17 雪山の獣
「ひゃっほーい!」
ゲレンデに着いてホテルに荷物を置いて、颯爽とさやは飛びだしていった。
暖かなウェアを着こんでゴーグルをかけたさやが意気揚々とボードで雪山を滑っている。
さやの魂的にはスノボは初なはずなんだけど慣れたもんだ。というか沙羅だって小学生の頃に学校のイベントでスキーを一回しただけなはず。
滑って秒で転んだ僕のところへスタイリッシュにブレーキをかけて、エンダがゴーグルを外した。
「やあレイジ、ご機嫌いかが?」
なにをやっても似合いそうな奴だけど、白髪が雪景色に溶け込んで最早ファンタジーな存在にすら思えてくる。
いや悪魔と人間のハーフだしファンタジーな存在ではあるか。
そういえばエンダって父親に似てなかったけど、人間の母親似なのか?
だとしたら寧ろファンタジーなのは普通の人でありながら異常な美を持ったエンダのお母さんかもしれない。
「お陰様で」
「うんうん」
僕のブスっとした返事にご満悦のようで、性根が悪いのは悪魔譲りなんだろう。
「ほら立ちなよ。折角のお遊びだ。私がコーチしてあげよう」
「ったく」
正直スノボで滑ることに興味は全くないんだけど、ここで不貞腐れているのも罰が悪かった。
さやも楽しそうだし、近くに不機嫌な兄がいるのは申し訳ない。
「まず滑る時にはね」
そうしてエンダにコーチングしてもらったわけなんだけど、残念ながら僕にセンスはなくて、滑っては転んでを繰り返した。
こける度にエンダが嘲笑してくるからやる気も削がれるが、こいつの挑発に乗るのは負けた気がするからスルーが一番だ。
まぁでも、なにが楽しいんだかエンダは僕につきっきりだった。
「にーにー!」
座っている僕の横を楽しそうにさやが滑りぬけていく。
ゴーグルで顔は見えないけど、きっと笑っているんだろう。
「お前も好きに滑ってこいよ、少し休憩してるから」
「誘ったのは私だしね、別にいいんだよ」
「あぁ……じゃあ、すこし悪いけどさやの遊び相手になってやってくれ」
「ふぅ、やれやれ。君は妹のことしか頭にないね。でも、彼女は妹じゃないのにそこまで気を回す必要があるのかい?」
僕も度々考える疑問だった。
さやは沙羅に憑りついた魂であって妹じゃない。
だから身体の危険とか、お願い事とか、そういうことがない限り優しくする必要はないはずなんだけど、どうにも心配でならないのが現実だ。
「沙羅の見た目してるからな、あいつ」
だからそれが一番大きなファクターだと思ってる。
「ふぅん? じゃあレイジはさやちゃんが沙羅ちゃんの見た目じゃなければ、どうでもいいのかな?」
「それは……違うけど」
「じゃあ、なんだろうね?」
にやにやと人を試すような素振りから、エンダが答えを知りたがってるわけじゃないことは明白だった。
いや、でも、どうなんだ。
こいつは中二病のキャラを作って演じてる節があるから、どこまでが素なのかわかりづらくはある。
「そうやってずけずけと人の心に立ち入ろうとするの、お前の悪い癖だぞ」
「そういう悪魔なんだから仕方ない。性質みたいなものさ。心を読まないだけ優しいだろう?」
「最低だ」
「ふふっ。じゃあ君に嫌われる前に退散しておくよ。さやちゃんと遊んでくるね」
ゴーグルに手をかけたエンダはボードで滑っていった。
エンダの言葉が頭の中でどこか響いていた。
姿形が沙羅じゃなければ、僕にとってのさやはなんなのか。
これだけ蜜にいれば情が移ったのかもしれない。
……僕が沙羅以外に情を持つ?
