離縁やむなし?
生家であるリヒツェンハイン家に戻った。
色々と馬鹿馬鹿しくなってしまって、ほんの僅かな時間もミューエ家にいたくなかった。
愛されなくても仕方ないと思っていたけれど、あまりにも人を馬鹿にしすぎだ。
「ネリー姉様、どうなさったの?」
何の連絡もなく戻った私に、ユリアが驚いている。
「どうもこうもしないわ」
侍女にお茶を用意するよう指示して、カウチに腰掛ける。
「ネリーが帰ったんですって?」
ユリアを相手に話し始めようとしたところ、姉がやって来た。
「どうかしたの? 珍しく怒っているようだけど」
「私、離縁しようと思うのです」
二人が驚いた顔をする。
「何があったの? 左の頰も腫れているようだけれど、もしかしてシュテファン様から暴力を?」
首を横に振る。
「あの方が私に宣言したことを覚えていて?」
「勿論よ。愛さないという奴でしょう?」
「何故あのようなことをおっしゃったのか分かったの」
二人が身を乗り出す。
「あの人、人を好きになったことがないんですって」
私もないけれどこの際そんなことはどうでも良い。
「それで?」
「魅了にかからなかったのは、恋を知らなかったからなのだそうよ」
二人は頷き、続きを促してきた。
「誰かを好きになって溺れるのが怖いから、心動かされそうにない私を選んだんですって」
私の言葉を聞いて二人とも憤慨する。
「なぁにそれ?!」
姉の眉間に深い皺が寄る。
「随分と馬鹿にしてくれるじゃないの」
「少しばかり令嬢に好意を向けられているからと言って、調子にのってらっしゃるようね」
「自身の魅力の半分は侯爵家だということも分かってないようね……」
「確かに私は何もかも中途半端だわ。でも心を持っているの。そのような扱いを受ける言われはないわ」
「勿論よ!」
「離縁すれば良いわ。あんな人に可愛い妹をやるものですか」
私が屋敷を飛び出したことを知って、シュテファン様はすぐにリヒツェンハイン家にやって来た。
当然私は顔を合わせるつもりがない。
姉と妹から散々嫌味を言われても帰ろうとせず、私に会わせて欲しい、謝罪させて欲しいと言い続けていたようだ。最終的には二人に追い出されて帰って行ったけれど。
「話は分かったが、そんなことを言ってもそのうちネリーを愛してくれたかも知れないだろう」
父の言葉に母が同意する。
「そうよ、今までだって大切にしていただいてたんでしょう?」
「妻を大切にするなど普通です」
妹が言い返す。
「ネリーの良さが分からぬような男の元に置いてなどおけません。ネリーは当主となった私を支えて家を取りまとめてくれれば良いのです」
姉の言葉に両親ともに返す言葉もないようで、困った顔をする。
「とにかく、シュテファン様とネリーは離縁させます」
母がちらりとこちらを見る。
姉に口で勝てないからだろう。
「愛して下さらないことが嫌なのではないの。そんなのは貴族の婚姻ではあり得ることだもの。けれどシュテファン様は初めから私との関係を築くつもりがなかったの。私ならば心動かされることがないから私を選んだそうだから」
自分で言いながら惨めになってくる。
何故そこまで酷い仕打ちを受けねばならないのか。
そして、腹が立ってくる。
「お父様がミューエ家との縁談を受けたのがいけないのよ」
ユリアが冷ややかな目を父に向ける。
いやいや、と父は首を横に振る。
「まさかそのようなことを考えて求婚してくるなど思わんだろう。あの件でも最後まで殿下を助けようと行動し続けたのだ。誠実な人柄だと思ったからネリーを嫁がせようと思ったのだから。
娘が不幸な結婚をすると知っていながら受け入れる訳はなかろう」
父の言葉に皆頷いた。
「ネリーは離縁を望むのね?」
言われて言葉が詰まる。
