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知りて目覚める命 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 くうう、この雑巾の生乾きの臭い。

 掃除を終えた感はあっても、全然慣れるもんじゃないわな。鼻がひん曲がりそうな香り、おそらく遺伝子が危機感を発しているんだろう。

 この臭い、繁殖した雑菌がかもすものだとされている。生地にひっついた菌たちが、くっついた皮脂や水分を栄養とし、生き延びようとせんがために発生する臭いであると。


 自分たちにとっては必死の仕事。しかし、相手にとっては大迷惑。

 やるせないことだが、世の中のいろいろなところで起きていることだ。一見、平和に思えても、それは自分の知覚できる範囲内でのこと。

 アンテナの外にある情報は拾えず、拾えなかったがためにつまづき、噛みつかれる。油断大敵とは、その意識の外から襲ってくる「よもや」への警戒も促しているのだろう。

 僕のまわりでも、それらへのちょっとした警戒の話があるんだが、聞いてみないか?



 僕の家だと、竿に濡れたものを干すということはめったに行われない。

 かといって、干すことによる乾燥そのものをしないわけでなく、かわりによじったスズランテープを渡して、竿の代わりにする。

 手先の器用な祖母や母親によって、よじりを絶妙に加えられたこれらは、推定で相撲取りほどの重さの洗濯物を引っかけられたとして、かすかにたわむだけという頑丈さ。

 家族全員の衣類プラス、掃除に使われた雑巾などを干すのにも使われるこれらの取り換えるペースは一週間ごと。週末になると二人が新しくテープを結っている姿を目にすることがたびたびあった。

 必要以上の作り置きはしない。ヘタに劣化されては困るらしい。緊急時に取り換えが効く程度にとどめているとか。



 なぜ、竿を使わないのか。

 僕自身、よその家が竿を使っているのは知っているし、緊急時にこのスズランタープみたいな処置をしている姿を見ないでもない。

 けれども、365日この状態でいる家など、少なくとも僕の界隈に我が家のみ。これを異状でなくてなんという? 自己顕示の奇行どころか、恥さらしに足を突っ込んでいないか?

 そう遠慮なく尋ねてみたところ、こいつは万が一、いや億が一の用心のためだと話してくれたんだ。


 僕の血縁には、とある隔世遺伝の可能性が伝わっているらしい。

 一説によると、菌の寄せ餌としての性質なのだとか。この世にある雑多な菌。ときにはいまだ研究が進んでいなかったり、存在すら認知されていなかったりする未知のもの。

 はるかいにしえのご先祖様が、人を根絶やしにしかねない勢いのひどい疫病があったおり、自らの身と血族の命運と引き換えに、皆の命を守った代償……との話だ。


 実際、目にしていないご先祖様の話をうのみにするほど、僕も純真じゃない。

 ただ、時代時代によって一族のものが、ときおり原因不明の病や乱心により、悲惨な末路をたどった記録は残っているらしかった。

 この現代に至るまでで、だいぶ外の血と交わったために、その役目の重さも薄まってきたようだが、大人数の家族で過ごす以上は、用心すべきとのこと。

 特に洗濯は、命をはぐくむ水が関わる重大事。菌たちが、他の場所よりもこぞって集まるところでもある。それを長年生きられる素質を持った、立派な竿に背負わせるのは忍びない。


 だから、使い捨てしやすいスズランテープ群を選ぶ。

 こいつが洗濯によって含まされた衣類の水分と、それに寄って来る雑菌たちを、もろとも引っ張り上げて、取り込んでくれるようにだ。

 このテープの結び方も、よくよく見れば家の外では行われないような、特徴的な意匠が細かく盛り込まれている。

 ご先祖様が疫病を引き受けた際に用い、刻んだ紋をかたどった形で、一族の血の命運を引き受ける一員とする働きを持っているのだから。

 よって、テープはこの時に限り、僕たち一門となってその重荷を負い、そして毎週役目を終えていくんだ。



 僕たちの血に流れるもの。話に聞いたどこまでが本当のことで、どれほどの重さがあるのかは想像するしかない。

 だが、目にしたことならば、信ずるに値する。

 僕がその日は、ゴミ捨ての当番だった。朝ごはん前にゴミの袋を出し、家へ戻って支度をととのえてから出発するのがいつものパターン。

 この日は、くだんのスズランテープがやや多めに捨てられていた。めずらしく、テープがよく切れる週だったからだ。極端に干す量が増えたわけでもないのに。


 ――血の命運を引き受ける一員。


 学校の行きにも、ゴミ捨て場の前を通るも、僕は顔をしかめながら極力、ゴミ捨て場とは反対側の道路を歩いていく。

 早くもゴミ袋を荒らす、カラスたちの姿を見たからだ。人を襲う個体もいるとかなんとかという話を聞いてからは、どうにも落ち着かない。

 まだカラスよけのネットのないゴミ捨て場。彼らは自慢のくちばしでもって袋を破り、中のものを摘まみ上げては、足元に散らしていく。

 目がいいから、分かった。あいつらは、僕の捨てたふくろにも一斉にくちばしを突き立てていた。

 よりによって、あのスズランテープの端々を、めいめいでくわえ上げて……。


 倒れた。

 想像されるような苦しみにあえぐ様子じゃない。

 かつてアポロンに変えられてしまったという、下劣な悲鳴さえあげることなく、彼らは静かにアスファルトに横たわったんだ。

 どっと、水で洗い流したような泥のように、彼らの身体から毛がひとりでに流れ落ちた。

 はじめて見る、はげあがったカラスの身体だけど、それも長くは続かない。彼らの身は蒸気ひとつ出さないうちに、地面にしみ込んでしまったのだから。


 時間にして、何秒と経っていない。

 ゴミ捨て場を通りかかる人は、異様に散らばった羽と荒らされたゴミ袋へ怪訝そうな目を向けながら、歩き去っていく。

 そこでカラスが溶けるように消えたなど、知りはしないだろう。


 自分の知覚できることにしか、人はとらえることしかできない。

 でも知覚できさえしたならば、それは世界の広がりとなる。

 不本意な知覚外からの要因に命をゆがまされないために、僕たちはふと、未知を知りたくなるのだろうかね。


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