第19話 レイナの過去
内ポケットから取り出した古いIDカードが証拠となった。プラスチックは割れ、写真は色あせていたが、そこには若く希望に満ちた別人のような彼女の姿が映っていた。過去の亡霊。
「レイナ・ハート、環境修復部門」
文字が、墓碑銘のように見える。
アールは興奮して身を乗り出した。
「研究員!?ナノマシンを作ったの?」
質問が、レイナの心に刺さる。
レイナはIDカードを手のひらでそっと撫で、言葉を選んだ。
「そうだよ。私、ナノマシンの開発チームの一員だった」
告白が、重く響く。
IDカードには「レイナ・ハート、ウェイド・インダストリーズ、環境修復部門主任研究員」と印字されていた。
家族全員の視線がカードに集中した。空気が、凍りつく。
「私は...失敗した。ナノマシンの夢に惹かれて入社したけど...あの日、制御が効かなくなった」
声は途切れがちで、視線は床に落ちた灰に向けられていた。灰が、罪の象徴。
「私が止められなかった...私の設計した安全装置が作動しなかった」
「人が、たくさん...」
言葉が、涙に変わりそうになる。
メアリーは胸が締め付けられる思いで、思わず手を伸ばした。手を伸ばしかけて、触れる前に止める。
「レイナ、ごめんなさい...そんな話をさせて」
レイナは首を横に振り、静かな決意を込めて言った。
「いいんだ。セクター7に残ったのも、そのためだ。ナノマシンを止める方法を見つける...それが私の償いだ」
IDカードを握る手に力が入り、指の関節が白くなった。プラスチックが、割れる音がする。
「一人で生き延びるために...」
小さく呟いたが、その先は続かなかった。何をしたのか、誰も聞かない方がいい。
車内に重い空気が漂い、長い沈黙の後、意外な言葉がティムの口から発せられた。
「自分を責めるな。お前一人のせいじゃない」
農場育ちの彼らしい率直さで、レイナの心に響いた。
メアリーも頷き、温かな声で続けた。
「そうよ、レイナ。あなたが罪を背負う必要はないわ。それに...あなたがいてくれて良かった。あなたは既に私たちの家族よ」
「何があっても一緒よ」
その言葉を、今度はレイナに向ける。
「家族...」
レイナの声は掠れた。その概念が、もう遠い記憶。
ジュディの素朴な問いかけが、大人たちの重い沈黙を破った。
「戻れるの?2025年に」
その質問が、全員の心に希望と絶望を同時に呼び起こす。
車内は静まり返った。レイナは慎重に言葉を選んだ。
「可能性はある。私が研究していた頃、時空間フィールド制御の実験があった。もしそのデータが残っていれば...」
「でも、それは理論上の話だ」
現実の厳しさを付け加える。
ティムが身を乗り出した。
「データがあれば何だ?過去に戻れるってことか?」
希望に縋る声。
レイナは肩をすくめるように答えた。
「...かもしれない。あの技術は原理的には可能性を持っていた。でも、完成はしていなかった」
「完成する前に、世界が終わった」
アールの目が輝いた。
「僕、解析してみたい!」
割れたタブレットの画面を見て肩を落とした。
「このタブレットさえ動けば...」
「記憶だけじゃ、足りない」
メアリーの声は実務的で冷静だった。
「そのデータは今どこにあるの?」
レイナは「セクター7の中央データベースに保管されているはずだ」と答え、再びIDカードを見つめた。
「だが、アクセスできるかどうかは分からない」
「私のIDは、もう無効かもしれない」
遠くで赤い光がチラつき、ショットガンを握る手に再び力が入った。
アールが叫んだ。
「何かいる!」
窓に顔を近づけた。
レイナは素早く言った。
「落ち着け。まだ遠い」
ショットガンを手に取った。
「ナノイドは周期的に活動する。今は活動期に入りつつある」
「また逃げる時間だ」
ティムは呻いた。
「また怪物か?」
パイプを握り直した。失血のせいか、息遣いは荒くなっていた。
「まだやれる...」
でも、その言葉に確信はない。
メアリーは囁いた。
「もう少し休みたかったけど...」
現実は、休息を許さない。
ヴァージニアが震える声で言った。
「またあの怖いの...来るの?」
スケッチブックのページが、恐怖に反応するように震える。
ジュディの小さな声には不思議な強さがあった。
「レイナ、また助けてね」
ウーちゃんの銀の模様が、優しく脈打つ。
レイナの硬い表情が和らいだ。
「ああ、約束する」
「今度は、君たちを守る理由がある」
エンジンが再び唸りを上げ、ランドマスターは廃墟の影から動き出した。灰嵐が車体を叩き、遠くの赤い光が徐々に近づいてくるのが見えた。
レイナは最後にもう一度廃墟を振り返った。表情には疲労と共に、新たな決意が宿っていた。
「セクター7で答えを見つける。必ず」
「君たちのために」
付け加えた。
廃墟はやがて視界から消え、灰色の荒野が再び彼らを包み込んだ。しかし、彼らの心には新たな光が灯り始めていた。
家族という光が。
ヴァージニアが、レイナの肩にそっと手を置いた。今度は、躊躇わずに。
「一緒に行こう」
小さな手の温もりが、レイナの凍った心に染み込んでいく。
「何があっても一緒だから」
メアリーの言葉が、車内に優しく響いた。