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7.

 大地を旅する中でこの地ほど安寧に身を置けたことは無い。獣も賊も天災も彼らにかかれば恐れることは無いのだ。

 彼らがいる限りトゥルギアの地が乱れることは無いであろう。


「と、いうのが以前に見かけた詩の一節ですね」

「そんなのあったかしら?」

「あまり人気の無いもので、以前に古本屋に安売りしていたものに載っていました」


 今のは旅人が自らの旅程の中で感じたことを詩にしたものであり、書き留められたそれらは旅を終えた後に彼の友人がまとめて出版したという。ただそれは奉納するほどの出来では無かったようで、今では出版された詩集のほとんどは倉庫に眠っているようだ。

 それはそれとして。


「トゥルギアの噂ってやっぱり騎士団の精強さばかりなのね」

「聞き飽きたの?」

「少し」

「私も調べても調べてもそんな話ばかりで少し飽きたわ」


 エイリカは手に持ったメモ帳を後ろの荷物置きに投げる。それは彼女がロンドーリアやトゥルギアの地に付いて真贋疑わしいものも含め様々な噂を調べた結果が書き留められているのだが、トゥルギアについてはあまりに似たり寄ったりな話ばかりでもはや必要も無い。


「実物は噂を超える何かがあると良いけれど」


 テティデューはそう言って馬車から顔を出し既に見えているトゥルギアの城下を見つめる。そこで待ち受ける何かに期待と不安を抱えながら。



 城の前で待機していたのは大勢の騎士。彼らは揃いの装束に身を包み剣を手に彼女らの来訪を待っていたのだ。

 そして、その奥に佇む誰よりも目立つ一人の男。誰もが一目で理解するだろう、彼こそが、あの巨躯を持つあの男こそが、ガーレン・トゥルギアだ。


「……あれ、本当に人間なのかしら?」

「テティデュー、流石に失礼よ……」


 思わずテティデューがそんなことを言ったのにも訳がある。なにせ彼女がこれまでに見たことのあるどんな人間よりもガーレン・トゥルギアは巨大なのだ。

 馬車を降り大勢の騎士が見守る中、二人は彼の前へと足を踏み出す。

 近くへ来るとその巨体は想像を遥かに超える威圧感を放っていた。テティデューは肉体美を象った彫刻なども数多くその目にして来た。当然、その中には一般の人間よりも大きなものもあったはずだ。しかしガーレンにはそれらと明らかに一線を画す迫力がある。それは生きて動いているからなのか、或いは彼本人がその身に宿す純粋な力故なのか。

 どちらにせよテティデューはこれまで聞いて来た噂もあり、少し怖気づいてしまったというのが事実だろう。


「ようこそテティデュー嬢。私がガーレン・トゥルギアだ」

「あ、これはどうも。私、テティデュー・アバストロフです。こちらは私の身も周りの世話をしているエイリカですわ」

「……よろしくお願いします」


 滅多な事では取り乱すことの無いエイリカも想像以上のガーレンの迫力に少しばかり気圧されている。


「まずは長旅の疲れを癒すと良い。部屋を用意している、案内しよう」

「ありがとうございます」


 ガーレンの先導で二人は城の中へ入って行く。

 トゥルギアは戦功で以て貴族の位を得ただけの事はあり、城の内部には戦に関わる物が数多く飾られている。初代のトゥルギアが着ていた鎧が広間の中央にあり、壁には騎士団で使われて来た剣が年代ごとに並び、廊下の棚には国王より先代達に授与された勲章が幾つも飾られている。

 普段ならばテティデュー達はそれらを見て様々な感想を述べていたのだろう。しかしこの日ばかりはそうならなかった。

 二人の視線は前を行くガーレンに釘付けである。


「やっぱり大きいわね」

「……そうですね」


 この場で最も存在感があるのは初代の鎧でも騎士団の剣でも授与された勲章でも無く正に彼なのだ。どうあっても彼が目に入ってしまうのだ。テティデュー達はつい小声で彼について色々と話してしまう。

