我ながら面倒な性格だと思う
人は慣れる生き物である。
だからそのうち、この如何ともしがたい心も落ち着くはずである。そう信じて平常心を心掛けていた。
貴族の令嬢として。未来の侯爵夫人として。無表情は得意……の筈だった。
それなのにもうひと月もこの状況のままだ。
私の胸の中に住み着いた小鳥は、あいもかわらずシュテファン様を見ては喜ぶし、笑顔を見ては興奮する。
見送りをした後は寂しいと鳴く。
鳴くだけでなく私の表情まで操ろうとする。
実に、面倒臭い。
「ネリー姉様は面倒な性格ねぇ」
姉夫婦が領地に行って暇だからと遊びに来てくれたのは良かったが、最近のことを話したら言われた。面倒だと。
ユリアは呆れ顔である。
自分でもそう思っているけれど、人に言われると少し傷付く。
「……落ち着かないの」
「そのうち慣れるわよ。恋に落ちて命を落とした方なんて見たことも聞いたこともないもの」
それはそうなのだろうが、そのうちとはどのぐらいを言うのだろうか。
「早くそうなって欲しいわ」
ついため息をこぼしてしまう。
「その前に言うべきことがあるのではなくって?」
ユリアの言葉が胸に刺さる。
目を細めて私を見る妹。
「まだ伝えてないのでしょう?」
言葉に詰まる。
「……言ってないわ」
思わず小声になる。
「何故?」
「……気の迷いかも知れないでしょう?」
「気の迷いって何よ?」
「……私が、シュテファン様を好きなことが」
言いながらあり得ないことは分かっている。気の迷いがひと月は続いているのだから。
「どうして? ネリー姉様の為に身体も鍛えて下さっているし、姉様が喜ぶからって歌劇場の建設にも携わる程愛されているって惚気たのは姉様でしょう?」
惚気てはいない……つもりである。
「愛されているんだから、良い方なんだからなんてことは絶対に言わないわよ。姉様の気持ちが大事だもの。
でも、その姉様の気持ちが夫に向いたことは喜ぶべきことよ。夫は夫で妻である姉様に夢中なのだから」
ユリアの言葉に胸の中がそわそわする。
「許したのでしょう?」
問いに頷く。
「好ましいではなく、好きなのでしょう?」
迷ったけれど頷いた。
「良いじゃないの、好きなら好きで。ネリー姉様の大好きな恋愛小説のヒロインになったつもりで愛の告白をしてみたらどう? 盛り上がるかも知れないわ」
他人事だと思って好き放題に言ってくれるものである。言い返したいのに言い返すことが出来ず、せめてもの抵抗と、恨みがましく妹を睨む。
「一つ言っておくと、言わないでも分かってもらえるなんて思わないほうが良いと思うわ。ほら、恋愛小説にもよくあるじゃない? すれ違いっていう奴」
にやにやと淑女らしからぬ顔で見てくる妹が子憎たらしい。小憎たらしいのに正論だ。小説云々(うんぬん)はさておいても、言葉にしなければ伝わらないものはある。
ユリアは立ち上がると、「私も早くお相手を見つけたいから失礼するわね」と言って、私が止めるのも聞かずに帰って行った。
妹が去った後、冷めてしまったお茶を淹れ直してもらおうと顔を上げると、シシーと目が合った。
何も言ってはこないが、目が訴えてくる。
目は口ほどに物を言うというのは本当だと思う。
ユリアが言う通り、気持ちを伝えた方が良いのは分かる。分かるけれどいつ伝えよう。
気持ちが落ち着くのを待ったけれど落ち着く気配はない。
夜は共にしていないから二人きりにもなれないし。
侍女の存在を気にする必要はないと分かっている。分かっているけれど駄目なのだ。
誰にも見られたくない。聞かれたくない。
シュテファン様にだけ伝えたい。
どうしたら二人きりになれるだろうか。いや、言えば二人にはなれるのだけれど、そうではなく……。
心を落ち着ける為に刺繍をしようとして思い付く。
……クラヴァットに手紙を添えれば……。
それだとシュテファン様の侍従に知られてしまうかも知れない。
思わずため息を吐いてしまった。
我ながら、なんと面倒臭い性格なのだろう。
いつもなら気になることは遠慮せずに尋ねていた。それが自分のことになった途端にこんなにも気後れするものなのかと。
そうだ! ……手紙に夜に話したいことがあるから寝室に来て欲しいと書こう。それならば二人きりになれる。その為にもクラヴァットの刺繍を終わらせなくては。
そう思うと刺繍に身が入る。入ったかと思うと余計なことを考えてしまって針を持つ手が止まる。それもこれも私の中に勝手に住み着いた小鳥の所為だ。
クラヴァットの刺繍を終えた。
……手紙も書いた。シュテファン様以外に見られたくないから封蝋もした。
後はこれをサロンでお茶をしている時にでもシュテファン様に渡し、夜に二人きりになって気持ちを伝える。
あぁ、回りくどい。
そう思うのに、ではサロンで気持ちを伝えますかと問われたら否と答えてしまう。焦って本心と全く異なることを口走りたくない。
恋愛小説ではよく、恥ずかしさのあまり心にもないことを言ってすれ違うのも定番だ。あれは物語だからその後が上手くいくのであって、現実はそう甘くない。
伝えると決めたからには嘘偽りなく、きちんと自分の想いを伝えたい。
人からだとか手紙ではなく、自分の口で。
……シュテファン様のことを融通が利かないだのなんだのと思っていたけれど、私も負けず劣らず、それ以上に融通が利かない。
シュテファン様を出迎える。
いつものように向けられる笑顔に胸が甘く痛むけれど、それを必死に耐える。
食事の準備が整う前のサロンでのお茶の時間は、私とシュテファン様が共に過ごす大事な時間である。
本当は食事の準備は整っているのだろう。けれど侯爵邸の使用人たちはとても優秀だから、主人夫婦が過ごす時間を作ってくれている気がする。
お茶を飲んでひと息吐いたシュテファン様に、クラヴァットと手紙の入った封筒を差し出す。
「手紙と、クラヴァット?」
「はい」
「これはコルネリアが刺繍をしてくれたクラヴァットか?」
「そうです」
畳まれていたクラヴァットを広げ、私が刺した刺繍を指先でなぞる。その手付きはとても優しく、クラヴァットを見つめる目も優しい。
顔を上げると、あの時と同じ笑顔でシュテファン様はありがとうと礼を言った。
悲しいと胸は痛むけれど、嬉しくても痛むのだと知った。
「身に着けて下さると嬉しいです」
「こればかり身に着けてしまいそうだ」
そう言って自分の首にクラヴァットをあてる。刺繍が見えるように。
「どうだろう、似合うだろうか?」
頷く。
あぁ、喜んでくれている。
喜んでくれるだろうと思っていた。想像するだけで胸の内がふわふわしたぐらいだ。けれど目の前で喜ぶ顔を見たら、嬉しさを超えて息苦しさを感じる。
好きだという気持ちが膨れてくる。
「よくお似合いです」
クラヴァットを膝の上に置くと、封筒に手を伸ばす。
封筒に宛名はない。ひっくり返すとミューエ家の封蝋がしてある。
不思議そうな顔をしながらシュテファン様は封蝋を折り、中から手紙を取り出し、そっと広げる。それから顔を上げて、頷く。
「分かった」




