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8.

 トゥルギアの地における主だった産業を挙げるならば……、挙げるならば?


「トゥルギアには特別目立った産業と言うものは無いわ」


 食事会を終えてその日の予定は終わり部屋へと戻ったテティデューとエイリカはトゥルギアについて改めて知る情報を共有していた。

 今のはその初めにエイリカが発した言葉である。


「言い過ぎじゃない? 今日食べた料理も立派な産業と言えるじゃない」

「テティデュー、それは正しいけど間違っているわ」


 エイリカの言葉にテティデューは頭に疑問符を浮かべる。


「確かに料理の得意なコックがいることは十分な産業になり得るでしょう。ここでは領地を上げてそういう人材を育成もしているのでしょうしね。ただ彼らは外で腕を振るうことは無いわ」

「そうなの?」

「あくまでも彼らは騎士の身体づくりを支える為に料理を作っているという事を忘れてはいけないでしょうね」


 トゥルギアの騎士付きのコックになるという事は大変な名誉であると共に、彼らはその為以外にその腕を振るうことは無いという。その時間があれば彼らは自らが腕を振るう騎士の為に必要な食材を揃えに行くだろう。

 実際、トゥルギアの領地にある飲食店には騎士付きのコックになれなかった者達が溢れている。彼らも決して悪い腕では無いが選ばれなかったということがどういう事かは推して知るべきだろう。


「あの食材は? 農業は立派な産業よ」

「私の事前の調べによればトゥルギアの騎士は体を鍛えるのも兼ねて田畑の開墾を行いそこで農業も行っているようです」

「ほら見なさい」

「領民が畑を借り様々な野菜を作っているようですがあまり上手く行ってないとの噂です。専門家があまりいないのだとか」


 今やこの国は一時の平和の中にあり騎士たちが派遣されることはかなり減って来ている。彼らが田畑の開墾を始めたのは唐突に訪れた平和の中で時間を無為に過ごさない為の施策でもあった。農業や食料への渇望が原動力ではないが故に失敗が多く、それに対して改善もあまり見られない。

 近年は徐々に状況も変わっているようだが未だ彼らの農業に対する知識は浅いと言わざるを得ないだろう。


「……アバストロフやロンドーリアから人をやれないの?」

「その辺りは今後の話になって来るでしょうね」


 エイリカが含みのある視線を投げかける。

 アバストロフ、トゥルギア、ロンドーリアの三領の協力体制をどう作って行くかによって未来はどのようにも変わり得るだろう。その手始めがこの婚約者選びなのだと彼女は言外に言いたいらしい。


「……はあ。婚約者だのなんだのと考えなくていいのなら簡単な話なのに」


 テティデューは大仰に溜息をつく。もしも単純な善意だけで話を進めて良いのならば彼女は喜んでアバストロフにいる農業の専門家をトゥルギアに派遣したことだろう。しかし今そんなことをすれば三領が手を結び合う未来がどうなるかわからない。どちらかを立てればもう片方が立たないのは当然の事なのだから。

 彼女はいっそ父が勝手に婚約者を決めてくれた方が気が楽だった、そんな気もしたがこうして自分に選ぶ権利を渡すのも彼なりの愛情だと理解している。

 貴族であるが故に受けられた恩恵も許される自由も彼女は存分に利用して来た自覚がある。そして彼女は今、貴族であるがゆえに果たすべき義務を果たす時が来たのだと理解していた。

 だからと言って悩まないわけでは無いのだが。


「そういえば儀式の脚本は何か考えてるの? 出来ればアバストロフに帰るまでには大まかにでも決めておきたいところだけれど」


 それもあったか、口に出さずとも彼女がそう考えているのは誰の目にも明らかだっただろう。



 テティデュー、エイリカ、ガーレンの三人がトゥルギアの地の視察へ向かう。彼らが向かったのは広い平原、遠くには家畜の群れも見えどこか牧歌的な装いを見せるそこに彼らは立っている。


「ここは風景画のモチーフにピッタリじゃないかしら?」


 テティデューが一人前に躍り出ると風が彼女の想いに応えるように牧草を揺らした。緑の牧草の中に佇むには服装が少々華美に過ぎるがそのアンバランスさが却ってその画の面白さを引き立てる。


「この景色を見ての感想がそれと言うのは実にアバストロフらしいな」

「あら、そうかしら?」

「我々にとってはこの景色が意味するものは違う」


 ガーレンが見つめるのは遠くにいる家畜の群れ。テティデュー達も自然とそちらに目を向ける。


「馬ですわね」

「ああ、馬だ」

「乗馬……、失礼、少し考えますわ」


 彼女は何気なく貴族の嗜みとして乗馬はよくある、などと口にしようとしたのを飲み込んだ。ここがどういう土地なのかを思い出したからだ。そして彼女は悩みに悩んで、ちらりと助けを求める視線をエイリカに向けた。

