7.5貴女だけは視えていたから
「りぃちゃんの、お姉、さん?」
さやの呼びかけに反応がなく、ただぶつぶつと繰り返すだけ。
恐怖と隔絶するために自分の世界へ引きこもっているかのような様子に、僕は安堵した。
よかった、この家にもまともな人がいたらしい。
「なぁ、あんた」
ぶつぶつと繰り返すその言葉に耳を傾けて、なにを言っているのかを確認する。
呼びかけても反応がないから、仕方なく、ほっぺたをびんたした。
きょとん、とした目を動かして、彼女はようやく自分の部屋に妹含め、知らない人が来ていることを知ったらしい。
りぃちゃんが姉の隣に座って甘えている。
「助けてほしいなら教えろ。なにがあったんだ、これ」
彼女はずっと助けて、助けて、と繰り返していた。
彼女は状況を理解できないのか視線が定まらず、けれど、途端にスイッチの押された機械のように語りだした。
「夫婦喧嘩が絶えなかったの。家に借金があったみたい。だけどいつからか喧嘩はなくなった。気づいたら家のリビングに大きな仏壇があったの。お母さんとお父さんは、喧嘩していた時間、ずっと仏壇に祈りを捧げてた。別にいいと思った。喧嘩の大声でうるさいくらいなら、宗教にハマってくれた方が平和だから。平和だと思ってたの」
早口で彼女は語る。
「ある日お母さんが私とりさにも祈りを捧げるように言い出したの。面倒くさいから断ったら、人が変わったようにお母さんは怒鳴り始めて、恐かったから従ったの。最初は五分だった。いつの間にか、十分、三十分って伸びてって、二時間を超えた辺りでりさが言ったの。もう嫌だ。私も言った。宗教してんのは勝手だけど、巻き込まないで。そしたら」
妹は目を縫われて、私は足の指を切り落とされた、と。
彼女は靴下を履いていて、言われてみてみれば、指のところが確かに膨らんでいなかった。
「りさはもう、恐いのか従順になった。私も、私も従順になりたかった。だけど無理なの。恐くて恐くて無理なの。だって、だって、だって、お母さんは、私の切り落とした指や、私達を守ろうとしたおばあちゃんを、鍋で煮込んで、それで、ご飯、って」
うえぇ、と思い出したのか彼女は吐きそうになっていた。
けれどまともな食事をしていないのだろう。
口から垂れるのは伸びた胃液だけだった。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
「やめて!」
妹が姉を案じて頭を撫でようとするも、その手は姉に振り払われる。
「さや、警察電話してくれ。早く」
「う、うん」
「無理だよ。警察なんて、呼べない。私、私だって、呼ぼうとした」
「にーに……圏外になってる」
「え? ……僕もだ」
電磁波を遮断するなにかでも置いているのか。或いは人外の力なのか。
ただ宗教に狂っただけにしては、どうにも異様な空気が濁るこの家だから。
「私も食べられちゃうんだ。鍋でことこと煮込まれて。ブイヤベースで味付けされて。塩コショウを振りかけられて。にんじんと、ジャガイモと、キノコで風味を誤魔化されて。嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ」
ぶつぶつと譫言を繰り返すようになった女性からさやに一瞬目を見やる。
さやはりぃちゃんの手を繋ぎながら、僕に助けを求めていた。
……どう考えたって、この人を放っておいて逃げた方がいいんだけど。
幸い、玄関の外に出ればいいだけだ。
階段を降りてすぐそこに。
「……行くぞ」
さやよりも重い女性をおぶって、扉から母親が離れている今がチャンスだった。
扉を開けて確認すると、母親はちゃんといなくなってくれていた。
彼女をおぶっていてどうしても遅くなってしまうので、さやに先導してもらって階段を降りていく。
ゆっくり、ゆっくりと、可能な限り静かに。
階段の一歩一歩が恐ろしく遠く感じる。
おぶっているから転げ落ちないように気をつけて、心臓に悪い階段を降りていく。
降り切って、さやが廊下側に母親がいないことを確認してくれる。
よかった、何事もなく逃げられそうだ。
玄関の扉を開けて靴を履く。
僕はおぶっていてちゃんと履けないから、かかとの部分を踏んで履いた。
冬なこともあって、外は暗くなるのが早い。
陽が落ちかけていて、けれどまだ夕暮れな時間にほっとする。
「帰るのー? これ、持っていきなさいなー」
今となっては不気味な母親の声に背筋がぞっとする。
恐る恐る首を向けると、彼女の手は髪を掴んでいて、髪に垂れた先には老婆の顔があった。
「っ!」
慌てて逃げ出そうとすると、靴をちゃんと履けていなかった弊害でもつれて倒れてしまった。
「待ってぇぇぇえええ! おほほほほほほほほっ」
「っぁぁぁぁあああああ!」
背負う彼女の悲鳴があがる。
彼女の背中には母親が持っていた包丁が、突き刺さっていた。
