12.5 悪魔が青春に願うもの
「あ、ども……」
軽く会釈をする。
「はははっ。そんなに固くならなくていい。今日は少し話がしたくてな!」
全くもって人間にしか見えない。それは睦月と見比べても、よっぽど人間らしかった。悪魔、って事前情報に疑いを持つほどだ。
「この方が君も話しやすいだろう? それとも翼や角でも生やした方が理想に適ったかな?」
「あ、いえ」
しっかりと睦月の親だった。
心を読む力ってのは悪魔界あるあるなんだろうか。
「いやなに、我らの能力がより強いのがそこというだけだよ。人だろうと悪魔だろうと、心を操ることに長けているんだな!」
だというのに、と続けて。
「君には効かないんだな」
おじさんの眼球が三つに割れたかと思えば、瞬間、脳が大きく揺さぶられるような吐き気が襲った。
視界が歪んで平衡感覚が失われる。
「や、やめてもらってもいいですか……」
声を出すのがやっとだった。
すると飲んでくれたのか、ふっと全身にかかっていた重圧が取り払われる。
「父さん!」
「いやぁ、すまない。どうしても試してみたくなったんだ。本気じゃないとはいえ、これに耐えられるなんてな。普通の人間なら死んでしまうというのに」
背筋が凍る。
どこに紛れていてもおかしくない人の姿をしていたからこそ、油断していた。
紛れもなく目の前にいるのは、人の命に価値を置いていない、悪魔なんだと思い知る。
「だとすれば困ったな、君は我らの――天敵、か」
腹の奥から震えが収まらない。
ここ最近本当に色々なことがあって、人造とはいえ神の出来損ないと一体化して、色々な感覚が麻痺していたと思っていたけど。
彼がその気になれば簡単に死んでしまう。
その恐怖の名前は、絶望だった。
「父さん! 今日はそんな話じゃ!」
「いけない、いけないぞエンダ。こんな人間如きに感化されて、悪魔の規律を忘れたのか?」
「忘れて、なんか……」
「ほう、言ってみなさい」
「弱肉強食、です」
「そうだ。強き者が正しい。強さが絶対だ。それなのにエンダ、お前は我に逆らうのか?」
睦月が隣でガタガタと震えている。
悪魔ともなれば親子関係も僕の想像とは違うらしい。
弱肉強食が規律だというのなら、僕もエンダも弱者なこの場所で、僕達に発言権なんてものはないのかもしれない。
ただ、そう、だな。
僕は僕の考えたことに苦笑した。
「だったら」
まだ少し気持ちが悪い。
だけどこのままでいたって、なにが変わるのかわからない。
「どうして、人間と子供を作ったんですか」
「ほう? どういうことだね」
「睦月は……エンダは、悪魔と人のハーフだからか知らないけど、人に憧れを抱いてます。母親の楽器を触って、母親の思い出をなぞるみたいに、音楽をしてます。それもこれも、あんたが人間との子供を作ったせいで」
「やめておけ!」
「いい、続けなさい」
睦月の、エンダの静止にほくそ笑んだ。
人間の心配までして、馬鹿な奴だな。
「悪魔の規律だなんだっていうなら、悪魔と子を作ればよかったのに」
「ふむ」
「あんたの自分勝手な行いに、エンダを巻き込むのは、違うでしょう」
本当に、苦笑しかない。
どうして僕は睦月のことで苛立っているんだろう。
目の前にいるのは悪魔で、そりゃまぁ、どう足掻いたって死んでしまうのかもしれないけど、だとしたって。
青臭い青春に憧れはしなかったけど、青臭い青春は、楽しかったんだろうか。
自分じゃわからない。
妹さえいればいいと思っていた僕は……ただ逃げていただけなんだろうか。
「だったら、どうする?」
「エンダの……エンダの好きなように生きさしてやってください」
エンダの横でそんな言葉を吐いて頭を下げるのは、きっと恥ずかしいことなんだろうけど、エンダの父親の重圧は依然として苦しさを増すばかりで、照れる余裕なんてありはしなかった。
沈黙が流れる。
張り詰めた空気が風船のように弾かれたのは、エンダの父親の豪快な笑い声で。
「そうかそうか。はっはっは。面白い人間だ!」
ほっと息をつく暇はなかった。
「だったら――」
エンダの父親が指で一つぱちんと鳴らすと、近くの使用人が机の上にごとりと置いた。
装飾もなにもない、重厚な斧だった。
「――腕を一本、置いていきなさい」
「父さん! どうして!」
「それはそうだろう。悪魔にお願いをするんだ。対価もなしにできることじゃない」