不思議な感覚だ。
何度かさやとエンダが並んで滑っているのを目の当たりにして、少し僕も練習しようかと思い立ったのがよくなかった。
立ち上がり、今度は珍しく秒で転ばなかった。
「僕でも滑れたぞ」
そんな自分に高揚したのも束の間、速度も進行方向も制御ができないことに気づいて冷や汗が流れる。
かといって止まることすらできなくて、ボードが進む先はコースを外れてしまった。
普通そういったところはネットが貼られているようなんだけど、不運なことにネットが切れてしまっていて、僕はそのまま木々の中へ突っ込んでしまった。
更に不運は重なり――いや、或いは導かれて。
木にぶつかることなくどんどん滑っていってしまい、小さな段差で跳ね上がったボードは宙に浮かされて、落下した僕はようやく止まった。
「い、てて……」
コースの方向を見てみるもかなり滑ってしまったのか人の声も聞こえない。
雪山で遭難なんて洒落にならないから、雪跡を辿ってさっさと戻ろう。
ーー……テ。
木しかない森の中で微かに耳に届いたのは幻聴のようにすら感じた。
けれど、聞き覚えのあるその声が幻聴でないこともよくわかっていた。
ーー……ケテ。
辺りを見渡すと小さな鳥居があった。
こんな山奥にポツンと、忘れられたかのように建てられた鳥居の先には、古ぼけた祠が佇んでいる。
けれど、その祠に雪は積もっていないし、地面もそこだけは雪が溶けていた。
ーータスケテ。
電車の中で聞いた声と同じだった。
何度も飽和されるように放たれた助けを求める声は、子供のものだということだけがわかる。
そして、それがあの祠の中から震えていることも。
ーータスケテ。
「そう言われてもな」
祠には仰々しいお札が貼ってある。
恐らくそれを剥がすだけでいいんだろう。
ただそれだけで子供の声の望みが叶うと直感的にわかるのは、なにか思念のようなものが伝わってきているのかもしれない。
ーータスケテ。
どうしたものか。
助ける義理もなければ必要もない。
いや、違う。
既に僕は迷っている。
声の通りに助けてもいいんじゃないかと思っているから、自分に理屈を並べて助けないように取り繕っている。
「なんでだっけ」
エンダが転校してきた時に言われた。
なにもしてあげられないから生者も死者も同等に扱い、目もくれない。異様なほどに優しさを持たない。
それはそう、なんだけど。
じゃあ、なにかしてあげられるのならするんだっけか、僕は。
いやしない。
しないように生きてきた。
それがどうしてか引っかかる。
さややエンダが関係してるんだろうか。
だから、これは気まぐれでしかなかった。
ーータスケテ。
僕は声に導かれ誘われて、祠に貼られた札を剝がし取った。
すると、視界に写る雪の山は一瞬で真っ赤に染まって、電車の中で見た光景と一致した。
間近で見ればこのどす黒くも異様な赤は血の色だとはっきりと解った。
そして血は祠へ吸い上げられるように集約していき、全て飲み込まれて、気づいた時にはまた雪景色に戻っていた。
ーーアリガトウ。
祠から黒いもやが天に昇っていく。
これでよかったんだろうか。
これで助けられたんだろうか。
なにも実感がないままに僕はボードを担いで、元来た道を戻っていった。
☆★☆★☆
「にーに! 探してたんだよ!」
「ごめん、コース外れちゃって」
泣きそうな顔でさやが抱き着いてきたのに申し訳なくなってしまう。
運動神経が悪いのも考え物だなぁ。
「それよりレイジ、なにかしたかい?」
エンダが事もなげに聞いてくる。
なにか感じたんだろうか。
隠す必要も感じられないから祠の話を説明する。
「なるほどね」
そういってエンダは空を見上げている。
「どうかしたのか?」
「……いや、わからない。ただちょっと匂いがしただけだから」
「匂い?」
するとエンダは不敵に笑ってはぐらかすばかりだった。
空も暗くなってきたのでホテルへ入る。
ここはエンダが手配してくれたこともあって、夕食のバイキングはかなり豪華だった。
「にーに! カニ! カニだよ!」
「カニ好きだったのか?」
「うんっ! 剥いて!」
いるよなぁ、カニ好きなくせに自分じゃ剥かない奴。
沙羅の時は僕が剝いてあげてたっけ。
まぁ、その顔で頼まれて断ることはできないんだけど。
もしかして僕はさやに沙羅の顔で頼まれれば断れないことをいいように扱われている?
