突如知る己の一面
シュテファン様が王太子殿下の側近になることが正式に決まった。正式に決まったとは言っても公表するものではない。……が、あっという間にそのことは広まり、私はお茶会に誘われることが増えた。
お義母様や姉妹の助けもたまに借りつつ、ほどほどに参加している。夜会にも夫婦で参加している。
敵対する勢力ではなかったのに、嫌味を言ってきていた令嬢や夫人たちはすっかり大人しくなった。なんなら愛想まで振りまいてくる。
さすがに不快さが溜まって、お茶会で姉妹に愚痴る。
「手のひらを返すって、こういうのを言うんだわ」
喧嘩をしたい訳ではないから良いけれど、これまでのことを思うと喜べない。あからさまで。
「馬鹿なことはするなと釘を刺されているでしょうね」
そう言って姉はお茶を口にする。
ここ数日寒い日が続いていたけれど、今日はとても暖かい。日差しも程よくて庭でのお茶会をするのに良い日和だ。
嫌味を言ってきていた令嬢たちの家とミューエ家は親交があった。親交があってもそんなことを口にしていたのは、彼女たちの心情の問題だけではない。
ミューエ家に対して含むものがそれぞれあったということだ。
嫉みであったり、あわよくば娘をシュテファン様に嫁がせたいといった思惑が。だから妻や娘がミューエ家に嫁いだ私に嫌味を言うのを止めない。
それがすっぱりなくなったのは、シュテファン様が王太子殿下の側近になったこと、クリスタ様が王太子の婚約者に内定したことが大きい。春に婚約式を行うまでは内定となっているが、決定は揺るがない。
クリスタ様は私を慕っていると明言して下さっている。未来の王太子妃のお気に入りに嫌がらせをしても良いことがないと判断したのだろうと思う。
「それにしても驚いたわ」
「えぇ、私もよ」
姉と妹は少し興奮しているように見える。
それもその筈だ。
先日、王室は例の禁術による魅了に関して、これまで公表しなかった件──何故シュテファン様だけが魅了されなかったのかを公表した。
それはつまり、シュテファン様がこれまで恋をしたことがなかったと言うもので、公表すると本人から聞かされた時には驚いてしまった。
「あれはオーバーホイザー家にとっては大恥だったわね」
鼻で笑う姉に、ユリアが身体を近付ける。
「お姉様、何故ミューエ家はオーバーホイザー家に恥をかかせたの? アンドレア様のことで十分過ぎる程に恥をかいていたでしょう?」
アンドレア様は年上の男性の元に嫁いだが、その仲は険悪であり、婚姻期間は三年もたないのではないかと噂されている。
「"私はこのような所では終わらないわ"」
姉が少し高めの声で真似をしたのはアンドレア様だ。全く似ていないけれど。
ユリアは呆れた顔をする。
「しぶとい」
それには私も姉も頷く。
アンドレア様の発言は面白おかしく広められている。いち夫人の言葉など、本来ならここまで広まるものではない。
オーバーホイザー家と嫁ぎ先がアンドレア様の手綱をしっかり握っていないと言うことであり、ミューエ家が力を持つことを良く思わない者たちが、アンドレア様を火種にしようと広めているのだろう。
……本当に、貴族というのは欲深い。
「以前よりもミューエ家は力を持つことになるわ。ネリーを引きずり下ろしてでも後添えに収まりたいと望む者は増える。表向きはクリスタ様のことがあるから嫌がらせは止まったとしてもね」
「そうでしょうね」
「そんな時にシュテファン様は恋を知らなかったから邪法にかからなかった。けれど今後はかかるだろう、と公表するのだもの。愉快だわ」
姉と妹は楽しそうに笑う。
「容姿を武器にシュテファン様に言い寄っていた方たちはご愁傷様だこと」
「ネリー姉様に嫌がらせをしていた方たち一人ひとりを慰めて差し上げたいぐらいよ」
「二人とも、悪い顔になっているわよ」
私の言葉に姉も妹もにんまりと微笑んだ。
