貴女に言われる筋合いはありません
社交の場に参加すれば、必然的に好ましくない言動をする人物とも顔を合わせる機会は増える。貴族の家に生まれた者はそういった神経を擦り減らす催しに出席しなければいけない。これは権利に対する義務である。
そのこと自体は受け入れているし、姉と妹のこともあってあれこれと言われることも多かった。他の令嬢よりは言われ慣れているとも言える。
シュテファン様を狙っている令嬢は多かった。いや、今でも狙っている。だから相当数の恨みを買っていることは想像に難くない。
さすがにミューエ家の方達が側にいる場合は被害に遭わない。あったとしても軽い嫌味ぐらいなもので痛くも痒くもない。
先日のお茶会で私のデイドレスにわざとお茶をこぼした令嬢がいたが、お義母様がそれに対して怒るでもなく、これで新しいドレスを作ってあげられるわ、ありがとう、とお礼を言っていた。侯爵夫人が側にいないのを狙って行った筈が、しっかり見られた挙句、皆の前で言われてしまい青褪めていた。それは可哀想なほどに。
なるほど。高位貴族ともなるとドレス一枚にめくじらを立てないらしい。とは言え、お気に入りのものを着てくるのは止めておこうと思った。
シュテファン様は夜会で私を一人にしないように気を遣って下さる。やむをえず離れたとしても、私が令嬢達に囲まれているとすぐに戻って来て下さる。大変ありがたい。
それと引き換えに私への妬み恨み嫉みが加算されていっている気もする。長生きできないかも知れない。
お茶会や夜会に姉や妹が参加した場合は助けに入ってくれるが、場の空気が険悪になりがちである。けれど、素直に姉と妹の行動は嬉しいし、頼もしい。
一人になるとすかさず令嬢達が取り囲んで来る。私が一人になる時を待ち構えていたのだろう。一言もの申さないと気が済まないのだ、きっと。
それ程の気持ちを、嫌味やちょっとした嫌がらせで済ませてくれているのなら、優しいのではないだろうか。
どうやってシュテファン様の妻に収まったのだとか、弱みを握って脅したのだろうとか、想像力逞しい発言の数々はいっそ清々しかった。
選ばれた理由がそれならまだ、こんなに悩まなかったのではないか女々しくも思ってしまう。
本日、お義母様は日頃から親しくしている夫人のお茶会に参加するご予定だった。それが急ぎの予定が入って出席出来なくなった。領地に向かわねばならなくなってしまったのだ。
それはそれで仕方のないこと。
お義母様は、不眠で悩んでいる夫人の為に効果があると噂のお茶を取り寄せていた。ようやく届いたお茶を渡したかったととても残念そうだった。
お茶を渡す為に約束を取り付けるにしてもすぐには決まらないもの。思うよりも貴族の夫人というのはすべきことがある。
それに領地に行って問題を解決して、王都に戻るとなれば数日では済まない。
代理の者が代わりに届けることにはなったけれど、本来ならご自身の手で渡したかったことだろう。
お茶を渡すだけなら私も出来るからと買って出ると、お義母様が許して下さった。夫人も顔見知りだったので問題ないと思えた。少しずつ一人でも大丈夫なようにしていかなくては。
お茶の入った箱を大切に抱えて、お茶会の場所になっているお屋敷に伺う。
あちこちから歓談する声や笑い声が聞こえる。お茶会は盛況のようだ。屋敷の者に夫人にお渡ししたいものがあると伝えてもらい、お茶会の会場となった庭の隅で待たせてもらう。
ひときわ豪奢なデイドレスを纏った令嬢が大きな声で言った。
「嫌だわ……薄汚い泥棒猫が入り込んだようよ」
「鼠ではなくって?」
「野生の獣があのような毛色だったわ」
聞こえよがしに言葉を向けられて、誰かと声の主を確認すれば、オーバーホイザー伯爵家のご令嬢 アンドレア様だった。シュテファン様の元婚約者の。
泥棒猫だとか鼠、野生の獣は間違いなく私のことだろうと思う。
