第59話 運命の対面
時間: 2027年7月2日
場所: ロンドン、ウェイド・インダストリーズ研究施設
2年間の準備を経て、ついに運命の日の前日が訪れた。
ティム一家は、計画通りに行動していた。メアリーは臨時の環境調査員として、アールとヴァージニアは社会見学の小学生として、そしてティムは配送業者として、それぞれ別のルートから施設に接近していた。
午後3時、施設の正面玄関。
ガラス張りの近代的な建物が、夏の陽射しを反射して輝いている。まだ、あの灰色の悪夢は始まっていない。
一台の車が正面に停まった。
降りてきたのは若きエリザ、アラン、そして9歳のサラだった。
「あれが…」
物陰からメアリーが息を呑む。
そこにいたのは、13年後に出会った冷酷な支配者ではない。家族を愛し、科学に希望を託す、一人の女性だった。
エリザは白いブラウスに紺のスカートという装いで、研究者というより優しい母親のように見えた。アランと手をつなぎ、もう片方の手でサラの肩を抱いている。
サラはスキップしながら建物へ向かった。金色の髪が太陽に輝き、青いワンピースの裾が風に揺れる。手には大切そうにスケッチブックを抱えていた。
ヴァージニアは、物陰から瞬きもせずに見つめていた。
「サラちゃん」
小さく呟く。スケッチブックを握る手に、自然と力が入る。
自分のスケッチブックには、未来のエリザの悲しい顔と、今笑っているサラが並んで描かれていた。時を超えた二人の姿が、一枚の紙の上で出会っている。
「行くぞ」
ティムが意を決して動き出した。
計画では、まず会議室でエリザと接触することになっていた。環境影響評価の説明という名目で、15分の時間をもらっている。
その15分で、世界の運命を変えなければならない。
会議室のドアが開く。
「失礼します。環境コンサルタントのティム・マクレーンです」
振り返ったエリザは、まだ36歳。希望と自信に満ちた表情で、訪問者を迎えた。
「ようこそ。明日の実験について、何か懸念事項でも?」
「実は、重大な警告があります」
ティムは深呼吳をして、覚悟を決めた。
「明日の実験は人類の未来を切り開く画期的なものです」
別の会議室では、若きエリザが自信に満ちた声で発表していた。
「その実験が未来を灰にする!」
ティムが叫んだ瞬間、会議室のドアが開いた。
白衣を着た若い女性が入ってきた。短い黒髪、鋭い瞳。まだ20代半ばの顔には、13年後のような疲労の影もない。
「エリザ、実験データの最終確認を—」
レイナだった。
ティム一家が息を呑む。
「レイナ...」
メアリーが小さく呟いた。
13年若い彼女がそこにいた。まだ希望に満ち、罪の意識に苛まれていない、純粋な科学者として。
レイナは困惑した表情で一家を見つめた。
「あの...どちら様ですか?」
一瞬の沈黙。
しかし、ヴァージニアが勇気を出して前に出た。
「レイナさん、あなたは私たちを助けてくれました。いえ、助けてくれる人です」
そしてスケッチブックから一枚の絵を取り出す。2038年のレイナが、最後に見せた笑顔。革ジャケットを着て、ショットガンを構えながらも、優しい目で子供たちを見守る姿。
「これは...私?」
レイナの顔が青ざめる。
しかし、エリザが静かに言った。
「レイナ、この人たちの話を聞いて。私たちの実験が、何をもたらすか」
その声には、科学者としての冷静さがあった。非論理的な話でも、まず聞いてみる。それが真の研究者の姿勢だと信じているから。
メアリーがレイナのメモとデータを慎重に取り出した。
「これは、あなたが未来で私たちに託したものです」
震える手で受け取ったレイナは、そこに書かれた内容を見て息を呑んだ。確かに自分の筆跡。自分にしか分からない、独特の数式の書き方。
「『希望を捨てるな』...私が書いたの?」
アールが駆け寄り、少年らしい率直さで訴えた。
「レイナさん、あなたは僕たちを怪物から守ってくれた!ナノマシンのこと、たくさん教えてくれた!」
ジュディも続いた。
「ウーちゃんを助けてくれたの!」
小さな手でぬいぐるみを差し出す。
レイナは混乱しながらも、子供たちの真剣な眼差しに何かを感じ取った。嘘や演技ではない、本物の感情がそこにあった。
「私が...未来で...」
エリザがレイナの肩に手を置いた。
「信じがたいけど、彼らの持つデータは本物よ。そして...」
ヴァージニアが別の絵を見せる。エリザとレイナ、そして家族全員が一緒に描かれた未来の光景。しかし、その絵の中のエリザは、深い悲しみを湛えていた。