5.
馬車に揺られる旅路はおよそ快適とは言い難い。たとえこの馬車が彼女らのような貴族の為に造られた特別製だとしてもその揺れを完全に無くすことは出来ない。
「あと何日こうして揺られればいいのかしら」
「およそ三日、日中はずっと揺られることになるわね」
テティデューとエイリカはロンドーリアの領地を後にし次の目的地へと向かっていた。しかしテティデューはじっと座っているだけの時間と言うのがどうにも耐えられないらしい。
「ロンドーリアもトゥルギアも思ったより遠いのよね。馬車で一日で着くような距離ならよかったのに」
「今後それぞれの結び付きが強くなれば互いの領地が地続きになることもあるかもしれないわね」
エイリカの言葉は暗に、婚約者選びをもっと真剣にしたらどうか、と匂わせている。それを察したからこそテティデューは肩を落として大きく溜息をつき、それから景色を、流れゆくばかりで彼女の視界に入っているとは言えないが、外の景色を見る。
彼女はロンドーリアでの日々を思い返している。
「リンド様はいかがでした? 少々理屈屋な所はありましたが見目麗しく才気に溢れる方だと思いましたが」
「そうねぇ、確かに素敵な方よね。あそこまで顔立ちの整った方は似顔絵描きの飾っている絵の中にもいなかったと思うわ。エスコートもなかなか様になっていたし、あれ以上の方を望むのは中々に高望みよねぇ」
「中々好印象ですね」
実際、テティデューの中でのリンドの評価はかなり高い。彼女も貴族として様々な社交の場へ出たことはあるが、その中に彼と並びうる人物がいたかと問われれば答えはノーだろう。
であればトゥルギアで待つもう一人の婚約者候補に合わずともこの場で決めてしまってもいいぐらいなのだが、彼女は再び大きく溜息をついた。
「私、どうにもあの人とラブロマンスを演じる姿が想像できないのよね」
「ラブロマンス」
彼女が考えているのはいずれ結婚し夫婦になるより前、直近の話だ。
二人は自然と外を、空を見上げている。
「相変わらずどんよりとした天気ね」
「そうね。私はあれを晴らすほどの演劇をしなければならないのでしょう? リンド様の事は、そうね、かなり好感を持っていると言っていいわ。でもラブロマンスを演じられる気はしないの」
そもそもこの婚約者選びと言うのは元を正せば直近に迫る儀式が理由で始まったものである。彼女の父、モンテギューが三領地合同の演劇のついでに婚約者も決めてしまおうなどと勝手な約束をした結果、テティデューは視察という名目で二人の婚約者候補へ会いに行くことになったのだ。
さて、では婚約者のお披露目も兼ねた演劇の演目とは何が相応しいか。
「まあモンテギュー様たちが勝手に演目をラブロマンスに決めてしまいましたものね」
「ええ。でもあの堅そうな御方とラブロマンスを演じられると思う?」
「言いたいことは分からなくも無いですが」
エイリカも彼女の考えに一応の納得は示す。確かに彼が主役を張る演劇が成功を収められるかは少々疑問が残るというものだ。
しかしエイリカには少なくともテティデューに婚約者選びへもっと乗り気になってもらう必要がある。
「私はリンド様でも良いと思いますが。結局は脚本次第でしょう? あの方は確かにお堅いですがその分真面目に練習するはずです。あの方は政治や経済の分野がお得意なようですし、例えば、没落した貴族のテティデューがリンド様に拾われてお家を再興するとかどうですか? お家再興の為に奮闘する中で互いの距離が縮まりそのまま……」
エイリカが両手の人差し指と親指を口でチュッ、と音を立てながら付けた。
「私と、リンド様が、キスぅ?」
テティデューは心底嫌そうな声を上げて頭を抱えた。エイリカはその声に思わず目を丸くする。
「そんなに嫌ですか? 正直、リンド様に好かれて嫌がる女性はほとんどいないと思いますが」
「エイリカは?」
「私ですか? そうですねぇ」
「いや、やっぱりいいわ」
「はあ」
テティデューがそのまま黙り込んでしまったのでエイリカはやることも無く外を見る。彼女は二人が思ったよりも良い雰囲気だったのを見ていたのでこのまま決まるだろうと思っていた節があり、想定外の彼女の態度に少し驚いていた。
エイリカが彼女と出会ったのはまだ二人が幼かった頃、既に十年以上の付き合いだ。しかし彼女はここに来て初めて、これまでに腹を割って色恋沙汰の話をしてきたことが無いのだなとふと思う。
「エイリカ」
「……? 何かしら、テティデュー」
視線を向けるとそこには苦悶の表情を浮かべ眉間に皺を寄せているテティデューの姿がある。それを見れば何を思っているかまでは分からずとも悩みに悩んでいることは一目瞭然だ。
テティデューは何かを言いかけては呑み込み、何度も自らの気持ちを咀嚼してその思いを伝えようと言葉を選ぶ。
「……リンド様は素敵な方なの」
「それは私も同意します」
「でも、そう……。私は……」
エイリカは黙って次の言葉を待つ。長い付き合いなのだ、詩や小説を苦手な彼女が言葉を選ぶのに時間がかかることなどよく知っている。
空を覆う雲に一瞬切れ間が出来たのか陽射しが馬車の中へと差し込む。その光に照らされたテティデューの姿は、本当に絵になる姿だ。
「私、あの方とは恋人よりも、お友達になりたいわ」
陽光を纏うテティデューに思わず目を奪われ、ついエイリカは流されるまま頷いてしまう。
「それは、これから頑張らないといけないわね」
彼女は心からテティデューとリンドが友人となれることを祈り、それと同時にトゥルギアで待つガーレンが恋人としてお眼鏡にかなうことを切に祈るのだった。