第7話 赤い影
「外の音…怖い」
ウーちゃんに語りかけていた声が急に途切れ、小さな唇が震えた。
「この森、入った時より狭くなってない?」
ジュディが突然呟いた。誰も、その言葉の不自然さに気づかない。5歳の子供が言うには、あまりに的確すぎる観察。
ジュディは毛布に身を包み、震える声で訴えた。
「ママ、音やめてほしい」
小さな手がメアリーの腕を探った。
「大丈夫よ、ただの風だから」
メアリーは安心させるように笑顔を作り、娘の頭を撫でた。でも、自分でも風ではないと分かっている。
ティムは家族の不安を和らげようと努めた。
「気にしないで楽しもう」
暖炉に戻って薪を追加し、炎が高く燃え上がるのを見つめた。窓の外の状況が気になって仕方がなかった。赤い影が増え、林の周りを漂っているようだった。影が、意思を持って配置についている。
「木が動いてるのか?」
眉をひそめ、背筋が冷えた。
「メアリー、ちょっと外見てくる」
低く告げたが、メアリーの声が彼を止めた。
「待って、ティム。一緒に考えましょう」
夫の手を握った。ティムは汗ばんだ指で妻の手を握り返し、頷いた。二人の間で、言葉にならない決意が交わされる。
メアリーは家族の気を紛らわせようと空を指差した。
「星がきれいだね」
さそり座は相変わらず低く輝き、赤いアンタレスが異様な赤い霧と呼応するかのようだった。星と霧の赤が、同じ源から来ているように見える。視線はすぐに窓枠の異変に戻った。
「赤い影、増えてる」
声は震え、暖炉のそばで毛布を強く握りしめた。影が、窓ガラスに顔を押し付けているように見える。
「朝に周りを確認しよう」
でも、朝が来るかどうか、誰も確信が持てない。
唸りが近づき、バンガローの床が微かに震え始めた。床板の軋みが、足音のように聞こえる。ティムは身を乗り出した。
「動物じゃない」
窓に近づいて霧の奥を見つめた。赤い影が月光に浮かび上がり、不気味に脈打っていた。脈動が、心臓の鼓動と同期している。
「この霧、生きてるみたいだ」
霧が、確かに呼吸している。
メアリーは子供たちを一人ずつ見つめ、彼らを守るという決意を新たにした。暖炉の炎が彼女の眼鏡に反射した。
「何があっても一緒よ」
囁いた。その言葉が、呪文のように響く。
アールは小さく震えながら、タブレットのデータを再確認していた。
「このパターン…何かのコードかな」
画面の数値が、規則的に変動している。まるで、何かがこちらに信号を送っているかのように。
ヴァージニアは画用紙に赤い影の動きを描き続けていた。鉛筆の線が交差し、複雑なパターンを形成していく。
「これ、誰かに見せなきゃ」
静かに呟いた。描かれた形は、どこか花を思わせる優美さを持っていた。でも、その花は、普通の花ではない。生きて、脈打つ花。
ジュディはウーちゃんを強く抱きしめ、小さな声で囁いた。
「ウーちゃん、外に行っちゃダメだよ」
ウーちゃんの足の黒い染みが、少しずつ上に向かって広がっている。
窓の外では、霧が濃くなり、赤い影がより鮮明に見え始めていた。唸り声は強まり、バンガローの壁が微かに震えた。暖炉の炎が風で揺れ、壁に不安定な影を投げかけた。影が、逃げ惑う人々のように見える。
「母さんは知ってた。森が私たちを選んだことを」
アールが突然、誰かの声を真似るように呟いた。その声は、アールのものではない。もっと年老いた、女性の声。
家族全員が、一瞬、アールを見つめた。でも、アールは何も覚えていないような顔をしている。
暗闇の中で、ティム一家は互いに寄り添っていた。暖炉の火が家族を照らす一方で、窓の外では赤い光が次第に彼らを取り囲んでいた。
包囲が、完成しつつある。
「何があっても一緒よ」
メアリーが再び囁いた。その言葉が、まるで未来の自分から送られた警告のように響く。