天然でどこか抜けているとこがある聖女リリー~国王からの少し変わった4つの依頼も民のためならば喜んで引き受けます~
リュミエラ王国は、四方を山々に囲まれた自然豊かな国である。長年、聖女が張る結界によって魔物の脅威から守られ、繁栄を続けてきた。
現在、その聖女の役目を担っているのは、聖女リリーである。
リリーは遠く離れた村で生まれ育ったが、幼い頃に聖女としての力が目覚め、その噂を聞きつけた王国の兵士たちによって王宮へと連れて来られ、正式に聖女に任命された。
それ以来、宮殿で暮らし、毎朝早くから晩まで祈祷室にこもり、国と民のために祈りを捧げている。そのため、十分な教育を受けることも許されず、結界の維持だけを任され、外界に触れることを禁じられてきた。清らかな心と高い魔力を持ちながらも、どこか世間知らずで天然な一面を持つ聖女であった。
聖女の力を王国のために使うためには「王国の守護神」と呼ばれる神との契約が必要で、その契約は5年ごとに更新される。
通常、聖女の力が年齢とともに衰え始めると、5年ごとの更新時に新たな候補が選ばれ、世代交代が行われる。しかし、王国の国王エドアルト八世は、まだ17歳で力に衰えのない現聖女リリーを退け、自分好みの聖女候補であるエレナを新たな聖女に据えようとしていた。
エドアルト七世が急逝したことで王座を継いだ八世だったが、七世は民のために尽力し厚い信頼を得た賢王だった。
それに対し、八世は王位に就くと贅沢にふけり、豪勢な宴や高額な趣味に湯水のごとく資金をつぎ込むようになった。やがて財政難に陥り、税収の引き上げを試みるも民の反発を受けたため、目を付けたのが聖女リリーの力であった。結界の維持で手一杯なはずのリリーに、民の依頼を無理にでも叶えさせ、その報酬を王宮の利益にすることを目論んでいたのだった。
ある朝、国王エドアルト八世は側近たちを集め、王座に座ると静かに話し始めた。
「明日、リリーを聖女の役から解任し、新たにエレナを聖女として迎えることにするぞ。異論はないか?」
一人の側近が即座に応じる。
「はい、陛下。もちろんでございます。陛下のお決めになったことですから、私どもは謹んで従います」
他の側近たちも、すぐに顔を見合わせて王にうなずいた。
「うむ、それでよい。実はな、少し考えておることがある。これはお前たちにも利益になる話じゃぞ」
側近の一人である老臣が顔をほころばせながら言う。
「これは陛下、何やら楽しげなご様子ですな。何か妙案でも浮かばれましたか?」
エドアルト八世は悪びれた笑みを浮かべて続ける。
「リリーは今日までが聖女としての任務じゃが、結界の力は一日くらい祈祷を欠いたところで問題ないじゃろう。つまり、今日一日、あれを祈祷室に閉じ込めておくのは無駄ではないかと思ってな。せっかくの聖女の力、これを有効に使って、わしらの利益に変えてはどうじゃ?」
「ほう、それは興味深いお考えですな。具体的にはどうされるおつもりでしょう?」
国王は手元にある数通の手紙を側近たちに差し出した。
「この手紙は、国民が私に宛てて寄せてきた要望の一部だ。中には、聖女の力を使えば解決できそうなものがいくつかある。そして、見ろ、報酬も書いてあるだろう」
側近たちが手紙を覗き込み、金額に目を見張る。
「これは……500万ルニー、800万、1000万、1200万! と、とんでもない額でございますな!」
「そうじゃろう? この依頼をリリーにやらせれば、わしらは大金を手にできるぞ。報酬の半分はお前たちにも分けてやるとしよう。どうじゃ、聖女を使わん手はあるまい?」
「お見事です、陛下! 素晴らしいご発案ですな!」と側近たちはにやにやと笑みを浮かべた。