と一瞬思ったけど、
「カニさんカニさん~」
待ち遠しそうに笑うさやを見てそんな考えは吹き飛んだ。
良くも悪くもなにも考えていなさそうだ。
「にしてもエンダ、お前はケーキしか食わんのか」
「甘味はリリンの産みだした文化の極みだよ」
どこかで聞いたことがあるような台詞をいうエンダの皿には数種類のケーキが並べられていた。
そもそもこいつの主食はなんなんだ。ライブでは邪気食ってるとか言ってたし。
「カニさん美味し~」
まぁさやも満足してるし、実際ここの料理なに食べても美味しいから素直に感謝しておこうか。
伝えはしないけど。
夕食を終えて部屋に戻る。
「ずっと言いたかったんだけど」
「なんだい?」
「なんで一部屋しかとってないんだよ」
広い部屋にベッドは三つあって、それなりの金を払ってくれてるんだろうとは思うけど、ここは言わなければならない。
「レ、レイジ、まさかさやちゃんだけ別の部屋にして私と二人がよかったなんて……」
「その発想はなかった」
「にーにのえっち!」
「なかったって言ってんだろ」
正直、同じ部屋で寝るぐらいはどうでもよかったりするんだけど、エンダの性別がさやから見て女になっている以上、言っておかないと黙認しているみたいで嫌だった。
無関心と許容は別だ。
「それでいうとお前ら風呂は別々に入れよ」
「私がさやちゃんに劣情を抱くって?」
「抱かなくても僕から見たら性別不明のお前が沙羅の体を見ることは許さん」
「にーに、ちょっときもい」
実際これがさやじゃなくて沙羅でも同じようにきもがられるんだろうなって思うと涙が出るような、沙羅に言われているようでちょっと嬉しいような。
ただ、結論から言えばそんな心配は必要なくなった。
僕達は風呂に入るタイミングを失ったからだ。
「きゃぁぁぁぁぁぁああああ!」
ホテルの何処かから悲鳴があがった。
「なっ」
なんだ? と言うより早く、体が重くなる。
言いようのない不快感が重く重くのしかかる。
「に、にーに?」
不安そうにさやが覗き込んでくる。この重みは僕が感じているだけらしい。
ゆっくりと体が重みに慣れ始める。
「こうなる、ね」
「なにか知ってたのかよ」
「いや、なにもわからないよ。たださっきの匂いがこの結果なんだろうな、ってね」
「匂い? 言ってたな。なんだよそれ」
「いやぁ、ただちょっと、実家の匂いが一瞬しただけさ」
「それって」
悪魔が住まう家と同じ匂い、が?
「さっき言えよ」
「本当にどうなるかわからなかったからね。杞憂で終わってた可能性もあった」
その表情は真剣そのもので、エンダが茶化しているわけじゃないことを知る。
「ぎゃあぁぁあああぁぁあぁぁあああ!」
また別の場所で悲鳴が上がる。
さっきよりも近い場所で。
「様子見てくる」
「危ないよにーにっ」
「エンダと待っててくれ」
部屋の玄関を開けると廊下には複数の宿泊客が何事かと顔を覗かせていた。
それはただのホテルの廊下の風景でしかなくて、けれど、突き当りの壁から異質なモノが現れた。
裸の子供が壁からすぅっと透りぬけている。
子供は骨が浮いていて、腹は背中とくっつきそうな程へこんでいて、土気色の肌が不気味に人外を報せていた。
「な、なんだあの子!」
宿泊客の一人が叫ぶ。
子供の姿は僕以外にも視えているらしい。
子供はゆらり、ゆらりと静かに歩くようでいて、その実、ワープでもしているかのように一瞬で数歩の距離を移動していた。
そして宿泊客の女性の足に縋りつく。
まるで母親を求める子供のように視えなくもない。
けど。
「ひぎっ! やあぁぁあ! ああああぁぁぁぁぁあ!」
子供の口は歪つなほど大きく開いて女性の膝を食いちぎった。
膝から下を抱えた子供は溢れる血をジュースのように吸っていて、がじがじと骨も肉もなく食べていく。
「やめっ! やめぇぇぇえぇ……」
足を食べ終えた子供は倒れこんだ女性の頭を、無慈悲に食い破る。
割れた頭蓋からは脳がたらりと零れていた。
堰を切ったように宿泊客達が悲鳴をあげて逃げ始める。
「……ははっ」
笑いが零れた。
きっと笑うしかなかった。
食い殺された女性の死体を見て。
なにせ理解してしまったからだ。
あの子供は僕が助けた結果なのだと。
気まぐれで、僕でも助けることができるのかもしれないと、不用意に振りまいた偽善の末路なんだと。
「にーに!」
背中に抱き着かれた重みのある声で、飛びかけていた冷静さが帰ってくる。
そうだ、守らなきゃ。
沙羅を守らなきゃ。
なにから?
僕が起こした災厄からか?
頭を振って思考を振り払う。
いま僕がするべきは自虐じゃない。
「逃げるぞ」
急いでウェアに着替えた僕達はホテルの部屋から飛びだした。
廊下で美味しそうに人の血を啜り肉を食らう子供には目もくれずに。
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