「だ、だったら……私が!」
「エンダ。それじゃ意味がない。おじさんの要件は僕の腕なんだろ。お前が切り落としたところで、なにも対価になってないんだよ」
「ああ、それにだ、エンダ。腕はエンダが切り落としてあげなさい」
「……っ」
苦虫を嚙み潰したようにエンダが俯く。
ここで死ぬことを考えれば、腕一本で済むならありがたいんだけど。
「だったら……だったら別に私は……」
「おいおい、お前が最初僕になにをしてきたか覚えてないのか?」
「そんなの友達になる前だ! それに、あの時にしたって、君に大した怪我はなかったろう……」
そういえばなかったなぁ、なんて。
「でもさ、エンダ。お前、僕の友達を名乗るんならさ、自分の気持ちには正直であれよ」
「でも、でも……」
「それにさ、あの時の借りが腕一本で済むなら――」
斧を右手に持つ。左腕を机に置いた。
心臓が痛いほど胸を打っている。
この世界のどこに左腕を切り落として喜ぶ馬鹿がいるのか。
きっといない。
そんな馬鹿であればどれだけ楽だったか。
いや、そんな楽なことをエンダの父親は選んでくれない。
これが妹が引き合いに出されたら流石に首を縦に振らなかった。
そう、だからこれは幸運なんだ。
たかだか僕の腕一本でこの場が収まるっていうのなら。
高く上げた斧を左腕に全力で振り下ろした。
「っぐぅぅぅぅぅぅううああああ!」
痛みで息が止まるかのようだった。
だというのに、それは、あまりにも予想通りに切り落とすことができなかった。
自分の腕を切断するような力が僕にあるわけがない。
刃は僕の骨で止まって、溢れだした血が高級な白のテーブルクロスを濡らしていく。
「う、ぐ……エンダ」
「馬鹿、馬鹿だ君は、どうするんだこんなことして!」
エンダの瞳からは憚れることなく涙が溢れている。
白髪の、白い陶器のような肌が、ぐしゃぐしゃに涙で濡れている。
不覚にもそれはエンダに似合っていないと、歪む意識で思ってしまった。
「まだ、だ、エンダ……早く、切り落としてくれ……」
「エンダ! お前の友は覚悟を決めている。お前も覚悟を決めなさい!」
まるで普通の親子のような言い方だった。
ああ、これが悪魔流の育て方なのか。
いやぁ、理解したくないな。
そんな思考も、冗談のように斜に構えたくたって、余裕がないほど激痛でなにもかもが埋まっている。
「あぁぁっ」
肉を叩き潰していた斧がエンダの手によって持ち上げられる。
「どうして、どうして君は……」
「友達、なんだろ……」
「うぁぁぁぁぁぁぁぁあああっ!」
肉と、神経と、骨が一緒くたに潰され、砕かれ、切り離された痛みを超えることは、きっとこの先の人生で経験したくない。
エンダの言う通り、馬鹿だと思った。
沙羅のためじゃないのに、なんでこんなことしてんだろうか僕は。
もしかしたら、全て辞めますといえば、許してもらえたかもしれないのに。
痛みに跳ねる思考の中で、それはないなって。
だって、なぁ。
友達が好きに生きれないなんて、そんなくだらないこと、ないよな。
「はっはっは! いい目だぞ、エンダ」
ふとエンダを見ると、さっきまでガタガタと震えていたエンダはどこへやら、実の父に向ける目線のそれではなく、あからさまに恨みを感じ取れた。
「その覚悟を持って生きなさい。人の世で生きるとは、そういうことだ」
そんな覚悟いらんだろ、と突っ込みたいが、口は開かないし、開いたとしてこの人にそんな言葉を投げる気も起きない。
「いいや、いるんだよ、その覚悟は。人と悪魔が交流を持つ、ということはな。それよりだ、少年」
「がぁあああっ」
いつの間にか真横に立っていたエンダの父親が僕の腕を掴み上げる。
「君の願い、覚悟。しかと受け取った。これはエンダの友達でいてくれる礼だ」
ふっと斧で不細工に切り落とされた腕の切り口に息を吹きかけられる。
傷口に塩を塗るってほどじゃないだろうけど、僕の暗雲とした意識を飛ばすには充分で、限界を超えた激痛を最後に記憶はそこで途切れている。
☆★☆★☆
目を覚ますとエンダの部屋のベッドだった。
漫画の世界で見るような天蓋のベッドはひらひらと揺られていて、カーテンから漏れる光から翌日なんだと気づいた。
まぁ、そんなことはどうでもいいんだけど。
すやすやと僕の横で眠っている睦月エンダがいた。
なんで?