本来、聖女の役割は結界の維持に専念することであり、民の要望を叶えて金銭を得るなどという発想は、王国の歴史上、例がなかった。他国においても聖女の役割は専ら国の守護であり、このように聖女を金儲けの道具とする行為は異例中の異例であった。
一人の側近が少し困った顔で言った。
「とはいえ、リリー様にはどう説明いたしましょうか? 個人の依頼では、さすがに引き受けてはくれないかと」
「そこが腕の見せどころじゃが……。しかし、国王としての頼みであり、しかも国民のための依頼じゃ。リリーも喜んで応じてくれるじゃろう。あれは純粋な心の持ち主ゆえ、民のためとあれば何でも尽くしてくれるに違いない」
国王はリリーの無垢で献身的な性格をよく理解していた。リリーは、どんな無茶な頼みでも「民のため」と言えば、喜んで祈りを捧げるだろうと見込んでいたのだ。
「それでは早速、リリー様をここへお呼びしましょう」
「うむ、そうせよ」
間もなくして、祈祷室にいたリリーは兵士たちから連れ出され、国王に謁見するため大広間へと案内された。白いドレスに身を包み、王座の前に立つと、国王は彼女に優しく語りかけた。
「リリー、そなたのおかげで王国は安泰じゃ。民は皆、そなたに感謝し、穏やかな日々を過ごしておる」
リリーは頬をほんのりと染めた。
「いいえ、私はただ、皆さんが幸せに暮らせるように祈っているだけです」
その純粋な言葉に、側近たちは目を細め、国王も満足そうに頷いた。
「そこでじゃ、リリー。さらにこの国を発展させ、民がより豊かで幸せに暮らせるよう、力を貸してほしい。民からの切実な願いをそなたに託したいのじゃ」
リリーは少し首を傾げ、国王を見つめた。
「願い……ですか?」
「うむ。この国のすべての民が、今以上に活気に満ち、平和に暮らせるよう、そなたの力を借りたいのじゃ」
「もちろんです! 皆さんが笑顔でいられることが、私にとって一番の喜びですもの。どんなことでもお任せください!」
リリーの言葉に、国王と側近たちは表情を崩さぬようにしながらも、心の中で喜びを抑えきれずにいた。
「おぉー、そうかそうか。それはありがたいのぅ! それではさっそくーー」
国王はリリーに向かい、手元のメモを見つつ、ひとつひとつ依頼内容を伝え始めた。
「さて、リリー、そなたに頼みたいのは四つの依頼じゃ。まず、ガガ村に住むエメットという者のお願いだ。どうも作物が育たずに困っておるらしい。浄化の力で(荒れた土壌を)少しでも良くしてほしいとのことじゃ」
リリーは少し考え込んだ(浄化の力って……結界の浄化のことかしら? きっと、そうよね! この方は畑に魔物の糞を肥料として使いたいんだわ! うん、そうに違いないわ)と納得し、国民の頼みである以上、断るわけにはいかないと力強く頷いた。
国王は続けて、二つ目の依頼について話し始めた。
「次は、その隣のグレン村に住む、クラリスという女性からの依頼じゃ。この者は、できるだけ乳を大きくしてほしいと願っておるようじゃ。少々変わった望みではあるが、そなたの力なら応えられるであろう?」
リリーは心の中で(父を大きく……? どうしてお父様を? まぁ、家庭の事情だろうから私が気にすることではないわね)と不思議に思いつつも、国王の言葉に頷いた。
さらに国王は三つ目の依頼について話を続けた。
「そして、三件目の依頼は、隣のルーン村に住むレオという兵士からのものじゃ。どうやら力が弱く、門番の役目を果たせずクビになりそうだと言うておる。それどころか、家の暖炉の薪割りすら一苦労だそうじゃ。どうか、そなたの力で少しばかり(体を)強化してやってくれぬか?」
