人の心は見えない
クリスタ様とのお茶会から、シュテファン様の様子がおかしい。
何かを真剣に考えているようだ。お義父様とのお話で何か難しい問題が出てきたのだろうか。
話しかけても心ここにあらずという感じで、生返事も増えた。
私への気持ちが消えたとか、そういうことではなく、何か別のことを真剣に考えているように見える。
悩みを話してもらえないことにもやもやする。けれど、私も自分の計画をシュテファン様に話してはいない。自分は手の内を見せないのに、相手にだけは求めるのは狡く思えて、聞けない。
じゃあ、計画を話すかと言えば、話す気はない。
私はシュテファン様の言葉に傷付いた。あの計画を話せば、きっと傷付けてしまう。傷付けられたから傷付けても良いとは思わない。傷付けても、きっとシュテファン様は当然だと受け入れるに違いない。
許す許さないで言えば、許すことにした。あのときのことを心の中の箱に仕舞い込んで、蓋をするつもりでいる。
シュテファン様が心から反省していることが分かるから、私の気持ちを大切にしてくれているのを感じるから。
だから、あれはもう、終わりだ。
きっと時間が薬となって解決してくれる。
……そう思うのに、気になる。
今日はシュテファン様と一緒に歌劇を観に来た。
『紅の蝶』を観て以来、夫婦で歌劇を観るのが恒例となっている。
恋愛小説も良いけれど、歌劇は歌劇の良さがある。想像では曖昧だった部分も、人に演じてもらうことで判明した箇所などもある。
あたかも現実にあったことのように見えて、小説を読むよりもハラハラしたりドキドキする。観終えると心の起伏に応じて疲れてしまうのが難点だ。途中で止められないことも。
小説ならば自分の都合で中断することが出来る。
どちらが良いとは言い難い。それぞれに良い。
夫婦仲が良く見えるようにと何着も作らせたドレスやフロックコートが少しずつ手元に届き始めたのもあり、見せつけるように歌劇や夜会に参加している。
色や刺繍など、意匠を誂えたものを揃いで着るのは少し恥ずかしかったが、何度か着ているうちに当たり前に思えてきた。慣れとは凄いものである。
幕間となったのでボックス席から出ると、隣のボックス席から出てきた令嬢と目が合った。先日姉妹で歌劇場を訪れた際、嫌味を言ってきた夫人の妹だったと記憶している。
リヒツェンハイン家とは付き合いのない家だ。ミューエ家とはある。
私を上から下まで値踏みするように見て、扇子で口元を隠す。笑っているのだろう。姉と同じ態度をしてくるあたり、当主夫妻の気質が知れるというもの。
シュテファン様の腕が私の腰に回されて、髪に口付けをされた。
令嬢の眉間に皺が寄る。
「楽しかったが、少し疲れたろう? あちらで咽喉を潤おそう」
令嬢の横を通る際、シュテファン様は失礼する、と言っただけで、会話をする気はないようだ。
「次は王城でお目にかかります」
背後から声がかけられた。
……王城?
「……失礼」
シュテファン様の顔を見ると、険しい表情をしている。
私の知らないことがあるようだ。それは仕方のないことだとは思う。
少し寂しさはある。
気に入らないのは、あの令嬢が知っていて、私が知らないということだ。
もしや、近頃思い悩んでいることと関連があるのだろうか?
じっと見つめていると、気付かない振りを諦めたようで、ため息を吐き、私を見て言った。
「きちんと話す」
教えてもらえるのはありがたいが、きっとこの後の話は頭に入って来ないと思う。
「お話には集中出来そうにありません。出来るならこのまま屋敷に戻って話をお聞かせ下さい。
……ここの所悩んでらっしゃったことと関連があるのでしょう?」
困ったような顔をするものの、頷く。
「まだ決めていないことだったから、コルネリアに話すつもりはなかったが……あんな風に聞かされて不快だったろう。嫌な思いをさせてすまない」
意図的に隠していたと言うよりは、まだ悩んでいて口に出来なかった──そう聞こえる。
それだけでほっとする。
馬車に乗り込む。
屋敷に戻ってから話を聞かせてもらえるのだと思っていたが、シュテファン様が話し始めた。
「実はこの前のクリスタとコルネリアのお茶会に、乱入しようと思っていたんだ」
「まぁ……!」
……でも、入って来なかったのは、話してる内容を聞いてしまった?
シュテファン様は頷き、視線を落とした。
「エルンスト殿下が窓から飛び降りたことを私は知らなかった。側近から外されていたからなのか、私の気持ちを慮ってのことなのかは分からない」
膝の上においた手は、あまりに強く握りすぎて、白くなっている。
「私は善人ではない。殿下の心が遠くにいき、無碍にされたことに恨みもした。
あの時はどうすれば以前の殿下に戻っていただけるのかとそればかり考えていたし、思い付くことは全て、王家と協力して行動に移した。マリアンネ嬢もそうだ」
かけられる言葉などない。
ただ頷いた。
「邪法の所為だったと知って安堵した。己ではどうしようもないことだったのだと思えたから。殿下たちにとってもどうしようもないことだろうと思えた。
王太子としての座をオリヴァー殿下に譲られたと知った時は納得したんだ。あの方はそういう方だ。
周囲がどれだけ邪法の所為だったと言っても、それでよしとはされない方なんだ」
そう言ってうっすらと笑うシュテファン様に、エルンスト殿下とは主従の関係だけでなく、友人でもあったという話を思い出した。
「……まさか、命を捨てようとなさるとは思わなかった。
あの方は私と違って強い方だ。だから、そんなことをなさるなんて、夢にも思わなかった。
私は……私のことしか考えられていなかった」
震える声でそう言うと、手で顔を覆った。肩を震わせる夫の肩が、いつもよりも細く見えた。
顔を隠す手を掴んで離すと、それほど抵抗なくシュテファン様の顔が見えた。
ハンカチで涙を拭く。
「マリアンネ嬢はエルンスト様の元に行くと言う。クリスタはオリヴァー殿下の妻となる事を決めた」
拭いても拭いてもあふれてくる涙を拭っていた私の手を、シュテファン様が掴む。
「コルネリア……私は……大して役には立たないと分かっているが、オリヴァー殿下にお仕えしようと思う。
エルンスト殿下の元に行っても、私をお側には置いて下さらないだろうから」
それならばオリヴァーに仕えてくれ、そうおっしゃるのだろう、エルンスト殿下は。
想像だけれど、きっと、邪法さえなければ良き王となられる方だったのだと思う。
「どうしようもない状態だった私を励まし続けてくれた妹を、兄として支えたい」
あぁ、そうか。
シュテファン様が私に言えなかった理由が分かった。
「クリスタが王太子妃となり、私が王太子の側近となれば、対立する勢力は貴女に酷い言葉を浴びせるだろう」
私の手を、シュテファン様は両手で包むようにして握った。
「貴女を傷付けない。貴女を守ると約束をした。努力はする。だが、完全には防ぎ切れないだろう。
それでも、私の妻でいて欲しい」
どれだけ私に影響があるのかは分からない。
分からないけれど、愛してるの言葉よりも、傷付けられても、自分の側にいて欲しいという言葉のほうが、私への想いを感じられた。




