第24話 鉄壁の向こう、そして別れ
検疫官は無表情に告げた。
「居住区へ案内する」
先導して歩き始め、一行はその後に続いた。
アールは目を輝かせて周囲を見回した。
「見て!あれは電磁パルス防御システムだ!」
指差す先には、複雑な機械装置が作動していた。
「どうやって電力を供給してるんだろう?」
エネルギーへの興味が尽きない。
壁のパネルには赤い結晶が封じ込められ、脈動するように光を放っていた。
ヴァージニアが身震いしながら尋ねた。
「あの赤いの...また出てる」
恐怖が、声に滲む。
検疫官は淡々と説明した。
「ナノマシン隔離システムだ。外界からの侵入を防ぐ」
「でも、完璧ではない」
小さく付け加える。
レイナは黙って中央タワーを見つめていた。やがて小さく呟いた。
「昔は希望だった...ナノマシンは未来を変えるはずだった」
過去への後悔が、声に滲む。
一行が広場の端に差し掛かると、レイナが突然足を止めた。表情に決意が浮かび、一瞬の逡巡の後、言葉を発した。
「みんな、私はここで別れる」
その唐突な宣言に、家族全員が驚き、振り返った。ティムが困惑した様子で尋ねた。
「どういうことだ?」
裏切りへの怒りが、声に混じる。
レイナは静かに、しかし決意を込めた声で語り始めた。
「あの封印エリアの謎を追う。分室で見た地図...あれは重要だ」
目には研究者としての使命感と、過去への贖罪の炎が燃えていた。
「セクター7に留まれば監視される。自由に動けない」
「一人の方が、動きやすい」
孤独への回帰。
メアリーは眉を寄せ、分析的思考で状況を把握しようとした。
「分室の地下が鍵なの?あの封印エリアに何があるの?」
母親の直感が、レイナの決意の深さを感じ取る。
レイナは少し視線を逸らした。
「かもしれない...あの封印区画には何か重要なものがある。そして...」
声を落として付け加えた。
「時間を元に戻す鍵があるかもしれない」
「Dahlia、Tulip、River...母の愛した花と、全ての始まりの場所」
謎めいた言葉が、また口から漏れる。
メアリーの瞳に希望の光が灯った。
「それが見つかれば...私たちも戻れる可能性があるのね」
その瞬間、アールが感情を爆発させるように叫んだ。
「レイナ、行かないで!」
小さな足で駆け寄り、予想外の行動でレイナの腕を掴んだ。茶色の瞳には涙が浮かんでいた。
「まだ聞きたいことがあるんだ!ナノマシンのこと、もっと教えてよ!」
子供の純粋な願い。
ヴァージニアもレイナに駆け寄り、黙ってその腕にしがみついた。
「一緒にいてよ...」
緑の瞳には涙が溢れ、無言のままレイナの革ジャンを握りしめた。今度は躊躇なく、しっかりと。
ジュディは小さな手を伸ばし、純粋な信頼を込めて言った。
「レイナ姉ちゃん、また会える?」
ウーちゃんの銀の模様が、悲しみに反応して点滅する。
レイナの硬い表情が崩れた。目に涙が浮かび、革ジャンの袖で素早く拭った。13年ぶりの、人間らしい涙。
膝をつき、子供たちと目線を合わせた。革ジャンの膝が灰に触れた。
「アール」
優しく呼び、肩に手を置いた。
「お前の好奇心は大切な武器だ。疑問を持ち続けろ。観察し、理解しようとすること—それは科学者の魂だ」
微笑みには本物の温かさがあった。アールは涙を必死に堪えた。
「うん...必ず」
「帰ってきてね、研究成果教えてくれるって約束して」
小さく付け加えた。
次にヴァージニアを見つめ、レイナは優しく語りかけた。
「ヴァージニア、お前の目は特別だ。他の誰も見えないものが見える。その感性を大切にしろ」
少女の金髪をそっと撫でた。
「いつか、この灰色の世界に色を取り戻す日が来る。その時、お前の絵でこの世界を彩ってくれ」
「チューリップを、描いてくれ」
ヴァージニアは涙で濡れた頬を拭い、小さく頷いた。
「約束する」
スケッチブックを胸に抱きしめた。光るページが、約束の証。
最後にジュディに目を向け、レイナは思いがけない優しさで語りかけた。
「ジュディ、ウーちゃんを大切にな。お前のように純粋な心を持つ者が、この世界を救うんだ」
「レイナ姉ちゃん、また来てね」
その無邪気な願いに、レイナは応えた。
「約束するよ」
「必ず、生きて戻る」
レイナが立ち上がると、革ジャンから灰が舞い落ちた。ティムが一歩近づき、言葉を選びながら言った。
「気をつけろよ。何かあったら...」
「もし戻ってきたいなら...ドアは開けておく」
男同士の、不器用な別れ。
メアリーも心からの感謝を込めて言った。
「レイナ、あなたのおかげで私たちは生き延びた。どうか...あなた自身も生き延びて」
「あなたも...家族よ」
「何があっても一緒よ」
最後の言葉が、レイナの心に刻まれる。
「家族...」
レイナはその言葉を口にし、自分の声が震えるのを感じた。
ランドマスターへと歩き出した。その背中には決意と別れの寂しさが表れていた。孤独への回帰が、また始まる。
でも、トランクを開けた時、レイナは一瞬動きを止めた。中に何があるのか、家族には見えない。でも、レイナの表情が一瞬歪む。
残された家族は彼女の後ろ姿を見送った。アールが大きく手を振った。
「レイナさん!」
ヴァージニアは涙を拭い、ジュディは元気に叫んだ。
「バイバイ!」
ランドマスターのエンジンが再び唸りを上げ、レイナを乗せた車はゲートへと向かった。重い音を立ててゲートが開き、彼女の姿を灰色の外界に送り出した。そして同じ音と共にゲートは閉じた。
別れの静寂を破ったのは、検疫官の冷たい声だった。
「居住区はこちらだ」
人間味のない案内。
ティムは傷ついた肩を押さえながらも、背筋を伸ばした。メアリーは子供たちの頭を優しく撫でた。
「何があっても一緒よ」
囁いた。でも、レイナの不在が、既に重くのしかかる。
彼らは鉄壁の内側で安全を得た。しかし同時に、レイナの残した「封印エリア」の謎は、彼らの心に重くのしかかっていた。
一方、鉄壁の向こうでは、レイナの孤独な探索が始まろうとしていた。彼女の心には家族との約束が刻まれていた。
灰の荒野が彼女を飲み込み、ランドマスターの姿が徐々に小さくなっていった。しかし彼女の目には新たな決意が燃えていた—過去の罪を贖い、この家族に未来を取り戻すという使命が。
「一人で生き延びるために何をしたか...」
レイナは小さく呟いた。ランドマスターのトランクには、いくつかの遺品が揺れていた。それらはかつて、彼女が守れなかった人々のものだった。小さな靴、割れた眼鏡、血染めのスカーフ。
「今度こそ、守ってみせる」
ハンドルを握る手に力が入った。灰の彼方へ、彼女は一人旅立っていった。
「Dahlia、Tulip、River」
謎めいた言葉が、風に溶けていく。