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3.

 ロンドーリアの城下を歩けば人々はその賑わいに驚愕する。そこはまるで国中から集めて来たかのように様々な食材が置かれているのだ。いや、それだけでは無い、木材や石材、日常使いに便利な小物、絨毯や壁紙など他にも数え切れぬほどの店があり、多くの客引きの声が聞こえて来る。

 しかしそこには人々が精魂込めて作り上げた芸術作品だけは存在しない。


「と、いうのがロンドーリアの噂です」

「ふうん、なんだか面白いんだか面白くないんだか、噂だけじゃ評価しようが無いわね」


 これはテティデューとエイリカがロンドーリアの領地へ向かう途中の馬車での会話だ。二人はこれから向かう場所がどのような所なのか、頻りに話しては最後には結局見てみないと分かりっこないと結論を先送りにして来たのだ。

 そしてこれから彼女たちはロンドーリアの城下へ足を踏み入れる。


「おはようございます、リンド様」

「ああ、おはよう、テティデュー嬢。それにエイリカ殿」

「おはようございます」


 朝、着替えを終えたテティデューとエイリカは城門前にてリンドと落ち合う。彼らはこれから三人で城下の視察へと向かうところだ。


「本来ならば数人ほど護衛を付けたいところなのだが……」

「あら、エイリカがいるのですもの。必要ありませんわ」


 少人数での視察はテティデューたっての希望である。彼女は大勢を引き連れて目立つような真似はしたくない、目立つならば彼女自身の美貌によって、だ。

 それを抜きにしても今回の視察が婚約者選びも兼ねていることを考えると、可能な限り二人きりに近い状況の方が好ましいのである。


「エイリカ殿は武術を修めているのだったな」

「それほどのものでは……。ただ、一応テティデューの護衛も任されていますもので」

「頼もしい。今回は頼らせてもらうとしよう」


 リンドは口ではそう言っていたが実際には全く信用していない。或いはそれが事実であるかどうかに意味を感じていない、と言うべきか。彼にとっては不測の事態とはその時に頼れるものがあるかよりも起こさないことの方が何倍も大事であり、その為には目の前にいる令嬢の優秀な従者を信じることよりも近辺を数人の部下に見張らせておく方が余程合理的なのだ。