リリーは心の中で(薪割りもできないなんて大変! 寒い時期になる前に助けてあげなきゃ。それなら、彼のために薪割り用の斧を強化して、もっと楽に薪が割れるようにするのが良さそうね!)と力強く頷いた。
国王は最後に、四件目の依頼について話を続けた。
「最後の依頼は、フォルティア街に住むベルトランという中年男性からの願いじゃ。どうやら最近は不幸が続き、そなたの『祝福の光』で守ってほしいと願っておるようじゃ」
リリーは心の中で(なるほど、街が暗いせいで、夜も道が見えづらくて危ないのね! だから家の周りを明るく照らせば、物を踏んで転ぶこともなくなるし、きっと不幸も寄りつかないはずよ!)と考え、国王に向かって再び頷いた。
国王は念を押すようにリリーに問いかけた。
「さて、リリー、すべて覚えておるか? 四件もあるゆえ、うまくやるのじゃぞ」
リリーは自信に満ちた様子で胸を張り、きっぱりと口を開いた。
「はい、陛下。民の皆さんのお役に立てるなら、全力を尽くします!」
リリーはそのまま国王に深々と礼をしてから、大広間を後にした。王宮を出ると、最初の依頼先であるガガ村へ向かうため、急いで馬車に乗り込んだ。
リリーが去ると、国王エドアルト八世は満足そうに玉座に身を預け、思わず口元に笑みを浮かべた。ここまで素直に、しかも何の疑いもなく依頼を引き受けるとは予想外だったからである。
やがて、大広間には国王と側近たちの不敵な笑い声が響き渡り、その笑い声はいつまでも消えることなく、王宮に広がっていった。
リリーはガガ村に到着すると、馬車を降り、辺りをきょろきょろと見回しながら声をかけた。
「すみませーん! この村にエメットさんっていう方、いらっしゃいますか?」
村人たちが何があったんだといった様子で振り向く中、一人の男性が慌てて手を挙げて駆け寄ってきた。
「私がエメットです。もしかして……聖女様で?」
「はい、そうです! 国王様から、エメットさんが大変お困りだとお聞きしましたので、すぐに浄化させていただきますね!」リリーはにっこりと答え、両手を合わせて祈りの姿勢をとった。
エメットは頭を下げながら、心の中で(ダメ元で手紙を出してみるもんだな……助かったぁ)としみじみと感謝していた。
リリーは静かに目を閉じ、心の中で(どうか、この方の畑に魔物が糞をしてくれますように……)と唱えながら、結界を浄化する力を放った。ふわりと辺りが淡い光に包まれ、リリーの祈りが上空に広がっていく。
「はい、これで浄化は完了です! これで糞をしてくれること間違いなしですね! きっと畑の作物も元気に育ってくれるはずです。民の皆さんのお役に立てて、本当にうれしいです!」リリーは満面の笑みを浮かべて言った。
エメットは(糞? なんで糞の話が……?)と一瞬不思議に思ったが、すぐに思い直して「え、ああ……ありがとうございます。本当に助かりました」と頭を深く下げた。
リリーは嬉しそうに一礼すると「次の方もお待ちですので、行ってまいりますね!」と明るく言い残し、次の依頼先である隣のグレン村へと向かうために、再び馬車に乗り込んだ。
道中、馬車に揺られながら、リリーはクラリスという女性からの依頼内容を思い出していた。
(ええと……『父を大きくしてほしい』と頼まれてたわよね。お父様がどんなふうに成長されたいのかはわからないけど、きっとお家でいろいろ大変なことがあるのね……)
リリーは村に到着し、大きな声で「クラリスさんはいらっしゃいますか?」と呼びかけたが、姿が見えなかったため、通りかかった村人に尋ねることにした。
「あの、クラリスさんのお家はどちらでしょうか?」
