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第48話 つかの間の光

初夏の午後。


太陽が木々の間から差し込み、小川の水面をきらきらと輝かせていた。二人は岸辺に座り、素足を冷たい水に浸していた。


「はい、プレゼント」


アランが差し出したのは、野花で作った花冠だった。白い花、黄色い花、そして小さな赤い花が丁寧に編み込まれている。


「子供じゃないんだから」


文句を言いながらも、エリザはそれを受け取った。手のひらに乗せると、花の優しい香りが鼻をくすぐる。


「似合うよ」


アランが優しく花冠を彼女の頭に乗せた。


「バカ」


でも、鏡のような水面に映る自分を見て、エリザは小さく微笑んだ。三年ぶりの笑顔だった。花冠をつけた自分が、まるで昔の自分に戻ったような錯覚を覚える。


「エリザ、君が笑った」


アランの声には、純粋な喜びが満ちていた。


「…うるさい」


頬を赤らめ、でも花冠は外さない。この瞬間を大切にしたいと思った。


夕暮れ。オレンジ色の光が森を包み、まるで世界全体が優しい炎に包まれているようだった。小川の水面に夕陽が反射し、黄金の道を作り出している。


「エリザ」


アランが真剣な顔で向き直った。夕陽が彼の瞳を照らし、そこには揺るぎない決意が宿っていた。


「君を守りたい。君の夢も、君の笑顔も」


そして、そっと手を握った。


温かい。母の手以来の、信じられる温もりだった。アランの手は少し汗ばんでいて、緊張が伝わってきた。それがかえって、彼の真剣さを物語っていた。


「アラン…」


「好きだ、エリザ」


シンプルな告白。飾り気のない、まっすぐな想い。


涙が溢れた。凍っていた心が、ゆっくりと、しかし確実に溶けていく。頬を伝う涙は、もう悲しみの涙ではなかった。


「私も…」


しかし、幸せは長く続かなかった。


八月の終わり。いつものように森で会ったアランの表情が、どこか曇りがちだった。笑顔を作ろうとしているが、目が笑っていない。


「どうしたの?」


エリザは不安を感じた。


「父が…森の一部を買収するって」


アランの声は苦渋に満ちていた。


血の気が引いた。頭の中で警鐘が鳴り響く。


「買収?」


「工場の拡張のために。僕、反対したんだけど」


そこで初めて、エリザは気づいた。今まで考えないようにしていた事実に直面させられた。


アラン・ウェイド。ウェイド・インダストリーズ。母を殺した工場の——


「あなた…まさか」


声が震えた。


「エリザ?」


アランが心配そうに彼女を見つめた。


「ウェイド工場の息子だったの!?」


叫びは、森の静寂を切り裂いた。鳥たちが一斉に飛び立ち、ざわめきが広がる。


アランの顔が青ざめた。


「そうだけど、でも僕は——」


「騙してたのね」


エリザは立ち上がった。花冠が頭から滑り落ち、地面に落ちた。美しかった花々が、土に汚れていく。


「違う!僕は君を——」


「母さんを殺した工場の息子が、よくも!」


怒りと裏切りの感覚が、一気に噴出した。やっと開きかけた心が、再び激しく閉じていく。


「エリザ、聞いてくれ!」


アランは必死に手を伸ばしたが、エリザはその手を振り払った。


「もう信じない。人間なんて、みんな同じ」


涙が止まらない。でも、それは怒りの涙だった。涙は、錆びた鉄の音を立てて落ちた。


最後の日。


森に重機が入っていた。けたたましいエンジン音が響き、チェーンソーが容赦なく木々を切り倒していく。小鳥の声はかき消され、代わりに木が倒れる重い音が響いた。


「エリザ!」


アランが走ってきた。息を切らし、汗だくになっている。


「待ってくれ、僕は父と戦う。君のために会社を変える」


必死の形相で訴えるが、エリザの心にはもう届かない。


「遅いのよ」


エリザは背を向けた。足元で、切り倒された木の葉がかさかさと音を立てる。


「もう、何も信じない」


「エリザ!愛してる!」


その言葉に、一瞬だけ振り返った。アランは泣いていた。その涙は本物だった。彼の苦しみも、愛情も、すべて本物だった。


心が千切れそうになる。でも、もう戻れない。一度閉じた心を、再び開く勇気はなかった。


「さよなら、アラン」


歩き去りながら、エリザは誓った。もう二度と、人を信じない。愛さない。心を開かない。


ただ一つ、科学だけを信じて生きていくと。


しかし、花冠の残骸を踏みしめながら歩く彼女の頬を、涙が伝い続けていた。


「やっぱり、光が……しゃべってるみたい」


どこかで、少女の声が聞こえたような気がした。


エリザは立ち止まり、振り返った。森の奥で、赤い光が微かに瞬いていた。それは警告か、それとも——


「違う。光なんて、嘘をつくだけ」


再び歩き始める。しかし、心の奥底で小さな声が囁いていた。


——本当に、そうかしら?

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