「さて、行くとしよう。案内したい場所は幾らでもある」

「ではエスコートはお任せしますわ。是非とも私を楽しませてくださいね」


 三人と、少し離れた場所にいる数人が城下へ向けて歩き出す。



 市場が開き賑わいを見せる城下はテティデューにはあまりに馴染み無い光景だ。人とぶつからずに歩くのも難しい様子に思わず立ち止まる。


「もの凄い人出ですのね。いつもこのような様子で?」

「人はいつも多いが、今日はいつも以上だ。今日はテティデュー嬢が来るとの噂は市井にも出回っている。皆、あなたを一目見たいと思っているのだろう」

「あら、私ってば随分と人気なのね」


 彼女らが市場に足を踏み入れると、領の発展の立役者であるリンドの姿に誰かが気付き声を上げる。そしてすぐにその隣を歩く美しいドレスに身を包んだ令嬢の姿を見るだろう。

 テティデューは自らを見つめる皆の視線に応え微笑みと共に手を振り声を張り上げる。


「皆様! 私はテティデュー・アバストロフ、本日は友誼を結ぶロンドーリア領の視察に参りましたの! 少し騒がしくしてしまいますがご容赦くださいまし!」


 外見からは想像もつかぬ大声に傍にいたリンドや彼女を見つめていた者達のみならず、遠く離れたところで商売に勤しんでいた誰それも思わず手を止めて彼女の方を見た。


「さ、行きましょうか」


 そんな皆の反応を気にする素振りも見せずテティデューは歩き出す。その様子を見つめて後ろで固まっているリンドの元へエイリカが歩み寄り耳打ちする。


「すみません、噂では耳にされているかと存じますが、自由奔放という言葉がテティデューには相応しく……。その、良い意味でも悪い意味でも、ですが」

「そのようだ。昨日の食事会を受けて多少の覚悟はしていたつもりだったが……。実際に目の当たりにするとどうしても、そうだな、反応に困るものだ」

「あれでも誰かを困らそうとしているわけではありませんので、どうかご容赦頂ければ」

「……とりあえず、後を追うとしよう」



 テティデューの道を遮るものは何も無い。それは誰も彼女の邪魔をしない、ということでは無く彼女が目の前のあらゆる状況を楽しめるということだ。


「そこの綺麗なお嬢さん、一つどうだい?」


 例えばそんな風に声を掛けられれば興味津々に目を輝かせてそちらを見る。


「あら、これは何かしら?」

「東の海で獲れる魚を串焼きにしたのさ、味付けは塩だけだが絶品だぜ!」

「そう、じゃあ折角だから頂こうかしら。リンド様はいかが?」

「え、リンド様!?」


 どうやら店主は相手が誰なのか気付いていなかったのだろう。後ろに控えていたリンドを見てあからさまに狼狽える。


「……いや、私にはいい」

「じゃあ私とエイリカので二つ頂くわ」

「あ、はい。あ、お代は結構です……」

「何言ってるの、商売なんでしょう? お代は取っておいて、それでもっと美味しい物を作ってちょうだい」

「は、はあ、どうも」


 エイリカはリンドの所に戻ると手に持った魚の串焼きの一つをエイリカに渡す。そしてそのまま頭から魚にかぶりついた。しばらくその味を味わうように噛んでから飲み込むと。


「これは、美味しいですわね。エイリカもそう思わないかしら?」

「味付けはシンプルですがそれが却って魚自体のお味を引き立てているように感じます。東方の海ではこのような魚が獲れるのですね」

「リンド様も頂けばよろしかったのに」

「……そうかもな」


 テティデューが先の店に戻ると店主の夫妻が裏で揉めているのが聞こえて来る。


「高貴な方にあんなもん出してどうすんのさ」

「気付かなかったんだよ、確かに良い服を着てるとは思ったけどさあ」

「馬鹿にしてるなんて思われたらどうすんだい、うちは廃業だよ!」


 それを聞いて彼女は躊躇いなくそこに顔を覗かせる。


「廃業だなんて困りますわ」

「え、あ……」

「うちのエイリカも先ほど買った串焼きを気に入ってたのに、次に来た時の楽しみが減ってしまうのは残念ですわ」

「……いや、そのようなことは」

「もしかして経営の危機ですの? でしたら私に良い案がありますわ。私をモチーフに何か作りましょう!」

「え?」


 彼女の前に現れた者はたとえその理由が何であれ最後には彼女のペースに巻き込まれる。善意も悪意も全てまぜこぜに彼女が作り出す愉快な一時の登場人物と成り果てるのだ。


「今思えば料理で私がモチーフと言うのはあまりありませんでしたわね。でも魚の形を変えるのは難しいかしら……。あ、焼き印はどう? 前にお菓子にこう、字を書くのを見たことがあって」

「テティデュー、お店の方が困っていらっしゃいます。行きましょう」

「え、あ、ちょっと」

「失礼いたしました」


 残された店主夫婦はぽかんと口を開けて二人の去って行った方を見つめている。彼女の劇場に巻き込まれた者はいつもそうだ。訳も分からぬことが目の前で巻き起こり気が付けば終わっている。


「是非、私の焼き印をおおおぉお!」


 聞こえて来るその声に最後には笑みを浮かべているのだから不思議なものだ。

 店内の様子を覗き見たリンドも、それまでは小難しい表情を浮かべ眉間に皺を寄せていたのだが、柔らかな笑みを浮かべている。


「焼き印ならば東の工房地区に幾らか知り合いがいる」

「え、あ、リンド様」

「後で使いをやろう。折角だ、アバストロフの御令嬢お墨付きとでも付けてやると良い」

「あ、ありがとうございます」


 さて、こんな話は序の口だ。

 ロンドーリアの市場の活気は凄まじく、それに呼応するようにテティデューの好奇心も凄まじい。彼女は目に映る物全てに興味を持ち、リンドやエイリカだけでなく通行人にまで話を聞く。店の者に呼び止められれば当然のようにそちらへ向かい、商品を勧められれば当然にそれを買って試すのだ。