村人たちが何事かと振り返る中、一人の村人がリリーに近づき「クラリスさんの家なら、あちらですよ。まっすぐ行って右に曲がると、大きな赤い家が見えます」と親切に案内してくれた。
リリーはお礼を言い、指示された方向へ向かい、クラリスさんの家の扉を叩いた。やがて扉が開き、ふくよかな中年の女性が顔を出し、「まぁ、聖女様が本当に来てくださったなんて!」とはしゃぎながら迎えてくれた。
「はいっ! リリーと申します! クラリスさんですね? お父様、いらっしゃいますか?」と、リリーは元気よく尋ねた。
すると、クラリスさんは一瞬戸惑いながら「お父さん? どうしてお父さんを……」とつぶやくが、何かを思い出したように「ああ、あの人も国王様にお願いの手紙を出してたのね!」と納得した様子で「たぶん奥の部屋で寝ていると思うから、どうぞ勝手に入って。私はちょうどお隣さんと話しているから、終わったら声をかけてね。次は私のお願いもあるから♡」と言い残し、楽しそうに近所の人と話し始めた。
リリーは(他にもお願いがあったかしら?)と少し考えながら奥の部屋へ向かうと、そこにはお父様が静かに眠っていた。(なんだか起こすのも気が引けるわね……確か、できるだけ大きくって頼まれてたわ)と思い出し、部屋の広さを見渡しながら(よしっ! この空間なら、かなり大きくできそうね)と、お父様の体にそっと手をかざし、ゆっくりと身長と体を部屋の壁いっぱいまで大きくしていった。
依頼が完了し、クラリスさんに伝えようとしたが、まだ近所の人と会話に夢中だった。(今はお忙しそうね……依頼も終わったし、邪魔しない方がいいわね)とリリーは心の中でつぶやき、次の依頼に向けて静かにその場を後にした。
馬車に揺られながら、リリーは次の依頼内容を思い出していた。
(ルーン村のレオさん……薪割りで困っているってことは、きっと斧の切れ味を良くすれば大丈夫ね!)
ルーン村に到着したリリーは、さっそく通りで元気よく呼びかけた。
「レオさんって方、いらっしゃいますかー?」
リリーの声に、通りを歩いていた村人たちが足を止め、あたりを見回すようにしていた。その中の一人がリリーに近づき「レオさんなら、体調を崩して家で休んでいますよ。あの小道をまっすぐ進んだ先の家です」と教えてくれた。
リリーはお礼を言い、案内された家へと向かい、扉を軽く叩いた。すると、中からかすれた声で「どうぞ」と返事が聞こえたので、リリーはそっと部屋に入った。
ベッドに横たわった細身の男性がリリーを見ると、驚いた様子で「俺がレオだけど……もしかして、聖女様が俺の依頼を?」と尋ねた。
「はいっ! 国王様から、レオさんがお困りだと伺いましたので、お手伝いさせていただきますね!」とリリーはにっこり答え、彼の傍らに置かれていた斧に目を留めた。
レオは申し訳なさそうにしながら「ありがてぇ……けど、今は体が思うように動かせねぇんだ。強化してもらえたら、明日には試せそうだ」と伝えた。
「わかりました! それじゃあ、さっそく強化していきますね!」リリーは斧に神経を集中させ、そっと魔力を注ぎ込み、強化を施した。
「終わりました! これで薪もスパッと切れますよ!」と満面の笑みで伝えると、レオは「え、俺強くなったのか……? なんかピンとこないけど……ま、ありがとな!」と少し戸惑いながらもお礼を言った。
リリーは「お役に立てて良かったです! では、次の依頼に向かいますね!」と一礼し、次の街へ向けて馬車に乗り込んだ。
馬車に揺られながら、リリーは次の依頼内容を思い出していた。
(次はフォルティア街のベルトランさんね。確か……最近、不幸続きで『祝福の光』で守ってほしいってお願いだったわね。昼夜ずっと家周辺を明るく照らす光で守ってあげれば、不幸も起きないはず!)
