表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/61

第18話 廃墟での休息

時間: 2038年6月26日、朝8時15分

場所: 荒野、崩れたショッピングモール跡


ランドマスターのエンジン音が次第に弱まり、車体の不規則な震えが穏やかな脈動へと変わっていった。エンジンが、疲れた心臓のように鼓動を緩める。レイナが決断を告げる声は、疲労で低く沈んでいた。


「ここで休む」


彼女は車を崩れたショッピングモール跡の陰に滑り込ませた。鉄骨がむき出しになった骨組みは空に向かって不規則に伸び、かつてのガラス張りの天井からは灰色の光が差し込んでいた。コンクリートの壁は放射状に亀裂が走り、床に散らばったマネキンの破片は奇妙な白い島のように灰の海に浮かんでいた。マネキンたちが、凍りついた買い物客のように見える。


壁に残る看板の一部が風に揺れ、「ウェイド・インダストリーズ・コミュニティ・センター」の文字が辛うじて判読できた。文字が、墓碑銘のように重い。


メアリー・マクレーンは後部座席から消耗し切った息を吐いた。


「少しでも休めるなら...ありがたいわ」


眼鏡を外し、両目を軽く押さえた。レンズの傷と埃がこの数時間の過酷な旅を物語っていた。傷が、時間の爪痕のように深い。


「いったいどれだけの人々が...」


言葉を飲み込んだ。想像したくない現実が、そこにある。


助手席のティムも肩の傷を押さえながら、緊張の糸が切れたように深く息を吐いた。


「安全なのか?この場所は」


声には疑念と疲労が入り混じり、血に染まった袖口を見つめた。血が、まだ乾いていない。


レイナはエンジンを切り、常に用心深い目で周囲を見回した。


「ナノイドは周期的に活動する。今は休止期に入ってる」


左手がショットガンの銃身をなでるように触れ、触覚で弾の装填状態を確認した。指が、武器と一体化している。


「ここで一時間、体力を回復させる必要がある」


「私も、少し眠りたい」


最後の一言は、ほとんど聞こえないほど小さかった。


アールは車から飛び出し、廃墟の一部を指さした。


「あれ、何だろう?」


声には恐怖を忘れさせる好奇心が満ちていた。視線の先には、半壊した電子機器店の残骸が見えた。ガラスケースの中に、埃を被った展示品がまだ並んでいる。


「見てみたいな」


ティムが即座に厳しい声で止めた。


「だめだ、アール。離れるな」


父親の本能が、見えない危険を感じ取る。


ティムは黙って暖炉の火起こしを手伝うメアリーの姿を思い出した。あの時の温もりが、今は遠い夢のよう。


ヴァージニアの声は不安と疲労で細くなっていた。


「ずっとここにいるの?怖いよ」


メアリーの腕から少し身体を離し、自分のセーターの糸くずを神経質に弄っていた。崩れた壁のシルエット、床に反射する光の模様、灰の中に埋もれた商品の色彩を見つめていた。全てを、記憶に刻むように。


「ねえママ、これって昔はお店だったの?」


メアリーは娘の思考の方向転換に感心し、静かに答えた。


「そうよ、ショッピングモールって言って、たくさんの人が買い物に来る場所だったのよ」


「笑い声が、聞こえてたのよ」


過去形で語る悲しさが、声に滲む。


ジュディの声は素直な子供らしさに溢れていた。


「ママ、喉乾いた...」


ウーちゃんの銀の模様が、渇きを訴えるように点滅する。


レイナは後部座席の箱を開け、古びた水筒を取り出した。


「これしかない。貴重品だ」


ティムに水筒を手渡した。日焼けした手の擦り傷と古い火傷の痕が、この世界で生き抜いてきた証だった。傷跡が、地図のように複雑。


「一人で、どれだけ...」


誰かが呟いたが、レイナは聞こえないふりをした。


ティムはキャップを外し、戸惑いながらも優しい表情でジュディに差し出した。


「ほら、ジュディ。少しだけだぞ」


少女の乾いた唇に水が触れた瞬間、瞳に光が戻った。水が、生命そのもの。


「ありがとう、パパ」


小さく微笑むと、その無邪気な表情がティムの疲れた心を癒した。でも同時に、この笑顔をいつまで守れるかという不安も募る。


「少しでいいから」


微笑み返し、アールに水筒を渡した。


アールは不満そうな顔をしながらも、一口だけ飲んだ。


「ヴァージニア、はい」


姉に手渡した。ヴァージニアも同様に一口飲み、母親に返した。姉弟の間で、言葉のない理解が交わされる。


水筒はメアリーへと渡り、彼女も一口だけ飲んだ後、最後にレイナの分を残した。


メアリーはティムに視線を送り、小さな声で語りかけた。


「ティム、レイナに感謝しないと...彼女がいなければ、私たちは...」


「何があっても一緒よ」


また、呪文のように付け加える。


ティムは水筒をレイナに差し出し、複雑な表情で言った。


「最後は...お前の番だ」


レイナは一瞬躊躇し、「いい」と断ったが、ティムの頑なな視線に押されるように最後の一口を飲んだ。水が喉を潤す感覚に、目を閉じた。


「ありがとう」


小さく呟いた。その言葉が、長い間使っていなかったかのようにぎこちない。


メアリーはレイナの疲れた姿を観察していた。


「レイナ、あなたずっと戦ってきたのね。そんなに長く...一人で」


その問いかけに、共感と哀れみが込められている。


レイナは「慣れてる」と短く答えたが、声には微かな感謝の色が混じっていた。


そして、ランドマスターのトランクに視線を移した。一瞬、何か言いかけたような表情を見せたが、すぐに視線を逸らした。トランクの中に、何が入っているのか。


アールは自分の疲れを忘れたかのように、子供らしい率直さで賞賛を口にした。


「レイナ、すごいよ!怪物も車の運転も、全部完璧だった!」


「データがあれば、もっと分析できるのに」


悔しそうに付け加える。


レイナは窓の外を見つめながら、思いがけない褒め言葉に戸惑いを隠すように静かに応えた。


「完璧なんてない。ただ生き延びてるだけだ」


「毎日が、綱渡りだ」


車内に沈黙が広がり、風がコンクリートの亀裂を通り抜ける微かな音だけが耳に届いた。風が、死者の溜息のように聞こえる。


ティムは話題を変えるように、実務的な質問を投げかけた。


「セクター7って、どんな所なんだ?何があるんだ?」


希望を探す声。


レイナはバックミラーの角度を調整しながら答えた。


「元はウェイドの研究拠点だった。今は...最後の人間の砦だ」


「高い壁に守られた自給自足のコミュニティ。食料、水、電力...必要なものは全て内部で賄える」


「でも」


言いかけて、口を閉じる。


メアリーはレイナの言葉を慎重に分析した。


「昔は...というと、あなた、そこにいたのね?ウェイドで働いていたの?」


教師の洞察力が、真実を見抜く。


レイナは長い沈黙の後、ようやく認めた。


「ああ、13年前までな。研究員だった」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