第13話 救世主レイナ
時間: 2038年6月26日、朝6時35分
場所: ランドマスター内部、灰色の荒野を疾走
巨大な四輪駆動車ランドマスターが灰色の荒野を突き進んでいた。強化された装甲と分厚いタイヤは、かつての軍用車両の威厳を今も保っていた。エンジンの低い唸りが車内に響き、窓の外では細かい粒子がガラスに叩きつけられる音が、何千もの針が同時に刺さるかのように鋭く耳を劈いていた。粒子の音が、死者の囁きのように聞こえる。
メアリー・マクレーンは後部座席で子供たちを両腕でしっかりと抱きしめていた。
「大丈夫よ、もう安全だから」
微かに震える声で言葉を紡ぎながら、子供たちの頭を優しく撫でた。首元の銀のネックレスが冷たく肌に触れるたび、結婚記念日の光景が走馬灯のように蘇る。でも、その記憶さえ、別の時間線のもののように感じられる。
メアリーは窓の外の風景を見つめた。地平線まで延々と広がる灰色の荒野は、生命の息吹を感じさせない死の風景だった。大地が、巨大な墓地のように横たわっている。
「一晩で13年…バンガローのナノマシンが時間を歪めたなんて…」
助手席のティムは肩を押さえ、痛みに顔をしかめていた。血で染まった袖口が、狼型ナノマシンとの戦いの生々しい証だった。血が、時間を超えた傷のように新鮮。
「どうなってるんだ...」
声には疲労が滲んでいた。獣の目のような鋭い視線は、運転席のレイナを観察し続けていた。観察しながら、判断を保留している。
レイナはハンドルを両手で力強く握り、常に前方の荒野を見据えていた。摩耗した革ジャンと顔に積もった灰は、この世界での長い孤独な戦いを物語っていた。黒く短い髪の端から垂れる汗が、緊張の度合いを示していた。汗が、涙のように頬を伝う。
「まさか、あのニュースの通りになるとは…」
ティムは自分に言い聞かせるように呟いた。
後部座席のアールは膝をシートにつき、車体が揺れるたびに体が跳ねた。
「さっきの怪物って何だったんだよ!?」
茶色の瞳には燃えるような探求心が宿っていた。割れたタブレット画面をもどかしげに見つめ、指先でガラスの亀裂を辿った。亀裂が、時間の裂け目のように見える。
「ジェイクなら、これ見て発狂するだろうな」
一瞬だけ唇が緩んだ。でも、ジェイクがまだ生きているかどうか、分からない。
隣のヴァージニアは泣き声を抑えながら尋ねた。
「あの鳥、ほんとに生きてたの?機械みたいだったよ…」
彼女のスケッチブックのページが、かすかに光を放っている。
ジュディは小さな声で囁いた。
「ウーちゃん、怖かったね…」
ぬいぐるみを胸に抱き、疲れた顔でメアリーの膝に頬を擦りつけた。ウーちゃんの銀色の模様が、守護の証として輝く。
家族全員の疲れた息遣いが車内に漂う中、ティムがレイナに向かって声を上げた。
「お前、誰だ? なんで俺たちを助けた?」
声には感謝と警戒が入り混じり、膝を叩いた。叩いた音が、決意の音。
「あの怪物から逃がしてくれたのは分かるが...」
レイナはハンドルを握ったまま、冷静に答えた。
「私はレイナ。兵士の無線を聞いて駆けつけた」
鋭い横顔は道路から目を離さず、唇の端にかすかな緊張を浮かべていた。緊張の奥に、別の感情が潜んでいる。
「セクター7へ向かってる。そこなら安全だ」
指がハンドルをしっかりと握りしめた。
しかし、アールがヴァージニアのスケッチブックに手を伸ばしかけて、途中でやめた。妹の領域に踏み込むことを躊躇う、繊細な仕草。
メアリーは子供たちを抱いたまま、穏やかに尋ねた。
「さっきの怪物...あれは何なの? ナノマシンの影響?」
「何があっても一緒よ」
小さく呟いてから、質問を続けた。
アールは身を乗り出し、シートベルトが軋む音を立てた。
「どうしてあんな狼になったの!? ナノマシンってなに!?」
声には知識欲が溢れていた。でも同時に、知ることへの恐怖もある。
レイナはハンドルを軽く切りながら、落ち着いた声で答えた。
「13年前のナノマシン浄化計画だよ。環境修復用の自己複製型マイクロロボット」
瞳を閉じ、過去の記憶を引き出すように言葉を選んだ。記憶が、傷のように疼く。
「普通は目に見えないほど小さい。でも生物と融合すると…」
車体が揺れ、一瞬の沈黙が流れた。沈黙が、真実の重さを物語る。
「制御が効かなくなって、動物の体を乗っ取る。神経系に侵入して、生体機能を拡張するんだ」
「そして、魂を奪う」
最後の一言は、ほとんど聞こえないほど小さかった。
メアリーも即座に質問を続けた。
「2038年ってどういうこと? 私たち、2025年にいたはずよ」
時間の感覚が、まだ混乱している。
レイナは深呼吸すると、説明を始めた。
「君たちのバンガローが隔離フィールドに飲み込まれた」
「詳しく話すのは面倒だけど...ウェイドの実験が時間と空間をぶっ壊したんだ」
バックミラーで家族を一瞥し、再び灰嵐の向こうを見つめる。鏡の中の家族が、希望と絶望の両方に見える。