確かお二人の婚約はオーバーホイザー家から解消を求められてのことだった筈。それなのに私を泥棒猫とは……。
あの一件が落ち着いてシュテファン様の名誉が回復したと知るや、彼女が再婚約を結ぼうとしたのは多くの者が知る所である。
未だにアンドレア様の婚約者は決まっていないと聞く。子爵家や男爵家に嫁入りするのは自尊心が許さないのだろう。
出世を見込んだ格上の相手と婚約したのに、問題が起きてしまった。次の王となる人に厭われたとなれば、早々に婚約を解消するという判断は間違っていない。
あの件でシュテファン様の名誉が回復するなどと露程にも思わなかったのだろう。それはオーバーホイザー家だけではなかったと思う。
仕方のないことだけれど、ミューエ家との関係を悪化させたくない家はアンドレア様との婚約を受け入れないだろう。本来なら婚約を結んでも何ら問題はなかったのに、ご本人の行動が大変よろしくなかった。
シュテファン様の行く先々に姿を現して、自分達は一度離れたものの運命がこうして引き合わせているのだ云々と、悲劇のヒロインのように振る舞ったのだ。シュテファン様も同じお気持ちなら良かったのだろうけれど、そうではなく。
貴族の婚姻など利害が付き纏うもの。いくら頭で分かっていてもあからさまに掌を返されれば面白くない。シュテファン様はアンドレア様を強く拒絶したそうだ。
その場面を幸か不幸か妹が目撃した。それは手痛い拒絶を受けたらしい。興奮した妹に何度も聞かされたのでよく覚えている。
以降は寄り付かなくなったと聞いていたのだけれど、それとこれとは別ということなのだろうか。
だからと言って、やはり私が泥棒猫と言われる覚えはない。
面と向かって言われている訳ではないし、相手にしたとして何も良いことがない。早々に主催者の夫人にお茶を渡したら失礼しよう。
私が無視したのが気に入らなかったのか、アンドレア様と取り巻きが私を取り囲む。よく思われていないから他の令嬢も私を助けてくれたりはしない。
「泥棒猫が何の用なのかしら。貴女は本日のお茶会に招待されていなくてよ」
「ごきげんよう、オーバーホイザー様。
本日は侯爵夫人から伯爵夫人への贈り物を届けに参りましたの」
生家の爵位は伯爵。オーバーホイザー家も伯爵位。
何事もなければ私は侯爵夫人となる身。このように、居丈高な言動をされる筋合いはないのだけれど、私が招待されていない立場なのは事実。あまり事を荒立てたくはない。私はお茶を渡しに来たのであって、令嬢と喧嘩をする為に来た訳ではないのだから。
侯爵夫人の代わりとなればその線で私を攻撃出来ないと思ったのだろう。生家の話をし始めた。
「あなた、リヒツェンハイン家の外れでしょう?」
「お姉さまはあのように頭がよろしいのに、貴女はそうでもないんですってね」
「妹はあのように愛らしいのに、貴女と来たらみっともない色み」
扇子で口元を隠しながら、姉や妹を引き合いに出して私を傷付けようとする。
「えぇ。身内の欲目ではありますけれど、頼りになる賢い姉に、同性でも見惚れる愛らしい妹がおります」
否定はしない。傷付く必要もない。事実は事実としてそのまま受け止めることにしている。
私の態度が気に入らなかったのか、令嬢達の眉間に皺が寄る。取り繕った笑みを浮かべるのは止めたようだ。
「貴女、どうやってシュテファン様に取り入ったの」
「申し出をいただきました。身に余るお話ではありましたが、断る理由もございませんのでお受け致しました」
「貴女みたいな何も持たない者をシュテファン様が選ぶ筈がないでしょう!」
「私におっしゃられても困ります。元はオーバーホイザー家から婚約を解消なされたのでしょう? 私に嫌がらせなど、筋違いも甚だしいのでは?」
主催者の伯爵夫人が慌てた様子でこちらに向かってくるのが見える。もう少しやり過ごせば良いだろうと思っていると、左の頬に痛みが走り、悲鳴があちこちから聞こえた。
唇を噛み締め、今にも殺さんばかりに私を睨み付けるアンドレア様がいた。