 そんな二人を見てガーレンは少し気分が沈むのを感じていた。


 ガーレンは幼い頃より身体が人よりも大きくそのせいで人よりも悩むことが多くあった。特に同じ子供と関わるのは彼にとって非常に難しい事だった。まるで大人かと思われるその見た目故に誰もが彼を恐れたからだ。

 では大人たちはどうだろうか? 子供の頃は良かった。ガーレンが大人顔負けの肉体をしていたところで将来有望だと褒めそやすのみだったのだから。実際、彼はその言葉を信じ騎士としての訓練に明け暮れその身を更に大きく、力強く鍛え上げていった。

 ある時、彼はふと気が付く。


「ガーレン様におきましては、その、ご機嫌麗しゅう」


 彼は長年仕えている家令だった。その目に宿っていたのは領主の息子への敬意、だけではない。その圧倒的な肉体への恐怖だ。

 十五のある日、ガーレンは自らが恐れの対象となっていることに初めて、或いは、ようやく気が付いたのだった。

 そのことに気付いてから人々を観察すると、想像以上に彼は多くの者に恐れられていることに気が付く。彼に仕えているほとんどの者がその瞳に恐れを抱いている。


「……いや、違う。彼らは未だ俺の力がどこへ向かうかわからないから恐ろしいだけなのだ」


 ガーレンは騎士団へ入った。本来ならば騎士見習いを数年通ってから正式に入団するのが習わしだったが、彼はその強さで以て特例で正式に入団が許可された。そして多くの戦いに赴いた。

 人々を助け続ければ必ず皆の瞳から恐怖の色も消えるだろうと信じて。

 その成果は……。


「素晴らしい食事の数々ですわね」


 長旅の疲れを癒す為、今日は視察へ出掛ける予定は無い。慰労を兼ねた食事会の席、そこでテティデューが目の前に並んだ様々な食事を見て月並みな言葉を吐いた。


「トゥルギアは名物料理と呼べるほどのものは無いがそれでも食事には気を遣っている。肉体を作るのは食事だ。屈強な騎士が育つ土壌には豊かな食事が無ければならない」

「成程、そう言われて見れば食に力を入れるのは納得ですわね」


 ガーレンは料理を見つめるばかりで自分の方へ視線を向けようとしない令嬢を見て、やはりこうなったかと一人溜息をついた。

 騎士団の者を除き彼と積極的に目を合わせようとする者など存在しない。彼はただそこに立っているだけで周囲の者に圧を与え恐怖を抱かせるのだ。か弱い貴族の中には恐怖のあまり逃げ出す者すらいたほどである。

 故に彼はこのような結果は想定していた。寧ろ同じ食事の席に着いてくれたことでさえ感謝の念を抱くほどに他人への期待というものを失ってしまっている。

 ところでそんな彼に一つだけ間違いがあるとすれば、テティデューと他の貴族令嬢を同じ枠で考えてしまったことだろう。


「……時にガーレン様」

「何か?」

「この食事、もしやガーレン様の自己紹介も兼ねてという事ですの?」

「……ん、む……。ん?」


 ガーレンは質問の意味が全く理解できず頭に疑問符を浮かべる。エイリカも彼と同じように怪訝な視線を送っておりその姿にガーレンは少しほっとしたほどだ。


「テティデュー嬢、その、質問の意味が少し理解できないのだが……」

「私ほどのずば抜けた洞察力をもってすればこの食事で伝えたいことは全て余すところなく理解できましたわ。つまりこれは、ガーレン様が召し上がる食事の量を伝えたいのでしょう?」


 席に着いているのはたった三人だが本来は六人ほどで使えるそのテーブルに所狭しと料理が並べられている。一つ一つの量もかなりあり、例えばローストした鶏肉に果実のソースをかけたものは一羽分丸々が皿の上に盛られている。他のものも似たようなものだ。


