あなたが好きです
分かったとは言ったけれど、シュテファン様はいつ来るとは口にしなかった。だから今夜は来ないかも知れない。
あれほど確実に、などと思っていたのにこれである。己の詰めの甘さにがっかりする。
私とシュテファン様の部屋の真ん中に位置する、夫婦が夜を共にする為の部屋。
昨日まで私とシュテファン様はそれぞれの部屋で眠っていた。別邸に住んでいたから、本邸のこの部屋に入るのは初めてだった。
ノックする音がして、少ししてからゆっくりとドアが開き、シュテファン様がドア越しにこちらを覗きこむ。
「入っても?」
「勿論です」
座る場所がない為、私はベッドに座っているのだが、その隣にシュテファン様も腰掛ける。
「何かあったのか? 誰にも知られたくないことがあったのだろう?」
その通りだと頷く。
隣でシュテファン様が小さく息を吐いたのが分かった。
「……近頃コルネリアの雰囲気が、なんというか、甘やかさを持ったから、もしかしてと思っていたのだが、気の所為だったようだ」
前半にどきりとし、後半に首を傾げてしまった。
「気の所為?」
あぁ、と答えるとシュテファン様は悲しそうな顔をする。
「私との婚姻を続けられないと思ったから、私を呼び出したのだろう?」
「何故そこでそうなるのです?」
思わず睨みつけると、慌てたように喋り出した。
「いや、顔色が悪いし、表情も何かに耐えているように見えたから……えぇと……そうではないということか?」
「緊張しております」
感情的になるなと己に何度も言い聞かせる。
慌てて言葉を紡いで心にもないことを言いたくない。だってこの人は過去の己の言葉を悔いている。私が恥ずかしさのあまりに迂闊なことを言えば真に受けるに違いない。だから、絶対に間違えてはならない。
「緊張?」
頷く。
言わねばと思うのに、口を開くまでは出来るのに、声が出せない。
不安そうに私を見つめるシュテファン様の視線が気になってきた。
「目を閉じていただけませんか」
「分かった」
目を閉じているシュテファン様の顔をじっと見る。
「あの……あのですね……」
顔に熱が集まってくる。
胸の奥がきゅうきゅうと痛む。
気持ちを吐き出したなら少しは楽になるのだろうか。
いや、ならないのだろうな。小説に書かれたことが真実かどうかは分からないけれど、主人公たちは想いが通じあえても、会えないときには不安を感じていたし、切なさに耐えていたから。
シュテファン様の気持ちを確かめてから言おうか、不安からそんな考えが浮かんできた。それを頭を振って消し去る。
確かに愛してくれたから好きになったのかも知れない。始まりはそうだったのかも知れない。けれど、貴女のことをもう愛していないと言われても、私の中の気持ちはすぐには消えないだろう。
だから、シュテファン様の気持ちがどうこうというのは、傷付きたくないが為の言い訳にすぎなくて、つまり私がシュテファン様を好きだということだ。
言い出せない私に焦れることなく、シュテファン様は目を閉じたまま、じっとしていてくれる。私がいいと言わなければ、夜が明けてもこのままでいてくれるだろう。
本当に、不器用で、優しい方だ。
「シュテファン様、私、貴方が好きです」
余計な力が身体から抜けて、素直に言うことが出来た。
目を開けて、驚いた顔で私を見つめるシュテファン様だったが、すぐに思い出して目を閉じた。
その様子に思わず笑ってしまった。
「もう目を開けて大丈夫です」
一番言いたかったことを言えたから、大丈夫。
顔だけでなく、身体も熱いけれど。
シュテファン様は目を開けると、私の顔を見つめた後、口を手で押さえた。
「……信じてもいいのだろうか」
「失礼ですよ」
私の気持ちが信じられないと言うのかと、軽く抗議する。
「いや、信じたい。嬉しいんだが、本当にそのような幸運があるのかと」
何を言っても変な言葉になってしまいそうで、言葉に窮する。
シュテファン様の耳が赤くなっていることに気付く。
可愛いなと思う。それから、愛しい、と。
「貴女に少しでも近付きたくて、貴女が好きな恋愛小説も読んだし、歌劇も観た」
突然何を話し始めたのかと思いながら、耳を傾ける。
「物語の男性主人公のような気の利いた言葉を言えたらと思うのに、どれも自分の言葉ではないというか、この想いを伝えるには足りない気がしてしまって……」
あぁ、シュテファン様もきっと、私と同じ気持ちになっているのだろう。
沢山の言葉があるのに、そのどれもが自分の気持ちを代弁してくれないと感じているのだ。
「コルネリア、愛している。貴女の気持ちがとても嬉しい。信じられないぐらいだ」
言葉の一つひとつに込められた想いが私の中に入ってくる。胸は痛いのに。それはとても甘い痛みで。
痛いのにしあわせだと感じる。とても、不思議な感覚だ。
「その……すぐにこのようなお願いをする私を許して欲しいのだが」
何だろう。今晩から一緒に夜を過ごしたいとか、そういう事だろうか。それはまぁ夫婦なのだし、やぶさかではないけれど、既に色々な意味で夫婦にはなっているのだけれど、物凄く、恥ずかしい。
「ネリーと、呼んでもいいだろうか?」
……拍子抜けである。夫婦なのだから勝手に呼んでもらってもいいくらいなのに。
「どうぞ」
「ありがとう。ネリー、あぁ、リアンのほうがいいだろうか」
嬉しそうだが、恥ずかしそうに言う夫。
「私のシャツィー」
そう言って私の手を取るシュテファン様の目に驚く。蕩けるような眼差しだからだ。声もなんだか甘く感じる。
「信じられない。夢なら覚めないで欲しい」
もう一度シャツィーと私を呼び、私の手の甲にキスをするシュテファン様に、私の胸はおかしくなりそうだ。顔も身体も全部が熱い。
シャツィー。宝石、宝という意味だ。
恋人や家族のような大切な人をそう呼んだりするが、まさか自分が呼ばれる日が来るとは。