彼女に頰を叩かれたらしい。なんと浅慮な。
人の目のあるところで暴力を振るったとなればただでは済まない。まだ爵位は継いでないとは言っても私は侯爵家に嫁いだ人間なのだから。
「アンドレア様! 何ということをなさるの!」
我に返ったのか、アンドレア様は私の前から慌てて逃げて行った。取り巻き達を連れて。
「ミューエ子爵夫人」
伯爵夫人は私の前にやってくるなり、侍女に濡れたハンカチをと指示する。侍女が駆け足で屋敷に向かう。
「申し訳ございません、夫人。このように場を乱すつもりはなかったのです」
「何をおっしゃるの。このような目に遭わせてしまって、なんとお詫びしていいか」
夫人にお茶の入った箱を渡す。
「義母が夫人の為にと取り寄せていたお茶です。これをどうしてもお渡ししたくて押しかけて、無用な騒ぎを起こしたこと、お詫び致します」
夫人はそのお茶がなんなのか分かったのだろう。大切に箱を抱きしめた。
「いいえ、貴女が謝罪することなど何もないわ」
屋敷から濡れたハンカチを侍女が持ってきてくれたので、ありがたく受け取る。
「それでは失礼致します」
「お大事になさってね。当家からもオーバーホイザー家には正式に抗議致します」
お願いしますとも言えず、曖昧に微笑んでその場を辞した。
馬車の中で濡れたハンカチを左の頬に当てる。
遠慮なく叩いたようで、熱を持っているのか熱いし痛い。屋敷に戻ったら氷嚢で冷やすことにしよう。
別邸に戻るといつものようにシュテファン様が出迎えて下さって、私の異常にすぐさま気が付いた。
「コルネリア、頰をどうしたんだ」
「ちょっと、色々ありまして」
分かっていたつもりでも、あれこれ言われていたのに耐えられなかったのかも知れないと、他人事のように思う。他の令嬢ならまだしも、アンドレア様に言われる筋合いはない。
私に付き従ってお茶会に向かった侍女の名をシュテファン様が呼ぶ。
「何があった」と低い声で尋ねる。
侍女は私をちらと見る。さすがに侍女にまで無理をさせたくはない。それならばと自分から話す。
「オーバーホイザー家のアンドレア様と少しばかり口論になりましたの。それでお怒りになったアンドレア様に叩かれたのです」
「口論になったからと言って暴力を振るうなど有り得ない」
シュテファン様は氷嚢を用意するよう侍女に命じ、私を抱き上げる。
「シュテファン様、歩けます」
「いいから。コルネリアは軽いから気にしなくていい」
階段を抱き上げた状態で上って、二人揃って転げ落ちる、なんてことにならないかが心配なだけである。
部屋に入るなりカウチに座らされる。隣にシュテファン様が座る。
「こんなになるほど強く叩くなど、どうかしてるんじゃないか、彼女は」
「私のような何も持たぬ者が妻となったのが気に入らないのです。アンドレア様も、他のご令嬢も」
何もないことなど分かってるのだから、いい加減言われるのには飽き飽きである。言われればいくらかなりとも頭が良くなるだとか、容姿が愛らしくなるのなら思う存分言っていただきたいものだ。
「シュテファン様」
「なんだ?」
「何故私をお選びになったのですか? 地味な女性なら他にもおりますでしょうに」
私が他の令嬢からどう言われているのかをさすがにご存知のようで、シュテファン様は話す気になったようだ。
愛さない発言も気にはなるが、それはさておいて。
何故私が選ばれたのかは知りたいことの一つだった。
「地味な令嬢は気が弱いことが多い。だが君は姉君と妹君のことで他者から酷い言葉を投げかけられても毅然としていた」
地味な令嬢が良かったのは理解出来た。
けれど、嫌味に負けなかったからだけで選ぶだろうか?
じっとシュテファン様を見る。
少しの沈黙の後、シュテファン様は諦めたのかため息を吐いた。
「私だけが魅了にかからなかったのは」
唐突に話が変わった。
「私が恋を知らなかったからだ」