「私はシュテファン様を愛しておりません。だから愛されなくてもいいのです。けれどあのような酷い仕打ちを沢山の令嬢からされるいわれがありません」
それこそリヒツェンハイン家が没落の憂き目にあっていて、家の為に泣く泣く嫁いだのであれば我慢もする。
けれどミューエ家との婚姻にはそういった経済的な援助はない。爵位こそあちらが上だけれど、リヒツェンハイン家が負い目を感じる必要などない筈である。
シュテファン様のことは好きではない。むしろ理由を知って嫌いに気持ちが傾いている。
離縁という言葉に躊躇いを覚えるのは、婚姻を結んで間もないからだろうか。
自分からは言えるのに、人に言われると心が揺れる。
*****
シュテファン様は毎日リヒツェンハイン家にやって来るようになった。
甚だしく迷惑である。
未熟だったと謝罪する姿に家族が絆されてしまいやしないかと思ったが、その様子はない。
「悪いと思うならそもそもあのようなことを言わなければいいのよ」
「頭の良い方かと思ったけれど、お勉強はお出来になっても、人として愚かなのね」
散々姉と妹に言われているが、可哀想とも思わなかった。私がシュテファン様に対して好意を抱いていたなら少しは違っていたのかも知れないけれど、ないものはない。
「それにしてもあの方も諦めて新しい妻を探せば良いのに」
私が生家に戻ってからふた月は経った。
領地に戻っていたお義母様も王都に戻られたらしく、息子夫婦の有り様を知って、両親に面会を求める手紙を送ってきたらしい。
「そこなのよね」
ユリアが人差し指を立てる。
「シュテファン様ならネリー姉様と離縁したとしてもすぐに次のお相手が見つかる筈よ。体面なんて必要ないわ。アンドレア様が皆の前でネリー姉様を叩いたのだもの。多くの令嬢が姉様に嫌がらせをしていたのも周知の事実。
もう耐えられないと姉様が嫌がって離縁になったとしてもなんらおかしなことではないでしょう?
こう言ってはなんだけれど、当家とミューエ家は婚姻を解消しやすいと思うの。オーバーホイザー家に責任を求めるのが手っ取り早いわ」
そうねぇ、と姉も頷く。
「オーバーホイザー家にミューエ家が正式な謝罪を求めたものね。アンドレア嬢の取り巻きの令嬢にも」
それは知っている。
こちらに戻ってからすぐにオーバーホイザー家と取り巻き令嬢の家から正式な謝罪を受けた。アンドレア様の顔など見たくなかったから立ち会わなかったけれど。
このことは醜聞として社交界に瞬く間に広まり、アンドレア様は年の離れた方の後妻として嫁ぐことが決まったと聞いた。アンドレア様は抵抗していると聞く。
「それからお茶会で、見ていて何もしなかった他のご婦人方にもそれぞれ今後のお付き合いを遠慮したいとの手紙がシュテファン様の名で届いているらしいわ」
驚いてしまう。そこまで大事にする必要があるのだろうか。アンドレア様とその取り巻きのご令嬢にはありえるとしても。
「今更ではなくて?」
ユリアが言う。私も思わず頷いてしまう。
けれど、私のことをあのように思っていたのであれば今更というより、何故という気持ちのほうが強い。
私のことなど放っておいて欲しい。
毎日屋敷に来ては花と手紙を置いていくシュテファン様。今更そのようなことをして、何をお考えなのかしら。手紙はたまっていくばかりだ。目を通す気になれないから。それに手紙になんてなんとでも書ける。
「それにしても、お痩せになったわよね、シュテファン様」
ユリアのそのひと言に、思わず反応してしまう。困ったような顔をしてユリアが話を続ける。
「あの顔は満足に眠れてないし、食べることも出来ていないんじゃないかしら?」
「意味が分からないのだけれど」
「本当よね。私もさっぱり分からないわ」
肩を竦める妹。