第57話 過去への帰還
2025年、ドーセットのバンガロー。
朝の光が窓から差し込む。
ティム一家が、ゆっくりと意識を取り戻す。
最初に聞こえたのは、小鳥のさえずりだった。次に、風に揺れる葉の音。そして、遠くから聞こえる小川のせせらぎ。
すべてが、平和で美しい音だった。
「ここは、ドーセットのバンガロー?」
メアリーが呟いた。辺りを見回すと、確かに見覚えのある風景。しかし、何かが違う。
いや、違うのは風景ではない。自分たちが変わったのだ。
「レイナとエリザが私たちを過去に送ってくれたんだね」
アールが窓に駆け寄り、外の景色を確認する。
「パパ、ママ、ここ、きれいなところだね」
森は緑に溢れ、空は澄み渡っている。まだ汚染されていない、美しい世界。
ヴァージニアがスケッチブックを大切に抱きしめた。
「レイナさん、エリザさん、本当に過去に戻ったんだ」
ジュディがウーちゃんを見つめて言った。
「ウーちゃん、エリザさんのおかげだね」
その時、誰も気づかなかったが、ウーちゃんの足に小さな黒い粒が付着していた。しかし、それは悪意あるナノマシンではない。エリザとレイナの意志が形となった、守護の印だった。
家族は外に出た。
朝の森は、生命力に満ちていた。木々が首を傾げるように道路側に傾いていた——もはや通り過ぎる者を数えるのではなく、歓迎するかのように。
古いフォルクスワーゲンバンが、朝日を浴びて輝いている。
ティムが運転席に座り、エンジンをかけた。
「ロンドンまで、この道をまっすぐだよ」
地図を確認しながら、新たな使命を胸に刻む。
アールが真剣な表情で尋ねた。
「パパ、ママ、未来って変えられるよね?」
ヴァージニアが力強く答えた。
「エリザさんがくれた希望、私たちが守るんだ」
そして、新しいページを開き、『サラちゃんへ』と書いた。そこに、チューリップと小川を描き始める。
「いつか会えたら、一緒に絵を描こうね」
ジュディが無邪気に呟いた。
「ウーちゃん、エリザさんに会いたいね」
車内に、しばしの沈黙が流れる。それは悲しみの沈黙ではなく、決意の沈黙だった。
ティムがバックミラーを見つめた。そこに映るのは、もう過去の自分たちではない。未来を知り、使命を背負った家族の姿。
「リサ、カイ」
名前を呟く。まだ出会っていない友人たち。でも、必ずどこかで生きているはず。
アールが大切そうに石を取り出した。
「カイが僕にくれたんだ。勇気の石って」
まだもらっていないはずの石。でも、確かにここにある。時を超えた友情の証。
メアリーも思い出に浸る。
「リサさんは強かった。彼女が守ろうとした人たちを、今度は私たちが守る番ね」
「エリザ、お前がくれた青空だよ」
ティムが空を見上げて呟いた。
車がゆっくりと動き出す。森を抜け、ロンドンへの道を進んでいく。
夕陽が空をオレンジに染める頃、一家は新たな決意を胸に、運命の地へと向かっていた。
ヴァージニアは窓から手を伸ばし、流れゆく森に向かって手を振った。
「サラちゃん、エリザ、約束するね!」
その声は風に乗って、時を超えて届くかのようだった。
スケッチブックには新たなタイトルが記されていた。
「希望の彼方へ」
車は地平線の彼方へと消えていく。
しかし、これは終わりではない。
新たな始まりだった。
ウーちゃんの足の黒い粒子が、微かに、優しく光る。それは、時を超えた守護者たちからのメッセージ。
『希望を捨てるな』
『何があっても一緒よ』
ティム一家の新たな旅が、今、始まった。