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五年で私を愛せなければ離縁してください(旧題 こだわりが謎である)  作者: 黛ちまた


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笑顔

 笑顔だと姉は言った。

 それならばよく目にしていると思う。

 何とも思わない……ということはない。さすがに笑顔を向けられれば嬉しくもなる。ときめきはないが。

 ふと、姉がクラウス様に向けていたあの笑顔を思い出す。それを見てユリアと二人、ほんの少し悔しいわねと話した。

 ユリアは私に向けるシュテファン様の笑顔もそうだと言っていたけれど、そのような笑顔を見た記憶がない。

 確かに私の記憶の中のシュテファン様はいつも穏やかに微笑んでいる。けれど姉のような特別な笑顔ではなかった。

 見逃しているのだろうか? それとも私が特別に感じていないだけで、実はあの笑顔は他の人から見ればそう見えるということ?

 取り留めのないことを考えながらクラヴァットに針を刺していく。ネイビーのクラヴァットに、光沢を抑えた金糸でミューエ家の家紋の刺繍をする。大きくない刺繍だからそれほど時間もかからずに終わるだろう。


 王室主催のガーデンパーティーが終わってひと月。

 夏の盛りも過ぎ、暑さも落ち着いてきた。

 シュテファン様はあいも変わらずお忙しくされていて、私は侯爵夫人の代わりに慰問に訪れるなどして日々を過ごしている。

 その合間の刺繍。







 忙しさがある程度落ち着いたと言っていた通り、シュテファン様はこれまでより早く屋敷に戻るようになった。

 刺繍は中断して迎えに出ることにしている。必ず知らせるようにと家令には命じてある。そうしないと刺繍を邪魔したくないからと私には知らせないようにしてしまうからだ。


「コルネリア」


 私の顔を見るなり微笑む。

 この笑顔だろうか?


「おかえりなさいませ、シュテファン様」


「戻ったよ」


 食事の用意が整うまでサロンでお茶をする。

 取り立てて面白みもない私の話などつまらないだろうに、シュテファン様は笑顔で聞いてくれる。

 出迎えた時とは違う笑顔。

 こっちだろうか?

 シュテファン様が出仕なさるのを見送る時にも笑顔だけれど。


 なんというか、姉がクラウス様に向けるような、言葉に表さなくても分かる、しあわせだと言っているかのような笑顔。私はあの笑顔を向ける程の相手ではないということなのだろうか。

 姉とクラウス様は相思相愛だ。だからこそのあのような笑顔になるのかも知れない。


「近頃は刺繍はしていないのか?」


「しております」


「パーティーの時に解してしまったストールを?」


 首を横に振る。


「いえ、シュテファン様のクラヴァットです」


「私の?」


 驚いた顔をしている。何故? 妻が夫の為に刺繍をするなど普通……ではない方もいるにはいるけれど。


「欲しい布と言っていたのは?」


「シュテファン様のクラヴァットにしていただきました」


 それはもう極上の布を選ばせてもらった。同じ糸で細かいレースを編んでもらい、布の四方に縫い付けてもらった。

 一般的には刺繍したものを婚約時に渡す。私達の婚約期間は短く、歩み寄りも全くなかったからその機会がなかった。

 私としては日頃の感謝をシュテファン様にもと思ってのことだった。それだけだった。

 それなのに。


 その時に私に向けられたシュテファン様の笑顔は、今までと違った。嬉しくてたまらないという気持ちが嫌と言うほどに伝わってくる。

 その笑顔に心臓を鷲掴みされてしまう。シュテファン様に対してきゅんとしてしまうことはこれまでにも何回かあった。けれど、こんなに痛くなる程にときめいたのは初めてだった。

 相手の笑顔を見てどう思うか。

 それが姉の言いたいことだ。


「コルネリア? 顔が少し赤いが……熱でも?」


 否定する為に首を横に振る。


「いえ、大丈夫です」


「本当に? 無理はいけない」


「本当です」


 大丈夫だと重ねて言えばようやく頷いてくれた。その優しい笑顔にも胸がきゅんとして戸惑う。

 ……まさか、これが姉の言う……?






 

 それからというもの、シュテファン様の笑顔を見ると落ち着かない気持ちになるようになった。

 つまり、ときめくようになってしまった。

 これまでもシュテファン様が笑顔になるのを嬉しいとは感じていた。けれどそういう事ではない。

 そういう事ではないのだ。

 胸の奧がくすぐったく感じる。うずうずするというのか、そわそわするというのか。


 恐らくこの気持ちが恋愛感情なのだろうと思う。激しさはない。苦しくなるだとか、切なくなったりはしない。私のことだから恋をしても激しい感情は抱かないと思っていたので、その通りではあった。

 ……嫉妬をこれからはするようになるのだろうか。

 夜会や歌劇場で婦人がシュテファン様に近付くのをハラハラしながら見守ったり、私の知らぬ時や王城で他の令嬢に迫られたり……想像したらなんだかもやもやとした気持ちになってきた。


「最近あまり調子が良くないみたいだが、無理をしていないか?」


 私の態度が少し変わったことにシュテファン様は目敏く気付いたようだった。


「無理はしておりません」


 ただ、気持ちが落ち着かないだけで。

 心配そうに私の顔を覗き込む。そんなにじっと見つめられると気持ちが乱れるから止めて欲しい。


「本当に?」


「本当に」


 まだこの気持ちに慣れていないから、刺激が強く感じる。離れて欲しくてシュテファン様の胸を両手で押して距離を取る。

 ……硬い。

 今も鍛えてくれているのだから、さぞかし筋肉も。つまり、腹筋も……!

 想像したら恥ずかしくなってしまった。

 筋肉だの腹筋だのと、随分とはしたないことを望んでしまった! 今更だけれど!


「顔が真っ赤だ。すぐに休みなさい」


「大丈夫ですから!」


「駄目だ」


 身体がふわりと浮かんだかと思うと、シュテファン様に抱き上げられていた。

 前にも同じような事はあったけれど、あの時とは比べ物にならない安定感……!


 あぁ、なんてこと。

 恥ずかしい。恥ずかしいのに嬉しいと思っている自分がいる。

 胸がうずうずする。くすぐったい。

 まるで胸の中に小鳥がいるようだ。

 シュテファン様にだけ反応する小鳥がいて、なにかと反応しては鳴く。

 

 恋とはなんと厄介なのか。

 激しい恋など想像したくもない。きっと身がもたずに死んでしまう。

 

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