ときめく
シュテファン様の身体が変わった。いつの間にか鍛えられていた……!
以前と比較してという意味であって、私の理想からは遠い訳だけれど、それでも嬉しい。
もしかして私の理想を姉妹から聞いて秘密裏に鍛えて下さったとか? ……そのように都合の良い話はないだろうから有り得ないとしても、嬉しい。
嬉しいものは嬉しい。
我ながらなんと分かりやすいのかと思うものの、夫であるシュテファン様が私の理想に近付いてくれることに勝るものはない。
元々お優しく、真面目でお顔立ちも良い。領民にも慕われている。平凡な私を愛しんで下さるだけでもありがたいと言うのに、そこに私の理想が加わったなら……。
「早くお帰りにならないかしら」
視線に気付いて顔を上げれば、驚いた顔でシシーが私を見ていた。
「どうしたの?」
「……奥様が旦那様のお帰りを心待ちになさる日が来るとは思いもよりませんでした」
「そうね。私も思いもよらなかったわ」
本来ならば侍女がこのようなことを口にしたなら窘めなくてはならないが、二人のときは話し相手になって欲しい。忌憚のない意見を聞かせてと頼んだ。
姉や妹のような存在がいない生活は思った以上に私を寂しくさせた。友人もいることはいるけれど多くはないし、私と同じように嫁いでいる者が多く気軽に会えないのだ。
いつまでも生家にばかり顔を出すのも問題だし、姉の婚姻式が目前でもある。寂しいからと邪魔する訳にもいかない。
勿論侯爵家の人間として成すべきことはしている。
「新しいお茶をお持ちいたしますか?」
「いいわ。刺繍の続きをしたいから持って来てちょうだい」
「かしこまりました」
オーガンジー生地のストールに春の花を刺繍する。
特訓では姉にも妹にもとても助けられた。特訓だけでなく、これまで二人には助けられてばかりだったけれど。私も少しぐらいは二人の役に立っていたと思いたい。
私が嫁いで家を出て、姉は婿を取り家に留まる。妹もいつか相手を見つけて家を出る。大きく変わることはないだろうが、ずっと同じではない。そのことを少し寂しく感じる。
姉を取られるような、妹が自分の元から巣立っていくような、そんな感覚。姉も妹も、私が家を出たときに同じように感じたのではないだろうか。
変わるものもあるけれど、変わらないものもある。
私の二人への気持ちだ。それを少しでも伝えたい。
オーガンジー生地のストールを三本。同じ刺繍を施して姉妹お揃いにしようと思っている。
扉がノックされる。シシーが確認して扉を開けると、シュテファン様が入って来た。
「コルネリア」
「まぁ、シュテファン様、お帰りになられていたのですね」
立ち上がろうとする私をシュテファン様が止める。
「針を持っているのだろう? 危ないからそのままで」
座り直すと、隣にシュテファン様は腰掛けた。
「シシー、旦那様にお茶をお持ちして」
「かしこまりました」
お辞儀をしてシシーが部屋を出て行くのを見送ってから、シュテファン様に向き直る。
「お出迎えもせず、失礼しました」
「この時間に刺繍をしていることが多いだろう? だからコルネリアには知らせなくていいと伝えておいたんだ」
私の手元にあるストールに目を向ける。
「これまであまりこういったものに関心を払ったことはなかったのだが、とても大変なものだな、刺繍というのは」
姉の分は刺し終えて、妹のを刺しているところだけれど、明日には終えるだろう。今は仕上げをしている。
「母上とクリスタがよく刺繍をしていたが、注意して見たことはなかった」
触れてもいいかと確認されたので、どうぞと頷く。
「当たり前なのだが、ひと針ひと針縫ってこのように美しい花になるのだな」
「男の方は刺繍をなさいませんもの。仕方のないことです。逆も然りです。私たちには分からないことも男の方にはおありでしょう?」
「あるだろうな」
シシーがお茶を持って来てくれたので、刺繍は止めてお茶を飲むことにする。
せっかくいつもより早くシュテファン様が帰って来たのだから、聞きたいことがある。
「シュテファン様、お尋ねしたいことがあります」
「なんだ?」
「先日気が付きましたが、シュテファン様は変わられました、お身体が」
「そうか? 夜会でも言っていたな」
ミューエ家に戻ってから、私はシュテファン様と夜を共にしていない。私としては妻としての義務を果たすべきと考えたのだが、シュテファン様に断られてしまった。
『確かに貴族同士の婚姻では子を持つことは重要な事だが、私は貴女に愛を乞う立場だ。貴女に無体を強いたくない。それにもし子供が出来れば、貴女はそれを理由に己の気持ちを飲み込んでしまうかも知れない。貴女は我慢強いから』
シュテファン様が私に好意を抱くという目標は五年と経たずに達成されているのだし、この婚姻を続ける気だからなんの問題もないのだけれども。
姉曰く『男性も恋愛に夢を見るものよ』
妹曰く『むしろ男性の方が願望をずっと抱いている気がするわ』
……ということなので、シュテファン様は私にも愛されて……と考えているのかも知れない。今更な気がするのは私だけなのだろうか?
お忙しそうだし、そのうちそのへんについてもう一度話そうと思っていたら、シュテファン様が変化した。
「心当たりというか、まぁ、当然と言えば当然なのだが……」
途端にシュテファン様が疲れた顔になる。
「王太子殿下は元々王位を継ぐ予定ではなく、騎士団長になることを目指しておいでだった」
王族の男子は武に優れた者であれば騎士団長になることを目指し、智に優れた者であれば宰相といった感じである。
「身体を動かさないと苛立ちが蓄積してしまうとのことで日々鍛錬をなさるのだが、それに何故か私も付き合わされているのだ」
「まぁ!」
なるほどなるほど! だから先日の夜会で王太子殿下に付き合っていると言っていたのね。それを申し訳なく思っている王妃様からお詫びとして薔薇もいただいたと。
シュテファン様が少し困った顔で私を見る。
「……もしかして、コルネリアは逞しい男が好みだったりするのか?」
「よくお分かりになりましたね?」
さっき興奮気味に反応した所為かしら?
「前に私に鍛錬は好きかと尋ねただろう?」
「えぇ、お尋ねしましたけれど、それだけでお分かりになりましたの?」
「……見たこともないぐらいの笑顔になっている」
思わず頰に手を当てるも、触るまでもなく分かる。
どうしても口角が上がってしまう。
だってシュテファン様が身体を鍛えているなんて。本人の希望ではないとしても。
「明日からは耐えられそうだ」
「耐える?」
困った顔のままシュテファン様は笑った。
「鍛錬は辛いが、コルネリアが喜んでくれるのなら頑張れる」
胸がきゅんとした。
シュテファン様に初めて。