 これが市井の娘であれば活発で好奇心旺盛なお嬢さんで済むのだが、その身分故に周囲は何事か間違いが起こらないかと常に気を張ってしまうのである。


「エイリカ殿、彼女はいつもあのような様子なのか?」

「リンド様にはご迷惑をおかけし申し訳ありません。ですがあれこそがテティデューなのです」

「そうか、苦労しているだろう」

「ええ。ですがいつの間にかその苦労も楽しくなっているものです」


 今のリンドにはその言葉の意味は分からず、思わず眉間に皺が寄る。


「どうやらリンド様は私の言葉がご理解いただけないご様子」

「……君は随分と聡いな」

「そうでもございません……」

「何か言いたそうだな」

「……いえ、やめておきましょう。少々不躾かと思われますので」


 その言葉が既に不躾では無いだろうか、リンドの抱いた疑問は遠方より届いたテティデューの声に遮られる。


「やれやれ、またか」

「行きましょうか。このままでは見失ってしまいますので」


 二人は駆け足で声のした方へと向かって行くのだった。



 市場を抜ける頃には既に辺りは薄暗くなっていた。照明が道を仄かに照らし、その中央を三人が歩く。


「ロンドーリアの市場というのは素晴らしいですわね。ついつい何度も足を止めて幾つもの商品に見入ってしまいましたわ」


 そう言ったテティデューの両腕には市場で買ったり貰ったりした様々な物がぶら下がっている。本来ならば身分の高い彼女がそのような物を持つ必要は無いのだが、既にエイリカは抱え切れないほどの荷物を持ち、更にはリンドにも幾つか持たせているのだ。今の彼らの様子を見て誰がその身分を推し量れようか。


「テティデュー嬢は……、買い物がお好きなのか?」


 どうやら浪費癖があるようだ、リンドはそんな嫌味をどうにか飲み込んで代わりの言葉を吐く。テティデューはそれに対し少し考えてから、首を横に振った。


「それは少し勘違いね。私は買い物自体は別に好きではないの」

「ほう? それは意外だ」

「私が好きなのは買い物よりもそれに付いて来る皆と話をする機会の方ね」


 彼女は立ち止まり市場の方を見た。


「ロンドーリアは良い所だわ。あの市場では誰もが活気に満ちた笑顔を見せていた。突然現れた私を皆が歓迎してくれた。彼らの笑顔は私にエネルギーをくれるし、だからこそ私も彼らに何かをお返ししたいと思うのね」


 リンドはそれを聞いて今日の彼女の姿を、そして彼女と関わりを持った人々の姿を思い返す。最初は彼女のテンションに付いて行けずどこか引いた目を見せた者もいたが、最後には笑顔と共に別れていた。

 それを見ていた彼は思わずこう思う。


「あなたには人々を笑顔にする才能があるらしい」


 テティデューの姿はまるで芸術そのものだ。その美しさは人々を見惚れさせ、その動作一つで人々を導き、その言葉で人々を奮い立たせる。彼女は人の心を動かせる芸術なのだ。

 その例えようも無い素晴らしさの対価に人々はその表情に笑顔を湛える。


「私には、難しいことだ」


 それ故に、彼は自身の中に生まれた醜い思いを見つめずにはいられない。

 劣等感だ。



 彼が芸術に重きを置かないのは、信仰していないのは、彼自身にその才が無かったことにも由来する。その出自故に様々な教師を雇うだけの余裕はあったのだが、残念ながら結果はついて来なかった。だからこそ彼には芸術に頼れない人々の想いが理解できる。


「芸術に頼らずとも生きていける、そういう世を作る」


 彼が才を見せたのは合理と政治の世界。領地に住む人々を養う為に必要な食料を手に入れる方法を、人々が欲しい物を手に入れられる環境を、足りない物を自ら作り出す手段を。交渉、説得、恫喝、そして実行。

 彼はロンドーリアの大地を芸術に頼らずとも生きていける場所へと変えた。


「……これは正しかったのだろうか?」


 確かに人々は農作物を自ら作り、住居や衣類も自らの手で作り上げ、時には隣り合う領地などと交渉しより良い暮らしを目指した。しかし彼の耳に聞こえる声がある。

 ここでは何のインスピレーションも沸かなくなってしまったのだ、故にこの町を去る。

 多くの者が去った。彼らが去って行った理由は分からなくもない。芸術は、本当に、素晴らしく、価値のあるものなのだ。それを目指す者であればこんな場所はきっと息苦しいだろう。

 だとすれば、それ以外の道を押し進めた自分は何なのだ? 誰もこんなことは求めていなかったのではないか?

