが。
「テティデュー嬢。この数日、俺はあなたの言葉について様々に考えていた」
「私の言葉?」
「俺とダンスを踊ってくれただろう。その時に言った分かり合う為という言葉だ」
「……確かに言いましたわ」
ほんの数日前の事だであるし彼女自身そのことをずっと気に掛けている。しかし一方で彼女はその道の困難さに少し辟易している部分はあった。
「俺はその答えについて考え続けていた」
「そうなんですの?」
故にガーレンがそのことについて真剣に考え続けていたことには驚きを隠せなかったらしい。自身ですら少し諦めかけていたのに彼は、剣と戦に生きて来た人の心を解することの無い、無意識の内にそんな人間なのだろうと決めつけていた彼がずっと考えていたのだ。
「……という事は、ここではその答えを見せて頂けるのかしら?」
テティデューは改めてガーレンを見る。それは目の前の彼だけを見るという事ではない。この数日の彼をその心の内に思い返すのだ。
視察先でのガーレンの姿を彼女は覚えている。
「ここでは砲を作っている。火砲に関しては未だ発展途上であるが時代が進めば間違いなく主要な武器となるだろう。我々はそれに遅れてはならない故にここで研究しているのだ」
トゥルギアの地は戦功で以て栄えて来た。それは決して力が強いだけではない。未来がどうなって行くかを考え常に先見の明を持って時代の最先端を行くことが出来たのもその一因なのだろう。
ガーレンは戦に関しては様々な方面で深い知識を携えていた。
「部隊を大きくすればより効率的に敵を制圧できる、というものでもない。大きすぎる部隊は機動力に劣る、時には少数の方が効率的だ。ここの馬はこの俺をも乗せて走ることが出来る、以前に近隣の村が山賊に襲われた際には大いに役立ってくれたものだ」
そう言いながら馬を撫でる彼は共に戦って来た戦友を見るように微笑みを浮かべていた。彼を想う人がいれば馬に嫉妬の念を抱いていたかもしれない。
彼は相手が人か馬かで態度を変えることは無い。自らと共に戦う仲間であれば誰に対しても同じように接するだろう。
「ここでは装備のメンテナンスを行ってくれている。剣や鎧は消耗が激しい。彼らのような職人がいるから我々は騎士としての務めを果たすことが出来るのだ」
テティデューは奥で剣を研ぐ職人に向けて愛想の良い笑みを向けた。残念ながら剣に集中している職人がそれに気が付くことは無かったが。
テティデューにとってこれらの視察は退屈とは違う、見ていて気が沈むような重みがあったのだが、彼女は気付いていた。ガーレンは常に自身の姿をじっと見つめていたことを。
初めこそそれは婚約者となるかもしれない相手への興味からだろうと考えていたのだが、途中で彼女ははっきりと認識していた。それは興味本位などではない騎士としての彼の生き方。決して危険の及ばぬよう守る為にその一挙手一頭足が安全に行われていることを確認しているのだと。
彼は騎士だ。そしてその責務を実直に、或いは愚直に、こなしているのである。
ガーレンは何らかの答えを見せると言った。その言葉に対しテティデューが心に抱いたのは期待だ。彼は実直を超えて愚直な男だ、決して嘘など言いはしない。
だとすれば彼はどんな答えを自分に見せてくれるのだろう。
ガーレンは練兵場の土を踏みテティデュー達から少し離れた位置で立ち止まる。そこで大きく息を吸い、勢いよく吐いて、それから二人の方を見た。
「始めよう」
彼はそう言うと腰に添えていた手をゆっくりと体の横に伸ばしそのまま上へ上へ。頭の上で手を組むとそれを前方へ下ろして行く。
「何が始まるのかしら」
テティデューは確かな期待を持ってその姿を見つめる。
ガーレンの表情は真剣そのもの、腕の動きには一切のぶれも無く彼の彫刻で彫られたかのような筋肉が躍動する様をはっきりと捉えることが出来る。
「もしや、型?」
「型?」
テティデューはエイリカの呟きに思わずオウム返しに言葉を発したのだが。
パァン!
手を打つ音がその返事を遮った。ガーレンが手を打ち鳴らしたのだがその音の波はまるでこの空間全てを揺らしたかのような錯覚さえ与える。
そして二人は見た。剣を抜いた巨岩の如き騎士の姿を。
「あれは……?」
騎士は剣を構える。その重心の一切のぶれが無く、構えを見ただけでその実力の程を窺える。彼が剣を振ると風を切る音が鳴り二人の耳に届く。力強さと美しさが同居したそれは見る者の目を奪う。
「凄い……」
薙ぎ払い、突き、振り下ろし、切り上げ、受ける構えを見せたかと思うと流れるように斬り付ける。彼が剣を振るう様はまるで力強い舞いのようであった。
「やっぱり、あれは型ね」
「それは?」
テティデューは一瞬エイリカの方へ眼を向けたが彼女がじっとガーレンの姿に見入っているのを見て自身も視線を戻す。彼女もガーレンのその動きから片時も目を逸らしたくなかったのだ。
「あらゆる武術や剣術には基本となる動作、つまり型が存在する。ガーレン様のあれは彼が長年に渡って見に付けて来た騎士団の剣術、その型なのでしょう」
「そう……」
振るわれる剣は彼の長年の努力の結晶だ。鍛え上げた肉体、磨き上げた技術、それらが一体となってこの動作を作り上げている。
その姿には思わず誰もが魅入ってしまうだろう。
「美しいわね」
思わず漏れた呟きが練兵場に響く。
剣が振り下ろされその動きが止まる。やがて彼はゆっくりと剣を鞘に納めた。汗を拭う彼の元へ拍手と共にテティデューが歩いて行く。
「素晴らしい物を見せてもらったわ」
「そう言ってもらえると光栄だ。これが俺なりにあなたの言葉を考えた結論で」
彼が何かを語ろうとするのをテティデューは手で制する。
「ガーレン様、両手を空に向けて伸ばしてください」
彼は訝しむような目で彼女を見たが、やがてテティデューがわざわざ意味のない事をさせるような者では無いだろうと両手を空に掲げる。
「これに何の意味が?」
「ガーレン様、あなたの見せてくれた剣術の型は素晴らしかったわ。ですから、きっと天もそれに応えてくれる」
その言葉を聞いてガーレンは。
「そうか」
微笑みを見せた。
この日、トゥルギアの城から光の柱が昇って行った。城を抜け、山を越え、雲を切り裂き空の向こうへ。人々は珍しいこともあるものだと驚き町はその噂で持ち切りだったという。例のアバストロフからやって来た令嬢のものではないかと語る者もいれば、彼女を喜ばせる為に高名な芸術家を招待していたに違いないと言う者もいた。
残念ながらその日以降ガーレンが腰に刺す剣が新しく柄に飾りの入った物になったこととそれを関連付けて考えた者はいなかったようだ。