第34話 闇に輝く赤い光
時間: 2038年7月27日、夜8時
場所: セクター7居住区、中央広場
夜が近づき、花火の準備が始まった。
「派手にはならねえけど、見ててくれよ」
技術者が古い砲身に火薬を詰めた。火薬は貴重品。本当は武器のために取っておくべきものだ。
最初の花火が打ち上がった。小さな爆発音と共に、赤と緑の光が灰色の空に広がった。
「すごい!」
アールが跳ね上がった。でも、赤い光が、別の記憶を呼び起こす。
「赤と緑…絵に描こう」
ヴァージニアの鉛筆が動き始めた。花火の形が、どこかチューリップの開花を思わせた。でも、その花は空中で砕け散る。
「ウーちゃん、花火きれいね!」
ジュディの歓声が響いた。
「でも、すぐ消えちゃう」
小さく付け加える。
ティムは家族を抱き寄せ、灰色の世界に咲いた一瞬の色彩を共に見上げた。
「何があっても一緒だ」
メアリーの言葉を、今度はティムが言った。
フェスティバルが終わりに近づくと、メアリーが言った。
「今日はシャワー室が使えるって」
月に一度の贅沢。でも、それも監視されている。
一家は共同シャワー室へ向かった。「1人5分」の看板が傾いていた。その横に、新しく「違反者は配給停止」の文字が。
「冷てえけど気持ちいいな」
ティムが頭に水をかけた。一ヶ月分の灰が、黒い川となって流れる。
「生き返るようね」
メアリーがため息をついた。綺麗な水で洗い流される灰—それは一時的な浄化だった。でも、明日にはまた灰まみれになる。
シャワー室の隅で、ヴァージニアが壁に描かれた落書きを見つけた。
「助けて」
赤い文字で書かれている。いつ、誰が書いたのか。
アールがヴァージニアのスケッチブックに手を伸ばしかけて、やめた。シャワー室でも、妹の領域は尊重する。でも、その落書きが気になる。
テントに戻ると、夜の静寂が訪れていた。しかし遠くから、何か不穏な唸り声が近づいてきた。
「何だ?」
ティムが眉をひそめた。一ヶ月の経験が、危険を察知させる。
「風じゃないね」
メアリーが耳を澄ませた。
「生きてる音」
ヴァージニアが小さく呟いた。
リサが隣から顔を出した。
「おかしな音ね。こんな日に限って…」
でも、その顔には諦めもある。
「フェスティバルの後は、いつも何かが起きる」
カイが付け加えた。子供なのに、パターンを知っている。
「念のため寝る準備だ」
ティムが家族に指示した。
でも、誰も眠れない。唸り声が、少しずつ近づいてくる。
「私たち、本当に2025年から来たのかしら。それとも、ずっとここにいたの?」
メアリーが突然呟いた。時間の感覚が、一ヶ月でさらに歪んでいる。
「母さんは知ってた。森が私たちを選んだことを」
アールが、また誰かの声で言った。今度は自覚している。
「アール?」
メアリーが心配そうに見つめる。
「ごめん、また変なこと言った」
アールは首を振った。でも、その言葉がどこから来るのか、自分でも分からない。
ジュディがウーちゃんを抱きしめながら言った。
「ウーちゃんが言ってる。もうすぐ、レイナお姉ちゃんが来るって」
家族全員が、ジュディを見つめた。5歳の子供の予言めいた言葉。
窓の外で、赤い光が強くなり始めた。唸り声も、はっきりと聞こえるようになる。
「準備しろ」
ティムが立ち上がった。一ヶ月前とは違う。今の彼には、戦う覚悟がある。
メアリーも頷いた。
「何があっても一緒よ」
その言葉が、今は戦いの合図となる。
ヴァージニアはスケッチブックをしっかりと抱いた。この一ヶ月の記録を、守らなければ。
アールは壊れたタブレットを武器のように構えた。データは取れなくても、鈍器にはなる。
ジュディはウーちゃんを掲げた。銀の模様が、激しく脈打ち始める。
「来る」
リサの警告と共に、テントの外で何かが動いた。
赤い目が、闇の中で光る。たくさんの、赤い目が。
夜の灰嵐がテントを包み込んだ。遠くの唸り声は確実に大きくなっていたが、今日の記憶と深まった絆は、これからの試練に立ち向かう力となることを、家族全員が心のどこかで感じていた。
でも同時に、フェスティバルが罠だったのではないかという疑念も。人間らしさを思い出させて、それを奪う。それがセクター7のやり方なのか。
「俺たちは何を閉じ込めているんだ?」
分室の落書きを、ティムは思い出していた。
壁は、本当に守るためにあるのか。それとも—
唸り声が、すぐそこまで迫っていた。