そして、もう一つ。
「……」
昨日切り落としたはずの左上を握っては開いて、動かしてみる。
腕が生えたんだろうか。
なんで?
悪魔の館に来たんだから腕が生えたことに疑問を抱くのはおかしいだろうか。
「ん、ん……あぁ、おはよう」
エンダがうっすらと目を開ける。
「……なんだい?」
エンダは未だ男か女かわからないけれど、どちらにせよ美形の極みような顔をしていて、そんな奴が横で眠っていたら見惚れてしまうのは人として当たり前のことなんだ、と自分に言い聞かせた。
「なんでもない。いやなんでもある。なんで横で寝てんだよ」
「そりゃぁ、ここは私のベッドだからね」
「じゃあなんで僕がここで寝てんだよ」
「さぁ?」
絶対こいつがここに運んだだろうことはにやついた表情から察することができた。
けど、意識が飛んでた以上、確かめる術はない。
「あー……じゃあこっちは。腕、なんで生えてんだこれ」
「それは父がね。覚えてないかな?」
「覚えてない。なに、あの人僕に腕を切れって言っておいて、生やしたのか」
「そうなるね」
性格わっる。
「父曰く、一度だけ力を貸すそうだよ」
「えぇ……」
悪魔の力付きなんだ、この腕。
すっごい嫌だ。いらなすぎる。
「まぁ、君には凄くよく似合っているよ。そこらの悪魔よりも悪魔らしい君にはね」
「なにそれ。悪魔流の誉め言葉?」
「蔑んでいるんだよ。いいかい、昨日みたいなことは二度とやめてくれ。別に私は君を犠牲にしてまで自由に生きたくない」
「勘違いするなよ、命がかかってなかったからやっただけだ。僕の命は妹のもんだ」
「酷いシスコンだね、君は。ともかく、ありがとうなんて言わないぞ」
「別にお礼がほしくてしたわけじゃないからいいよ」
すると、エンダに胸倉を掴まれて引き寄せられた。
頬にエンダの冷えた唇が当たり、乾いた音が耳に届いた。
「……なんだよ」
頬をさすりながら聞くと、エンダは慌ててそっぽを向く。
「ふんっ、悪魔流の朝の挨拶さ」
「……あっそ」
白い髪の隙間から覗くエンダの耳は真っ赤に染まっていて、なんだか釣られて、僕の耳まで赤くなってしまったような、そんな気がした。
「そ、そういえば君、私のことをエンダと呼んでいたな」
「親父さんの前で苗字で呼ぶのは違うかな、と思ってな」
「睦月は母親の性だ。まぁ、それはいいとして、そ、それなら私も君を名前で呼ぶべきだろう」
別にこの先もエンダを下の名前で呼ぶ必要はない気がしたけど、今更どちらでもいい気がした。
「好きにしろよ」
「ふふっ。ではよろしくな、レイジ」
親以外に名前を呼ばれたことは数年ぶりで、やけに気恥ずかしかった。
だから顔が赤くなってしまったし、胸打つ心臓がいつもより早く感じられたのも、きっとその所為だろう。
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