 自分のエゴを皆に押し付けているだけでは無いのか?



 リンドはテティデューを前にしていると、強く劣等感を刺激されるのを感じていた。目の前で彼女がやっていることはまるで自らの対極だ。彼女ならば、彼女ならば。


「テティデュー嬢、あなたならば、このロンドーリアを芸術の町にすることが出来たのだろうか」


 そう尋ねずにはいられなかった。彼は自分自身ですらそんな言葉が出て来たことに驚いていた。そんなことを思っていたことなど今の今まで考えたことも無かったのだから。

 合理的に考えればただの役割分担に過ぎないだろう。芸術に強い関心を持つ者はそれを行い天より人知を超えた対価を受け取り生活するし、そうでない者達が田畑を耕し食事を、木材や石材に鉱物から物を作り生活する。お互いに得意な事が違うだけでは無いか。

 リンドは思う、彼女は危険だ。その奔放さ故に、自身とはまるで対極に位置する存在故に、自らが行って来た全てが間違いだったのではないかと考えさせられてしまう。


 それは、とても恐ろしい。


「私ではロンドーリアの市場はこのように活気に満ちた物にはならなかったでしょうね」

「その言葉は慰めか?」

「慰め? 残念ながら、私にはそんな器用な事は出来ませんの」


 実際、彼女は他人の気持ちを理解しているようで欠片も理解していない。そういう節がある。

 何か困り事を抱えている人がいた時、リンドならば人々の一挙手一投足からその人の心の内を推測しそれに合った対応を考えるだろう、ではテティデューは?


「私は自分が思った通りに思ったことを言っているだけですわ」


 彼女にそんな器用な事は出来ない。自分勝手に人の手を引っ掴んで駆け出す事しかきっと出来ないだろう。


「町の人々はリンド様に感謝していましたわ。確かに、多少遊び心には欠けているようには思いましたけれどあれほどに活気のある町を作り上げるのがどれ程難しいか。私には想像もつきません」


 もう日も暮れようとする町からは人々の声が聞こえた。それはお菓子を貰って笑う子供、友人に冗談を言って笑う通行人、一杯行こうと知人に声を掛ける仕事終わりの店主。赤く染まる夕日が一日の終わりを告げようとしているというのにそこにあるのは明るく穏やかな声ばかりだ。


「農業も商業も工業も私には専門外でさっぱりわかりませんが、人々の笑顔でいさせることがどれ程難しいかは存じ上げておりますの」

「……君は領民と親交が深いのだったか」

「あら、そのような噂がこちらにまで? 少々お恥ずかしいですわね」


 リンドはテティデューが視察へ来ると聞いた時、面倒が増えた、ただそれだけを思った。彼女の噂はよく聞いている。いつも城外を出歩く自由奔放な御令嬢。まるで好奇心旺盛な子供のような噂が囁かれる彼女は家柄を狙い様々なアピールをしてくる社交界の人々と違い理解できない変人奇人の類なのだから。

 しかし実際に会ってみてどうだろうか。少なくとも印象は間違いなく大きく変わった。


「テティデュー嬢、あなたは……」

「あなたは?」


 リンドは少しばかり次の句を紡ぐか悩んだらしい。しかし彼はふっ、と笑みを浮かべ。


「どうやら間違いなく、変人奇人の類だ」

「……もしかして馬鹿にしていらっしゃるので?」


 さしものテティデューも突然の言葉に少しばかりむっ、としていたのだが。


「ふ、ふふふ、くくくっ」


 突然に笑い始めるリンドの姿に寧ろぎょっとしてしまう。


「どうかなさいまして?」

「ふっ、いや、気にすることは無い、ふふふっ」


 気にするなと言われても気にしない方が難しいだろう。それで何があったのかと思わず見つめているとふと、彼女は気が付く。

 夕日に照らされたその笑みはまるで無邪気な子供のようだ。


「……私に絵の才能があれば今頃筆を取らずにはいられなかったでしょうに」


 夕陽が地平線へ溶け行くのを彼らは見守る。お互いに何を話すことも無かったが、彼らの間にあった無意識の壁が少しずつ溶けて行くのを感じていた。それはきっと二人にとって悪くない時間だ。



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