第17話 巨大な怪物
体高は2メートルを超え、皮膚は青銅のように光り、内部から赤いエネルギーが静脈のように脈打っていた。角は原型の二倍以上に伸び、赤色に輝く結晶質に覆われていた。全身の傷口から漏れ出す黒い液体。それは血ではない、ナノマシンそのものだ。
メアリーは子供たちの頭を両腕で覆った。
「何があっても離れないで!」
「何があっても一緒よ」
また、呪文のように繰り返す。
サイが再び体当たりし、後部バンパーが歪む金属音が響いた。車体の一部が剥がれ落ちた。金属が、悲鳴を上げる。
「ティム!」
レイナが叫んだ。
「装甲サイノイド!最悪のタイミングだ!」
ハンドルを切り直した。車が急旋回し、砂煙が舞い上がる。砂煙が、一瞬の目隠しとなる。
サイが側面から再び突進し、車体を押しつぶさんばかりの勢いでぶつかってきた。衝撃で窓が震え、ヴァージニアの悲鳴が車内に響いた。
「あの人たち、最初から死んでたのかな」
ヴァージニアが突然、奇妙なことを呟いた。サイを見ながら、まるで別の何かを見ているように。
ティムが叫んだ。
「こっちも来るぞ!」
パイプをサイの頭に叩きつけた。角に当たって鈍い音が響いたが、サイは怒りの咆哮を上げて彼を押し返した。助手席に倒れ込み、肩の傷が開いて鮮血が飛び散った。
「くそっ」
血が、時間を巻き戻すように新鮮。
レイナが叫んだ。
「ティム、ハンドル支えろ!」
ショットガンをサイに向けた。
車窓から撃つと、散弾がサイの肩に命中した。血と金属片が飛び散り、サイは咆哮した。一瞬の隙を見計らい、レイナは2発目を角の付け根に撃ち込んだ。角が砕け、赤い結晶が灰の上に散らばった。結晶が、宝石のように美しく、そして恐ろしい。
傷口でナノマシンが赤く輝き、サイの肌が鱗状に変形していく様子が見えた。進化している。リアルタイムで。
「また再生している…新しい系統だ」
レイナは素早く弾を込め直し、最後の一発を準備した。
サイが前脚を踏みしめ、角を低く構えて最後の突進を準備した。
「本当にあれ、動物なの?」
アールの問いに、レイナは冷静に答えた。
「もう動物じゃない。機械でもない。その境界だ」
「新しい生命」
付け加えた。その言葉に、複雑な感情が滲む。
サイが立ち上がり、最後の力を振り絞って突進してきた。
「今だ!」
レイナの叫びと共に放たれた最後の散弾は、サイの喉元を直撃した。首筋が大きく裂け、角が折れて血が噴き出し、巨大な体が地面に崩れ落ちた。最期の瞬間、サイの目に一瞬、苦痛と解放が同時に宿った。
ランドマスターは死骸を乗り越え、揺れながら前進した。後方には瀕死のサイが横たわっていた。
全ての鎮まった瞬間、車内の緊張が一気に解けていった。
「一人で生き延びるために、何度もこれを…」
レイナが呟いた。疲労が、一気に表面化する。
メアリーが震える声で尋ねた。
「もう大丈夫なの?」
子供たちを一人ずつ確認し、怪我がないか点検した。母親の手が、震えながらも確実に動く。
ヴァージニアがセーターの袖で涙を拭いながら呟いた。
「あんな怪物…今まで見たことない」
「でも…不思議と綺麗だった。あの赤い光…」
彼女の感性が、恐怖の中にも美を見出す。
ティムは肩を押さえながら呻いた。
「何匹いるんだ…?」
この世界の絶望的な現実が、重くのしかかる。
メアリーはレイナを見つめ、心からの敬意と感謝を込めて言った。
「レイナ、あなたがいなければ…」
言葉は言い終える前に涙で詰まった。
レイナの表情が柔らかくなり、小さく頷いた。
「君たちは、戦う理由をくれた」
その告白に、孤独な戦士の本音が垣間見える。
アールは小さく囁いた。
「すげえ…でも怖すぎる」
データでは理解できない、生の恐怖を味わった。
ジュディの声は小さいながらも、不思議な強さを持っていた。
「みんな、生きてる」
その単純な事実が、奇跡のように響く。
子供たちの行動が、巨大な怪物の動きをわずかに鈍らせた。ナノマシンの制御系統に、何らかの混乱が生じているようだった。
ランドマスターは灰嵐の中を走り続けた。遠くでは新たな赤い光が強く瞬いていたが、今はそれも以前ほど恐ろしくは感じられなかった。
生き延びた。また一日、生き延びた。
レイナはバックミラーを覗き込み、静かに告げた。
「まだ終わらない」
革ジャンの左肩には新たな血が滲んでいた。自分の血か、それとも。
「でも、今は君たちがいる」
その言葉に、ヴァージニアがポンと肩を叩こうとして、すぐに背を向けた。触れることを躊躇う、繊細な仕草。
「何があっても一緒だから」
メアリーが静かに言った。その言葉が、レイナの心の氷を少しだけ溶かす。