三姉妹のお茶会
シュテファン様は私がリヒツェンハイン家に顔を見せに行きたいと言っても嫌な顔をなさらなかった。
一緒に行けないことを謝られたけれど、むしろ来ていただかないほうが良い。
「婚姻して間もないのに来ると言うから、耐え難いことでもあったのかと思ったのだけれど……随分と肌艶が良いわね?」
心配してくれていたのだろう。姉は私の顔を見るなりそう言った。
「とりあえず庭に参りましょうよ、お姉様」
妹の言葉に姉と私は頷いた。
「私達はガゼボに行くからお茶を用意してちょうだい」
侍女に指示を出して庭に出る。
今日は空が高くて空気も澄んで気持ちが良い。こんな日は庭でお茶をするのがリヒツェンハイン家の習慣となっている。
ガゼボのベンチに腰掛ける。
「新婚生活はどうなの?」
三姉妹でもっとも婚姻に縁遠いと思われた私が、一番に既婚者になるなんて思いもよらなかった。
「シュテファン様も、侯爵家の方達も良くしてくださるわ」
「予想とは違ったけれど、良かったじゃないの」
妹──ユリアも頷いた。
侍女が茶の用意と焼き菓子をテーブルに置き、近くに控えた。
「必要になったら呼ぶわ」
そう言って侍女を下がらせ、二人のカップに紅茶を注ぐ。
「人払いまでするなんて、何かあったのね? ネリーお姉様」
ユリアがため息を吐く。愛らしい妹はため息を吐く姿すら可愛い。
「まさか……?」
懸念していた秘密の恋人のことを姉──アティカは言いたいのだろう。
「初夜に、シュテファン様に、貴女を愛することはないと宣言されてしまったの」
「なんてこと!」
「酷いわ!」
二人が同時に声を荒げる。
「ではまだ乙女のままなのね?」
首を横に振る。さすがにこの話は気恥ずかしい。
「いいえ、夫婦となったのよ」
ユリアが怪訝な顔をする。
「では、仮面夫婦ということ?」
「変ね」
姉がカップをソーサーに戻して私を見る。
「仮面夫婦なんて貴族社会ではさして珍しくもなんともないわ。わざわざ口にして関係を悪くする必要なんてないもの」
そうなのだ。
その通りなの、と答える。
「さぞかし冷たい態度を取られるのだろうと覚悟してみれば、翌日には私の世話を甲斐甲斐しくなさるのよ。
欲しいものは遠慮するなとおっしゃるし、私の趣味を聞いたりもなさったりするの。しかもちゃんと覚えているのよ」
二人とも訳が分からないという顔をする。
その顔が見たかった。不思議に思うのは私だけじゃないと確認したかったのだ。
「それで、秘密の恋人は?」
「そんなものはいないし、生涯不要だとおっしゃるの」
姉と妹は顔を見合わせた。
「愛さないと言いながら、妻となったネリーを大切に扱うのね?」
「えぇ、その通りなの、お姉様」
難しい顔になった二人を見て、ほっとする。
不思議に思うのは私だけではなかった。
誰彼構わず話せる内容ではない。仲の良い姉妹がいることに感謝する。
「……初夜のその言葉さえなければ良い婚姻よね?」
頷く。
姉の言いたいことは分かる。
あの言葉さえ飲み込めば良いのは分かっている。それ以外におかしな発言も態度もされていないのだから。
「その発言については、愛されたいと望む令嬢は多いからとおっしゃっていたの」
「期待するなということ?」
「それにしては大切に扱われているのよね?」
ため息が出てしまった。
「そうなの。お義母様やクリスタ様からなにかしらの糸口を引き出せないかと思ったのだけれど、お二人ともご存知ないようだったわ。
婚約期間中の対応のなさを謝られたりと、私を受け入れて下さっていて、良い方達なのよ」
「侯爵家に代々伝わる風習なのではなくて?」
「初夜に愛さないぞ、と宣言することが?」
自身で言ってありえないと思ったのか、ユリアは首を捻る。
三人とも答えが分からず、出て来たのはため息だけだった。
「シュテファン様が一体何を考えてそのようなことをおっしゃったのかは分からないけれど、ネリーが酷い目にあってなくて良かったわ」
「そうね」
それは本当にそう。
「何かあったらすぐに戻ってらっしゃい」
「そうよ、帰ってくれば良いのだわ。お姉様もネリーお姉様が家にいて下されば心強いもの」
二人がこう言ってくれているし、シュテファン様から酷い仕打ちをされている訳でもない。
不可解だとは思うけれど、何かあれば帰れる家があると言うのは本当にありがたいことだと思う。
仮面夫婦だと思っていれば間違いないわ、きっと。
沢山話をして、聞いて笑って、気分良く別邸に戻る。
友人も良いものだけれど、姉妹はまた別の良さがあると思う。
私を迎えたのはシュテファン様だった。
「まぁ、わざわざここまでお迎えに来て下さったのですか?」
帽子の紐を解きながら問うと、シュテファン様はあぁ、と抑揚なく頷く。
帽子と手袋を侍女に渡す。
「部屋の窓から馬車が見えたからな」
「旦那様自らお迎えに来て下さるなんて、お優しいのですね」
「そんなことはない。父はいつもこうして母を出迎える」
すとんと胸に落ちてきた。
あのようなことをおっしゃるけれど、シュテファン様にとって夫婦というのはご両親である侯爵夫妻なのだ。
「素敵なご夫婦ですね」
シュテファン様に手を引かれながら階段を昇る。
「そうか? 普通だろう」
リヒツェンハインの両親も仲が良い部類に入ると思うけれど、さすがに出迎えたりはしない。このように階段をエスコートもしない。夜会ではするだろうけれど、屋敷の中でまでこのように大切に扱ったりはしない。
普段からしているとすれば、それは恋人だろう。
「侯爵夫妻は恋愛結婚なのですか?」
恋人をそのまま伴侶とすることが出来るのは、政略を必要としない家ぐらいのもの。そうは言っても限度はあるけれど。
「いや、政略結婚だと聞いている」
お義父様が余程の紳士か、政略で始まりはしたものの、そこから穏やかな愛へと移っていったのか。
そのお陰で私はシュテファン様に優しくしていただいているのだから、感謝しかない。
冷え切った夫婦しか見ておらず、妻となった相手を粗雑に扱うのを日頃から見ていたならば、私も同じように扱われていたに違いない。
「素敵なご夫婦ですね」
両親を褒められて嬉しかったのか、シュテファン様が目を細めて「あぁ」と頷いた。
……こんなお顔もなさるのね。
正直なところ、こんな風に笑える方だとは思っていなかったから、少し驚いた。
あぁ、でも。
シュテファン様のように容姿の整った方に微笑まれたら、愛されたいと思ってしまうものなのかも知れない。