シュテファン様たちの筋書きでは、私に嫌がらせをする令嬢がいれば、不自然に親しくする予定らしい。邪法を使っているのではと思わせる為とか。そうなると痛くもない腹を探られることになる。
妻に恋をしているはずのシュテファン様が、私以外の女性と親しくする。
なんとまぁ適当なと私が言えば、シュテファン様は笑った。こねくり回したものよりも、単純なもののほうが効果的なこともある、と。
「公表したのは私も驚いたけれど、そんなに上手くいくのかしら」
姉は笑顔で頷いた。
「シュテファン様が華美な女性を好まないのはネリーとのことで周知となったわ。さすがにシュテファン様の態度を演技だと思うのは、頭の中がお花畑な方だけだと思うわよ。
一方でネリーが華やかさを持とうとすることに反対はしないのよ。妻へ贈り物を頻繁にしていることも噂になったぐらいだし」
私が社交に戻ってから、シュテファン様は屋敷の内外で使う装飾品をいくつも買って下さった。私も美しいものは好きな質だから、遠慮せずいただいてしまったけれど。
夜会、お茶会、歌劇に着ていく為のドレスもどれだけ作ったか分からない。嫁入り時に持ってきたドレスはもう隅に追いやられてしまった。
ミューエ家の嫡男はあの地味な妻に大層のめり込んでいるらしい。その妻も夫の愛を受け、前よりも美しくなっている──これがシュテファン様と私に言われている噂だ。
まぁ、ミューエ家の財力で磨いただの、それでもあの程度といったものは今でも陰口として叩かれてはいるようだけれど、面と向かって言われないのだからどうでも良い。気にするに値しない。
「華美な令嬢は恋愛対象外であるが、愛する妻が華美になることは気にならない、ってことだものね」
「次に開かれる夜会で、たっぷりとシュテファン様との仲を見せつけてらっしゃい」
返事をしようとして、人の気配を感じた。
姉の婚約者であるクラウス様だった。
たまに屋敷に泊まっているとは聞いている。部屋は別らしい。
木剣を脇に抱え、釦を外した首元の汗を拭っている。
毎日鍛錬をしているとは聞いていた。人気の少ない場所で鍛錬して、屋敷に戻ろうとこの庭を通ったのだろう。
いくつも釦が外されており、鍛えられた身体が隙間から見えた。
「クラウス、未婚の令嬢がいるのだから、気にして頂戴」
「すまない」とクラウス様がユリアに言うと、「慣れましたわ」と肩を竦ませる。
ユリアは私の方を向いて、「お姉様ってばあれだけ淑女として、とおっしゃっていながら、婚約者を屋敷に泊まらせるのよ」と呆れた顔をする。
こんなことを言っているが、ユリアは昨日叔母の屋敷に泊まりに行っていたはずだ。お邪魔虫にならないように、定期的にそういった機会を姉とその婚約者に与えている。いずれこの屋敷にクラウス様も住むことになるだろうが、今はまだそうではない。
妹がいないことを知っていたからこそだろうし、ずっと遊学に出ていたクラウス様との、婚姻前特有の蜜月を楽しんでいるのだろう。
「早く春になるといいわね」
私がそう言うと、姉も気恥ずかしくなったのか、頰を赤らめて咳払いをした。ユリアも頷いた。
さすがのクラウス様も恥ずかしくなったのか、はだけたシャツで汗を拭く振りをして顔を隠す。
……私は、目を奪われてしまった。
クラウス様の、割れたお腹に。
鍛えられた身体という表現は恋愛小説でもよく出てくる。けれどそれが実際どのようなものかは知らなかった。異性の裸など普通は見ない。
シュテファン様はこれっぽっちも太ってらっしゃらないけれど、鍛えている訳ではないから、クラウス様のようではない。
姉に追いやられるようにその場を去って行くクラウス様の背を私が凝視しているから、二人は不安になったのだろう。
「……ネリー? どうしたの?」
「ネリー姉様?」
「……私、今分かったことがあるの」
分かったこと? と二人の声が重なる。
私は頷いた。
「私、鍛えられた男性が好みのようだわ」




