第32話 微かな希望
画面には若い頃のエリザとレイナが映っていた。二人は研究室で微笑みながら、何かの実験をしている。
「彼女たちは元々、世界を救おうとしていた。エリザの母も環境活動家だった」
次の映像——幼いエリザが母と森を歩く姿。小川で水を汲み、チューリップを摘む母娘。
ヴァージニアが息を呑んだ。
「チューリップ…」
「エリザの母は自然を愛した。だが工場の汚染と戦い、最後は…」
ハーヴェイは言葉を濁した。
「殺されたのか」
ティムが低い声で言った。
「公式には事故だ。だがエリザは信じなかった」
老人は杖を握りしめた。
「その後、エリザは科学の道を選んだ。母の夢を実現するために」
映像が変わり、エリザとアラン、そして幼いサラが映った。公園で遊ぶ家族の幸せそうな姿。
「彼女にも家族がいた。だが大崩壊で…」
「失ったのね」
メアリーが静かに言った。
「だからティム一家を見ると、彼女は…」
ハーヴェイは頷いた。
「過去の亡霊を見ているのだろう」
老人は最後の映像を見せた。レイナが一人、研究室で働く姿。
「レイナは罪の意識に苛まれながらも、解決策を探し続けた。13年間、一人で」
「でも一人じゃ限界がある」
アールが呟いた。
「その通りだ、少年よ」
ハーヴェイは優しく微笑んだ。
「だからお前たちが必要なのかもしれない」
老人は立ち上がり、本棚から小さな封筒を取り出した。
「レイナが残したものだ。『もしティム一家が来たら』と」
封筒の中には手書きのメモがあった。
『Dahlia、Tulip、River(川)——母の愛した花と、全ての始まりの場所』
ヴァージニアがスケッチブックを開いた。
「私、チューリップばかり描いてた」
「偶然ではないかもしれん」
ハーヴェイは意味深に言った。
「運命は不思議な形で繋がる」
ここで、沈黙の会話が始まった。
ハーヴェイとヴァージニアは、言葉を交わさずに見つめ合った。老人は静かにスケッチブックに手を伸ばし、ヴァージニアは躊躇いなくそれを差し出した。
ページをめくる音だけが響く中、ハーヴェイの表情が次第に変化していく。驚き、理解、そして深い感慨。単眼鏡越しの瞳に、涙が浮かんだ。
ヴァージニアは老人の手を取り、自分の鉛筆を握らせた。ハーヴェイは震える手で、スケッチブックの余白に何かを描き始める——それは、チューリップの球根だった。
二人は顔を見合わせ、同時に小さく頷いた。言葉はいらなかった。芸術を通じて、世代を超えた理解が生まれていた。
「私たちは何を閉じ込めているんだ?」
アールが突然呟いた。セクター7の壁の落書きを思い出していた。
ハーヴェイは振り返り、深い意味を込めて答えた。
「希望を、だよ」
突然、警報が鳴り響いた。
「時間だ。戻れ」
警備員が現れ、家族を急かした。
ハーヴェイは最後に言った。
「真実を知った今、どう生きるかはお前たち次第だ」
「でも忘れるな。絶望の中にも、必ず希望はある」
家族がエレベーターに乗り込む前、老人は小声で付け加えた。
「エリザの心を開く鍵は、お前たちが持っているかもしれん」
扉が閉まり、家族は再び地上へと戻っていった。
テントに戻ると、メアリーはメモを見つめた。
「Dahlia、Tulip、River…」
「レイナが残した暗号?」
アールが推理した。
「きっと意味があるよ」
ヴァージニアはスケッチブックのチューリップを見つめた。
「エリザさんも、お母さんが好きだったんだね」
「みんな、家族を愛してた」
ジュディが小さく言った。
ティムは家族を見回した。
「俺たちは生きてる。それが大事だ」
メアリーは子供たちを抱き寄せた。
「何があっても一緒よ」
囁いた。
窓の外では、灰嵐が激しさを増していた。遠くで赤い光が不規則に瞬き、何かが近づいているような不穏な気配が漂っていた。赤い光が踊ってる。きれい。こわい。きれい——ジュディの内なる声が響いた。
しかし今夜、家族は新たな知識と共に眠りについた。この世界の真実、エリザとレイナの過去、そして自分たちが果たすべき役割について。
「俺たちは何を閉じ込めているんだ?」
アールの問いが、闇の中で反響していた。
運命の歯車は、確実に動き始めていた。