逃げようと彼女を抱きかかえるも、母親が老婆の頭を投げつけてきた。
その頭蓋は思った以上に重く、硬く、大きな石をぶつけられたかのように痛いが、それよりもずっと気持ちが悪いものだった。
よろけて体勢が立て直せない。
母親が娘に刺した包丁を抜いて、上品に下品に笑いあげる。
「悪い子には、お仕置きねぇぇぇええええ!」
母親が包丁を振り上げる。
その矛先に、きっと娘も僕も区別はなくて。
「お姉ちゃん」
りぃちゃんが彼女と母親の間に立って、姉に向かって微笑んでいた。
姉の手を取って、にっこりと微笑み、けれど、口から血をこぽこぽと垂れ流しながら。
「お姉ちゃん、だいすきだよ」
まるでそこは日常のように。
誕生日会に想いを込めてプレゼントをする妹のように。
背中を母親に刺されたことも気づかず、りぃちゃんは彼女に微笑んでいた。
「りさ……っ」
そして、少女は母親へ向き直り、その手を取って家の中へ戻っていく。
「りぃちゃん!」
さやの声も届いてはいない。
きっと誰の声も届くことはない。
玄関の扉は重く閉められる。
僕達は病院へ姉を連れて行こうと門を出る。門の外はスマホが電波を受け取ったので、すぐさま救急車を呼んだ。
気づけば家からもくもくと煙が立ち始めた。
そして炎は異様なほどあっという間に家を包み、ごうごうと燃える。
救急車を待つ間、狂気に包まれた家が燃えていくのを、僕達は呆然と眺めていた。
☆★☆★☆
「にーに、ごめ」
謝りかけたさやの口を指で抑える。
姉を救急車に乗せて帰宅した僕達は、自室でぼんやりと気持ちを整理していた。
後日警察に呼ばれることになるかもしれないけど、話せることは多くない。
「気にするな」
思ったよりもずっと危険な目にあったことを謝りたいんだろうけど、僕としては本当にどうでもいい。
僕にとっては面倒くさいことは全て大差ないし、それに、どれだけ面倒だろうと、さやに頼まれたら断れないだろうし。
いや、沙羅の顔と声だから、だけど。
「宗教って、あんな風になっちゃうのかな……」
「ああはならんだろ」
実際に人生を滅ぼすことはあるだろうけど。
あれはもう、人としての枠組みが壊れてしまっていた。
あれが宗教の力だというのなら驚きだ。
「じゃあやっぱり、そういうの、いたの?」
「さあな」
いたかもしれないしいなかったかもしれない。
いや、そんなことはどうでもいいだろう。
幽霊がいたかいなかったとか、現実に起こってしまったことに言及しても仕方ない。
それに、そんなことは野暮だろう。
りぃちゃんが最期に姉を守って、彼女はりぃちゃんと打ち解けることができているように見えた。
彼女がこの先どんな人生を送るのか。まともな人生を送れたら本当にラッキーなことだけど、どうなるかは彼女次第だ。
「にーに」
「ん?」
「今日、一緒に寝ちゃ、だめ?」
……?
もしこれが沙羅に言われたことなら間髪入れずにイエスなんだが、目の前にいるのは沙羅じゃなくてさやだ。
それは他人と一緒に寝ることになるんじゃないのか? と考えると、どうにも複雑な想いが湧いてくる。
沙羅の体が操られている状態で僕が沙羅と寝たことを沙羅が知ったら、沙羅は僕を軽蔑するだろうか。はたまた、私だからしかたないね~なんて、鼻で笑ってくれるだろうか。
「おねがい」
「……う、うん」
ただ、質問されたにも関わらず僕の返答にはあまり意味がないようだった。
まぁさやも恐くてどうにもならないんだろう。
助けたいと思った友達があんな目にあってしまって、悲しいのか苦しいのか、心がかき乱されてしまっているんだろう。
たとえ幽霊だからといっても、こうして現実で生きている彼女だから。
だとして、僕が一緒に寝てあげる義理はないんだけど、拒否するほどさやが嫌いかと言われればそうじゃない。
それは多分に妹の外見フィルターがかかっているとしても。
ご飯を済まして、お風呂に入り、眠る時間。
三年振りに一緒に寝る沙羅の体はもう子供のように小さくはない。
かといって僕が欲情するようなことは流石にありえない。
ただ、不思議だったのは。
さやが横で眠って、眠りながらも甘えるように僕に寄ってきて。
ドキドキとするわけでもなく、不快に思うわけでもなく、沙羅を思い出して寂しい気持ちになってしまうわけでもなく。
どこか安心してしまって、晴れやかなままに眠れていったこと。
そんな僕達を誰かが見た時、仲のいい兄妹だと言われるんだろうか。
読んでくださりありがとうございます!
予想よりもずっとたくさんの人に読んでもらえてるみたいで嬉しいです!
長くなったとしてもそこまで一話を長編化するつもりはないので、お菓子を食べ終わるよりも早いぐらいの分量でこれからも書いていきたいです!
感想、評価、レビュー物凄く嬉しいです!ありがとうございます!




