もう一度おっしゃって?
どう反応すれば良いのか分からず、とりあえず頷いた。
「あの邪法は恋を知る者にしかかからない」
「……アンドレア様との間には……」
念の為尋ねるも、シュテファン様は首を横に振る。
大変気が強い方ではあるけれど、ご自身に絶大な自信を持つだけあってお美しい方だ。
「よくある婚約だ。彼女が欲しいのは私じゃない。侯爵夫人の肩書きだ」
シュテファン様に関して言えばそれだけではないと思うけれど、彼女が一番に求めたのは侯爵夫人としての立場だろう。
「王太子殿下……エルンスト様は婚約者だったマリアンネ嬢を愛していた。だから魅了が効いてしまった」
シュテファン様の言う通りなら、なんと酷い話なのだろう。第一王子エルンスト様は婚約者のマリアンネ様を大切になさってらしたと聞く。
私が入学した時にはあの有り様だったので、お二人がどれだけ仲睦まじかったかは話でしか知らない。
その想いがあったから魅了されただなんて。
「魅了にかからなかった理由が公開されないのは……」
「恋を知らないからだなんて言える訳がない」
恋を知らずに生涯を終える者もいるかも知れないが、大多数の人間は一度は恋をするだろう。知ったところで防ぎようがない。
確かにこれは公開を躊躇うかも知れない。言ったところで馬鹿にする者もいるだろう。
シュテファン様を見る。
恋を知らない次期侯爵とシュテファン様を揶揄する者も出て来るだろう。王家としてはこれ以上シュテファン様に煩わしい思いをさせない為、公開しないのではないだろうか。
本当に恋を知らないことが魅了にかからない条件ならば。
氷嚢を持った侍女が入って来た。シュテファン様は氷嚢を柔らかな布で包み、私の頰にあてた。
「自分で出来ます」
「ずっと持ち続けるのは疲れるだろう」
それは貴方もそうなのではと思うが、大人しくすることにした。
「お義母様の代わりにお茶を運ばせていただきましたが、私の所為でお茶会の場を悪くしてしまったのです。伯爵夫人にお詫びの手紙を書かなくては」
「そうだな。だがそれは明日で良い。伯爵夫人も分かってくれる」
シュテファン様はお優しい。本当によくして下さる。
アンドレア様に言われた言葉を思い出す。
"貴女のような何も持たない者が何故"
他の方にも言われた。何度も。
シュテファン様のお言葉が本当なら地味な見た目と嫌がらせに負けない気質が良かったということだったけれど。
「痛むか? 可哀想に。代わってやりたい」
いつもよりも優しい声がかけられる。
「シュテファン様は、地味でも何か特筆すべきものをお持ちの方をお選びになるべきでした」
お茶を渡すことすら満足に出来なかった。私を取り囲むアンドレア様達。遠巻きに見ていた令嬢やご婦人達。
三日月のように細められた目は、ひと言で言えばざまあみろ、と言っていた。
「私自身に何もないことなど分かっております。
かと言っていつもいつも言われれば嫌にもなります。気落ちもします。
せめて、シュテファン様のお気持ちが私にあるなら耐えられるのでしょうが、それもありません」
言いながら、これ以上は言っては駄目だと分かっているのに、我慢が出来なかった。
つまり、腹が立っていた。理不尽にも。当たるべき相手ではない相手に。シュテファン様だって被害者だろうことは分かっているのに。
「何故私をお選びになったのですか」
さっきも聞いたのにも関わらず、思いをそのままぶつけてしまった。
「すまない」
「謝罪など要りません。私は、私でなければならなかった理由が欲しかっただけなのです」
負けなさそうだからだなんて、あんまりだ。
いつもいつも元気な訳ではない。弱気になる時だってある。大体負けそうになったらどうするのか。私は捨てられるのだろうか?
「……貴女になら、恋に落ちないのではないかと思った」
「……はい?」
「エルネスト様達が婚約者達を大切にする姿を見て、以前から気持ちが落ち着かなかった」
今度は一体なんの話をしているのだろう? 分からないけれど、止めてはいけないことだけは分かる。
シュテファン様の手が離れたので、氷嚢を自分で押さえる。
「あの令嬢が現れて……殿下達は彼女に溺れていった。他者がどんな目で見ようとも、止めようとも意味がなかった」
邪法の効果は実際に自分の目で見ていたから分かる。シュテファン様が表現なさったように、殿下達はあの男爵令嬢が愛しくて堪らないという顔をしていた。
優しく、甘い言葉を捧げ続け、少しでも彼女の気を引こうと競うように贈り物を渡していた。
「私は恋をするのが……人を愛するのが怖いんだ。あのように溺れるのかと思うと、恐ろしくて堪らない」
人を好きになるのが怖いということ……?
「……私になら、そのような気持ちを抱くことはないと思って求婚されたと、そういうことですか?」
「……そうだ」
……なるほど。
確かに私は地味な容姿だし、頭も良くない。何をやっても中途半端である。好感を持てる点がないから、好きにならないと思ったと。
関心もなかったから婚約時にも接点を持たず、初夜には私を愛さないと宣言した、と。
「……よく分かりました。少し疲れたので一人にさせていただけますか?」
「あの、コルネリア……?」
笑顔を向ける。
「叩かれた頰が熱を持って痛いので横になりたいのです。出て行っていただけますか?」
「あ、あぁ、分かった」
シュテファン様は大人しく部屋を出て行った。
なんだか、色々なものがどうでも良くなった。