「それほどの大きなお体ですもの、私たちの何倍もお食べになることは想像に難くありませんわ。最初、不思議でしたの。こんなにたくさんの料理をたった三人でどれだけ食べられるか……、もっと少なくても良かったのではないかって。ですが全て合点が行きましたわ」


 テティデューは大袈裟な身振りと共にガーレンの方へ手を伸ばす。


「私たちの事は気にせずお好きなだけ召し上がってくださいませ。客人への遠慮は不要、ですわ!」


 きっぱりと彼女はそう言った。

 ガーレンはそんな彼女の姿を見てどう思ったのだろうか。ただ茫然と彼女を見つめ、自らの中に浮かぶ疑問と困惑をどう処理すべきか悩んでいるのだ。

 

「さあさあ、どんどん食べてください。先にも申したように遠慮は不要ですわ。私たちも皿が空になる前に頂きますから」


 テティデューは困惑するガーレンを余所に自分の気に入った料理を自らの手で取りに行く。


「ガーレン様、肉体を作るのは食事なのでしょう? お話なら後でいくらでもお時間を取れます。今はこの食事を堪能しましょう」


 彼女は自身を見つめるガーレンは何か話したいことでもあるのだろうと思いそんなことを言った。テティデューは人の心を察することが出来るような気の利いた娘では無く、当然それは的外れな言葉に過ぎないのだが。

 しかし今のガーレンにとっては逆に心を落ち着ける一助となったらしい。


「……そうだな。今は食事を楽しむとしよう」


 ガーレンはそう言って様々な料理を自らの皿に盛り、そしてそれらを自らの口へ胃へと放り込む。その見た目に違わぬ健啖家の彼はそこにあった料理を、テティデュー達が食べた全体の何分の一かの物を除き全て食べてしまったのである。先ほどああは言ったテティデューも本当に目の前の料理が本当に消えてなくなるとは思っていなかったようで口を開けて唖然としていた程だ。


「トゥルギアの騎士はみんなこんなに食べるのかしら……。食事を用意するのも大変なのでは?」

「そうだな。故にトゥルギアでは騎士の食事を作ることは料理人にとって最高の栄誉とされている」

「料理人たちはあなた方が力を発揮できるよう支えてくれる、そうですわね……。音楽、オーケストラで言えば全体のリズムを整えるティンパニなんかの打楽器の類やコントラバスなんかの低音の楽器のようなものね。彼らがいなければまとまりが無くて音に力が出ない、そんな演奏じゃ人の心を動かすことは出来ないわ」


 それは芸術の都とも呼ばれるアバストロフの令嬢らしい言葉でもあり、その一方でガーレンにとって意外な言葉でもあった。


「テティデュー嬢、あなたは……」

「……何かしら?」


 ガーレンは彼女の瞳を見据える。彼はある時は貴族として、ある時は騎士として様々な人と相対して来た。奇異の目で見て来る貴族の嫡男、恐怖に慄きながらも立ち向かって来る敵の兵士、涙を流し命乞いする盗賊、歓声を上げながらもどこか強張った表情の民衆。

 彼女がそのどれとも違う表情を見せるのはなぜだろうか。


「……素直な方だ」


 今のガーレンには分からない。ただ自身が感じたことを素直に述べる事しか出来なかった。


「褒めてますの? まあ、私は幼い頃から素直で良い子だと褒められておりますから、そう感じるのも当然と思いますわ」


 自慢げに笑みを浮かべる彼女の姿を見ると、意外にもその言葉が好評なことに彼は面食らう。

 彼は困惑しているのだ。初めて出会うタイプの人間にどう対応していいかわからない。ただ、一つだけ言えることがある。


「テティデュー嬢、明日からの視察が楽しいものになればと、思う」

「そうですわね。期待していますわ」


 間違いなく彼はその困惑を楽しんでいた。



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