 エイリカは思わず大きな溜息をつく。


「……騎士団の作戦行動には馬がよく用いられると聞きます。騎乗用の場合もあると聞きますが、主だった目的は様々な荷を運ぶことだとか」

「その通りだ。エイリカ殿だったな。よく勉強しておられるようだ」

「テティデューの目付役として叱咤すると共に補佐することもまた役目です。この程度は仕事に必要な知識として勉強したまでです」


 ガーレンは彼女の堂々たる態度に思わず感嘆する。騎士団にもこのように肝の据わった態度を取れる者は中々いない。テティデューに付いてこのような場に慣れているのだとしてもその豪胆さには尊敬の念を抱きさえしている。

 そんなエイリカにテティデューが顔を近付け小声で囁く。


「エイリカ、あなた私が不勉強だと言ってないかしら?」

「そうとも言うわ」


 テティデューが威嚇するように両の手を振り上げる。が、効果はまるで無いようでエイリカは微笑みを浮かべるばかり、そんな様子を見ながらガーレンは思わず笑みを零していた。

 それと同時に一つの疑問が浮かぶ。


「失礼、話が逸れてしまうが……。お二人は随分と距離が近いのだな。幼い頃から共にいるにしても、その、身分の差などがあるだろう?」


 貴族と平民の間には決して埋められない差がある、いや、埋めてはならない差がある。それは単に彼らが生きて為すべきことの違いのせいだろう。平民は自らの生活を立ち行かすことを目的とすればよい。しかし貴族は自領や自国をより良くしていく義務がある、時に義務を果たす為に時に平民の生活を犠牲にしても、だ。

 故に彼らが必要以上に近付き過ぎることは許されない。無論、人の感情は時に合理など無視して突き進むものでそれがどこまで守られているかはわからないが。

 とはいえ実は今回そんな話は一切関係ない。


「身分の差と言ってもねえ」

「貴族としての位はテティデューとは比べられないほど低いはずよ」

「エイリカ殿も貴族なのか?」


 ガーレンは意外だったのだろう呆けた表情で彼女を見た。


「一応、ですが」

「エイリカは私の親戚なのよ。確か祖父の従妹の孫? だったかしら?」

「そうね。そういう事らしいわ」


 エイリカの家はアバストロフ家の傍系に当たり、その中でもあまり才に恵まれず落ちぶれて行った家の出だ。最終的に彼女の家は取り潰しになりそうになったところを話を聞いたアバストロフ家の援助でどうにか持ちこたえた形だ。その時の縁でエイリカはアバストロフ家に引き取られテティデューのお目付け役として長い時を共に過ごす事となる。


「まあ身分なんてどうでもいいの! エイリカは私が選んだ私のエイリカよ!」

「帰ったら小説や詩の勉強の時間を増やしましょうか」

「どういう意味よ!」


 ガーレンは思わず笑みを零していた。それと同時に二人の姿を見てもやもやと心の内に渦巻く何かを感じてもいた。その感情が何なのか、それを探りたいという思いはあったが彼はそれを断念する。

 今は視察の最中だ。


「さて、話を戻すとしよう。あれは騎士団の作戦に用いる為に育成中の馬だ」

「育成中ですの?」

「ああ。騎士団の任務は過酷だ、当然それに随伴することになる馬も過酷な任務に耐えられる強さが必要になる。ここではその資質を見極めている最中だ」

「へえ、そのような事をされているのですね」


 この広い牧場で飼育されている馬の中で資質があるとされた馬は専用の訓練を行い騎士団に供されることになる。


「彼らがいなければ我々は遠征先で物資不足に陥ることになるか、物資を運ぶだけで体力を使い果たし作戦を失敗することになるやもしれん」

「まあ、大変ですのね……」


 テティデューはそうは言ったが実際の所、その光景の大部分を想像できずにいた。彼女にとって戦はあまりに縁遠い。絵画や小説、詩などの中には英雄の栄光か戦の虚しさしか残されていないのだ。せめて政治の話であれば父から話を聞き幾らかは入って行けたのだが、戦の話にはどうにも現実味を感じることが出来なかった。

 そしてガーレンもまた彼女が何を考えているのかを想像できはしない。その生活の大部分を貴族としてよりも騎士団として過ごす彼にはテティデュー達のように戦に関わらずに生きて来た者達の考えがどうしてもわからない。

 二人は自然と互いの瞳を見つめていた。いや、より正確にはその瞳の中に映る困惑を彼らは見つめているのだ。


「ガーレン様」

「何だ?」


 故にテティデューは一歩踏み込む。


「ダンスの嗜みは?」


 その言葉は彼をより深く困惑させる。彼とてダンスの嗜みは一応ある。あまり上手いとは言えなかったが、それでも経験が無いわけでは無い。

 ただその言葉がなぜ今出て来たのかは全く想像もつかない。


「……なぜ今それを?」

「もし経験がおありならば今は黙って手を取ってくださいな」


 テティデューが手を差し出す。ガーレンは自身の巨体に比べてあまりに華奢でともすれば握り潰してしまいそうな手を見つめる。彼女が何を考えているのかはわからない、しかし差し出された手は、手が差し出されたという事実そのものが。

