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第26話 生きるために

「明日、全員で並ぼう」


ティムはメアリーに目をやり、小さく頷いた。夫婦の間で、無言の決意が交わされる。


「並ぶのか…大変ね」


メアリーは疲れた声で囁いた。


「慣れるものよ。でも遅れると何も残らないから気をつけて」


リサは経験者らしく続けた。


「タワーの下に温室があって、豆やジャガイモ作ってるの。缶詰とパンはそこから来るのよ」


「でも、時々変な味がする」


小さく付け加える。


「水は?」


ティムが尋ねると、リサは小さく笑みを浮かべた。


「鉄壁の裏に濾過装置があるの。ナノマシンを取り除いて飲めるようにしてるけど、量が少ないのが難点なのよ」


「完全には、取り除けないけどね」


最後の一言は、ほとんど聞こえない。


「時々変な味するよ」


カイが付け加えた。


「赤い粒が混じることもある」


「変な味?」


アールの目が好奇心で丸くなった。データとして理解したい欲求。


「生きる術があるのね」


メアリーは小さく微笑んだ。教師としての適応力が、状況を受け入れる。


「温室って何?」


ヴァージニアが首を傾げて尋ねた。


「野菜を作る場所よ」


メアリーは優しく説明した。


「きっと、緑がいっぱいあるのね」


希望を込めて付け加える。


「豆、好き」


ジュディの無邪気な一言にリサは優しく微笑んだ。


「いい子ね。豆なら毎日食べられるわよ」


でも、その優しさの裏に、哀れみも見える。


「でも温室の豆、時々赤い粒が混じる。食べない方がいいよ」


カイの警告に場の空気が一瞬重くなった。子供の口から出る、恐ろしい日常。


「赤い粒って…」


ヴァージニアが震えた。ナノマシンの記憶が蘇る。


灰を運ぶ風がテントの布を激しく叩き、隙間から灰が吹き込んできた。ティムが決意を固め、立ち上がった。


「俺、タワー行ってくる」


男としての責任感が、疲労を押しのける。


「今なら間に合うわ。3時半に配給始まるから急いだ方がいいわよ」


リサが実用的に助言した。


「でも、新入りは最後尾よ」


現実の厳しさを告げる。


ティムは灰の中を歩き出し、次第に姿が霞んでいった。その背中を、家族が不安げに見送る。


中央タワーの基部には鉄の平台にカートが停まり、配給係が物資を積み込んでいた。長蛇の列に並ぶ住民たちの灰まみれの服が風に揺れていた。列が、希望と絶望の境界線。


最後尾に並んだティムに、隣の男が小声で教えた。


「新入りか? 1人1セットだ」


でも、その目には同情はない。


「家族が5人だ」


答えると、男は冷たく笑った。


「置いてきたなら今日は1人分だ」


「俺たちの分が減るからな」


本音が、剥き出しになる。


ここに、セクター7住民のエゴが垣間見えた。新参者への冷たい視線、物資が減ることへの警戒心。極限状況での人間の醜さ。


配給係の「次!」という声でティムの番が来た。パン、水ボトル、缶詰を受け取った。


「家族がいるんだ」


訴えても、相手は機械的に返すだけだった。


「並べば取れる。次!」


人間味のない対応。システムに組み込まれた冷酷さ。


重い足取りでテントに戻ったティムは、入り口で息を整えてから告げた。


「俺の分だけだ。明日から並ぶぞ」


挫折感が、声に滲む。


「ティム、無理しないで」


メアリーの心配そうな声が響く中、家族は少ない物資を分け合った。パンを五等分し、水を少しずつ口に含む。


「硬いけど頑張るよ」


アールは明るく振る舞った。でも、空腹は隠せない。


「豆、ちょっと変な味」


ヴァージニアは顔をしかめながらも、必死に食べた。赤い粒を避けながら。


「ママ、これ好き」


ジュディは母親に寄り添い、小さな声で言った。純粋な愛情が、飢えを和らげる。


「慣れりゃ何とかなる」


ティムは低い声で言った。でも、その言葉に確信はない。


「何があっても一緒よ」


メアリーが静かに言った。その言葉が、家族の絆を確認する儀式。


夜が深まり、テントの外では誰かの咳が聞こえた。乾いた、痰の絡む音。病気か、それともナノマシンの初期症状か。


「あの人たち、最初から死んでたのかな」


ジュディが突然呟いた。誰のことを言っているのか、分からない。


ヴァージニアがスケッチブックを開き、薄暗い中で何かを描き始めた。鉛筆の音だけが、静寂を破る。


アールは壊れたタブレットを見つめながら、頭の中でデータを整理していた。配給のシステム、人数、物資の量。生き延びるための計算。


灰嵐は容赦なくテントを打ちつけ、新しい絆が芽生え始める中、遠くで誰かの乾いた咳が響き、不穏な予感がかすかに漂っていた。


メアリーは子供たちの頭を優しく撫でた。


「何があっても一緒よ」


囁いた。温かな声には、この荒廃した世界で生き抜く決意が込められていた。でも同時に、不安も。


レイナは今頃、どこで何をしているのだろう。封印エリアで、何を見つけるのだろう。


窓の外で、赤い光が一瞬瞬いた。警告か、それとも希望か。


家族は身を寄せ合い、初めての夜を迎えようとしていた。

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