フォルティア街に到着すると、リリーは通りを歩きながら、ベルトランさんの家を探した。住民に尋ねると、「ああ、ベルトランならあの角を曲がってすぐ正面の家ですよ」と親切に案内してくれた。
リリーは教えられた家に向かい、扉を軽く叩いた。すると、中からやや疲れた様子の中年の男性が出てきた。
「あ、あなたが……聖女様?」
「はいっ! 国王様から、ベルトランさんがお困りだと伺いましたので、お手伝いさせていただきますね!」とリリーは元気よく答え、さっそく祈りの姿勢を取った。
「祝福の光でお守りしますね!」と心の中で念じながら、リリーは周囲に明るい光を放ち、家を包み込むように光を広げていった。
「終わりました! これできっと、安心して暮らせるはずですよ!」と微笑むリリーに、ベルトランは「え、ああ……ありがとう……確かに何か変わるかもな」と言い、感謝の言葉を述べた。
リリーは「お役に立てて嬉しいです! それでは失礼しますね!」と一礼し、すべての依頼を完了し、王国へと帰った。
夜遅く、リリーは王宮に到着した。長い依頼の旅を終え、体はくたくただったが、すぐに国王へ報告に向かった。
「国王様、すべての依頼を完了しました! 民の皆さんのために、お役に立てて嬉しいです!」リリーは疲れた様子も見せず、にっこりと報告を終えた。
国王は「そうか、よくやってくれた。今日はもう遅い、ゆっくり休むがよい」と伝え、リリーを部屋に戻した。
翌朝、侍女から「国王様がお呼びです」と告げられたリリーは、急ぎ大広間へと向かった。扉を開けると、そこには見知らぬ女性が国王の隣に立っており、冷ややかな目線をリリーに向けながら口元に微笑みを浮かべていた。その女性は、まるで国王に取り入るように親しげに寄り添い、得意げな表情を浮かべている。
国王が口を開いた。「リリー、そなたに伝えることがある。実は、今日をもって聖女の役目を退いてもらうことにした。そなたが就任してからちょうど五年じゃ。これからは、エレンが新たな聖女として国を守っていくことになる」
リリーはその言葉に一瞬戸惑った。「えっ、聖女の役目を……?」と呟いたが、その声には驚きや悲しみはほとんど感じられなかった。むしろ、どこか清々しい感覚が広がっていた。
「ん~やったあ! これでやっと自由になれるんだ!」
リリーは、思わず顔に笑みを浮かべて言った。
「外の世界を見られるなんて、こんなに嬉しいことはありません!」
その言葉に、隣に立っていたエレンが冷たくため息をつき、皮肉めいた口調で呟いた。
「あらあら、聖女としての務めを解かれるのがそんなに嬉しいなんて……。やっぱり、あまりにも世間知らずの聖女様って感じですわね」
リリーはその言葉に気づくことなく、満面の笑みで国王に感謝を述べた。
「国王様、今までこの役目を務めさせていただいて、ありがとうございました!」
国王はその予想外の反応に少し驚きながらも、心の中で安堵のため息を漏らした。
「う、うむ。長年の務め、感謝しておるぞ」
だが、内心で(あぁ、これで交代したくないと騒がれたらどうしようかと思ったわい)と思い、ほっとした気持ちを隠せなかった。
「リリーよ、今までよく働いてくれた。さあ、世代交代の儀式へ向かうがよい」と、リリーを促した。
リリーは、心の中で嬉しさがこみ上げるのを感じながらも、きちんと礼をしてエレンと共に儀式の部屋へと向かった。儀式は静かに行われ、無事に終了すると、リリーは満ち足りた表情でその場を後にした。
「やっと自由だー!」
リリーは王宮を出ると、思わず声を上げた。軽やかな足取りで歩き出すと、胸の中が解放感で満たされていく。新しい世界が待っていると思うと、自然と歩幅が広がった。