 彼は黙ってその手を取る。


 ガーレンが過去にダンスを習ったのは社交の場で恥をかかぬようにする為だ。貴族でもある彼にはそういう場に出席することもあった。ダンスの一つも踊れぬようではトゥルギアの恥と必死に習ったのである。その努力は身を結び、今でも自然と踊れる程度には身体が覚えている。

 しかし彼が社交の場でダンスを踊ったことは一度も無い。


「あなたガーレン様と踊ってあげたら?」

「嫌よ、あの手を見た? 私なんて握り潰されてしまうわ」


 彼の肉体が令嬢たちに与えたのは頼もしさよりも恐れだ。誰も彼の手を取ることは無いし手を差し出すことも無い。彼はいつも黙って壁に背を預けていた。

 

 エイリカが手を叩きリズムを取っている。その音に合わせて二人の身体が自然と踊る。青い風が吹き抜ける草原の上で可憐な令嬢と逞しい騎士がステップを踏む。遠くの馬は嘶きを上げて彼らをダンスに喝采を鳴らしていた。

 ひとしきり踊り終えるとテティデューは汗を拭いながら地面に座り込んだ。ガーレンも彼女に倣い座り込む。


「お上手ですのね。体格差があり過ぎてどうかと思いましたけれど力強いリードでしたわ」

「そう言ってもらえると嬉しいね」


 ガーレンは手で隠していたがその口元は緩んでいた。彼にとってその言葉は思わず顔に出る程度には喜ばしい物だったらしい。

 エイリカがどこに持っていたのか紅茶を手に二人の元へ向かう。それを受け取ったテティデューは一息にそれを飲み干した。


「豪快だな」

「あら、これははしたない所を」


 二人が思わず笑い声をあげた。そしてその声が収まる頃、再びガーレンは彼女に問い掛ける。


「なぜダンスを?」


 テティデューはその問いを受けて呼吸を整え空を見上げる。


「ガーレン様とわかり合う為、ですわね」

「わかり合う」


 彼はじっと彼女を見つめる。ガーレンは人を見る目には自信があった。騎士団として多くの人と関わる中で相手が腹に一物を持っている時、いつの間にか彼にはそれが分かるようになっていた。村人に扮した山賊も、通行人を装った盗賊も、他国から秘密裏に入国したスパイも、彼の目を欺くことは出来ない。

 しかしどうだろう、いざそういうしがらみのない相手を見た時、彼には相手の気持ちなど何一つわからない。瞳に映るのはまるで額に飾られた絵画のように、彼には現実味の無い光景。


「私には戦の事は分かりませんわ。ここへ来る道中、騎士団の話はエイリカから散々聞かされましたけれど……。実感として得る物は何一つ無い」


 ガーレンにはそれがまるで鏡写しのように感じられた。

 彼が芸術の世界で生きて来たテティデューを理解できないのと同じで、彼女も戦の世界に生きて来たガーレンを理解できない。

 ある意味で似ており、ある意味で決定的に違う。だから分かり合えない。


「その反応を見るに、ガーレン様も同じでは?」


 図星を突かれた彼は思わず息を呑む。テティデューには騎士である彼の事は理解できないが困惑する彼の表情や些細な仕草を読み取るのは難しい事では無かったのだ。

 弱みを見せたような気がしてガーレンは思わず唇を噛んだ。瞬間、彼が思ったのは家の事だ。トゥルギアの立場を守る為にはアバストロフ家と縁談をまとめるのが最良の道。しかしこのように弱みを見せてそれが適うのかどうか。

 しかしテティデューにはそのような考えなどまるで無い。


「あなたも芸術の都で生きて来た私の事が分からない。だから少しでもそれを感じて欲しかったのです」


 ここに来て初めにテティデューは風景画に描かれていそうな景色だと言った。ガーレンはその時にまるで理解できない感想だと思ったのを覚えている。彼の生活の中に芸術はあった、それは部屋を飾り立て人の感情を揺さぶり心を豊かにするものだと理解している。しかし騎士としての彼にそれは必要な物ではない。ただ存在していただけの物。

 この瞬間までは。

 風が令嬢の髪をなびかせる。草原の中で風を受ける彼女は微笑みと共に彼を見つめていた。


「……ふっ」

「そんなにおかしかったかしら?」

「……いや」


 ガーレンはその時に初めて絵筆を執る者の気持ちを理解した。その景色を、微笑みを、瞬間を、切り取って永遠の物としたい欲が止められぬことを。


「良ければ後で絵画の描き方を教えてもらいたい」

「……その、私はあまり上手く無いもので……」


 ガーレンは思わずぽかんと恥ずかしがる彼女を見つめる。エイリカの方を見ると彼女は黙って首を振った。

 その後、この日一番の笑い声に多くの馬がその嘶きで応えたという。



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