国王はその後ろ姿を見送りながら、内心でほっとした気持ちを隠しきれなかった。
(よしよし、報酬はちゃんともらえるだろうし、十分いい仕事をしてくれた)
彼は静かに満足げに頷き、次の聖女となるエレンに期待をかけた。
だが、数時間後のことだった。
大広間に昨日の依頼を受けた村人たちが次々に押しかけ、怒りに満ちた声で王に訴え始めた。
最初に進み出たのは、ガガ村のエメットだった。
「国王様! 聖女様の浄化の力を使ったはずなのに、畑は以前と変わらず荒れ果てたままで、なんと魔物まで侵入してきたんです! おかげで作物は全部ダメになり、家まで壊されてしまいました! どうしてくれるんですか!」
その声には、深い絶望と怒りがこもっていた。
続いて、グレン村のクラリスが顔をしかめながら話し始めた。
「国王様にお願いしたのは、私の胸を大きくしてほしいってことだったんですけどねぇ、なんでか家で寝てたうちの父が巨大化しちゃったんですよ! もう家が壊れそうで、こんなじゃ生活もままならないんです! どうか元に戻してくださいまし!」
彼女の声は震えており、誰もがその切実な訴えに心を痛めた。
さらに、ルーン村から来たレオも前に出た。
「聖女様に力を授けてもらったはずなんだが、俺の体は何も変わっちゃいねえんだ。それどころかよ、薪を割ろうとしたら、なんでか斧が強化されちまっててよ、家の床まで真っ二つだ! おかげでうちは崩れかけだってんだよ!」
レオの言葉には焦りと憤りが込められており、周囲もその状況の深刻さを感じ取った。
最後に、フォルティア街のベルトランが声を上げた。
「夜になると家の周りが明るすぎて眠れたもんじゃありません。それだけじゃなく、街中があの強い光に誘われた虫であふれかえり、さらにここに来る道中も不幸な出来事が続く始末。どうしてくれるんですか!」
その声にはもう、もはや期待よりも怒りがこもっていた。
国王は面食らい、急いでリリーを呼び戻すよう命じた。しかし、すでに聖女の力を失ったリリーには、村人たちが求める力を使うことはできない。国王はやむを得ず、今の聖女であるエレンに問題の解決を頼むことにした。
エレンは冷静な声で言った。
「国王様、このような力は使った本人にしか解除できません。ですから、リリー様でなければどうにもなりませんわ」
その声には、ただ冷徹な現実が漂っていた。
王宮には緊張が漂い、空気は張り詰めていた。国王は言葉を失い、どうすることもできずにその場に立ち尽くしていたが、村人たちの怒りはさらに募り、次々と声を荒げていった。
「国王様、これでは話が違います! 報酬なんか絶対に払いませんからね!」とエメットが声を荒げると、他の村人たちも賛同の声を次々に上げた。その怒声はまるで雷鳴のように王宮を揺るがさんばかりであった。
すると、側近たちは一斉に目配せを交わし「陛下、私どもは……ええと、これにて失礼いたします」「私も緊急の仕事がありまして」と口々に言い訳を繰り返し、いつの間にか次々と王宮の廊下へと姿を消していった。
国王は振り返り、助けを求めるかのようにその様子を見ていたが、頼みの綱であった側近たちは誰一人として残っておらず、ただ自分一人が村人たちの怒りの矛先に立たされているのだと悟った。
騒ぎが大きくなる様子を見たエレンは、国王が聖女の力を民のためという名目でありながら、実は自分たちの利益のために利用していたことを察し、冷たい視線で国王をじっと見据えた。
「あらあら、聖女の力をそんなことに使っていらっしゃったのですね。お話になりませんわ。私は、呆れ果てましたの。聖女としてのお役目はなかったことにしてくださいます? では、これにて失礼いたしますわ。もう二度と戻りませんから」
エレンは冷然とした態度で背を向け、王宮を優雅に後にした。
その姿は、まるで滅び行く国を見限ったかのように、徹底していた。
「ま、待ってくれ、エレンーー!!」
国王は慌てて彼女に手を伸ばし、懇願するように叫んだ。
「た、頼む! ワシにはもうお前しかいないのだっ! この国を……わ、ワシを見捨てないでくれぇぇぇーー!」
だが、エレンは振り向くことなく、ただ王宮の出口へと歩み続けた。
その後、エレンが去ってから一週間が過ぎた頃、王国に異変が訪れた。
聖女がいなくなったことで結界の力が失われ、国を守っていた防御の壁も次第に薄れていった。
そして、山々から魔物たちが次々と侵攻を始め、街や村が次々と襲われる事態となった。
王宮内はすでに混乱と絶望の渦中にあり、その噂が街に広まると、国民の怒りの矛先は一気に国王へと向けられた。
「おい! 国王! お前が私腹を肥やすために聖女様をこき使ったこと、全部知ってるんだぞ! ふざけるな、どう責任を取るつもりだ!」
「そうよ! 聖女様を追い出しておいて、この国をどう守るつもりなのよ! さっさと聖女様を連れ戻してきなさいよ!」
「クソ国王! 俺たちの国をメチャクチャにするつもりか! 一体何を考えてるんだ!」
怒りに燃えた群衆の声がひとつとなり、王宮に迫るように響き渡った。
その声に圧倒されるように、国王は玉座に座り込んだまま、ただ呆然としていた。
だが、非難の声はさらに強まり、ついには怒りに満ちた民衆が玉座の間に押し寄せてきた。
彼らの手には壊れた家の破片や畑の土、石や瓦などが握られており、それらは容赦なく国王に向かって投げつけられた。
国王は必死に手を振り「待て、待て! 話を聞くんじゃ! これは誤解なんじゃ、ただの誤解なんじゃぁぁぁ!」と叫んだが、誰も耳を貸そうとはしなかった。
石が玉座の近くに当たり、国王はその衝撃で一瞬ひるんだが、すぐに立ち上がろうとする。
「そ、そなたたち、ワシに向かってなんということを……! わ、ワシは国王だぞ! 国王が決めたことに従うのが当然であろうがっ!」
その言葉にさらに激怒した民衆は、堪えきれずに怒声を上げ、次々と石や土を国王に向かって投げつけた。
「ふざけるな!」「その決断が、国を守るどころか、滅ぼしかけているくせに!」
国王は徐々に後退し、顔に恐怖と焦りを浮かべた。
「わ、ワシが悪かったと言うのか? いや、そもそもリリーが役に立たなかっただけじゃ……!」
必死に言い訳を繰り返すが、民衆の怒りは収まらず、空気はますます張り詰めていった。
そして、ついにひとつの石が国王の額に当たり、彼はその瞬間、恐怖を隠しきれない表情を浮かべた。
もはや、ここにとどまることは命取りだと悟った彼は、顔色を変え、叫んだ。
「も、もう知らん! これ以上お前らに付き合ってられるかっ!」
その言葉とともに、玉座を飛び出し、王宮を駆け出した。
国王は廊下を全速力で走り抜け、後ろから追いかけてくる民衆の怒号が耳に響く。彼は何も気にせず、ただただ逃げることしか頭になかった。
道すがら、王宮の豪華な装飾品や高価な調度品が散乱していく様子が目に入るが、それすらも無視し、自らの命を守るためにひたすら走り続けた。
「ち、違う! ワシのせいじゃない! す、すべてはあのリリーのせいなんだ……! あいつがちゃんとやっていれば、こんなことにはならなかったんだあぁぁ! く、くそおおぉぉぉぉーー」
国王は暗闇に姿を消しながら、必死に叫んだ。しかし、その言葉はもはや誰の耳にも届くことはなく、王国は無防備に魔物の襲撃を受けて、静かに滅びの淵へと飲み込まれていった。